千と千尋の神隠しのレビュー・感想・評価
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八百万の神々が癒しを求めて集う場所に紛れ込んだら・・・
ついこの間まで邦画歴代第2位の興行収入だった本作品。やっぱり何度見ても面白い。
現在の興収1位と2位はシリーズもの、おまけにTVシリーズからの続きとなれば、実質一本の映画作品としては、こちらに軍配が上がるんじゃないだろうか。
実際、興収が多いから良い作品と言い切れない部分もあると思う?個人の想いもあるだろうが、歴代興収上位の作品の名前を見ても、あれどんな映画だったか?と、うろ覚えなものもチラホラ。その時は話題になったのかもしれないが、今は・・・。なんて作品も山のようにある。印象深く、後世まで語り継がれる映画ってのが本当の名作なんだと思う。
その点で言えばまさに本作がそれであり、老若男女、様々な人から今も愛されている。その時々で感じ方も変わり、その都度、新たな気持ちで楽しめる気がする。
本作も含め、ジブリのアニメってホンッと不思議で、見れば見るほど味が出る。どんどん好きになっていく作品が多い。
何度も見た作品で、今さら本編についてどうこう言うのも何ですが、今回、一番感じたのは、この作品ってこんなに怖かったかな。
何も意識せず、知らないうちに異世界に足を踏み入れてしまう、神隠しの話だから、ある意味ホラーテイストなんだろうけど、導入部分からして怪し気な雰囲気に溢れている。
理由のわからないところで、理由のわからないまま、一人きりになる寂しさ。何が何やら・・・そして、見たこともない不思議な生き物たちの世界。
鳥肌が立つようなおどろおどろしさを感じた。
主題は少女の成長物語ではあるのだろうが、その摩訶不思議な世界も非常に魅力的であった。
見るたびに新たな想いが芽生えてくる。
昨今のアニメも目まぐるしく技術が進歩しているが、昔のアニメアニメした登場人物、風景、やっぱりこっちの方が見ていて安心する。
いや〜、ホンッと良い一本です。
【ネタバレ】
ところでラストシーン。 無事、戻ってきた千尋の家族ですが、あの周りの様子といい、かなり年月が経っていたように思うのですが・・・ まさに浦島太郎状態。引っ越し先はどうなっちゃってるんだろう?
何度観ても魅入ってしまう名作
【91.5】千と千尋の神隠し 映画レビュー
宮崎駿監督による2001年公開の「千と千尋の神隠し」は、日本のアニメーション史、ひいては世界の映画史における一つの到達点である。本作はベルリン国際映画祭での金熊賞受賞や、第75回アカデミー賞長編アニメ映画賞の受賞という快挙を成し遂げたが、その価値は単なる賞歴に留まらない。20世紀から21世紀への転換期において、失われつつある土着的な精神性と、過剰な消費社会に生きる現代人のアイデンティティの喪失を、八百万の神々が集う湯屋という壮大なファンタジーの中に結晶させたのである。映画史的な文脈から見れば、本作は手描きアニメーションが持つ情緒的な深度と、黎明期のデジタル技術がもたらした空間的な広がりが最も幸福な形で融合した作品であり、ウォルト・ディズニーや黒澤明が築き上げた映像言語の正当なる継承者としての風格を湛えている。
作品の完成度という観点では、本作は多層的なメタファーが完璧な調和を保っている点において類を見ない。迷い込んだ異界で名前を奪われ、労働を通じて自己を再定義していく少女の成長譚は、一見すると古典的なビルドゥングス・ロマンの形式を採っている。しかし、演出の細部を注視すれば、そこには単なる勧善懲悪を超越した、混沌とした生命のエネルギーが充満していることに気づかされる。宮崎駿の演出は、静寂と喧騒、清潔と汚濁という対極の要素を「湯屋」という限定された舞台に同居させ、観客の生理的な感覚に直接訴えかける。編集のテンポも極めて精緻であり、カオナシが暴走する動的なシークエンスから、海原電鉄が静謐な水面を滑る静的なシークエンスへの移行は、一種の崇高な詩情すら感じさせる。この静と動の完璧な均衡こそが、本作を単なる子供向けの娯楽から、大人の鑑賞に堪えうる芸術の域へと押し上げている要因である。
配役においては、実写映画におけるマーロン・ブランドやホリー・ハンターが体現したような、肉体の躍動や沈黙の重圧といった身体的実存感とは異なる、アニメーション特有の「記号への魂の吹き込み」という側面から評価すべきである。
主演の柊瑠美(荻野千尋/千役)は、当時13歳という実年齢に近い瑞々しさで、不安定な少女の内面を等身大の筆致でなぞった。物語序盤の、無気力で甘えの抜けない千尋の細く震える声から、次第に異界の過酷な労働環境に適応し、他者のために自己を律する強さを獲得していく過程での声質の変化は、演出意図を的確に捉えた表現である。彼女の演技は、プロの声優が陥りがちな過剰な装飾を排し、マイクの前に立つ一人の少女が、実際に異世界を彷徨っているかのような素朴なリアリズムを作品に付与した。特に、ハクから手渡されたおにぎりを食べながら涙を流すシーンでの、生理的な反応としての嗚咽は、視覚情報としての絵画に、聴覚的な痛みという実感を伴わせることに成功している。実写俳優の肉体的存在感とは位相が異なるものの、千尋という虚像に人間的な脆弱性を与えた功績は大きい。
助演の入野自由(ハク役)は、凛とした気高さの中に、自らの名を忘却した孤独を湛える少年の声を演じ切った。彼の端正で透明感のある発声は、千尋にとっての導き手としての説得力を持ち、同時に失われた自然や神性の象徴としての神秘性を維持している。
夏木マリ(湯婆婆/銭婆役)の演技は、本作における演劇的な厚みを決定づけている。支配欲と強欲の権化である湯婆婆と、穏やかで慈愛に満ちた銭婆という、外見が瓜二つの二役を見事に演じ分けた。彼女の低く響く威圧的な声と、それとは対照的な温かみのある声の対比は、人間の二面性や多義性を象徴しており、実写の性格俳優にも比肩するキャラクターの多層性を示した。
内藤剛志(荻野明夫役)は、千尋の父親としての無神経さを、その力強い声で表現した。物語の発端となる異界への侵入や、禁忌を犯して豚へと変貌する過程において、彼の演技は物語の現実的な危うさを強調しており、観客をスムーズに幻想世界へと誘う重要な役割を果たした。
そして、クレジットの最後に名を連ねる菅原文太(釜爺役)は、日本映画界の重鎮としての重厚な演技を披露した。六本の腕を操るボイラー室の番人という特異なキャラクターに、彼特有の枯れた味わいと情の深さを吹き込んでいる。厳格な職人気質の中に潜む、千尋への不器用な優しさを滲ませる演技は、物語に深い安堵感を与え、作品の精神的な支柱となった。
脚本とストーリーの構築も、神話学的な構造を持ちながらも極めて独創的である。川の神の「腐れ神」からの浄化や、カオナシという現代的な空虚を抱えた存在の救済など、随所に散りばめられたエピソードは、環境問題や現代人の孤独といった普遍的なテーマを内包している。しかし、それらは決して教訓的にならず、あくまでアニメーションの豊かな動きと、細部にまで血の通った美術設計によって語られる。背景美術に目を向ければ、日本の伝統的な木造建築を基調としながらも、西洋的な装飾が混在する湯屋の意匠は、明治以降の日本の近代化が抱えた歪みと美しさを同時に表現している。色彩設計の豊かさ、湯気や水の質感、衣装の揺らめきに至るまで、そのすべてが「神々の憩いの場」という説得力のある異空間を構築するために奉仕している。
音楽を語る上で欠かせないのが、久石譲による旋律の魔術である。メインテーマとなる「あの夏へ」に代表される、ミニマル・ミュージックの手法を活かしつつも情緒的なメロディは、観客の深層心理に深く刻み込まれる。主題歌である木村弓の「いつも何度でも」は、その素朴な竪琴の音色と透き通った歌声が、物語の終わりを優しく包み込み、千尋の旅が単なる夢ではなく、彼女の魂の確かな成長であったことを祝福するように響く。
結論として、「千と千尋の神隠し」は、実写映画が持つ「肉体の直接性」を、アニメーション特有の「想像力の拡張」によって補完し、総合芸術としての映画の可能性を押し広げた奇跡的な一作である。映画全史において本作は、実写の傑作群とは異なる、描かれた線と色彩が人間の魂を震わせるという、もう一つの真実を証明した傑作として、永遠の輝きを放ち続けるだろう。
作品[Spirited Away]
主演
評価対象: 柊瑠美(荻野千尋/千役)
適用評価点: 21点(B7 × 3)
助演
評価対象: 入野自由(ハク役)、夏木マリ(湯婆婆/銭婆役)、内藤剛志(荻野明夫役)、菅原文太(釜爺役)
適用評価点: 7点(平均B7 × 1)
脚本・ストーリー
評価対象: 宮崎駿
適用評価点: 70点(S10 × 7)
撮影・映像
評価対象: 奥井敦(映像演出)
適用評価点: 9点(A9 × 1)
美術・衣装
評価対象: 武重洋二(美術監督)
適用評価点: 10点(S10 × 1)
音楽
評価対象: 久石譲
適用評価点: 10点(S10 × 1)
評価対象: 瀬山武司
適用評価点: +1点
監督(最終評価)
評価対象: 宮崎駿
総合スコア:[91.5]
新年初映画は名作で。
金ローでやっていたので鑑賞。何度見ても面白い。登場人物全員を好きになってしまう。宮崎駿監督の手腕と美しい背景美術、キャラクターに命を吹き込んでくれた声優陣、この作品に関わったすべての方に感服いたしました。全部大好きです。
愛じゃ、愛
少女の成長の物語
誰しも宮崎駿は天才だと言う。
大人になって、何度か観て改めて天才なんだと認識した。
彼が作り出す、彼だけの世界。
豊かなイマジネーションに、生き生きと動き出すキャラクター。
千と千尋は最初は好きじゃなかった。
甘ったれな子供の千尋。
身勝手な親。
異界に迷い込んだ千尋は親から引き離され、強制的に仕事をさせられることになる。
挨拶すら出来なかった子供が、生きるために自ら考え、行動しだす。
そして、よくよく見ると、千の周りにいる大人たちの優しさよ。さりげなく手助けし、彼女の成長を見守る。
初見では、やや唐突に思えた電車での旅立ちも、
彼女の独り立ちで、来るべくしてきた時だと分かった。
見てるようで、何も見ずに
ただ流されてきた千尋は、
周りに助けられていたことに気付き、
そして、物事の真贋を見抜く。
父母を取り戻した千尋は、異界の出来事を忘れてしまっても、
経験した大切な気持ちはきっと忘れない。
銭婆が、仲間と編んでくれた髪ゴムがきらり✨と光っているから。
キャラと世界観のみ良い
公開当時の初見では、あまり面白かった印象がなかったが久しぶりに見返してみた。結果的にはやっぱりイマイチ。
最近の異世界物アニメと同じでキャラや世界観のみ良くて物語は皆無。出オチって感じでストーリーにキャラが活かせてない。
時々眠気が襲ってきたので見逃してるだけかもしれないが。。。千尋が何故あの世界に紛れ込んだのか不明。お父さんお母さんが感じ悪かったり勝手に御飯食べるとかで無理矢理突入させてる。ハクと千尋との過去の繋がりも、あまりピンとこない。何故、川の神様のハクが魔法を習いたがったのか?銭婆の登場も必要性がよく分からない。千に旅をさせて成長感を出したいのだとは思うが、カオナシもそこで意味なく退場だし、いちいち釈然としない。銭婆は良い人っぽい扱いだがハクが黒い虫に操られてる事を知りながら瀕死まで追い込むのも釈然としない。そもそもあの黒い虫はどういう扱いなのか何故ハクに仕掛けられたのか?最後に豚の中からお父さんお母さんを探すところも、一体なぜ見分けがつくようになったのかも分からない。
名作中の名作
この作品は当時、未だ長女が小さかった時に家族で観に行った作品だ。確か長女は未だ未就学児で年長さんくらいだったと思う。やっぱりそのくらいの子供にはあの両親が二人共豚になってしまうシーン、途中で自らが透明になって消えてしまうシーンや船から次々に降りて来る神々達の怪しいシーンは相当強烈だったらしく劇場で泣いてしまって収拾がつかない事になり私が劇場から連れ出しあやしていた事を思い出す。
まぁ思えば、出だしのスタートから怪かった…。。先ずあのあやしく何処に行くか分からない小道に入って直ぐに達磨の様な石像がありあのトンネルに至っては暗くとてもとてもおどろおどろしかった…。幼い長女には怖くなってしまったのだろう…。。その点のジブリの演出にも感服します。子供が芯から怖しいと思える場面の設定から描き出す迄。だから劇場では確り観ていない。その後のレンタルやTVでの視聴となってしまった。いや、この作品は1年以上のロングラン上映であったので劇場で観たかも知れない(ごめんなさい、なにぶん昔の為そこ迄は思い出せない)。只小学生だった長男は大丈夫であったのでこの頃の数年の差はかなり大きいようである。
やはりこの物語りは千尋と同じく小学校中学年から高学年向きなのであろう…。。彼女彼らの等身大の物語りだ‼︎
その冒険は凄まじく我ら叔父さん世代にはインディージョーンズやグーニーズに匹敵するいや其れ以上のストーリーなのだ‼︎ それはまさしく見事と言う他には無い‼︎
宮崎氏は知合いの子の無気力さを知りこの物語りを造った。しかしそれはどの世代にも共通する悩みであった。SNS全盛の現代の方がより重いかも知れない…。。認証願望がより強くなりそして自己肯定感も強くなった。そんな我々だからこそこの物語りはより一層響くのだ。
今回はTVでの視聴であったがどうしても気になった点が1点あった。最後千尋が様々な難題をクリアし帰る際に母親の腕を来た時のようにしがみ付くシーンがあり母親から余りにも近かった為注意される場面がある。あんなにも成長した姿を見せていた千尋が、、である…。人とは所詮周りの環境次第なのであろうか…⁉︎宮崎氏は所詮未だ未だ子供であると言いたいのであろう……。その子がやがて大人になって行く迄の過程と環境次第でどんな子にも変われると言いたいのであろうか⁉︎
そしてまた千尋の気持ち次第であの髪留めはまた"キラリ"と輝くのであろう……。。。 "幸運の髪留め"として
カオナシ
こどもと大人の二重構造映画
なぜ長年、これだけ多くの人に愛されてきたか謎でしたが、こども向けには千尋の成長物語として、大人には自尊心へのメッセージだったんですね。
現代社会への警鐘を偶像化して宮崎駿が作りだしたポイントを解説します。
舞台…湯女の世界。湯婆婆が支配する搾取へ送り込まれる千尋。千尋ではなく千と名付けられる
湯婆婆…搾取と資本の権化。千尋の名前を奪う。日本社会の使い捨て社会
姿婆…湯婆婆の双子姉妹。自立と選択の象徴。千尋に信頼の証を渡す
ハク…自然破壊された川の象徴。記憶によって具現化。
坊…湯婆婆の支配から脱却し、千尋を元の世界に戻す
カオナシ…欲望の権化。金を人間に与えて、人間の心を支配する
金の石…千尋の前では石と化す。千尋は資本に支配されていないから
千尋…名前がない。名前を取り戻すことで自己同一性と自立を取り戻す物語
電車…内省の旅。自らの決断で進む千尋の目が心強さを増す
こどもには寓話ですが、会社で居場所をなくしていくサラリーマンの働き方を抽象化していると感じました。
会社から与えられる給料に支配されて、名前も奪われる。何十年も会社に属していると、外部評価が低下する。名前を奪われて会社に縋り付く。気づいたときは、どうすることもできない。
痛烈な風刺をあえて素敵な物語にすることで残酷に伝えているので、何十年もあとになって、物語の意図が回収されたり、見る時代によって、意味合いが変わります。
本当にこれはかつて興行収入が歴代1位のものなのか
ジブリアニメ(特にここ最近なら最近ほど)に顕著だが、どうも何がいいのかがわからない。
何かそれらしいメッセージ性を書いてはいるというが、てんでわからない。
ストーリー? 特に何を描きたいのか? 果たしてほかの人も見えているのだろうか?
何か視聴者に対して、自分が書いた素晴らしいものを描いているというが、雰囲気で何かやろうとしていること以外は伝わらない。
ジブリのイラストはいいと言うが、イラストが良ければよいのだろうか?
展開もなぜいきなりこうなったのか?なぜ、ここで主人公は親がいないことや龍がハクなのかがわかったのか?
生きる力?なぜ、そんなことがテーマに出されているのか?
どうにも伝わらない。
それに輪をかけるように、俳優の演技も感情表現より、抑揚のないどこか感情を感じさせないものが、余計にメッセージを伝えにくくしている。
もちろん、その演技は作品のノイズになっている。(それでも風立ちぬのアレよりましだが。)
それを「何かそれらしい」と感じさせる雰囲気やメッセージ性?でごまかしているように見える点もきになってしまう。
この頃はまだましだったのかもしれんが、やはり近年のどこか「独りよがり」ともとれる内容がどうにもこの頃から感じられる。
話の面白さも見ていてもよくわからない。
あとは、カオナシが現代の推し活だとか、オタクだとか言うが、これも後付けなのか何だかという話。
宮崎アニメがどうにも好きになれない原因はこういったところにあるのだろう。
ブランドを作る過程、そのブランドにどこか頼っている姿勢、そしてブランドを頼りにしているかのような見ている人たち。
これが昔から苦手なのだ。
作り込みの凄さとイメージの力
邦画史の中でアニメーションのナンバーワン❗️
映画館で観た時がもう四半世紀前なんですね。25年前かあ,宮崎駿作品の中でもその力量を見せつけた作品だと評価します。もう何回見ても面白いです。今回も千尋がハクと空を飛んでる時ハクの名前を思い出すところで感涙しました。
こんな映画はなかなか作れないですね。
人が成長し、真っ直ぐな目で生きて行く為の物語
初見で面白かったのですが、、、
寓話ではないので必ずしも映画に強いメッセージ性は必要ない
久々の鑑賞
この年になってみると20数年前に初めて観た時と明らかに印象が違う
何故だろう
2001年公開作品
アニメ作品としては初めて日本アカデミー最優秀作品賞を受賞
ベルリン国際映画祭に出品され最優秀賞である金獅子賞を受賞
2002年にはアメリカでも公開
本場アメリカのアカデミー長編アニメ映画賞を2003年に受賞
海外でも高く評価された
2022年には主演に橋本環奈と上白石萌音ダブルキャストで舞台化
監督と脚本は『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『紅の豚』『もののけ姫』の宮﨑駿
粗筋
荻野家の親子三人は引っ越しで車で移動中に道を間違え未舗装の道に迷い込む
4WDを良いことにそのまま突き抜けて主要道路に合流するつもりだったが目の前には奇妙な形のトンネルがあり車が入れる状態ではなかった
荻野家の娘の制止するのも聞かず両親はトンネルの向こうに歩いていく
渋々着いていく千尋であったがトンネルの向こうは無人の不思議な町があった
テーマパークかなにかと誤解した千尋の父
あとでカネを払えば良いと飲食店らしき店舗で盛られている食べ物を勝手に食べ始める両親は豚になった
その町は八百万の神が住む町で人が入ってはいけない場所であった
この町では誰もが仕事をしないといけない掟があるためなんやかんやで八百万の神々が客として集う「油屋」という名の湯屋で働くことに
油屋の主人は相手の名を奪って支配する恐ろしい魔女の湯婆婆
両親を豚にした張本人だった
湯婆婆に千と名付けられた千尋はなんとかして両親を人間に戻し元の世界に帰るため懸命に働く
油屋で働く男たちの多くは元々蛙
油屋で働く女たちの多くは元々蛞蝓
という設定
油屋の建物のモデルは群馬県中之条町の四万温泉「積善館」でボイラー室は東京都小金井市にある江戸東京たてもの園の武居三省堂の店内らしい
町並みは台湾の観光地九份で油屋のモデルの一つに阿妹茶樓もあげらている
朴璐美と勘違いしていたが千尋の声当てをしたのは柊瑠美
年齢も声質も全く違うのに
朴璐美は舞台の方に顔出しで出演している
かなりの昔からだけど声当ての仕事のみに拘る「声優」は少数派である
仕事を一つだけに絞るのも良いがそれにはリスクもある
湯婆婆をはじめとした油屋に登場するさまざまなキャラクターたちが良い
映像も良い
千尋の奮闘ぶり
ハクの存在
高く評価されるわけだ
出だしも締めも良い
木村弓が歌うエンディングテーマの『いつも何度も』は秀逸で自分的にはジブリアニメの曲では五本指に入る出来栄え
世界観にブリューゲルと楳図かずおをあげたレビュアーがいたが「成程そういう見方もあるな」と感心した
久々にブリューゲルの絵を観た
レビュアーに何人かいたが映画にそんなに強いメッセージ性は必要だろうか
必要だとは思わない
寓話じゃないんだから
全ての物語には教訓が必要なのか
日本の間違った国語教育の優等生であり被害者でもある
村上春樹にもアンチが存在するがおそらく彼の作品には強いメッセージ性が無いからだろう
村上春樹もその点は少し気にしていたが彼の作品で故郷の母を思い出したり人間の道徳心を掻き立てるものは殆どない
とはいえメッセージ性が弱いと感じると駄作認定するのは随分と乱暴な人たちだなと感じる
そもそも全て映画にメッセージ性があるとしたらいちいち他の人に聞いて共感するものでなくたった一人で自由に感じ取るものではないか
僕は忖度できる人間では無いので全てにおいてはっきり物事を言ってしまい人を傷つけ損ばかりしているがこれは死ぬまで治ることはないと諦めている
AIみたいな理系には強くも文系となると優等生ぶった頓珍漢に気に入られようとは思わない
声の配役
湯屋で下働きを始める荻野家の一人娘で小学生の荻野千尋(千)に柊瑠美
千尋が幼い頃に靴を拾うために落ちたコハク川で龍の化身で湯婆婆の一番の家来に甘んじている少年の姿の神のハク (ニギハヤミコハクヌシ)に入野自由
千尋の父親の荻野明夫に内藤剛志
千尋の母親の荻野悠子に沢口靖子
湯屋「油屋」の経営者で老魔女の湯婆婆(ゆばーば)に夏木マリ
湯婆婆の双子の姉で妹とは離れて暮らす魔女の銭婆(ぜにーば)に夏木マリ
湯婆婆の息子で大きな赤ん坊の坊に神木隆之介
湯婆婆に仕える三体いる緑色の頭だけの怪物でピョンピョン飛び跳ねて移動する妖怪釣瓶落としのような様相の頭(かしら)に佐藤重幸(現・戸次重幸)
油屋の地下のボイラー室を取り仕切るボイラー技士兼漢方医を務める黒眼鏡をかけた老人でクモのような姿をしている釜爺に菅原文太
油屋で下働きをしている中学生くらいの年齢の少女で言葉遣いは少々荒い千の姉貴分のリンに玉井夕海
油屋の中間管理職でハク以外では最も地位が高い父役に上條恒彦
父役より一つ下の中間管理職の兄役に小野武彦
番台に座り様々な薬湯の札を他の従業員に渡す役割を担っている番台蛙に大泉洋
油屋では唯一蛙の姿で青い着物を着ている従業員の青蛙に我修院達也
黒い影のような体にお面をつけたような姿をし殆ど喋れないため他人を飲み込みコミュニケーションをする油屋の客のカオナシに中村彰男
真っ白く太った体型に赤フンで両頬は大根のように垂れ下がっている大根の神様で油屋の客のおしら様に安田顕
ドロドロした悪臭を放ち這って移動する厄介な客だが本来の姿は河の神のオクサレ様にはやし・こば
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