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マリーシャルレと言う女性は存在しない。ロートレックが、動きの無い女性の肖像画を描く事はまれで、マリーシャルレらしい映画に出てくる絵も見た記憶がない。従って、この映画は完全なフィクションである。演出家のロートレックに対するこの演出家の解釈と見た方が良い。しかし、最初のムーラン・ルージュでのばか騒ぎはロートレックの絵画をデフォルメして、絵画的に再現している。それを多いに評価したい。デフォルメをデフォルメするとは、さすがの演出家だと思う。しかし、
実際のロートレックは物凄くポジティブで明るい人であった様だ。また、ゲイと言う説を唱える方もいるが、彼の芸術性とは関係のない話である。
さて、窓から液体をバケツで廃棄する場面が登場するが、あれはまさに汚水で、花のバリと言いながら、パリは当時は汚い街の様だ。また、ムーラン・ルージュのばか騒ぎも一つ文化ではあるが、買春、アルコールなどのアンダーグラウンドな世界であった様だ。『トガ』の踊り子も踊り子と肉体的パートナーの関係が存在する。従って、バレーの技術も自ずと他の国と比べると低かった。ロシアのバレーの方が当時は上であった事は確かだ。
印象派のほとんどの画家が言われた言葉が『ポルノ』だった。ドガの『14歳の小さな踊り子』を『ボルノ』と見る方もいるようだ。ある意味でペド●●●●なのだろうが。僕がおかしいのか?
全くそう見えない。
しかし、ロートレックって印象派なのだろうか?
友人にゴッホをあげているが、対象にする素材から描き方まで『ドガ』のが大きいと思うが。印象派とするなら、その点だ。