千と千尋の神隠しのレビュー・感想・評価
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一生に何度も映画館でジブリを
今までに何回観たかわからない千と千尋の神隠し!
コロナ禍以来の映画館で視聴ができた!
上映最終日に駆け込みセーフ!
すぐにチケットは満席に、、!
素晴らしい作品ということは言わずもがなで、今回改めて何をレビューしようかと迷った。
ハクの凛々しさ、釜爺の優しさ、リンさんの頼もしさ、、推しが多くて。
坊を演じた神木さんも素晴らしい。
八百万の神々たち、神聖な龍、この物語と同じ日本で生まれることができてとても誇らしい!
物語の素晴らしさもさることながら、今回は音楽に注意して聴いていた。
物語が進行するようにバックの音も飛び跳ねたり迫力を増したりと連動している。
ハクが千尋を銭婆のところへ迎えにきたシーンは何回観ても感動する。
この物語は音楽あってより感動を増幅させているのだと思う。
一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで。
このフレーズを特によく聞くのは、自分に起きた過去のことを忘れて思い出せなくても、それは全て意味があることだったんだよ、と安心させてくれるように感じるからかなと思った。
自分は物事全て覚えていたいけど、それが叶わず忘れてしまうことは、まるで自分の手から水がこぼれていってしまうようで怖く感じる。
それを肯定してくれるように思った。
ハクは千尋が元の世界に戻った後、八つ裂きにされずにまた未来で再会しててほしい。
年齢を重ねるにつれて、カオナシはただ怖いものとしては観れなくなった。
誰かに気づいて欲しい、愛して欲しい、名声や富が欲しい、あいつが妬ましい、誰の心にでもきっとある様々な欲は、自分にも心当たりがあるもので、怖いと目を背けられなかった。
定期的に映画館で上映してください!
何度でも観に行きます!
大切な人を救うために、少女は成長していく
異世界に迷い混んだ少女千尋が、両親を助けるため、自分の名前を取り戻すため、そして大切な人を救うために強く成長していく物語。誰にでも分かりやすいストーリーながら、幾通りにも解釈の出来る奥深さがあるのはさすが宮崎駿の描く世界観だと思った。 千尋の両親、とりわけ父親の方はとにかく自信家で、自分の判断に任せておけば間違いないと、千尋が何を言っても耳を貸そうとしないような男だ。引っ越し先へ行く道を間違えてしまい、どう考えても抜け道につながらなさそうな獣道を車で突っ切っていき、彼曰くバブル時代に作られたテーマパークの残骸のような門をくぐり抜け、すがずかと敷地に入っていく。そして店主がいないにも関わらず、後で支払いをすればいいと店に並べられた料理に手を出してしまう。どう考えても非常識な行動だが、後に豚にされてしまう両親は、自分達の都合のいいように地球の資源を食いつくす傲慢な人間の姿を象徴的に描いたものだと思う。 現代っ子を象徴するような、覇気がなくグズグズしている千尋が、突如理不尽な世界に放り出されてしまうのも色々なメッセージ性を感じた。 「油屋」を経営する魔女湯婆婆に大切な名前を奪われ、千と呼ばれることになった千尋。神々の世界に人間が入り込めば、すぐさま排除されてしまうが、そこをハクと名乗る青年が何故か親身になって千を元の世界に戻る手助けをしようとする。 ハクも自分の本当の名前と記憶を失ってしまっているが、どうやら千尋とは何かの縁があるようだ。 最初は頼りなくグズグズしていた千尋が、千としてどんどん油屋で成長していく姿はとても微笑ましかった。彼女は自らの手で未来を切り開こうと動き出した。 腐れ神と決めつけられ皆が寄り付かないオクサレ様を、千は親身になってもてなす。やがてオクサレ様の身体には、人間の手によって捨てられた大量のゴミが埋まっていることが分かる。ゴミを取り除くとオクサレ様は立派な河の神の姿となって、満足そうに飛び立っていく。明らかに自然を汚す人間の行為に対する警告と取れるシーンだった。 自分の一番好きな相手に振り向いてもらえないことで、凶暴化してしまうカオナシ。目先の欲望に目がくらんで本質を見失ってしまう油屋の番頭達。強欲で猜疑心の塊の湯婆婆も、人に対する礼儀と思いやりを知らないばかりに大切なものが見えていない。 神々の姿はまるで人間の醜い部分を表しているようでもあった。 逆に大して事情も聞かずに千尋に親切にする釜爺や、リン、おしら様のように優しくおおらかな心を持った神々も登場する。 自分のことよりも人のことを一番に心配出来る千尋は、元々とても心の優しい人間だったのだろう。自分に敵対する相手に対しても慈悲の心を見せる彼女が、終盤になるとまるで女神のように感じた。 雨が降って一面大海原のようになった湯屋の光景がとても美しかった。 あからさまな戦争のシーンはないが、相容れないもの同士が憎み合い、傷つけ合うのはどこの世界も同じだ。 宮崎駿はずっとそうした相容れないもの同士が、共に暮らす道はないのだろうかと模索し続けている。 人間は自然に助けられて生きているのに、その自然を壊してしまう。かつて人間と神々が共存していた世界があったのかもしれないが、今では別々の空間に隔てられてしまっている。 色々と考えさせられる内容だが、観終わった後は素直な感動がじわーっと拡がるような良い作品だった。
ジブリらしからぬブスっぽい主人公で大ヒット。 お化けがいる不思議な...
ジブリらしからぬブスっぽい主人公で大ヒット。
お化けがいる不思議な世界に迷い込んで、どうなっちゃうのかドキドキ・ワクワクする映画。
無事に帰ってきておしまい。
それだけかよ~って初見は思った。
しかし、入口の門と出口の門がなんとなく違うし、何だったんだろう…面白いし、もう一度観ようとなる。
そして、だんだんとカオナシって可愛いじゃんとか、あのシーンの意味は何だったんだとか深く知りたくなってしまう。
知っても知らなくてもどっちみち面白い。
個人的に好きなセリフが「遊んでくれないと泣いちゃうぞ」。
「兄だった」 千尋の母は千尋に冷たい。父親(夫)には甘えても、一度...
「兄だった」
千尋の母は千尋に冷たい。父親(夫)には甘えても、一度も千尋を見る事すらない。声も命令口調で冷たい。誰もが気付くのに理由は語られない。
ハクは「そなたを小さい頃から知っている」と言う。名前も忘れるのに「お前の事だけは憶えていた」と言う。
ハクはまだ神になれていない人である。映画の設定で100%神なら夜になって見えるようになる為、昼から見える彼は人の部分があるのである。
川に溺れた千尋は上半身裸であるが、川の中に何かを採ろうとする手はシャツを着ている。だからそれは、靴を拾おうとする千尋の手ではない。千尋を助けようとしている「子供の手」である。神の手ではない。
でも事件は千尋の記憶ではない。千尋自身は「自分は川に溺れた事がある」と、聞いた記憶である。
ハクを助けようとする千尋に、釜爺が「愛だ!」と言う。
宮崎駿は簡単に「愛」と言う言葉を使わない。宮崎アニメの文法には無い。
宮崎駿はこの映画で、銀河鉄道の夜のテーマ「誰かが自分を生かしてくれた」と言う事をやれた。と言っていたそうである。
ハクは千尋の兄である。
彼は、溺れた千尋を助けて 川で溺れ死んでしまったのである。それで彼は その川の守り神になれたのである。元から神なら「そなたを小さい頃から知っている」と言うのは少しずれている。
母は、かわいい男前の 聡明な息子の命を奪った 無気力な娘、千尋のせいでは無いと分かっているが、死んだ長男の為に 娘と向かい合えないままなのである。
そして両親は「千尋に兄がいて 自分を助けて死んだ事」を まだ千尋に伝えていないのである。
釜爺の言う愛とは「兄弟愛」の事である。
ハクが、千尋を「知っていた」と言う以上に千尋を、構い助け続ける理由もうなずける。
その事故が原因なのか、この家族は少しずつ歯車が狂っている。今回の移転・引っ越しも関係しているかもしれない。
これが、この映画のテーマ「誰かが自分を生かしてくれた」なのである。(岡田斗司夫のYouTubeより)
この話を聞いてかなり多くの歯車が噛み合った感じがする。
気付かなかった。兄って気付かないよねえ。
この解かり難さは、実はこの映画は宮崎駿が自分の為に作った、ほぼプラベートフィルムなんだそうだ。油屋(湯屋)はジブリだそうだ。もののけ姫の大ヒットで、宮崎駿はヒットを狙うのでない もっと自分の作りたいモノを!と思ったらしい。でもそれが興行収入1位になり、賞を総取りした。金熊賞を取って一番戸惑っていたのは氏である。変なコメントをしていたのを憶えている。
宮崎駿は人類が思っている以上に化け物である事もさることながら、
見る側も、分からなくても 何か感じ取れる 何かを持っている事実も興味深い。
日本の宝、1位であるべき映画
大好きで大好きで、小さい頃から何回観たかわからない。
きっと何かのきっかけであんな世界につながってるはずだ、あるはずだ。あってほしい。
川と再会するなんて、そんな素敵な話を作れることに、もう言葉がない。先に腐れ神のように汚されてしまった名のある川の主がやってくるという、見事な伏線もあるし。これが素人の凡人だとせいぜい「川じゃなくて実は死んだ兄です」なんて唐突で陳腐な浅いことしか思いつけないからね…。まあしょうがない。川の神様だなんて発想は天才中の天才でないと思いつかないからね。そもそも落ちたときすでに川だったって言ってるのに、あんなのを信じて「す、、すごい!」とか言ってる人(中学生くらいかな?)のIQが心配です…。簡単に騙されちゃいそう…ケーキ切れるかな?
この、異世界と現実世界とがつながってるところが、やっ
ぱり監督の異世界観というのかな…。
今この世界を生きることには、副次的なことがいつもついてまわる。責任があるっていうことなのかなと思う。
異世界という形で描いてるけど、それは小さなもの、言葉を持たぬものたちの世界でもあり、未来世代の世界でもある。今を生きる私たちの目の前にある世界と、つながった世界がたくさんあって、影響を与えてるんだよね。
初めてハクを劇場で見た時はハクも怖かったなぁ。
美しすぎて、人間だけど人間じゃないみたいに見えた。
カオナシ登場からの不安と緊迫感、夜にあんまんを食べてるシーン、お風呂掃除の日常感、電車から見えるおじさんと女の子の幽霊?
晴れて気持ちよく風の吹き渡る草原と人肉を売る商店街のギャップが不気味。
何回観てもたまらない。。
どうにかして、コロナ禍で収益を上げたいちジャンプ漫画のいちエピソードじゃなくてぶっちぎり1位にしてほしいなぁ…。こんな心豊かな映画が、日本映画界の頂点でありつづけてほしいから。。
宮崎作品は奥が深い
2度目の鑑賞
ただし、前回は酔っぱらって後半を覚えていない
豚になってしまった両親を人間に戻すために頑張る主人公の物語
途中、ハクを助けるために寄り道してしまうけど
最後は両親を助けることができた
宮崎作品は色々なメッセージが込められているからか
こちらがどう見るかで感想が変わる
だから見終わると「?」な気持ちが残る
子供の頃の見方と変わっていた。
子供の頃この作品を映画館で見て、千尋に感情移入して見ていたのを思い出す。カオナシに対しては憎めない所をあいまいながらも感じていて、エンディングが流れる中ですごい作品に圧倒された感覚を味わっていたと。そんな日の約20年後にもう一度見返すことになっての感想である。
見ていくと、全てではないが、多くの場面を思い出しながら見ている事に気付かされた。だから、この後どうなる?というような緊張感や衝撃も無い。それほど、1度か2度ほど過去に見た記憶が印象的に記憶に染み込んでいるんだろう。そう思わされる中で、劇中の表現に対するものの見方の変化(千尋をある程度離れた視点から子供として見ている、カオナシへのより強いシンパシー、劇中で表現されるギミックや日本文化に結び付けられて表現される事柄への注目)を感じていった。
今回、今作品を再度見て、面白いと思ったのだが、しかし、子供の頃に見た時感じたはずの感動は感じられなかった。理由としては、この作品の対象が子供に対してのものであるから(独り身で油屋という会社に初めて就職して社会の洗礼を受ける、という体験は自分にとって新しくない。主人公が子供であり、周りは坊以外は全て大人であるため、言動という点でいえば全ての言動が優しく聞こえる。子供向け作品だろうから当たり前ではあるが、それが、社会に出てある程度たった大人としては、社会はもっと自分に対して無関心でエゴイスティックだよという思いと反発し、『そんなに社会は甘くしてくれない』という感情につながり没入感の邪魔をした)というのが一つあるかもしれない。他には、場面場面の記憶への定着が強すぎて全体的に覚えてしまっていたから再び感動することはできなかった、というのがあると思う。
個々の具体的な映像表現で印象ぶかかったのは、白竜の空を泳ぐ姿の遠景が、今回の視聴においてもリアルだと感じた事と、銭婆の家に案内した1つ目ランプが静寂の暗い夜の中でピコピコ音を出しながら近づいてくる様子にもリアルを感じた事だ。
最後に、今回今作を見ることで得た感想により今まで若い時期に見てきたジブリ映画へのぼんやりした印象により現在ジブリと宮崎駿を漠然と評価していた事に気づかされた。そして、今作のような主人公が思春期前の人物である作品はあまり見てこなかった(思いつくのはハリーポッターの賢者の石くらいか)ということもも確認した。その気づきをもって、今後ジブリを始めとするファンタジー界隈に限らず創作物とのかかわり合いをより気づきある良いものにしていきたい。
ハクは私の初恋の人
何度もDVDなどで観ています。そして、この前の金曜ロードショーも録画して観ました。千と千尋の神隠しでは何と言ってもハクがかっこいい。最後のハクが千尋を迎えに行くシーンが本当に好き。空で帰り道、竜から人間になる所からのシーンね。絵が綺麗でセリフ回しとはもすべて好き。そして、ハクには人間界に来て、千尋と恋をしてもらいたい。(私の願望)
リンの正体は・・・?
劇場公開が2001年ということなので、19年ぶりにリバイバル上映で鑑賞しました。ストーリー、映像(2020年現在でも普通に綺麗)、音楽が全て最高で文句なしに★5つです。特に冒頭の温泉街へ迷い込むシーンは今観ても怖く、この映画の世界に入り込むことができました
久しぶりに観て素朴に疑問だったのが、「そういえば油屋でお世話してくれる『リン』って何者?」ということです。あそこには人間は千尋しかいないはずなので人間ではないはずですが。
ということで調べてみましたが・・・確かなところはわからないみたいですね。初期設定では「白虎」とのことですが、パンフレットには「人間」と書いてある・・・。周りは「ナメクジ」か「カエル」・・・。まっ、正体が何でも好きなキャラクターだからいいです笑
あとエンドロールで驚いたのが「坊」の声優が神木隆之介さんだったことです。当時いくつだったのかな・・・?
銭婆
何回も見ているはずなのに、映画館で見ると新たな発見がある。
銭婆からもらった髪飾り最後まで付けてたんだね、とか。
銭婆に会いに行くシーンで泣いた。おばあちゃんの優しさ…
音楽も良いし登場人物も魅力的。話も面白いし絵がダイナミック。映画館で見て良かったです。
ユニバーサルなデザインの多彩な美しさに潜む少女の成長変化の時
「もののけ姫」で宮崎アニメのひとつの頂点を極めたと印象に持ったが、再びアニメ芸術のもう一つの頂に達したのではないかと感銘を受けた。それは、全編に於ける多彩なデザインの遊びを駆使して一人の少女千尋の成長譚を構築した大胆な造形が、コントロールされた統一感にあるためである。東南アジア風の建築を窺わせる塔のような湯屋、その主人湯婆婆の息子坊の部屋はバイエルン王国のヨーロッパ王室の様で、銭婆を尋ねて電車に乗るシーンは正しく水の都ベニスの景色を思わせる。そして銭婆の家は、イギリスの片田舎の質素な民家をモデルにしたという。これらが、極普通の日本の少女が迷い込んだ神々の世界を、ユニバーサルな視点で端的に表現している。そこにデザインの関係性は時代も含めてない。だが、現実の日本と対比する外の世界を絵的に楽しませる宮崎駿監督の力量が素晴らしい。また、アニメ表現で最も感銘を受けたのが、千とハクが手を繋ぎ庭の花壇の間を駆け抜けるカットだ。画面の右と左に流れ映る花々の美しさ。10歳の少女の為に創作したアニメらしいキャラクターもいい。特にカオナシの食欲・物欲の旺盛な化け物は、醜い大人社会を象徴して、千の薬で吐き出された中に川に捨てられた自転車がある表現には、環境意識を高めるメッセージになっている。
しかし、この表面上の面白さや両親を救うための千尋の試練の物語が感動的なだけではない。この作品は、女の子が一人の女性に変化する、成熟した証のその時のイメージを映像にしている怖さがある。宮崎駿というアニメ作家が、10歳の少女に対する愛情と理解があって初めて創作できる内容を含んでいると、その意味で圧倒されてしまった。トンネルを抜けると海。両親が見せる大人の姿に感じる違和感。成長してきたそれまでの価値観が崩れる新たな知識と覚悟。そして、生まれてきたことに改めて感謝する精神の自立。ハクが溺れた千尋を助けたエピソードから想像すれば、人が生まれてから健やかに成長し、ひとりの女性として目覚めた時の広い視野と世界観が、この映画の中にイメージとして存在する。ここに、男性作家が創作した驚嘆と感動がある。
意味不明な場面も、深読みすればするほど、面白さと感動が深まる!これぞ千尋(計り知れない水の深さという意味)
見るの何度目かな?実は公開当時「映像美エンタメは凄いけど、話はいまひとつ意味不明、ナウシカやラピュタの方が面白いし感動」と思ってた。カオナシに現代社会批判が多々こめられている事は理解できても、まだ読みが甘かった。しかし今回また映画館で隅々まで見て、過去のインタビュー記事やネット等の考察も読み、新たな気付きに感動の渦にまきこまれた。これまで見逃してた細かなとこもちょいメモ。
宮﨑監督は映画内で説明しないので、意味不明…と感じた人はヒントにしてみて?
★カオナシ、河の神などが「吐く」行為が何度もあるのは「デトックス、浄化」を表す。醜いが重要。
また、千尋がハクに「この世界の物を食べないと消えてしまう」と食べさせられる小さな丸薬、非常に食べづらそうな様子だが、これは後に、傷ついたハク竜に千尋が苦団子を食べさせ、呪いのハンコを吐き出す場面と対になる。ハクがおにぎり(母の味、人間世界での懐かしい食)をあげて「大粒の涙がこぼれる」のも「苦しみ、悲しみなどの本音を吐き出す」ことであり、浄化。
★油屋は昔の風俗店の象徴という説は有名だが、これは宮﨑監督本人ではなく鈴木氏の言葉。宮﨑監督本人は「油屋=当時の鈴木氏が金儲け主義に傾倒していたジブリ、千尋=スタッフの娘千晶、油婆=鈴木氏(自分も少しミックス)、銭婆=高畑勲監督、窯爺=自分、ハクも一部自分の分身」として描いているそうで。油婆(鈴木氏)が坊(吾朗氏や若手)を溺愛し、血だらけのハク竜(駿氏)を「さっさと片付けな、もうその子(老いぼれ)は使い物にならないよ」と捨てる場面…。
銭婆のヒトガタ(白い紙の、人型の鳥)はあんな恐ろしいのに、実はただの紙。絵コンテを書くのに苦しめられているのね…そして顔も見えない世間の人々の声にも。
それではジブリのイメージを下げると心配した鈴木氏が「風俗店のような日本社会への批判」と評論家うけのよい説をでっち上げマスコミに伝えたそう。その説だけ信じて「何故ソープランドが舞台?」と揶揄する人もいるけど、そもそも「川で溺れたカムパネルラ」「環境汚染の川」を描きたいと先に考えたら、水が重要なテーマになり、神々が遊びに来る場所は湯屋が自然な流れ。千尋の名も深い水を表す語で、ハクが千尋にかけた呪文は「そなたの内なる風と水の名において解き放て」。竜も水神。ただ店名は「油屋」で「水と油」対比なのが意味深。
★「油婆は相手の名を奪って支配する。いつもは千でいて、本当の名は大事に隠しておくんだよ」
「千」は名でなく数字、番号。人格や個性を無視した囚人番号のような。
実は油屋の従業員達は 適当な偽名で契約し、実は意外と自由に(ホワイト企業的に)働いているのだが、ハクは正直に本名で契約してしまい苦しんでいるという説をどこかで読んだ。
宮崎駿氏の愛読書『ゲド戦記』では「真の名」が重要なテーマに描かれ、宮﨑作品は「名」にこだわりをもつ。シータとムスカの本当の名、ポルコも偽名、ハウルの複数の名、そして千ちひ。
(もっとも、ゲドより遥かに昔、古代の古事記やギリシャ神話でも、お化けに名を知られると命を奪われると云う。ちなみに、「この世界の物を食べないと消える」や最後の「トンネルを出るまではけっして振り向いてはいけない」も古事記由来)
若かりし頃宮﨑氏はペンネームを複数使ったそう。ジブリ設立後は「大字武里」(おおあざたけさと。音読みで大ジブリ)というペンネームにしたかったが、すでに宮崎駿の名が有名になり始め、スポンサーが許可せず、以降ずっと本名のまま。仕事で本名を出してしまいプライベートも無く、ハクのように苦しんでいるのかもしれない。
★リンの「雨がふりゃ海くらいできるさ」という言葉、印象的。神から見た下界ってこんな感じかな、海に沈んだ町で人は右往左往しているかな。ダムに沈んだ村…?とか想像したけど、あれは海。電車内の広告に「海老、海の幸」など書いてあった。もしかしたら温暖化の氷解で近い将来海に沈む町や、異常気象の大雨災害を暗喩しているかも。
切手には「のりきり 滋養 絶佳」と書かれ、絶佳とは風景がすぐれて美しい風光明媚。
★窯爺の切符「40年前の使い残し」40年前に何があったのか調べてみた。映画公開2001年なら1961年(昭和36年)に何が?色々な事件のうち関連ありそうな事は不明だが、1941年生まれの宮崎駿監督が20歳の時。色々あったろう。かつて監督と加藤登紀子さんが『紅の豚』対談で「僕らの世代にとっての『あの頃』とは1960年代」と言っていた。安保闘争、学生運動の時代。監督は東映動画入社後は労働組合リーダーとして闘争したそう。『千ちひ』の静かな電車の場面はもしかすると、『紅の豚』の飛行機の空の墓場の雲の場面と関連しているのかも?仲間が命を失ったり、孤独に飛び続けるような心情があったのかも。
★電車に「行先 中道」と書いてある。仏教用語で、二つの対立するもの、有と無、生と死の狭間を表す言葉。また、快楽も苦痛も感じない悟った状態。行先(終点)は悟り(成仏)の状態?監督によるとこれは環状線なので、生死の狭間をずっとめぐり続ける輪廻の輪なのだろう。
★「6番目の駅」は「六道」を表すのだろう。仏教用語で、全ての生き物が、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、6つの世界のどこかに再度生まれ変わるそう。1復楽時計台駅(仮称)、2油屋駅(仮称)、3南泉駅、4沼原駅、5北沼駅、6沼の底駅。千尋たちは油屋駅で乗った。他の乗客(カオナシと同じく透けた黒い影)は沼原駅で降り、その先は千尋達だけ。その後の北沼駅周辺では派手なネオンがたくさん光っていたのが気になる。そして沼の底駅で降りた。
当時、宮﨑監督は「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を描きたかった、誰かの犠牲の上に命が生かされていることを描かなきゃいけないと思った。」と言ったそうで。銀河鉄道を思わせる描写が幾つもある。
『銀河鉄道の夜』では、
1どこかを発車して、2銀河ステーション、3白鳥の停車場、4鷲の停車場、5小さな停車場、6サウザンクロス南十字、7石炭袋の停車場(終着駅)。
ジョバンニとカムパネルラは銀河ステーションから乗り、様々な人々と出会うが、みな6番目の南十字星で降り、車内は2人きりになる。終着駅が見えるといつの間にかカムパネルラの姿は消え(降り)、ジョバンニは1人きりになり、(降りられず)気付くと元の世界に帰っていた。
鉄道内で出会った人々との会話では「ほんとうにあなたのほしいものはいったい何ですか」「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない」等まるでカオナシを想起するような話をしていた。また、「そんな神さま うその神さまだ、ほんとうの神さまはたった一人ひとりだ」と1神教(キリスト教)らしき話をし、『千ちひ』は日本の八百万の神様の話で対照的。
情景描写では、銀河鉄道は「高い高い崖の上を走っていて、その谷の底には川がやっぱり幅ひろく明るく流れていたのです。(中略)この傾斜があるもんですから汽車は決して向こうからこっちへは来ないんです。」「汽車が小さな小屋の前を通って、その前にしょんぼりひとりの子供が立ってこっちを見ている」などの描写、雰囲気が似ている。
さらに、1人きり残され泣いているジョバンニにブルカニロ博士は「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」と語る(初稿)。切符とは人生を生きる上での切符、名前だとすれば、最後の銭婆やハクの言葉と重なる。
★長年ずっと疑問だった数々の点が、誰かの考察「ハクは千尋の兄だった」の視点で、突然つながった。
川に落ちた千尋は裸。なら、あの手は服を着てるから靴を拾おうとする千尋ではない。父かな?と思っていたが、実は絵コンテに「子供の手」と書かれているそう。
川に落ちた(一度は死にかけた)千尋を救ったのはハク。川の神が人の姿に実体化して?
それもあり得るが、万能の神が助けたのでは、銀河鉄道のカムパネルラとつながらない。
しかし「ハクは千尋の兄。千尋の命と引き換えに死に、その後、川の守り神になった」とすれば、まさにカムパネルラで、数々の疑問が腑に落ちる。
なぜ母が千尋に冷たいのか?長男を死なせるきっかけを作った千尋。映画で母が最も異常に冷たいのは、川を渡る時だ。息子を思い出すから。千尋が兄に懐いていなかったはずはない、きっとショックで記憶にふたをしてしまったのだ。それでも千尋には「川に落ちたことがある」とだけ話し、詳細を語らないのは母の優しさ、千尋への愛。無神経で能天気に見える父は妻子を笑わせようとがんばっている。現代社会批判にしか見えなかった家族の姿が、急に切なく、不器用な愛にみちて見えてくる。友達と離され転校させられる寂しさでいっぱいの千尋だけでなく、ずっと胸奥に息子の死をかかえ心ここにあらずで生きる両親だから、「今を生きていない」状態の3人はまるごと神隠しにあった。
命を救われたから千尋は、銭婆に契約印を返しに「戻りの電車は無い」二度と帰れないかもしれない黄泉の国へ行く。窯爺の「愛だ、愛」は兄弟愛。
音楽の「あの夏」「あの日の川」、あの日っていつ?大人になった千尋が、この夏の不思議な冒険を懐かしんでる?そんなはずない、旅を終えた千尋は「今」を生きる子供なのだから、テーマに合わない。「いのちの名前」も同様に過去を懐かしむ歌詞で「消えない夏の日、なつかしいいとおしいひとつの命、いつか名前を思い出す」…ん?映画内では油屋で必死に冒険し、のんびり懐かしむ時間などなかったはず、最後には自分達の名前を取り戻したから映画と歌詞が合わない…?
それらの疑問もつながった気がする。千尋は記憶を取り戻した瞬間、昔 川で命を失い(三途の川、一度は死んだ)自分を救い、ひきかえに死んだハクの存在を知り、その命を思い、その夏の日を思い出しているんだ。自分が死に、救われ、そのひきかえに命を失った人がいるその場面が、この映画で最も重要な場面だから、映画のラストシーンなんだ。(靴が川に流されるラフ画)
千尋は今10歳、ハクは12歳、普通なら自然界の川の神ならもっと高齢のはず。だが元人間で死して守り神になったとすれば合点がいく。12歳で死んで時が止まっているとしても、もっと年下だったが少し年をとり今12歳だとしても、兄妹になり得る年齢差。(時間の流れる速さはたぶん異なる。昼夜逆転で、四季すべての花が一度に咲いている不思議な世界)
人は二度死ぬと云う。一度目は肉体の死、二度目は忘れ去られる時。ハクは守るべき川も埋め立てられ居場所を失い、3度目の死かもしれない。このまま消え去る寸前だったのかも。
饒速水小白主、神様みたいな名と千尋は言ったが、仏様に与える名のようにも感じる。
「いのちの名前」の歌詞では、「見えない川」埋め立てられた川の前で誰かを思い出そうとしている。
「あなたの肩に揺れてた木もれ日」、竜でなく人の姿。
映画の後日だろう。この冒険を忘れた千尋がかすかな記憶でハクの名を思い出そうとしている、とすれば、「秘密も嘘も」は?ハクの「きっとまた会える」が嘘?
別の読みでは、「ハク」とも「饒速水小白主」とも違う名を知ってるような気がして、人の子としての名を思い出そうとしてる…でも千尋は兄だと知らない、ハクも両親も優しさから秘密と嘘を守っているから、ともとれる。
考察しても真相は不明、宮﨑監督の中にしか答えは無いが「何でもかんでも説明したくない」そうなので、どちらともとれるふくみを残したまま、映画の切ない余韻にひたる。どちらもあり得るから、より話が広がり深みを感じられる。例えるなら、俳句や詩にかけ言葉で2重3重の意味がこめられていることに気づくように。
そしてまた、何も理解できなくても、なんだか妙に印象に残る不思議な作品…
そんな、まさに「計り知れない水の深さ=千尋」がこの作品の魅力。
不思議な国のニッポン
「一生に一度は、映画館でジブリを」っという宣伝文句にまんまと釣られて観に行ってきた「千と千尋の神隠し」。宮崎駿監督のセンス・オブ・ワンダー炸裂ゥゥっといった感じでした。毎回毎回ああいう不思議なキャラクター達を思い付くってスゴいなぁっと単純に感心します。
「千と千尋の神隠し」って言わずと知れた日本での映画の興行収益第一位の作品なんですよね。映画好きのハシクレとして、やっと日本で1番売れた映画を映画館で観る事が叶いました。因みに世界興行収益第一位の「アベンジャーズ エンド・ゲーム」は日本だと100位にも入らないという・・・多分、海外から見れば不思議な国のニッポンですね。
本作ってアカデミー賞の長編アニメ部門を受賞しているんですよね。日本の八百万の神様なんて概念は一神教の方々には解りにくいであろうによく受賞できたなぁと思っちゃうんですけど、よくよく考えたら英語の題名は「Spirited away」。神様は1人だけじゃないとダメなのに、精霊(Spirit)は沢山いても良いという解釈なのでしょうか?この不思議な感じにアカデミー賞会員の人も魅力されたんでしょうね。
言うなれば今回のストーリーって宮崎駿版「不思議の国のアリス」ですよね。もしくは「オズの魔法使い」とか。海外で昔っからある物語の日本版といった印象を受けます。でも海外の物語だと不思議の国に迷い込んでも元の世界に戻る為に冒険するとかですけど、本作だとちゃんと労働しなくちゃ豚にされるので勤勉な日本が反映されているみたいですよね。でも真のテーマは「銀河鉄道の夜」らしいです。
この「千と千尋の神隠し」ってホント不思議で、見終わって面白かったなぁっと思っても具体的に何がどう面白かったか説明しにくいというか。胸が締め付けられるような感動を覚える訳でもなく、頭を悩ますような問題提議がある訳でもなく、ただ純粋に面白かったっという感じでした。
そういえば観た後に色々と検索してて好きだった話がこの映画の後日談。嘘か真か宮崎駿監督がアニメーターの女の子にだけ話したらしいのですが、この映画の後で千尋に妹が産まれるそうです。で、本作で成長した千尋と妹は、「トトロ」でいう所のサツキとメイみたいな姉妹になって、ちょっと冷たかったお母さんとももう一度家族の絆が深まる。といった映画では描かれなかったストーリーが宮崎監督の頭の中でのみあったみたいです。
一度は不思議の国でバラバラになりかけた家族が、それからちゃんと幸せに暮らしましたっていう現代のお伽噺にふさわしいおわり方だと思いました。
日本の神様
1100円なので見に行った。昔高校生の時に映画館に見に行ったのを覚えています。命の不思議、命の記憶、人は過去を思い出せるのか、大好きな人と再びまた巡り合える日がくるのか、そしてアナタも私もそれを覚えているのかそんな人間の営みといのちの悲しさも身に染みましたそしてそれが痛いぐらいに千尋とハクを通じて私にテレパシー的にわかりました。
その時の記憶が蘇りました。本当に素晴らしい体験でした。
不思議な映画ですね。やはりこれは。何がどうの、ってわけじゃなんだけども、見終わった後に「ウ~~~ン」と頷いてしまう、私にとってはそんな映画です。
ハッキリしたメッセージ性とか、そんなの別にいいと思うんです。映画が何を伝えたいのか?とか何が言いたいのか?とか考えるのも好きですが、そんなこと本当はどうでもいいのかもしれません。見た物感じた物が全てです。それが人間の基本だと思っています。あなたが経験し見聞きして感じた事全てがあなたの全てなのだと、私はそう思っています。意味不明でごめんなさい。
とにかく、千と千尋もとい宮崎駿監督作品はそんな感じが多いなと思います。見て感じて受け取った思いそのまま、それでいいのです。その時に見て何を思ったのか何を感じたのかが大切でそれを大事にしてほしいどんな映画もどんな出来事も人間生きる上できっとそれが本当は一番大切だと思いますみんな、「あれはあの時ああだった」とか深く深く考え追求してしまうクセがありますがそれをやればやるほどドツボにハマります。だからきっと本当はその時その時に思ったこと感じたことが全てなのだと思います。だから千と千尋も感じたままでいいのだと思います。
それは日本の神様にしても同じなのだと思います。
湯ばあばが言っていましたが「八百万の神様が疲れを取りにくる湯だ」と。日本の神様も、目には見えないけれどきっとみんなのまわりに存在していてあちらこちらにいて、私たちを見ています。そんな目に見えない存在、感じる、見れる者は見れる、素晴らしいことだなと思います。神様に悪い事していないかな、負担をかけていないかな、そんなことを思った映画だった。特に大量のヘドロと共に神様がやって来た時、大量の(あれは)おそらく人間が捨てた家電製品とか自転車とか粗大ゴミだと思いますが)ゾッとしました。神様、怒っているのだろうな、と思いました。人間の欲望と人間の罪が感じられました。またそれをアニメで見ました。宮崎駿監督に感謝感謝でした。そんな光景を見せてくれて感謝でした。学ぶ事が出来ました。神様も日々の疲れがあるからこうやって温泉に来ているのだなと思うと神様も本当に毎日ご苦労様です、と言いたくなりました。感謝感謝。千尋と共に観客も臨死体験をする、そんな不思議な映画だと思いました。
いつか千尋とハクがまたどこかで出会えることがあるのならば、私はきっとその時に人間の悲しみや苦しみも一緒に受け入れて喜ぶ事が初めて出来るのだと思います。宗教的な映画でもありました。人生は、私は長い長い旅路だと思います。そしてそれはみんな、自分自身を癒して慰める為に気の遠くなるような長い長い、航海のような旅路なんです。みんな、多分それを無意識の内にやっています。私も、アナタもなんです。千尋とハクも、きっとそうなんだと思います。
千尋の傷ついたあの心と、ハクの傷つけられたあの身体と心をお互いが癒し、そしてまたそれはもっともっと遠い未来なのかもわかりませんが、二人はきっとまたどこかで会えるのです。きっと、きっと、本当にどこかでまた二人は巡り会えるんです。それが人生なんです。私はそれを信じたい、それを千尋とハクに教えてあげたい。だってそれは神様が見てくれているからなんです。
神様に感謝なんです。神様に感謝しながら生きたいです。
素晴らしかった
公開当時、宮崎作品はちょっともういいかな見たいな気持ちになっていたのに、見たら久しぶりの大傑作だと思って確認するために2回目見たほどで、今回改めてイオンシネマで見たらやっぱりすごかった。
以前に見た時は面白かったけど、ほんの2~3日働いただけで人間が成長するかと、何か月もやってこそではないかとも思ったのだけど、今回見たらまた印象が違う。仕事初日って、何は普段とは違うイレギュラーが起こりがちで、それが千の身に降りかかっており、あれだけきつい仕事を乗り越えたらそれはたくましくなるし、成長もするだろうと思う。ただ、釜ジイのところに最初に行ったところから千は、選択肢を一つも間違わないスーパーガールぶりを発揮していて、ちょっとできすぎな感はある。
湯ばあばは偉そうにしている割に何がしたいのかよく分からないし、判断ミスもあり、けっこう間抜け。ハクは川なのになんで魔法使いになりたいのか意味が分からない。
今改めて観ると…
リバイバル上映で観賞
もののけ姫くらい観とくかという感じでしたが
やはり大スクリーンで没頭してみると
見え方が違うもんで…
この映画は20年前も劇場で観ました
当時は相変わらずジブリの映像美に圧倒されつつ
正直話の趣旨はあまりわからなかったです
で今観ると…
やっぱなんかヘンな話だと思いましたw
まあ「神隠し」なんですよね
その間荻野家の三人が記憶に残らない体験をする
10歳の千尋は劇中では大冒険するけど
ありがちな成長をするわけでもなく
どちらかというと素の千尋のまんまの行動
だから序盤が中々話が進まない
そのせいか後半はしわ寄せっぽく展開が詰められ
正直「双子設定」は苦しく見えましたw
カオナシの顛末も消化不良だし…
出入り口のトンネルで母にしがみついて
歩いた描写が使い回され
またまっさら忘れてしまったような描写
でも髪留めは変わっている…
というところが印象的でした
なにせ
興収300億
動員2000万人を記録した金字塔です
その割に製作秘話を聞くと全然固まっていない
企画だったり非常に切迫していたり意外なほど
どうなるかわからない企画だったり感じがします
初めて企業コラボ等積極的に全国タイアップが進んだ
作品とも言えるようです
また色々公開して欲しいですね
生きること
ジブリ作品リバイバル上映として久しぶりに鑑賞した。
いつ、何度見ても興奮させてくれる作品だなと改めて実感。
初めて劇場で見た時はまだ小学校の高学年。当時は最初は気味が悪く怖い印象があったが、これはいくつ歳を重ねても変わらず最初はやはり恐怖を感じてしまう。
でもそれはなぜか。多分千尋がまだ未熟なんだからだと思う。
この作品を観るにあたって多くの人は千尋の視点からこの世界観を楽しむ人が多いんじゃないのかなと思うが、千尋視点で見ると最初はまだまだ千尋は未熟な為目に映るものがすべて恐怖に見えるんだよね。
だから最初のトンネルを入る際にお母さんに寄り添う姿は恐怖から寄り添うわけだ。
この作品の面白いところは最初はホラー感を感じても後半はなんだかファンタジーな作品に見えて来る。
それはおそらく千尋が成長し逞しくなる事で目に映るものが恐怖から好奇心に変わっているからなんだと個人的には思う。後半の銭婆に会いに行くシーンなんかも本来は恐怖に感じてもおかしくないんだけど、あの時の千尋はもう立派な大人であり信頼感がある。だからそのシーンでは安心感が心にあるからホラーに感じる事なくファンタジーな視点で見られてるのかなと思ったりもする。
このホラーからファンタジー、恐怖から好奇心というのはまさに人生に置き換えても同じ事だと思う。
この作品では「生きる事とは働く事」というのが強くメッセージとして伝わってくると勝手に解釈してるのだが、人生働く事、そして何事も挑戦する事も最初はやはり不安や恐怖そのものである。
だが同じ立場、視線でも挑戦する前と挑戦後では全く違う景色で物事を見られることが多々あったりする。
それは不安や恐怖心が消え、自信や強い覚悟に変わったからそう見えるのであろう。
そんな経験を勝手ながらこの作品に投影しながら楽しんで見ると、当初の千尋は転校する不安な気持ちを始めとした恐怖や不安で一杯な状態からスタートし、働く事、そして働いていく事で自信がつき、そして親を助けるという強い覚悟から成長していく事であの世界で生きることが恐怖から好奇心に変わっていったように見えた。
そして最後はスタートと全く同じ母親に寄り添いながらトンネルを抜けるシーンで終わる。
あれは誰もが感じることだが最初の寄り添う意味合いとは全く違うんだよね。ここにこの作品の最大の美しさを感じた。
もちろんこの感想が正しい見方、感じ方なのかは分からない。ただ当たり前のことなんだけど映画作品の1番の魅力は人それぞれ違った感想を抱いたり、また年を重ねたりその時の自分の精神状態によって全然違う感想を抱いたりすることがある。それが映画の楽しさの一つであると思う。
まさにこの作品は人によっていろんな感想があったり、年を重ねて見ると違った感想や捉え方ができたりする。
まさに映画鑑賞の楽しさの醍醐味が詰まった作品の一つだと勝手ながら評している。
2回目以降の鑑賞だと、開始30秒で泣ける…😭
異世界に迷い込んだ少女、千尋が元の世界に戻るため、そして豚に姿を変えられた両親を元に戻すため、「油屋」というお湯屋で働いているうちにだんだんと成長していくというお仕事物ファンタジー。
監督/原作/脚本は『となりのトトロ』『もののけ姫』の、アニメの天才宮崎駿。
「油屋」の経営者湯婆婆の息子、坊役として子役時代の神木隆之介が声優として参加している。
また『ガメラ2』でエキストラをやっていた、全国的に有名になる前の大泉洋・安田顕も声優として参加している。
大泉洋は番台蛙役。安田顕はおしら様役らしい。
大泉洋はわかるのだが、ヤスケンがどこで言葉を発したのかわからない…おしら様って喋らないキャラじゃなかったっけ?詳しい人がいれば情報をお願いします🤲
👑受賞歴👑
・第75回アカデミー賞…長編アニメ映画賞❗️
・第52回ベルリン国際映画祭…金熊賞❗️
・第28回ロサンゼルス映画批評家協会賞…アニメ映画賞❗️
・第30回アニー賞…長編アニメ映画賞❗️
・第8回放送映画批評家協会賞…最優秀アニメーション作品賞❗️
・第25回日本アカデミー賞…最優秀作品賞❗️
・第44回ブルーリボン賞…作品賞❗️
興行収入300億円オーバーであり、日本映画歴代NO.1。TV初回放送時の視聴率は46.9%をマーク。正にバケモノ映画。
世界中にハヤオ・ミヤザキの名を轟かせた、今やジブリの顔ともいえる作品。
しかし、個人的にはそこまで好きではない作品だったりする。ジブリ作品の中では下から数えた方が早いくらいの位置にあるかも。
『もののけ姫』が『風の谷のナウシカ 』の精神的続編だとすると、本作は『魔女の宅急便』の精神的続編といえる。
ざっくり言えば、辛いこともあるけれど、そんなことに負けないでひたむきに頑張る女の子のお仕事ムービー。
『魔女宅』の世界をよりファンタジーに、より恐ろしく、より訳わからなくしたのがこの作品である。
『魔女の宅急便』の続編であり、日本土着の神々を扱うという点では『もののけ姫』の続編ともいえる。
『もののけ』で神様をぶっ殺しまくった分、本作ではゆっくり休んでもらおうと思ったのかも。
『もののけ姫』で扱われたのが生々しいまでの「生と死」であったのに対し、本作では「生」を構成している人間の「欲求」を描いている。
よく働き、よく食べ、よく眠る。そういった人間の持つ根源的な欲望を、「性」を扱う湯屋を舞台に描いているのが印象的だった。
人間の根源的な生を見つめつつ、拝金主義的で自分勝手な現代人を皮肉っているところに、宮崎駿らしい嫌らしさを感じます(笑)
オクサレサマへの接待や、カオナシとのバトル、ハクと千尋の垂直落下式ランデブーなど、脳裏に焼き付くシーンが沢山ある。
子供を飽きさせない派手な山場作りは流石にうまい。
しかし、個人的に一番好きなのは冒頭の千尋一家が車に乗って引っ越し先へ向かうシーン。
花束を抱え、無気力にダラダラしている千尋を観ていると「これから色々大変だけど頑張るんやで…」という感情が芽生えて泣けてきてしまいます😂
印象的なシーンは多いのに今ひとつ本作にノれないのは、山場を作ろうとするあまりに物語全体が散漫なものになっているという感じがするからかも。
大体、「油屋」での経験により千尋が成長した様に見えるが、実質千尋が「油屋」にいたのって3日間くらいなんですよね。
それなのに急激に成長している点にあまり整合性を感じないのです。
ハクというキャラクターが最重要人物なはずなのに、湯婆婆やカオナシといったキャラクターに完全に喰われているのも残念だと思ったポイントかな。
いまいちハクというキャラが見えてこなくて、あまり好きになれないんですよねー。
この作品のメインターゲットは10歳くらいの女の子らしいので、ノれないのは無理もないかなーとは思う。
前作の『もののけ姫』に比べキャラクターが可愛いので女の子受けも良いのだろうとは思うが、そういう作品の舞台を湯屋にしたのは凄い冒険だなと感心します。
子供の頃は気づかなかったことに、大人になってから見ると気付いてしまうのは面白いところ。
まぁ、色々と言いたいことはあるがリンさんがかわいいくて魅力的だから良し!
良い映画
みんな大好き宮崎アニメ…(笑)
かつて『カリオストロの城』を初めて観たときは胸がときめき、『未来少年コナン』で愛とか犠牲とかを知った…純粋な頃は、良いものを素直に楽しめた…あれからン十年(笑)
『千と千尋の神隠し』…最初の公開から19年。コロナ自粛明けの2020年初夏、いくつかの宮崎作品がリバイバル公開されてるようなので、この機会にと思い、出かけてみた。
…初見です…(笑)
初めて観た『ナウシカ』がはまらなかったせいか、以来宮崎作品はノーマーク…まぁ、大人になり、映画の嗜好が変わったと言った方が正解かも知れない…。しかしながら、メディアや世間での大騒ぎや、色んな映画賞を取り、なんだか敷居が随分高くなったような空気感もあり、あまり好きになれず、遠ざけてきた感はある…「食わず嫌い」なんですかね(笑)
で、どうだったのか、この作品?
ん〜、色々と"含み"があるんでしょうなぁ…という感じです…そして、なんだか"くどい"、"しつこい"…(笑)
もっと素直に感情移入出来る作品をと期待してたんですが、そうは問屋が卸してくれなかった…(笑)
世界的な映画賞をいくつも取っている作品にケチをつけるのも何だか大人気ないかなと思うので、愚痴はここまでにしときます(笑)
宮崎アニメが三度の飯よりも好きという方は、どうぞ!(笑)
*異界の世界に迷い込んだ千尋が、散々振り回された挙句、やっと一息つける場面で、ハクから貰ったおにぎりを泣きながら食べる場面が前半にあるが、なかなか良かった…一緒に泣けた(笑)
*この作品、新しい土地へ引っ越して来た小学生の女の子(小学生には見えなかったが…笑)が、その移動の車中で見た夢の世界を映像化したんでは?…人は不安なとき、訳のわからん夢とか見ますから…宮崎駿はきっと、つげ義春の『ねじ式』をヒントにしたに違いない(笑)
何回見ても飽きない
お風呂場のシーンでは長い間掃除をしてないお風呂場を掃除する所を見て、とても気持ちがいい気分になった。
主人公の両親が豚になったのは衝撃的でした。
主人公が招いた客の影の仮面が金でカエルを釣り釣ったカエルを一口で丸呑みにしその後2人も丸呑みし驚きました。
全体的に見てどのシーンも面白かった。
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