一人二役で江戸時代と現代……下手すると安っぽくなるのでは?マツケン見たいから行くけど……
アホな先入観を持ってごめんなさい。素晴らしい映画でした。
長引くコロナや戦争のニュース、そして5月が重なってうつむきがちになった私の心を、落語らしいユーモアと物語の清々しさがぐいっと引き上げてくれた。
序盤はしばらく尺を取って、現代パートの舞台、香取市役所での一幕が描かれる。総務課主任の池本が脚本家の加藤を記念館に連れて行き、伊能の功績を説明する。ここで、伊能についてぼんやり地味な知識しかない私のような観客も、言葉と記念館のビジュアルで基礎知識を得ることが出来る。(記念館以外にも九十九里浜など千葉の景勝地や佐原の美しい街並み、チーバくんも登場しまるで千葉の観光PR動画のようだ)
後日、伊能のことをより詳しく調べた加藤が告げた衝撃の事実、その内容はという流れで、時代劇パートに入る。
磐石のキャスティングで、演技面は何の不安もない。中井貴一の喜劇俳優ぶりには磨きがかかっているし、賑やかしのバイプレイヤーに徹するマツケンがとても新鮮だ。平田満に橋爪功に岸井ゆきの、面子の安心感と微笑ましいやり取りに癒されてこちらも笑顔になった。
現代パートと同じ顔ぶれで繰り広げる時代劇パートは、喜劇調のユルさがあるとはいえ、一部でも演技があやふやだったら学芸会っぽくなりそうなもの。でももう皆さんさすが、演じ分けてます。見る側も、すんなり江戸時代に入っていける。
そして、脚本家加藤と一緒に知識として聞いた当時の測量や地図制作を、今度は現場で目の当たりにする。歩幅で測る現地測量、手書きでの計算と記録の工程。あんな気の遠くなるような作業を伊能が生前55歳で始めて17年、弟子たちが引き継いで3年。
本作には生前の伊能は一切出てこない。だが、自分たちの命を賭して(伊能が亡くなったことを幕府に伝えれば地図制作は頓挫、死亡を秘匿していることが明らかになれば死罪)日本地図完成へと邁進する弟子や家族の姿から、彼らにそこまでさせる在りし日の伊能の情熱がはっきりと伝わってくる。そこかしこに散りばめられた落語らしいユーモアでほぐされた心に、執念の偉業と弟子たちの忠義が沁みた。
北川景子は「あの」役も自ら演じたのだろうか?わざわざ代役立てる意味もなさそうだし。なかなかやるなあ、好きになった。
ラストは落語のオチらしく落としてあり、伊能イズムが現代に息づいた瞬間でもあって、とても爽快だった。
年齢を重ね、人生の方向性があらかた見えてくると、ともすれば減ってゆく残り時間に心が折れ、新しい目標を探しそこを目指す気力を失いがちだ。
選択肢や手段の多い現代でさえそうなのに、理由なしには国内移動さえ自由でない江戸時代に生きたこの学者の、壮年を過ぎてなお衰えないエネルギーはどうだろう。それは立川志の輔を動かして創作落語を作らせ、中井貴一はその落語に感動して、渋る志の輔師匠に映画化を直談判し、企画に名を連ねた。(この辺が、作中で脚本家宅に日参する池本の姿にオーバーラップするのも面白い。)一人二役というキャスティングには、時代が違っても人間はそんなに変わらない、現代で偉人と言われる人々も、当時はただその時代を必死に生きていただけというメッセージをこめたとのこと。
いつの時代も、どこにいても何歳でも、新しく日々何かを積み重ねることは例え小さくても尊いものであり、そこから可能性の扉は開かれる。志の輔師匠が感じた鳥肌モノのちゅうけいさんのパワーと希望を、私もこの映画から受け取った。