海を飛ぶ夢のレビュー・感想・評価
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生と死と、それを支える愛について
自分の命は、自分だけのものなのか?「生きる」って、一体なんだろうか?
実在の人物ラモン・サンペドロ氏の手記を元にしたこの映画は「生きる」ことの対極であり終点でもある「死ぬ」ことへの考察にあふれている。
脊椎損傷で首から下が不随の状態になったまま、26年間生きてきたラモン。決して裕福ではない暮らしだが、父と兄と義理の姉と甥っ子はラモンを支えながら暮らしている。
ユーモアに富み、知的なラモン。彼は本当に家族の支えなしでは生きていけない。生命活動の殆どが義姉のマヌエラによって賄われている。
彼は心から家族の愛に感謝しているし、家族もまたラモンを「普通の家族」として愛しているのが感じられる。
甥っ子・ハビエルが寝たきりのラモンの前で「お爺ちゃんの運転は役立たずだ」と言ってしまうあたり、家族ならではの無遠慮な辛辣さが、言い方が悪いが面白い。
そう、他人ならこの事を「面白い」と表現することすら憚られる。ラモンの前で、慎重に言葉を選ぶだろう。ラモンが傷つきそうな言葉を軽く口にしてしまうハビエルには、根底の部分で「家族を無限に愛している」という無自覚さがあるのだ。
言葉によって、人は愛を伝える。でも言葉はいつも自分の抱く愛に対して少なすぎる。種類も、量も、質も、全てが不足している。
体が動かないラモンにとって、言葉だけが自分の愛を伝える手段だ。それはラモンの知性を伝え、個性を伝え、優しさを伝える。
だが、何も言わず強く抱き締めるような愛情表現の代わりはつとまらない。相手の自由を奪うような、暴力的な愛は、ラモンには永遠に届かない「愛」なのだ。
ラモンにとって、「愛を与えること」は「愛に包まれてること」と同じくらい重要だったんじゃないかと思う。
いつも自分を愛してくれる人たちに、同じように「愛してるよ」と伝えたい。でも伝わらない。
何度言葉を重ねても、どんなに感情を込めても、誰かの助けがなければ、相手の歩み寄りがなければ、肌に触れることもない。
愛されているからこそ、愛を返せないことに絶望し、愛とは最も遠い「死」を望む自分に絶望する。
自由に生きられないから惨めなんじゃない。充分に愛せないから惨めなんだ。
ラモンの魂の慟哭は、観ている私の心を揺さぶる。それは長い間自分自身の魂と向き合ってきた者が持つ叫びだからだ。
私たちはこの自由で健康な暮らしが当たり前だと思って生きている。いつまでも続くと思って生きている。
だから、ラモンのような「たまたま不幸にも不自由な人」は特別で、死を求めることを異常だと思う。「あなたが生きている事が尊い」と、そう無垢に信じている。
でも「生きる」ということが「譲れない何か」に準拠しているなら、その「何か」を尊重するのも「愛」ではないだろうか?
この映画は、愛する人の魂に寄り添う、その難しさと切なさを教えてくれる。
極めて文学的な映像・・なんて矛盾した表現であろうか??
この作品は最初の出だしから重い雰囲気が漂っている。しかもいくつもの重いテーマが重層的に配置されている。尊厳死、カソリック、家族愛、隣人愛、純愛、詩、そして死・・・。ここから逃れるためのワーグナー・・・。重いのである限りなく・・、しかし世界にその事実は目を逸らすことなく伝えられる。それだけの映画だがそれ以上の映画である。見るべきか否かと言えばやはり全面的に前者であろう。
心の機敏、愛情
テーマは深刻でインパクトが大きい。
でも、それと同じくらい、ラモンや、家族をはじめラモンを取り巻く人びとの、心の機敏や愛情の深さが上手に描かれていて、とても印象に残った。
身近にラモンのような人がいると、まわりの人は、いつの間にか思慮が深くなったりするものかもしれない。
義姉の言うことが最も的を得た。
「(神父は)うるさい。ラモンの好きなようにさせるしかない。どうすべきかよくわからない。彼は愛情に包まれている」というような…。
そう言えばスペインの女はしっかり者、と聞いたような。
安楽死問題はすごく難しく感じる。
ここではカトリックが「うるさい」存在なってしまっているけれど、それでも、もしラモンが、信仰とまでいかなくても宗教的な感覚でもって人生や世界をとらえていたなら、考え方が少しは変わっていたかもしれない、と、チラリと思う。
簡単に答えを出せる話ではない
先日、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した女性に対する嘱託殺人容疑で医師2人が逮捕された事件がセンセーショナルに報道された。「安楽死」や「尊厳死」を考えるきっかけになった人も多いと思う。
この世で唯一絶対なものは、「死」は誰にでも必ず訪れ、決して抗うことはできないということ。その死に対して、自ら意思決定する「権利」はあるのか。
この問いに対し、絶対解はないし、一般化(抽象化)して議論すべきでないし、簡単に答えを出すべきではない。
「人生には生きる価値がある」なんて他人の押し付けがましい意見だ。
主人公ラモンに対して「あなたの考えは間違っている」と安易に非難する権利は私たちにあるのか。
生きる権利があるように、死ぬ権利は存在するのか。
本人の意思も大事。が、家族の悲しみは如何ばかりかと思いもめぐる。
テーマは重いが、決して絶望的な内容ではなく、人間の尊厳と自由を問う作品で、答えは一人ひとりが見つけていくもの。
死に向かって邁進する映画は初めてだ。
主人公がいきなり、悲観的だ。
死にたがっている。
しかし、それは彼の誇りのための死だという。
印象的なのは、尊厳死反対派のキリスト教徒との議論。反対派は
「命を代償にする自由は自由ではない。」
しかし、主人公はこう言い返す。
「自由を代償にする人生は人生ではない。」
それが正解とは言い切れないのが人生であり、その答えを求め行く旅が人生だと個人的には思っている。
「命は自らの所有物ではない。」
この言葉に私は最も感銘を受けた。自分で所有していると思っているのが間違いだと。
なるほど。この命は親のもの。友人のもの。社会のもの。地球のもの。大きなものに所有されているとしたら、生きていく責任はぐっと重くなる。
私個人としては、安楽死には賛成である。
大賛成である。
今の私には、死んでいい理由は見つかるが、生きることを義務とする理由が見つからない。
”生きる義務”
それは私には重すぎる概念であり、憂鬱にさせる一つの原因にもなりうる。
簡単にいうと、そう思いながら生きていくのは、しんどすぎる。
社会の一部、ほんの一握りの恵まれた環境で生きる人間でない限り、常に生き生きと生活するのは難しいんじゃないかと思っている。
そして、死という選択が頭をよぎった経験をほとんどの人が持ち、それらの人々は尊厳死を認めると思う。
まずそういう経験をしてしまう人々が最小限になるような法律を定めたあとで、
尊厳死は認めないと言ってほしい。
人としての尊厳とは何かと問うてみた
事故で四肢麻痺になり、家族の献身的な愛に支えられながらも、己の生きるという尊厳を貫きたく、尊厳死を選択したラモン・サンペドロの実話に基づく物語。
登場人物それぞれの心情が丁寧に描かれており、立場によって尊厳死の可否が変わるのがよく理解できる。
「生きることは義務ではなく権利だ」と言うラモンの言葉が身につまされる。
視聴者に双方の意見を聞かせ考えさせる
総合:75点
ストーリー: 75
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 70
音楽: 75
何があってもどんな環境におかれても、生きるということが最優先とする価値観が至上であると決め付ける人も大勢いる。だが一方で「尊厳死」という言葉が生まれ大きな議論を巻き起こしているのは、尊厳死を望む人が大勢いるからでもある。生きることが苦しみである人がいるからである。
この作品は視聴者に考えることを要求する。同じように首から下の麻痺した人が、それでも生きるべきだと説得にも来る。家族や友人の反対もある。しかし主人公の決意は揺るがない。同時に彼の支持者もまたやってくる。彼らは彼の不幸や苦しみを理解していく。彼は尊厳死を望んだ。だが一方的にどちらがいいかをこの映画は断言しない。最初から結論を決め付けるのではなく、どちらがいいかを考えるのは視聴者である。
最期を選ぶ。。
ハビエルバルデム、本当に更年期のおじさんに見える。
この映画は予告を見てからずっと気になっていました。
音楽が良いですね。主人公も実在の人物を描いているので、現実感を感じながら観られました。
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