グッドモーニング,ベトナムのレビュー・感想・評価
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当時の国際情勢
ベトナム戦争を題材とした反戦映画だが、主人公クロンナウアの陽気さやハイテンションで笑えるDJによって取っつきやすくなっている映画。
反戦映画だけど、当時の国際情勢も考慮しながら観たい。
米軍のラジオ放送が検閲を受けた都合の良い放送だったり、アメリカがベトナム戦争に参戦したりする背景には米ソ冷戦がある。ベトナム戦争に南ベトナムが敗れれば、アメリカはもちろん日本も含めた西側陣営全体に危険が及ぶ当時の国際情勢を考えると、検閲やベトナム戦争への参戦はやむを得ない部分もあると思う。戦後、日本もアメリカが戦うおかげで自国の経済成長に集中できたという恩恵を被っている。とはいえ前線で自らの命をかけて、過酷な状況下で戦う米兵達には、そのような事情は知ったことではない。そんな米兵達の数少ない楽しみになっているのがクロンナウアのDJで、彼らが過酷な日々を生き抜く活力につながっていたことが分かる。
静的プラトゥーン
もう少しコメディサイドと思いきや、これはかなりのメッセンジャーでした。
声高でなくドキュメンタリーの手法を入れながら、静かな撮り方が反戦の意志を強く感じます。
通常メッセージ性は脚本に織り込まれているものですが、この作品に限っては演出の力が大きく寄与してます。
しかし、ウィリアムズ選手の神業マシンガントークは人間国宝級です。
期待していなかったが、思っていた以下だった。
期待していなかったが、思っていた以下だった。
この主人公のギャグより、ポルカをかける少尉のボケギャグの方が、はるかに面白かった。この主人公は早口で、下品なだけだと思うが。まぁ、聞いている兵士がマリファナでラリっていて、ああ言ったマンシガントークが最適なのかなぁ。今でも、アメリカンギャグには下品な言葉でまくしたてるギャグがあるが、アメリカはどこかで同じ事を繰り返しているのだろうか。
この演者の芸は良いのだろうが、台本を読めば出来る範疇だと思うが。
1965年と言う年はトンキン湾事件でアメリカが参戦してちょうど一年。また、アメリカ兵がダナンに上陸したり、北爆を開始した年で、アメリカが猛威を振るい始めた時期。南ベトナムの貧困層に、アメリカ兵が、受け入れられる様な時期ではない。
また、ゴ・ディン・ジエムが親米派に暗殺された1963年から二年。それまでも弾圧はあったが、アメリカが後ろに付いた軍事政権下で、一般のベトナム人がアメリカを簡単に受け入れる余地はない。また、僧侶が出てくるが、ゴ・ディン・ジエムは仏教徒も弾圧して、アメリカ大使館前(間違い、カンボジア大使館でした)で焼身自殺している(僕はLIVEで知って、トラウマになった)
そんな時期である。
確かに東西の代理戦争と定義づけられ、それは正解だと思うが。ベトナム人の心は、段々とアメリカから離れて行き、ホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国や南ベトナム解放民族戦線に惹かれて言ったのではないかと思う。
帰国する羽目になった芸人に『貴方と私の文化は違う』なんて生ぬるいセリフを、思いを寄せる女性から吐かれて、哀愁漂う二人の別れなどあるわけがない。そもそも、この女性の弟は南ベトナム解放民族戦線なんでしょ。アメリカ軍が野放しにする訳がない。(鑑賞する人達は気づかないのかなぁ。)
ベトコンとは『ゴ・ディン・ジエム』の造語で、世界で差別用語として扱われていた。だから、
ベトコンと簡単に言ってしまう映画には共感出来ない。
今こそ観るべき映画
ラジオDJの視点からの戦争を描いた映画。
戦争につきものの情報統制。これによってロシア国民もプーチンに騙され操られている。今こそ観るべき映画ですね。
劇中のラジオから流れる音楽が泣かせます。
見るほどに深くなる
どことどこが何で戦うかは上の人たちの話
最前線の者たちは自分達が正しい方だからと信じて目の前の相手と戦っているのじゃないかと思う
巻き込まれる住人は両方からの被害者になってしまいます
先日、アカデミー賞授賞式でウィル・スミスの平手打ちの件では大スターが暴力を振るったことによる避難が多いことに疑問を感じます。
人を殴れば非難を浴びるけど軍が武力で相手を制する事は国が認めているのですから
映画の中ては悪い奴らをコテンパンにしたって何したって人気者
家族を守るために平手打ち一つでこの有り様
なんともカオスな時代ですね
ロビン・ウィリアムズさんも多く「の矛盾を感じながらクロンナウアを演じていたのではないでしょうか
戦争なんてどうしたって最後に笑う人間なんて居ないのだからしなきゃいいのに、それとも地球か神の仕業かは分かりませんが人口の間引きをさせられているのかも
人から見た蚊やハエのように地球から見たら人もその程度なのかも
社会派ロビンウィリアムズ
ロビンウィリアムズ扮するエイドリアンクロンナウアー上等兵は、サイゴンにDJとして赴任した。早速上官がかましてきた。エイドリアンのDJは、やかましくまくしたてるタイプだね。さらには血の気も多くてけんかっ早い。それにしてもこんな従軍の仕事もあるんだね。でもノリが違うからエイドリアンのジョークはさっぱり分からなかったよ。白いアオザイの娘がなかなか可愛かったね。そんな中でも爆弾が街を襲う。エイドリアンはラジオで伝えようとするが認められなかった。兵を元気づける事こそ彼の任務。前線の兵にインタビューをしたいと希望してベトコンがいる危険地帯へ踏み込んだ。やっぱりロビンウィリアムズ主演作は社会派だね。バイクの国ベトナムは4年ほど前に行ったが懐かしい風景だったな。
東西冷戦によるベトナム民族の分断を思い知らされ…
1988年のロードショー鑑賞の後、
一度TVでも観たような記憶もあったが、
NHKBS放送を機に再び鑑賞した。
ベトナム戦争が終結したのが1975年だが、
この作品を経験するまでは先行上映された
「ディア・ハンター 」「地獄の黙示録」
「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」
等、数多くのベトナム戦争映画に
接してきてはいた。
それらは概して激しい戦闘シーンを通じて
米軍兵士の心の傷に触れる印象があったが、
この映画は米軍放送世界を舞台にして、
どちらかと言うとベトナム人民の
気持ちに寄り添ったかのような展開が
印象的な作品だ。
ところで、
以前勤めていた会社の関連会社には
ベトナムから来ている職人が多くいて、
「超大国アメリカを戦争で打ち負かした
唯一の国として、御両親世代を誇り高く
思っているでしょうね」と聞いたら、
「私達は米軍と共に北ベトナムと戦った
南ベトナムの子孫です」と言われ、
肝を冷やしたことがあった。
東西冷戦の代理戦争で
分断されたベトナムの皆さんの
厳しい後遺症を思い知らされた瞬間だった。
死と隣り合わせで、笑え!
朝になると、グ~~ッ、モ~二~~ン!って、雄叫びをあげるFM放送があります。海を越え、時を超え本作は、生きています。
多分、30年ぶりの鑑賞。当時の記憶は下世話なトークと、ソフトではないソフトボール大会のシーンくらい。今観ると、複雑な気分。だって、上司が怒りまくると分かったうえで、仕事できます?。左遷覚悟、クビ覚悟で、やり遂げる仕事してます?。
確かサッチモですが、あの劇中歌を、涙を流しながら、戦場に赴く兵士に捧げたことがあるそうです。明日の朝には、死んでいるかも知れない兵士に、私なら何ができる?。何を話したらいいの?。
と云うか、私の方が次の瞬間、仕掛け爆弾で爆死するとしたら、何を求める?。今、この瞬間を生きている証となる、下世話な笑いこそ救いなのでは…。死と隣り合わせの笑い。誰も好きで死ぬわけではない。だからこそ今、生きている瞬間を希求する。そんな戦場の空気が、本作の魅力です。トラックで去り行く兵隊さんに、皆様は、何て伝えますか。
たださ、現地で暮らす人からすれば、君達のクニを護りに来たんだと言われても…ねぇ。
「プラトーン」のような直接戦闘シーンはありません。一人一人は、いい人なのに、ヒトがヒトを傷つけ合う世界。だからこそ、あの劇中歌ですね。
…What a wonderfull world…!
追記
監督さんの次回作が「グッド モーニング ウクライナ」にならないことを、切に願います。
「戦争映画は難しい」
ベトナム戦争時に実在した人気DJの話
BSPで視聴
戦争話っていうと暗い、悲しい、狂ってるというイメージだが 戦争に派遣されているアメリカ兵を勇気づける為に違う意味で戦うあまり無い話
日本にも東京ではAM810kHzで、AFN TOKYOという 日本の米軍基地向けのラジオが聴ける。 それのベトナムバージョン
朝6時と夕方4時に放送し人気を博す 戦争で緊張感が高まってる米軍兵士に母国の癒しと笑いを与えてくれる貴重な時間を見事に再現している。
笑いの内容は日本語にするとわかりにくくてあまり笑えはしなくこの部分が大半を占める為 評価を下げる。
ニュースは米軍のお墨付きの事しか放送できない事などとも立ち向かい戦う姿は良い。
やりすぎて左遷されてクソマジメな人が一応ユーモアを織り交ぜて放送するところは笑える
日本人でもそういう人いる。
ラブストーリー要素も少しあり現地のベトナムの女性は美しい(日本人ぽいっていうのもあるが)
アメリカは自由の国でなんでもOK というわけでもないんだな ってことを知れた。
「グッッット、モーーニング、ベトナーム」
米軍放送サイゴン支局
米軍放送の人気DJクロンナウアー上等兵(ロビン・ウィリアムズ)が、戦地に赴く若き兵士達に語りかけ言葉を交わすシーン、サイゴンの少年トゥアン(トゥング・タン・トラン)が、目に涙を浮かべ心情を吐露するシーンが切ない。
同僚のガーリック上等兵(フォレスト・ウィテカー)の明るさと笑顔に救われる。
日本人だからか、アジア寄り目線で観ている私が居た。
ー人間だと思ってないからだ
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
本作は「その男ゾルバ」を観ているか、観ていないかで伝わってくるメッセージがまるで違うと思います
昔はFENと言っていた米軍放送
97年にAFNと名前を変えて今も日本でも放送しています
最近はネットでradikoのようにスマホでも聴くことが可能です
昔、好きで良く聴いていたものでした
沖縄に行くとテレビ局まであり驚いたものでした
本作は1965年サイゴンの米軍放送局のDJ の物語です
主人公はクレタ島の駐留米軍向け放送から、その人気ぶりを聞きつけた将軍に引き抜かれてサイゴンにあたふたと転任してきたところから始まります
1965年
まだ北爆は始まっていない様子で至極ノンビリしています
北爆が本格化するのは同年2月からだから、恐らくクリスマス休暇明けの新年早々のことでしょう
本土から遠い世界各地に駐留する米軍だって人の子
兵隊達は20歳そこそこのまだ子供ぽい顔の残る青年達です
クリスマス休暇には故郷に帰りたかったことだろう
家族にも、彼女にも、友達にも合いたかっただろう
ラジオから本土の流行歌が流れたならホームシックも少しは和らぐのは当然です
だから将軍は駐留米軍の戦意を保つ為に、破天荒であっても主人公の放送は役立つと思って引き抜いて来たのです
主人公は出迎えの軍曹に、「クレタ島じゃその男ゾルバみたいなもんでさ!」と上機嫌で言います
「その男ゾルバ」は1964年の映画のことです
何故この映画のタイトルを出すのでしょうか?
本作は「その男ゾルバ」を観ているか、観ていないかで伝わってくるメッセージがまるで違うと思います
その映画はクレタ島が舞台でした
その映画の名前を出すためにクレタ島からの赴任という設定にしたのだと思います
その映画の内容は、英国人の良家のインテリ青年とギリシャ人の男ゾルバの物語です
頭でっかちで綺麗ごとだけの青年
野卑で粗野だけど行動力があり、ちょぴりズルくていい加減で、でも優しさに溢れ頼れる男ゾルバ
米国の見せる二つの顔をそれぞれが象徴していたように思える映画です
そしてクレタ島は地中海に浮かぶギリシャの島
古代のクレタ文明の遺跡で有名です
太古からギリシャとトルコの最前線です
つまり東西の最前線なのです
空母が接岸できる海軍基地はこの辺りではこの島だけ
古代も現代も戦略要地です
しかし「その男ゾルバ」の中のクレタ島は貧乏なド田舎の離島に過ぎません
サイゴンの方が遥かに大都会で華やかです
主人公はその映画の野卑で粗野な男ゾルバと同じ調子で、ユーラシア大陸の東の反対側のベトナムに赴任してきたのです
だから彼は全くの脳天気です
ベトナムは美しい女性が多くて有名です
体型も皆スリムで、それを身体の線がピッタリとでるワンピースのような民族服アオザイを着ていると更に魅力的になります
空港から基地への移動中の車中から彼女達の尻ばかりに視線が行く始末です
気に行ったベトナム人少女も押しの一手で何とかなるもんだと思いこむほど無邪気です
物語はやがてシビアな現実を主人公と観客に見せ始めます
それはまるで主人公と私達観客に教育を施しているかのようです
最初、主人公は脳天気に南ベトナムの人々の為に戦っているのだと信じて疑っていません
だから現地の人々から好かれている
友達だと信じ込んでいます
それが次第に違うと気がついてきます
次第に何の為に戦っているのか分からなくなっていくのです
ラストシーンの手前
本国から続々と増援されてベトナムにやってくる新兵達
彼らはついこの間の主人公と同じように無邪気にベトナムにやってきた若者達ばかりです
主人公が彼らにしてやれるのは元気の良いDJしかないのです
この「素晴らしき世界」にようこそ!
この国は米軍を欲していない
ならばなぜ米軍はベトナムにいるのか?
このメッセージを本作は伝えてきます
主人公と私達は本作の終わりには、そのことを学習しているのです
そして主人公はベトナムを去り、私達観客は映画を観終わるのです
ところがもし「その男ゾルバ」を観ていたなら?
監督が冒頭で「その男ゾルバ」の名前を出した意味は一体何なのか?
そしてその映画の意味する事をよく考えた事のある人なら、本作が違うメッセージを発信していることを感じとれると思います
一体何故、米軍はベトナムにいたのか?
何のために戦っていたのか?
米国が帝国主義だから?
米国の産軍複合体が戦争を欲していたから?
東西冷戦の代理戦争だから?
でも、それは自分の頭で考えてそう結論づけた結論なのだろうか?
そう頭の中で疑問が渦まくのです
ベトナムの歴史の経緯を自分は調べて知っているのか?
何も知らずにそう思いこんでいるのではないのか?
なぜベトナムに米軍がいたのか?
何の為に、何と、戦っていたのか?
そそもそも何故ベトナムが同じ民族どうしで北と南で戦っていたのか?
いつからそうなっていたのか?
太平洋戦争中は日本とフランスの二重占領下にベトナムがあったこと
日本の敗戦後フランスからの独立戦争があり、その後紆余曲折があって米軍が駐留するようになっ
もちろん米国の身勝手な都合があったことも間違いのないこと
そのような経緯を、どのくらい知っていたのか?
主人公はもちろん知りません
私達観客もまた知らないのです
自分もまたベトナムの歴史を調べ直しました
民族自決
自分の国、自分の民族の事は自分達で決める
当たり前のことです
だから米軍の駐留を望むのかそうでないのかは、現地の人々が自分達の国と民族の将来を考えて判断されることです
21世紀の現代
私達はこのちょうど10年後の1975年4月30日
本作の舞台のサイゴンは陥落してベトナムから米軍は去っていったことを知っています
それで平和になったのでしょうか?
そうでないことを私達は知っています
その後ベトナムはカンボジアを侵略していました
4年後の1979年には中国とベトナムの社会主義国どうしの戦争が起きたことも知っています
社会主義国が平和勢力であるなんて夢想もいいところです
そんなものは嘘ぱちです
このように米国が去っても戦争は起こったことを私達は知っているのです
民族と民族、国家と国家はこのようなリアルな現実にあるのです
結局のところ、自主独立を担保する実力、即ち軍事力を持たない民族や国は、他国から好き勝手にされてしまうのが現実でした
社会主義国同士であってもそうだったのですから、平和憲法を奉じているからといってそれが歯止めになるとは余りにもナイーブです
「その男ゾルバ」の中にこんな台詞がありました
何が正しく何が間違いかは言えても
心や体で話すことを知らん
あんたの手も足も胸も何も表現しない
そんな人に何がわかるものか
この台詞が本作のテーマだったのではないかと思われてなりません
単に反米反戦映画だとして捉えるのか
より深く本作の意味を自らの頭で考えるのか
それはもちろんあなた次第です
沖縄の米軍基地問題
本土の各基地の駐留米軍問題
あなたはどう考えますか?
中国や北朝鮮の脅威の前に日本はどうしたらいいのでしょうか?
本作を観た私達21世紀の日本人への宿題が出されているように思えます
ベトナムと同じなのか、違うのか?
違うなら何がどう違うのか?
それを問われているのです
ぜひ本作は「その男ゾルバ」と併せてご覧頂きたいと思います
I miss Robin Williams.
こんなにみんなを笑顔にした人の最後があんなだったことが、いまだに信じられない。
人は使命感で生きられることもあるけど、使命感につぶされることのほうが多いのかもしれないな。
ベトナム戦争の見方として、アメリカ作品としてはぎりぎりのバランス感覚かもしれない。
それにしてもアメリカ軍の福利厚生というか、全方位型のサポートには感心するばかり。
Happyなだけな映画にするつもりはなかったんだろうけど、外国人から見ると、ちょっと引っかかる(考えさせられる)ところもある。
それだけ、国策、国民の生活として軍事行動が浸透してるということかもしれないけど。
おぼえていること
IMDBのランクをよく見るのだが、評価の高い映画が、じぶんにはぜんぜんだということが、たまにある。小市民なわたしはそれがけっこうくやしい。
とくに8点を超えている映画で、面白さがわかんないと、かなりくやしい。
その映画の皮相がかっこよかったりすると、さらにくやしい。
たとえばわたしには、ガイリッチーのロックストックとスナッチが、面白さがわかんない──というほどでないにせよ、弱い印象しかなくて、これがくやしい。
映画好きとしては、ロックストックとスナッチは、すげえ好きだと言いたい「かっこいい皮相」を持っているからだ。
こんなとき、わたしは日本映画なら、高評価でも、遠慮なく突撃する。
が、IMDBランクとその厖大な母数が裏付けている映画には、突撃しにくい。とうぜん、そういう映画には下げられる瑕疵が見つからないから──でもある。
映画好きには、しばしばこの手の歯ぎしりがおこるのだが、逆に、自分には面白くて、国内評価が低かったりすると、鼻高々になる。おろかものどもめ──という感じだろうか。
さっそく「おれは解っているんだぜアピール」の「評価が低くてびっくりしました」という書き出しでレビューするわけである。ほんとは、びっくりなんかしちゃいない。
当時とても話題になった映画だった。AFNの型破りなDJと、併せて表向き支援と正義で派兵したんだけど、じっさいはその国の人々と風土を荒らしている。──というアメリカの自省がある。
士気高揚のためのDJとしてクロンナウア上等兵(ロビンウィリアムズ)がサイゴン(現ホーチミン)の米軍放送網へ呼ばれる。
直属の上司がふたりいる。
ディッカーソン曹長は厳格でユーモアを解さず、クロンナウアを毛嫌いする。
ホーク少尉もジョークが通じない男だが、ジョークが解るふりをする。解らないのだが、それが解る人間であることを懸命にアピールする。
小者な感じが、すごく巧かった。
三人とも故人である。
映画レビューの、わからなさの歯ぎしりに、また、わかることの得意気に、グッドモーニングベトナムのホーク少尉(Bruno Kirby)を思い出すことがある。
この素晴らしき世界
ぶっとびすぎてるDJクロンナウアー。現地ベトナム人の女の子に一目惚れし、強引に英会話教室の教師になったりする。
普段はバカな下ネタが中心のお馬鹿コメディDJだったが、戦場の真実を伝えたい意志はあった。検閲に引っかかってばかりの原稿。その中でのニクソンの政権放送をちゃかすところが最高だ。惚れた女の子の兄がジミーの店での爆破テロから彼を救うところは悲惨な現状を伝える。ベトナム戦争は始まっていたが、米軍による北爆間近の時代。サッチモの曲が凄い皮肉に使われて、印象に残る。「この素晴らしき世界 (What a Wonderful World)」
アメリカ人とベトナム人は違いすぎる。恋なんてできるはずがない。そして「敵」という意味。アメリカが仕掛けた戦争ばかり。どうして敵が生まれるのか・・・てっきり援助に来たつもりだったクロンナウアーは気づく。
ご都合主義
戦争の真実はひとつです。憎しみ殺すだけ。
だから、ラストのご都合主義的な描写に違和感を覚えました。占領された側はあんなんじゃない。占領する側もあんなんじゃない。あれでは、戦争がそんなに酷いものじゃないと思ってしまい肯定されてしまう。ロビン・ウィリアムズの演技は良かったので、★★★にしました。
This Is R.Williams
これが彼なんです。
退屈な日常に花とクソを添える道化師、ロビン・ウィリアムズ。
彼のおかげで笑顔になれた数知れずの人たち、国を越え世界中に笑顔を与える。
ほんとにありがとう。
彼の墓の前で感謝を伝えたい。
自由人と他の立場の人々との価値観の違い
総合:75点
ストーリー: 75
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 75
音楽: 75
自由の国アメリカといえどもまだベトナム戦争時にはこんなにお堅い検閲がされていたのだなと思わせる作品。
とにかく価値観が違う。ロビン・ウィリアムズ演じるエイドリアン・クロンナウアーの生き様は自由に楽しく。たとえ戦争中のベトナムに来ても自分のやり方を変える気はない。元々そんな戦争とか政治とか国境とかは関係ないのだろう。街に出れば女の子に目がいくし、軍規に縛られたお堅いだけの放送よりも聞いて楽しい放送が好きだし、アメリカ人だろうがベトナム人だろうが人は人としてみなす。だからこそ厳しさの中に楽しみが欲しい戦場の兵士の支持を受ける一方で、アメリカと軍の利益を守りたい一部のがちがちの軍人からは目を付けられ嫌がらせを受ける。
だがやはり厳然と存在するベトナムとアメリカとの立場の差。人としていい人であっても、単純に交流するには埋め難い溝があることがある。外国人に家族を殺され友人を殺され国を破壊され搾取された人々にとって、今猶自国にやってきて同胞を殺している外国人を素直に受け入れられないのはやむを得ない。またベトナム人から彼の行動を見れば、すぐに自国の女に声をかける憎たらしい男に見えることだろう。
そんな現実を突きつけられるとやはり衝撃はある。だから限界に突き当たるのはむしろ当然のこととはいえ、やはり物悲しさがあるのも事実。華やかなスター扱いもあった後、お気楽だった彼が現実に直面し立ち去る際に残す一抹の寂しさが、この時代の背景を語っている。
ロビン・ウィリアムスの喋りは本人の即興だそうで、なかなかうまいものだと思う。これがつまらなければ彼が人気DJと言っても真実味がないわけで、その意味で充分に健闘しているし見所となっている。軍の都合など関係なく大統領を冗談のネタにしておちょくるのも笑える。これなら確かに人気が出るだろうなと思わせる。
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