ドッグヴィル
劇場公開日:2004年2月21日
解説
「奇跡の海」で審査員グランプリ、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でパルムドールと、2作連続カンヌ映画祭を制したデンマークの異才、ラース・フォン・トリアー監督。彼がブレヒトの「三文オペラ」の挿入歌「海賊ジェニー」にインスパイアされ、ダシール・ハメットの「血の収穫」やカフカの「アメリカ」を参考に“想像上のアメリカ”を描いたと語る実験的作品。監督自身がDVカメラで撮影にも参加している。
2003年製作/177分/R15+/デンマーク
原題:Dogville
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
スタッフ・キャスト
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2023年4月20日
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鑑賞方法:映画館
鬼畜(読み仮名:トリアー)さんが相変わらず鬼畜なことする映画。床に間取り描いてあるだけの壁なしセットと聞いて、「またバカなことして」と半笑いで観に行ったら、アレですよ。今度のターゲットは見かけはニコール・キッドマンっす。ジワジワおかしくなる理屈をジワジワとねじ込んでくるのが本当にいやらしい。そして七転八倒しながら最後まで見ると、いやもう薄々途中でわかるのかもしれないが、鬼畜(トリアー)の本当のターゲットが誰なのか気がつくと、ダメ押しされる仕組み。
鑑賞後にステラン・スカラスゲルドのお尻がフラッシュバックしても当方は一切関知しない。
2023年2月19日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
思ってたのと違った。
映画ではなく、舞台映像を見ているみたいだった。
家や草は実体はなく、パントマイム(?)で生活している。
時間が長くて途中飽きて料理しながら見たが、最後は釘付けになった。
90分くらいの映画だったら評価もっと上げてたかも。
意外とスカッと映画の部類に入る。
閉塞された村の怖さを実感した。
今やってるガンニバルとか、ミッドサマーとかと題材は似てる。
ニコール・キッドマンってこういう女性として可哀想な役が多い。というか似合ってる。
2022年11月3日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
人間の本性、本能をキリスト教、神話的な要素で余すことなく表現した
現実での人間関係、自身の傲慢さや弱さとも重ね合わせてしまう
想像力を掻き立てられる作品
2022年9月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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映画のつくりがおもしろく、消して心地良い気分にはならないものの、数年置きに見てしまう作品。
今回は三度目。
舞台はある一室の中で展開するが、ムラ社会の閉塞感が描かれる。
これまでは映画のつくり自体やムラ社会的な描写に注目していたが、見終わった後にパートナーと映画についてあれこれ話す中で、この物語の神話的な側面に気づく。
グレースがドッグヴィルに来てはじめに犬の骨を盗むシーン、荷台に転がるりんごを口にするシーンからは、アダムの肋骨や禁断の果実を口にするイヴなどがイメージされる。
村人たちに無理な労働を求められ、レイプされ、首輪と重りを付けられても抵抗しないグレースは、キリストの受難を思い起こさせる。
グレースとギャングのボスである父の会話は、ドッグヴィルの村人たちの会話とは異なる奇妙な雰囲気で、どこか人間離れした内容にも思える。
グレース一家を人間を超える存在として捉えると、物語は神話のようにも思えてくる。
また光の描写が興味深い。
村人の中に障碍がある人物(肢体不自由、盲者、知的障碍、おそらく発達障碍)が何人か描かれるが、この中でも盲である男性との関わりは印象的だった。
あまり外出せず、村人たちに盲であることを隠そうと振る舞う男性は(しかし村人たちは彼が盲であることを知っている)、グレースとの会話の中で見えていた物について語る。
初め村人と同様に盲であることを隠そうとしていた男性は、グレースとの関わりの中で、自ら盲であることを口にする。
この印象的なシーンには、いつも締め切られていた男性の家のカーテンが開けられ、夕陽が差し込む。
そして物語の最終章節の、グレースが父の車から降り、いま一度ドッグヴィルを見渡す時、月明かりが村全体を照らす。
これまでドッグヴィルの村人たちを許し父の元でなく再びドッグヴィルに帰ろうとしていたグレースは、月の光に照らされた村を見て、グーズベリー木は棘だらけで実ることなど想像できないとナレーションが入り、村への希望を失ったグレースは、村を焼き尽くす。
盲者やグレースが、これまでのあり方から変化する時のきっかけには、光がある。
思い込みや偽りから、真実を暴く光。
光の持つ意味がとても興味深い。
物語は人間の罪深さが神的な存在によって裁かれる展開を迎えたが、この映画は人間への絶望では終わらせてはくれない。
エンドロールの写真たちは、一見映画とどのような関係が?と思ったが、ここには神話ではなく、現実の世界で苦しみ、生きる人々が写される。
絶望的な神話を抱えたまま、現実世界に帰される。