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〇作品全体
個人的に響いたのは、蜘蛛の巣というモチーフ。この作品通して武時は物の怪の予言に翻弄されているけれど、予言の外に出られなくなっているさまは蜘蛛の巣にかかった虫のようでもある。森のシーンで手前に蜘蛛の巣のように伸びる木々を再三映しているのも、蜘蛛の巣のモチーフの一つなのだろう。
シーン単位で見ていけば、武時が初めて北の館に入ったシーン。妻・浅茅に謀反を唆され浅茅に導かれるように畳の上へあがる武時は、1畳の畳の上に捕らえられたかのように映る。縛られているのは物の怪の言葉だけではなく、誰かの思惑もまたしかり、といった感じの印象。
物の怪に始まり浅茅、義明の亡霊…望みがかなえられて行っているように見えて終始何かに縛られ、怯える武時にまとわりつく蜘蛛の巣のような存在が、モチーフに上手く活かされていると感じた。
三船敏郎演じる鷲津武時の心変わりがそのままプロットポイントになっている作品で、暗い感情が物語を動かす軸になっているんだけど、終始映像美を感じる画面作りも印象的だった。
作品名であったり、モノクロの画面であったり、三船敏郎の鬼の形相から「重さ」を感じてしまうように思えたけど、ファーストカットからある霧の白さであったり、舞台や小物を使ったフレーム内フレームの演出から美しさが存在する気がした。
ストーリー自体はすごくシンプルで、途中登場した三木義明の嫡男・三木義照が予言を信じる義明へ向けた一言、「物の怪に操られ、おのれの手でその予言のままの事実を作り、予言が当たったとお考えなさる。正気の沙汰と思えませぬ」がすべてな気がする…。
〇カメラワークとか
・ファーストカットで霧を見せ、城址を見せて、霧でつなげて時代を遡行、城を出現させて物語の時代に入っていく…この演出がすごくかっこよかった。ナレーションを使ってもいいし、テロップを使ってもいい場面を、画面演出だけで観客を物語の中に引き込んでいっているような感覚。映像体験って感じがしてすごく良い。
・黒澤映画はたまに猛烈にカッコいい影の使い方をする。今回は主君・国春を殺すために奥の部屋から槍を持ってくる浅芽のカット。闇の中へスッと浅芽が入っていき、少し時間を空けて出てくるのだけれど、再び現れた浅目の闇から浮き上がってくるかのような登場の仕方にゾッとした。手前、奥を使った影の演出は『隠し砦の三悪人』でもやってたっけな。
・カメラを動かすときに必ず理由がある映像作品ってやっぱ好き。TU、TBでカメラが動いた時の緊張感が半端ない。この緊張感が自分の快感に直結してるような気もするなあ。