1960年代、キリスト教文化圏、保守性の強く男性性を強く求められる田舎。
そこで生きることは不器用なイニスにはとても苦しいことだったのだろう。
父親が見せつけた「同性愛者の末路」に対してイニスはトラウマを抱えている。
そうした同性愛の感情と社会的な役割、家族や文化から提示される理想像の中で歪に組み上がったイニスは屈強で雄々しい風貌や振る舞いに反して非常に繊細な面を多々見せる。
この演技力は流石あのジョーカーを演じた男、というだけある。
一方で比較的奔放な性格のジャックは自分の欲求に正直で、そのために争ったり強かに立ち回るロマンチックかつセクシーな振る舞いも流石。
2人が出会い、互いに意識しながら一方は相手を直視できずに盗み見る様とじっと熱い視線を送る様子は象徴的に対比して表現されている。
ブロークバック・マウンテンの美しく雄大な大自然も男二人の開放された精神性を見事に反映しているかのよう。
物語は、端的に言えば「男二人が身勝手な愛でお互いと周囲と自分(主にイニス)を傷付け倒したお話」でしかない。
裏切られ続けたアルマが本当に不憫でならない。
その1点で主人公2人の株が暴落待ったなしでこの映画が好きになれない。
時代が許さなかった。
周囲が許さなかった。
と男二人の恋路の険しさが強調されるように語られるが、作中では同性愛者たちが”かなり上手く立ち回っている”のがハッキリと分かる。
主人公のイニス(ヒース)とジャック(ギレンホール)は2人共結婚しているし、子供も作っている。
イニスは妻との離婚後にはウェイトレスともいい感じになっている。
ジャックもバーで男と知り合ってるし、その他にも出会いはあった模様。
農場の共同経営者としてイニスの後任も用意できている。
ジャックは何度もイニスと共にチャンスを掴もうとした。
それに対してイニスは怯えて差し出される手を振り払い続け、それでいてそれをキッパリと捨てきれずにアルマを裏切り続けていった。
大人になった娘との対話シーンでは離婚し、多くを望まず、ここが自分に丁度いい場所だとトレーラーハウス暮らしに落ち着いたイニス。
ジャックのシャツを抱いた最後のシーン、イニスは後悔しているのだろうか?
感想を書くにあたり、監督のインタビュー記事を拝読。
監督の考えは主人公2人がゲイであることを特別視している様子もなく、それはヒースのインタビューからも同様のことが読み取れる。
2人共「普遍的な愛を描いた物語だ」としているので、その点は非常に共感できた。