ザック・スナイダーってこのキャシャーン観たんだろうか。
ま、予算は0みっつ違ったりしてるかもだけど。
原作(っていえるのか?)というか
昔の「新造人間キャシャーン」リアルな世代だけが
紀里谷キャシャーンを否定してるみたいで。
なんでそんな意地を張ってんだろう。
仕事の質の差は明らかなのに。
リアル世代が一人10回投稿したとして
肯定派の百人に一人が1回投稿してる感じでしょ。
わからんけど。
リメイク&実写化を盲目的に嫌う人は
紀里谷キャシャーンを観なきゃよかっただけです。
まして非現実的な「昔の方が良かった」的な
発言はよしましょうよみっともない。
こんな真正面からキュンと
させてくれた映画は久しぶり。
愚直とも言われそうな画と音楽と台詞と。
後世に伝えなければならない
モノとして受け取った。
だってそんな、画が音楽が台詞がって
そんなこと言ってられるレベルじゃないもの!
非常事態だと思う。
コレスルーしてしまってたら損だったなあ、と
思わないのかなあ?
もうハッキリ言っちゃうけど、
鳥肌立って熱くなった。
スゴイ。
紀里谷の「CASSHERN」は
「新造人間キャシャーン」ファンを自称している
老害懐古なオッサン好きのするアニメでは無い。
二十一世紀のヤマトシリーズが
松本零士の描いたヤマトでは無い、
2022の最後では古代が
地球とそこに住んでいるはずの自分を哀れんで
自殺したようには見えなかった。
半世紀前の古代は艦と共に自殺した。
小学生にはそんな事理解出来る訳が無い。
2022では古代はイカれてはいなかった。
「CASSHERN」もソレと変わらない。
(わざわざヤマトを持ち出してしまいました。
確信犯です。どうもすみません。)
紀里谷に「TECKAMAN」も作って欲しい。
アンドロ梅田はサラサラロングオレンジでお願いします。
兎に角、自分の仕事を全うすべく
必死に予算と挌闘したのだろうなあ。
良くも悪くも伝わって来てしまうが
それが意図した事かは測り兼ねる。
観客がそう感じたと言ってしまう事は、即、
甘めの評価になりましたと白状する事になる。
しかし製作者が少しも臆さず
何かをストレートに表現したら
何かが作品に反映された。
曖昧な言い方になってしまいました。
「紀里谷は無駄な設定を切った。」と
言い直します。
コレはそれこそ一観客の感じ方でしか有り得ない。
その結果もその過程も、感じ取るに値するものだと、
若くない自分にはそう思えた。羨ましいのだ。
天井にブチ当たってしまった。なら、天井を押し上げる。
兎に角、若さで溢れている。羨ましい。
現在の自分が望んだ「CASSHERN」が此処に形を残した。
どういった評価に身を晒す事になるか、
この一本で終わってしまうかも知れない、
という覚悟はあった筈だ。
自分はそれも好意的に受けとめさせて貰った。
これを観る度、昂る。他の映画とは違う。
決して甘くない世間に出してしまえば、
潰される類いのモノかも知れない。
総ての映画人に生き残る術が、
政治力が無ければ即潰される。
コレに携わった若い人達もそうだろう。
観ている側は幸せだ。ただそれだけだ。
しかし作品は確実に残った。
子供が思うに任せて書いた日記なのかも知れないが
若い作者目線で感じた、現実が映っている。
その目線が愛おしく感じる。
自分はもうとっくに子供ではない。
子供に背中を見られる側だ。
なんだオマエの今のその有様は?
と、映画が責めてくる。
自分も昔はコレを創りたいと思ってたんだ!では
笑えない言い訳にしかならない。
マスメディアに「コレじゃあダメだよ」と言わせる隙を
与えてはいけない・・・のかも知れないが
でもそればっかじゃあもう
映画じゃ無くなっちゃうんじゃない?
歴史に残っている(残しちゃった)映画の中にも
下らない馬鹿馬鹿しいモノってあるンじゃないの?
にしても、「映画」って、そんなに造り手の
「何が言いたいのか」とか「テーマが何なのか」とか
汲み取ってあげて具体的に述べ上げて他人に伝えなきゃ
イケナイモンだったっけ?
試験の問題を受験生が採点する必要ある?
読書感想文の宿題にわざわざ、
「私にはこの本が難しくて理解出来ませんでした」って、
自分の読解力の低さをアピールするのって流行ってンの?
考えるな 感じろ
って、もう半世紀経ったンだね
この後、令和キャシャーンとか
令和テッカマンとかタイムボカンとか期待中。
訳分からんって云う評価が並びそうなヤツ。
でも絶対にレベル下げないでね。
時間SFは小説(勿論ラノベ率高し)が
かなり発達してるので乞うご期待。
あ、ガッチャマンはもうイイです。しばらくは。