35年ほど前、ショットバーの薄暗いカウンターで、フランスの俳優のような風貌の男が言った。
「今一番の流行りはワンチャイ、次が妖怪人間なのだよね♥」
その言葉の妙な説得力と、煙草の煙の向こうで光る彼の目つきだけが、今も鮮明に残っている。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』を観るたびに、あの夜の空気がよみがえる。
この映画には、時代の熱と、言葉ではなく身体が語る物語が詰まっている。
まず、コメディ要素が絶妙だ。深刻な時代背景の中に、ふとした仕草や掛け合いが軽やかに差し込み、観客の緊張をほどく。その緩急が、後のアクションの切れ味をさらに鋭くする。
そしてアクション。普通なら「ここで終わりだろう」というところから、さらに一つ上の段階へ踏み込む。
動きが加速し、跳躍が伸び、攻防が複雑になり、観ているこちらまで息が上がる。へとへとになるほどだ。
だがその疲労感は心地よい。なぜなら、そこには“見せるための動き”ではなく、肉体が雄弁に語る本物の中国拳法があるからだ。
ジェット・リーの身体は、技を披露しているのではなく、時代の空気を刻んでいる。
拳の軌跡、足さばき、呼吸のリズム──そのすべてが、清朝末期の混乱と誇りを背負っている。
アクションがそのまま歴史の語り部になっている。
そして、この映画は“歴史の悔しさ”を静かに伝えてくる。
列強の圧力、文化の衝突、守りたいものが守れない時代の痛み。
拳法の強さがそのまま国の強さにはならないという現実が胸に刺さる。
笑いがあり、圧倒的な肉体の説得力があり、そして歴史の影がある。
この三つが重なったとき、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』はただのアクション映画ではなく、時代そのものが動き出す映画になる。
あのショットバーの男が言った「今一番の流行りはワンチャイ」という言葉は、単なる流行ではなく、時代の熱を見抜いた直感だったのだと思う。