ランニング・マン

劇場公開日:2026年1月30日

ランニング・マン

解説・あらすじ

逃げ切れば大金を手にできるが、捕まれば即死という命懸けの鬼ごっこに挑む男の運命を描くノンストップアクション。ベストセラー作家スティーブン・キングがリチャード・バックマン名義で1982年に発表し、1987年には「バトルランナー」として映画化された小説を、「ベイビー・ドライバー」のエドガー・ライト監督が新たに映画化した。

社会が一握りの富裕層と圧倒的多数の貧困層に分断され、多くの人々が過酷な生活を強いられている近未来。職を失い、重い病を抱えた娘の医療費にも困窮していたベン・リチャーズは、優勝者に巨額の賞金が与えられるデスゲーム「ランニング・マン」への参加を決意する。しかし、そのゲームの実態は、社会を支配する巨大ネットワーク企業が主催する世界最大のリアリティーショーであり、挑戦者の命懸けの逃走劇を全世界の観客が視聴するというものだった。逃走範囲は無制限。高度な殺人スキルをもったハンターたちが挑戦者を追跡し、さらには視聴者までもが懸賞金目立てで挑戦者を追いかけるという狂気のサバイバルが幕を開ける。

主人公ベン・リチャーズ役を「トップガン マーヴェリック」「ツイスターズ」のグレン・パウエルが演じ、彼をゲームへと誘う冷酷なテレビプロデューサーをジョシュ・ブローリン、ショーの司会者をコールマン・ドミンゴが演じる。

2025年製作/イギリス・アメリカ合作
原題または英題:The Running Man
配給:東和ピクチャーズ
劇場公開日:2026年1月30日

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映画レビュー

4.0 スティーヴン・キング原作へのリスペクトとズレを愉しむ。デスゲームの始祖→最新形へ!

2025年12月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

一点、忘れてはならないのは、
本作の舞台が原作上では「2025年」に
設定されている、ということだ。

すなわちこの映画は、スティーヴン・キングが70年代に「夢想」した近未来としての「2025年」を、「2025年に映画化して公開する」という「ネタ」の実現を目指して作られたものなのだ。

この映画には、何層もの「ズレ」がある。
原作との「ズレ」。
前の映画化作品である『バトルランナー』との「ズレ」。
50年前に思い描いた「2025年」と現実との「ズレ」。
この「ズレ」を愉しめる人ほど、この映画は愉しめる。
そういう映画だと思う。

― ― ― ―

とある伝手があって、珍しく試写会に参加させていただいた。

原作は既読。
『ランニング・マン』は、スティーヴン・キングが1982年にリチャード・バックマン名義で発売した作品で、実際に書いたのはさらに10年さかのぼる1972年ということらしい。
要するに、お蔵入りしていた若書きの小説を、1974年に『キャリー』を出版して以降大人気作家になったキングが、試みに「別名義で正体を隠して」出してみたというわけだ。
出版した当初はたいして評判も呼ばず、世間に気づかれないまま絶版の憂き目にあったらしいが、1985年にキングがバックマンの正体をバラし、この名義のもと8年間で5冊の本を出版したことを明かしてからは、本書をめぐって米中古市場で幻と化すほどの争奪戦が繰り広げられたという。
日本では、本作がアメリカでアーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化された際、映画邦題に合わせて『バトルランナー』のタイトルで出版された(1986年)。
2000年代には絶版となり、長く読むことができなかったが、今回の映画化に乗じて20年ぶりに復刊。ちょうど書店に並んでいるので、気になる向きはぜひ読んでみてほしい。

キングの原作は、ある意味「どストレート」なデスゲーム小説だ。
今では、小説でも漫画でも映画でも、それこそ「死ぬほど」デスゲームをテーマにした作品はあふれかえっていて、すでにある種の「ジャンル」と化しているきらいもある。
(やはりジャンル的に、日本では福本伸行の『カイジ』と高見広春の『バトル・ロワイアル』の大ヒットのインパクトが大きかった気がするが、個人的に貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』は忘れがたい。「お弁当」にはマジで爆笑した。)
だが、『ランニング・マン』は、ほぼ本作と対になる同じくバックマン名義の『死のロングウォーク』(79年、実際の執筆は大学生のときの67年という)と並んで、まさにジャンルの嚆矢といっていい作品であり(あとはあの頃のデスゲームものといえば、ロジャー・コーマン製作のカルト映画『デスレース2000』(75)とかもあった)、まだ出始めだからネタをことさら「ひねる」必要がない。
アイディアに衒いがなく、ひたすらど真ん中で勝負する、純粋かつにごりのない、抜群のリーダビリティを誇る近未来SFアクションに仕上がっている。

シュワルツェネッガー版の『バトルランナー』は、かなり原作をいじっており、設定からキャラクターから、ほぼほぼオリジナルといっていい要素が多数導入され、キングの原作からは魔改造されている。
僕は原作至上主義者では全くないので(それをいったら往年の名画なんてほとんど原作をずたずたに改変しているわけで、あれを褒める同じ口で「やっぱり原作のままじゃないとね」とかゆめゆめ言ってはいけない)別段魔改造されていても一向に気にしないのだが、今回の『ランニング・マン』は、実はかなり原作に沿った「リスペクト感」の強いつくりになっていて、製作陣のキング原作を尊重する姿勢には、素直に感銘を受けた。

まず、出だしの設定が原作と同じだ。
主人公のベン・リチャーズは、病気の子どもを抱えながら仕事にあぶれた労働者。愛する妻子を助けるために、彼は一攫千金のマンハントゲーム番組に参加することを決意する。
『バトルランナー』のシュワちゃんが警官で、民衆への銃の掃射を拒否して強制収容所に入れられ、すぐに反体制組織とつるんで脱獄するなど、まるで別物の「正義のダイハード・ヒーロー」に設定されていたのとは大違いである。
あれは「“デス”ゲーム」に「“ダイハード”・ヒーロー」が参加するという語義矛盾自体を愉しむ、まあまあゆるんとした映画であり(笑)、シュワちゃんが血祭りにあげられる凄惨なラストを思い描きながら観た人はそんなにいなかったと思う。
いっぽう、今回の『ランニング・マン』は、ガタイはいいけどふつうの無職が生存率ゼロコンマのサバイバルに挑むわけで、彼の運命がどうなるかは観客にも最後までわからない。
その意味では『バトルランナー』よりも、格段にスリリングな内容の映画になっているともいえる。

その後の展開も登場人物も、本作は概ね原作のストーリーをなぞっている。
同じ「ランニング・マン」に参加するチャレンジャー仲間2人。
家族にお金を渡すように警備員に頼むくだり(「靴下」はオリジナル)。
野に放たれたあと、初期に助けてくれる黒人一家。
その後に登場する一軒家のレジスタンスや、
重要な役回りを果たす女性。
終盤の展開。
すべて、キングの原作をほぼ活用している。
忠実とはいえないまでも、これは間違いなく、キングの『ランニング・マン』の正統な映画化作品だ。

もちろん、原作と異なる部分もたくさんある。
まずは、奥さんの人種。
原作では、ことさら黒人であるとの描写はなかったかと思う。
それから、ゲーム出場者の性別。
原作では、ことさら性転換者であるとの描写はなかったはず。

必ずしも本作の「80年代風要素」は、「キング原作の持っている70~80年代っぽい空気」を再現しているわけではない。むしろ、このあたりはエドガー・ライト監督自身が、若干意図的な悪ふざけも兼ねて「80年代っぽい『意識の高い反体制的な娯楽映画』」のノリを投入しているような気配を感じる。

マッチョで白人至上主義的な前時代の反動として、あのころの娯楽映画界を覆った似非道徳的な空気感。
「主要人物にとにかく黒人出しときゃいいんだろ」
「なんかゲイとかトランスとか障碍者とか出しときゃいいんだろ」
「とにかくヤバいのは公害! 灰色の空から黒い雨が降って放射能でみんなやられちゃうぜ」
「メディアは悪、官憲は悪」
こういう、反権威的でリベラルなノリがあのころはたしかに目立った。
今回、エドガー・ライトは、若干「斜に構えて」それの再現を試みている感じが強いんだよね。
しかも、真に受けてやっているというよりは、ちょっと軽くバカにしてる感じがあって。

言い換えれば、当時のキングは「未来」のディストピアを夢想したが、今のエドガー・ライトは、80年代B級アクションという「過去」にこだわって映画を作っている。
すなわち、70~80年代のキングが想像した「2025年」を映像化するにあたって、2025年に生きるエドガー・ライトは、80年代のリベラル的傾向を想起しながら80年代近未来アクションに似せて作ってみせるという、なんともいえないツイストが発生しているわけだ。

この絶妙な「疑似80年代テイスト」こそが、新版『ランニング・マン』のキモともいえるかもしれない。
なにせ、今「近未来アクション」をつくるとすれば、当たり前に登場するであろうモバイル機器がほとんど活用されないうえに、庶民がいまだにみんな大手ネットワークのテレビ番組をかぶりつきで観ている。巧妙なフェイク動画は(80年代の時点からSF的ガジェットとしてすでに定着していたがゆえに)バンバン出てくるが、庶民がレジスタンスの武器として使っているのは、自分で印刷した新聞に、ヴィデオテープに録画された映像、自宅の実験室で作成した薬品・火薬など、「80年代の反体制アイテム」とほとんど変わっていない(笑)。

要するに、ここで描かれる「近未来」は、「80年代の人が考えていた近未来」なのであって、まさにスティームパンクと同様の「どこかで枝分かれした、あったかもしれない近未来」なのだ。
それを描くのに、エドガー・ライトは「80年代B級映画」のどこか浮ついてガチャガチャしたテイストと、突発的に挿入される「笑い」の感覚、にわか仕込みのリベラルなモラルなどを「これみよがしに」導入することで、彼なりのある種の「見識」を示したといえる。
そこでおそらく大いに参照されたのが、まさに80年代B級映画の「代表」ともいえるシュワルツェネッガーの『バトルランナー』だったということだろう。

― ― ― ―

●本作のテーマのひとつは、メディアに煽られた大衆の熱狂と暴走、誰かを「敵」と見定めたときの集中砲火の異常性といった、「空気」に左右される民衆の「衆愚性」だ。
番組『ランニング・マン』で標的として選ばれた「悪」は、大衆の憎悪を一身に背負ってアメリカ全土を逃げ回る。
彼の発言はフェイク動画で自在に捻じ曲げられ、大衆は相手から何をされたわけでもないのに、その人物を「殺していい人間」リストに入れて、みんなで「狩り」に参加する。
逆にその「空気」さえ変われば、すべてが根底から覆って、「悪」が「ヒーロー」に成り代わることだってあり得る……。
ここで描かれているのは所詮フィクションだ。だが、最近の元ジャニーズや元アナウンサーや一応復帰を果たしたらしいお笑い芸人などのことを考えても、日本人はここで描かれている「衆愚」の在り方を、とても笑えないと思う。

●原作において、『Running』というのは基本的に「逃げる」という意味合いで使われていて、別段走って走って走り抜くことが勝利条件だというような話ではない。
だが、映画では実際に『RUN』するシーンがとにかく多い。ビジュアル的にしっかり「走る男」の映画として、ぐっとそっちに寄せてきている。
主人公のベンを演ずるグレン・ダニエルは、『トップガン2』で師匠のトムクル先輩から「走るアクション」を伝授された一番弟子。とにかく小気味よく、走る、走る、走る!

●これは原作でも指摘しうる問題点だが、別に特別なDNA解析ができる街灯とかなくても、発信機ひとつ体内に埋め込むだけで、追跡は容易にできるんじゃないか、というのはどうしても考えてしまうところ。いや、本当は埋め込んであって、完全にテレビ的な演出上の意図で、生かされ、逃げさせられ、見逃されているだけかもしれないし、それをほのめかすシーンもたくさんあるのだが。

●もう一点、これだけ番組を運営する局に対して出演する主人公が不信感を抱き、実際、協力者までも巻き込んでガンガン殺されちゃうって部分を強調されると、やっぱり「じゃあなんでこんなゲームに出るんだよ? アホなのかこいつ」ってのは若干思わざるを得ない。
十中八九死ぬのに、たとえ勝ち抜いても1千億円が「もらえないかもしれない」ゲームに出てどうするんだっていう……。
結局、これは「労働者のヒーローになりたかったのになれなかった男が、家族を救うことを口実として、その実みずからの敗北感と負け犬としての屈辱を慰撫するために、もう一度ヒーローになれるかどうか、命がけの勝負に出る」話なのだろうと思う。
彼はなにかと「家族」「家族」と口にするけど、おそらくなら何よりもまず、傷ついた自分のプライドを守るために戦っているのだ。そうじゃなきゃ、家族のもとに帰れないかもしれない(勝っても殺されるかもしれない、自分が守っていない間に家族が殺されるかもしれない)ような博打には、やっぱり参加したりしないと思うんだよね。

●ラストについては言及しませんが、まあいろいろ考えた末にこうなったんだろうな、とは思います。
若干「逃げ」を感じるところもあるし、なんか「映画会社に言われて不承不承直した」ネタを、あえて演じてみせているような奇妙な雰囲気もあったりして。
全体に、「わざと安く見せている」みたいな偽悪的な姿勢が、どうも垣間見えるんだよね……この監督って。「ビッグ・バジェットでもちゃんと映画会社に順応してみせてる俺様をお前らは笑えよ、なあ笑えよ」みたいな(笑)。

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じゃい

4.0 グレン、いつにも増して、体張ってます。

2025年12月1日
iPhoneアプリから投稿

怖い

興奮

ドキドキ

公開第一週目で2位だった、グレン・パウエル主演の「ランニング・マン」。逃げ切れば大金を手にできるが、捕まれば即死という命題けの鬼ごっこに挑む男の運命を描くノンストップアクション。ベストセラー作家スティーブン・キングがリチャード・バックマン名義で1982年に発表し、1987年には「バトルランナー」として映画化された小説を、「ベイビー・ドライバー」のエドガー・ライト監督が新たに映画化しました。

ホホー、確かにベイビードライバー感はあったなぁ。

1億1000万ドルという巨額の製作費が投じられている割にグレンの作品はどうもB級感が否めず…。最初はアメリカ版「SASUKE」と「逃走中」のハイブリッド番組かと思ったら、めちゃくちゃ残酷に殺すやん😅。…

北米では「グランドイリュージョン」、「ウィキッド永遠の約束」、「ズートピア2」と人気作の続編が公開されるタイミングでの公開も不運だったかな。ちょっと前までは映画館ガラガラだったから、その時期だったらもうちょっと入ったかも…というくらい、実はめちゃくちゃよくできてる作品です。

グレンがバスタオル一丁で逃げるとか、彼の肉体美は素晴らしかったですよwww

ただ、そんなグレンの脱ぎっぷりも虚しく、興行収入はまだ6,000万ドル程度。予算回収できるかな?

シュワちゃん主演の「バトルランナー」はこちらのサイトで2.4、今回も日本人にはウケが悪い気が…。

近未来スゲ〜と感動しながら観てたら、突然大量のVHS のビデオテープ!!!もう、実家では再生不可能なんですがwww。

ポスト・トムクルーズの座をボチボチ狙いたいだろうなというほどの肉体美とアクションを披露したものの、グレンの前には主演候補がライアン・ゴズリング、エバンズとヘムズワースのWクリスがいたそう。ただ、監督はグレン一択、原作者のスティーブンキングもグレン主演の「ヒットマン」を観て、彼に決めたそうです。

…それにしても、やっぱりアメリカ人って頭おかしいって!!!www 何が面白いの?こんな番組…

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ゆーきち

4.0 THE 逃走中

2025年11月24日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

仕事を失い子供に必要な薬も買えないベンが一攫千金をかけてデスゲーム「ランニング・マン」に挑むというストーリーです。日本公開より一足早く渡航先で鑑賞しました。

ベンにとってゲームに参加した動機は子供や家族ですがそこはあっさりと、早々にデスゲームへと展開していきます。屈強なハンターから逃げるために繰り広げられるアクションや変装、近未来という設定もあって演出がとても面白い。過激なデスゲームに中指を立てながら逃げる姿は素人ではない笑。走り方もキレイ。

シュワちゃんがとある形で登場するのですが、主演の「バトルランナー」のリメイク作品なのですね!未鑑賞でしたがとても楽しめました。音楽も良いです。

グレン・パウエルのアクションものということで期待値上がりそうですが、気軽に楽しむのが◎です。

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