きみに読む物語のレビュー・感想・評価
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男って一途な愛情に憧れる
1940年代のアメリカで出会った一組の男女の出会いから描いたラブストーリー。
高校生の男女の出会いからを物語としてお婆さんに読み聞かせるお爺さん。お婆さんが先を促しながら話が展開する構成。その構図の裏側は容易に想像がつくので、あーそういう感じの話ねと高をくくっていた。
ところが徐々にノアとアリーの物語に引き込まれていった。アリー役のレイチェル・マクマダムスの魅力的な笑顔と演技、そしてノアの一途で深い愛情に感動してしまった。これは女性と二人で観たらヤバいやつだ。
あぁ、こんな風に女性を愛せたら最高の人生だな。そんなことを素直に感じる映画だった。
言葉に出来ない
婚約者のロン目線で観ると…
地上波で放送してたので(録画で)2回目の鑑賞。でも内容はほぼ忘れてました(^^;
若いライアン・ゴズリングがかっこいいです。
「一人の女性を全身全霊で愛した…」ノアもめちゃくちゃカッコいいです。あんな風に愛してもらえるアリーが羨ましい~!
読んでいる物語の『どの恋も流れ星に似ている…華々しい光で天を焦がし つかの間 永遠が見える だが次の瞬間燃え尽きる…』という箇所、名言ノートに書き留めました。
ノアが書いた物語かと思っていたら実は…って所からラスト、泣けます。あの終わり方もかなり好きですね。
そして、ママの気持ちにも共感はできます。愛する娘には幸せになってもらいたい、だけど「愛」だけでは生きていけない事もわかっているから。あの、ママの告白にも泣けました。
そして、そして、婚約者ロン。
ロン目線で観ると…可哀想すぎますね(^^;
アリーと愛し合っていて、とってもラブラブハッピーだったのに…元恋人の登場で全てが壊れてしまい…
婚約者いたら元恋人に逢いに行ってはダメですよ~絶対に何かが起こってしまうからw
そんなわけで、今回はロンかわいそう…と思ってしまい、ノアとアリーに100%共感は出来ませんでしたが…一人の人への愛を貫くのは素晴らしい事だと思いました♪ 私には出来ないかなぁと思いますが…笑
愛の名作映画の一つかもしれません
カップルの半分は別れるという離婚大国アメリカではこんなカップルは稀有な部類かもしれない。原作者ニコラス・スパークスが結婚式に来られなかった妻の祖父母を二人で訪ねた折に聴いた二人のなれ初めにインスパイアされて小説にしたそうだ。
それでも26年後には妻と別れてしまったが当時は結婚したてだったので熱いものがあったのだろう。本作はいわば一途な想いがテーマだから嘘っぽくならないように顔の売れていない地味なキャスティングにしたのだろう。逆に言えばチャゼル監督は本作にインスパイアされ愛の別バージョンとして「ララ・ランド」にゴスリングを当てたのかもしれない・・。
ロン(ジェームズ・マースデン)のあげた選択肢3つも、君自身はどうしたいのか?と問うノア(ライアン・ゴズリング)もアリー(レイチェル・マクアダムス)を心底愛していることが伝わってくる、どちらも愛しているし選択はどちらかを傷つける、アリーにしてみれば二度も傷つけることはできなかったのでしょう、なんともはや苦しくとも贅沢な悩みでしょう。
ラストも2パターンあったようです、私は没になった曖昧な方を好みますが・・。
活字のイマジネーションを実写で表現するのは難しかったでしょう、白鳥の湖をはじめ思い出のシーンの数々は映画化ならではの美しさを奏でていました、愛の名作映画の一つかもしれません。
愛とは何か
恋人同士で観に行くのはやめたほうがいい。80歳になる主人公と比べたら、彼の愛情の深さにかなうわけがないからだ。
いつから痴呆症状が現れ始めたのか、いつから同じ物語を聞かせ続けているのか、細かい描写は無いものの何も思い出せない老女アリーへの献身的愛情の偉大さに感動してしまった。古き良き時代のストレートな愛だけでも十分に感動できるのであるが、年を重ねるにつれ忘却と戦い、奇蹟と未来を信じるだけの男の人生に心打たれるのです。
人間が他の動物と違う点に「忘れることができる」能力を持っていることだ、という主張を何かで読んだことがあるが、アルツハイマーという病気は楽しかった記憶、大切な記憶までをも奪ってしまう。近しい者は、人間として介護するのが当然だと思うが、残りの人生を一緒に過ごすことに心血を注ぎ、楽しかった記憶をとりもどそうとする努力までには行き届かないものだ。介護に疲れて家族を殺すという事件さえ起こってる世の中で、純愛を貫き通し、愛情を注ぎ込むという単純なことがこれほどまでに素晴らしいことだとこの映画は教えてくれたように思う。
正直言って、若い二人のキャスティングや富豪と労働者のカップルという設定には魅力を感じなかったのですが、年老いた二人(ジーナ・ローランズとジェームズ・ガーナー)が最高でした。往年のハリウッド女優は痴呆役をこなせるかどうかで真価が問われますね。ガーナーと言えば『大脱走』しか覚えてないのですが、泣かせるいい役だったなぁ・・・懐かしい。
君が鳥なら。
アリーとロンが海に行ったシーンで
鳥と呼んで!鳥にみえる?としつこく言うアリー。
私が鳥になったらあなたももちろん鳥よね??と聞いた時に君が鳥なら。と返すロン。
ラストを見た時にこのシーンを思い返してグッときてしまった。
この映画の展開は読もうと思えば読めたし、大体こうなるんだろうな、最初の読み聞かせの時点でこうなのだろうな、と察していた部分もあった。
だが、だからなんだ、というくらいいい意味でたくさん裏切ってくれた映画だと思う。
レイチェル・マクアダムスの全力疾走が、おてんばなアリーの性格をよく表していて、他にも天真爛漫で少し我の強いところを身体から表現できていて、とても良かったと思う。
一生愛する
自分も一生死ぬまで愛しつくせるパートナーに出会いたい
遊園地で一目惚れであんな大胆な行動ができ、離れてしまった恋人に返信もこないのに365日毎日手紙を書く、かっこいい男だと思った
最後で思い切り泣きました
語彙が足りない。足りなすぎてこの良さを表現するにはおこがましい程。
観覧車であんな行動を取る男性に惹かれる。やっぱりみんながしないことをしちゃう人が好き。
かわいい子に怖気付かないで自由がないとハッキリ言えるノアみたいな人は現実正直少ない。自分の芯を持っているし本人からも自由が溢れていて惹かれる。
車道に寝転んで轢かれそうになって二人で笑って、踊るシーンは若さにあふれていて、私ならこの夜が永遠だったらいいのにと思ってしまう。そのまま音楽が続くところも好き。あの曲はなんだっけ。
二人は真反対だった。ケンカもした。しかしそれよりも二人はお互いを愛しあっていたのだ。
この言葉がとても響いた。なぜならその後の車でのシーンでよくそれが伝わってくるから笑
身分の偏見や仕事の偏見でその人を見る人はおかしいと思う。改めて思った。そのせいで別れなければならなかった、けれどそれがかえって2人の関係を続かせたのではないかと思う。
ものすごく好きなのに、会えないほうがかえって相手を思い出すから。毎日一緒に居られる日々も良いがそのうち飽きがくる。
別れ際にアリーが怒って強がってしまうところは自分に似ていて、必ず後悔する。そんなところが見ていて共感できるしもどかしかった。「あちゃー言っちゃった」ってカンジ。
お母さんも実は同じような経験をしていたことに驚いたと言うよりもお母さんが何を伝えたかったのか、それを汲み取ることができたような気がする。けれどそれを言葉にできないのがとてももどかしい。
白い大きな家をニコリとももせず怒り狂ったように建て続けるノアの怒りは計り知れないなと思って笑いながら見ていた。
だからこそアリーが戻ってきて、戻ろうとするときに「ここにきてまた振り出しに戻るのかよ」と言うセリフがとても沁みた。またアリーの気を引くものを探さなくてはいけない苦労を知っているから。
私が1番好きなシーン、
2人は小船に乗って雨に振られて船着場で言い争う。お互いの気持ちがわかってそのまま家になだれ込んでするシーン。
お互いの行動を知り、誤解が溶けて
憎んでいた気持ちから再び熱く燃え上がっていく心の変化に私も胸が高揚した。激しく言い争っていたから余計にその変化がはっきりと見えた。
気づいたら自分がすごく好きだった人をノアに当てはめて、自分はアリーになっていた。
一緒にケンカして、ノアの言葉をあの人が言っているように思ったら、泣いていた。あの人はノア程私を好きでいてくれたのかなあ。服を脱がせる手もおぼつかないくらい好きでいてくれたのなら、私は心が幸せで苦しくて泣いてしまう。二人を心から好きだった人と自分に置き換えてみることをオススメします。会いたくなります。
次に好きなシーン。
おじいちゃんとおばあちゃんになったノアとアリーが一瞬の幸せを取り戻すシーン。
アリーは、ノアとロンの間で気持ちが大きく揺らぐ。
本を閉じてデュークが「めでたし、めでたし」というと老女は、何かを思い出したように「そうよ、そうだわ」という。それがこのシーン。
ベッドで寝ていたノアが、何かの物音に気づき外に出るとそこには、荷物をまとめて出てきたアリーの姿があった。「30年後、40年後誰といたい?」という問いかけに答えを出したアリーにニヤケながら盛大な拍手を送った。ノアといたいと。それと車から出てくるちょっと不貞腐れた顔がかわいかった。ロンは本当かわいそうに尽きる。
そこでアリーおばあさんが「思い出した。私たち…それ、私たちね」と言って涙を流すシーンはもう「ウッ、、」ときた。泣かずにはいられない。やっと自分を思い出してくれたのだから。(大恋愛みたい)悲しげなピアノの曲を聴いた時点このおばあちゃんがアリーだとハッキリ分かっていたけれど、ここでスカッとした。「だよねぇ〜〜〜」と思いながら泣いた。
ここのセリフも雰囲気も、当時の二人と今の状況の二人が重なって、切なくて面白い。めでたしめでたしの気持ち。
アリー:「ノア、私どうしたの?」
ノア:「少し遠くに行ってただけさ。」
アリー:「残りの時間は?」
ノア:「どうかな、前は5分もたなかった」
そこでノアは、僕達の曲だよといってあの道路の上で踊った曲を流すところが変わってないなと思わせてくれて、ここに来てこの曲を思い出させるなんてずるい映画だな〜と思った。
けれど、数分後再びアリーは思い出を忘れてしまう。
ノアは、騒ぎ出したアリーを看護師たちが押さえつけ、鎮静剤を投与されるのを涙をこらえながら見ていることしか出来ない。その束の間の幸せが終わるシーンが虚しさと切なさとを両方味あわせた。
あの看護師さんの言動も大好き。アリーに会いたいノアに「夜は会わせられないわ。でも私は今コーヒーを入れてくるから、バカはやらないで」という黒人の看護師さん。
いやいや、あんた最高かって。こういう茶目っ気があって、いい手助けしちゃう脇役が大大大好き。
それで、アリーの部屋に行くと彼女は奇跡的に記憶をまた取り戻していた。アリーは、「私たち一緒に死ねるかしら」と聞くとノアは「私たちの愛に不可能は無い」と、アリーと手をつないだまま、彼女の隣で横になって眠る。
そして、死ぬ時まで手を繋いでお互いを愛し続ける二人の姿に涙がなぜか止まらなかった。これは涙の理由がはっきりと言葉にできない。もう言葉にするまでもなく、そのシーン全てに、見て分かるように二人の愛が表現されていたからなのだと思う。
こんなに大きく揺さぶられた映画は初めてでした。
今まで恋愛をしてこなかった私は、ロマンス映画や本漫画、そういうものが大嫌いでした。
でも、初めて本気で人を好きになってようやくその良さに、その美しさと切なさに気づくことができた。愛を知った。あんなに嫌だったロマンス映画なのに。本当に色々なことをこの映画は教えてくれたけれど、それに意味を持たせてくれたのは好きな人だったなと気づきました。
映画を作品と呼ぶ理由が最近になってやっと分かりました。映画はアートであり、人の人生と自分の人生を覗けるものです。
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