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一見ホラーだが、主人公ティンヤが母親の精神的な束縛から抜け出し、自我に目覚める物語に見えた。
母親の太腿の傷は、昔彼女が怪我で自分の夢(スケートだったっけ)を諦めたことを匂わせる。その反動が、家族も巻き込んだインスタ映え生活と、娘への過剰な期待だろう。当初ティンヤは体操の大会入賞へと邁進することに疑問を持っていなかったが、ためらいなくカラスの首を捻る母の姿を見たことをきっかけに、彼女の心にわだかまりが宿る。
彼女が拾い、どんどん大きくなってゆく卵は、そのわだかまりが投影されたものに見えた。ティンヤ自身、そのもやもやとした気持ちが何に対するものなのか自分でも明確には分からない段階が、卵として表されている。
卵の孵化は、母親の言動に対する違和感や反発心、人間が当たり前に持つ負の感情をはっきりと自覚したということ。理想的な家族としての生活を母親から実質的に強制されてきたティンヤは、そういった感情を意識の下に押し込めて生きてきたのだろう。その自覚は自立心の芽生えだが、母に言われるままに育ってきた少女にとっては、これまで信じてきた母親と自分自身のあり方の否定にも繋がる、恐ろしい考えでもある。序盤のアッリの外見の不気味さは、その恐ろしさを象徴している。
アッリはティンヤの心に浮かんだ負の感情の対象に危害を加えてゆく。自分の手を噛んだ隣人レータの飼い犬、自分より体操が上手くて母を不機嫌にさせたレータ、自分よりも母親の愛を引きつけた浮気相手テロの子供。アッリの所業を恐れつつも、ティンヤは本当の親鳥のように、吐き戻した餌をアッリに与えて育む。成長するにつれ、アッリの外見はティンヤに近づいてゆく。アッリは感覚的にティンヤと繋がっていて、アッリが傷つけられるとティンヤも痛みを感じる。それは、彼ら二人が一体であることを示唆している。
最後に母親がアッリに気づき、ティンヤとともに包丁を持って立ち向かおうとする場面は、一見母娘の和解と共闘のようにも見えるが決してそうではない。母はアッリさえ倒せば全て解決すると言っていたが、アッリは母のねじれた欲求の捌け口にされ押し潰されたティンヤ自身でもある。母はそのことに目を向けず、娘の心の思惑通りにならない部分を消そうとしたに過ぎない。
そもそも、本作で一番恐ろしいのは母親だ。キラキラ生活を動画で晒すのは好みの問題だからあえてどうこう言わないが、浮気のことまでキラキラ要素であるかのように娘に(娘の反応も仔細に確認せずに)話すし、ライバルに負けると体操の大会のライブ映えが悪くなるからと娘にスパルタ。浮気相手に振られてハンドルに頭を打ちつけるのはもうドン引き。もはや母親がメインキャラのサイコホラーだ。映画の締めだからといって、こういう毒親と茶番のような和解をする必要は一切ない。
ラストで、母が育てた「親の言うことを聞くティンヤ」が刺され、見た目までほぼティンヤに変貌したアッリが覚醒する。いい子を演じる親の操り人形から脱する苦悩と自立の物語としては、痛快なハッピーエンドだ。