コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第306回
2020年12月23日更新
ゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会(HFPA)に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリストの小西未来氏が、ハリウッドの最新情報をお届けします。
パンデミックで激変した2020年のハリウッドを総括
世界を襲ったパンデミックは、いまもあらゆる人々に影響を及ぼしている。欧米でワクチンの接種が開始し、トンネルの先に光が見えはじめたいま、映画界を中心に2020年をじっくり振り返りたいと思う。
新型コロナウイルスが感染拡大しはじめたとき、多くの映画ファンの脳裏をよぎったのは、2011年のパニック映画「コンテイジョン」だっただろう。マット・デイモンやケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウらオールスターキャストが出演した同作は、中国発の謎の殺人ウイルスが世界で拡大していく恐怖を描いたサスペンス映画だ。感染者がゾンビ化するような空想物語ではなく、新種の感染病が広まるシナリオを丁寧にシミュレートする物語展開ゆえに、公開当時はそれほど注目を集めなかった。が、現実世界で感染力の強いウイルスが無差別攻撃をはじめると、9年前の映画が未来を予言していたことに気づいた。幸いなことに、新型コロナウイルスは「コンテイジョン」に登場するウイルスよりも致死性がずっと低かったが。
同作を手がけたスティーブン・ソダーバーグ監督は、新型コロナウイルスの到来をどう見ていたのだろうか?
最近、米動画配信サービスHBO Max向けにメリル・ストリープ主演の新作「Let Them All Talk(原題)」を完成させたソダーバーグ監督は、「『コンテイジョン』で一緒に仕事をしたコンサルタントはみんな、この種のパンデミックは避けられないと語っていた」と振り返る。「“もし”の問題ではなく、“いつ”の問題だと。実際に起きたことは、かつて米疾病予防管理センター(CDC)の人たちが言っていたことと一致していたので、とくに驚きはしなかった。長期間家にとどまれるように、物資の備蓄をしただけだ」
「コンテイジョン」と違っていたことがひとつある、とソダーバーグ監督は付け加える。それは、新型コロナウイルスがフェイクであると噂が広まったり、マスクの着用に大勢が反対したり、アメリカ国民が感染対策で一致団結できなかったことだ。「『コンテイジョン』でパニックを煽るジュード・ロウのキャラクターは、いわば大きな和音のなかのひとつの音にすぎなかった。だが、実際には、それが大きな和音を生みだしていた。これは私にとっても(脚本家の)スコット(・Z・バーンズ)にとっても驚きで、想像力を欠いていたと認めざるを得ない」
政治のみならず、パンデミックへの対応ですら二分されてしまっているアメリカが、世界有数の感染大国になったのは必然と言えるだろう。
さて、映画界の現状はどうだろうか。
「ワンダーウーマン1984」は、一部の国で12月16日(日本では12月18日)から劇場で封切られているが、アメリカでは12月25日にワーナーメディアの動画配信サービスHBO Maxで配信を開始。同日、ドルビー・シネマやIMAXといったプレミアム劇場で上映されるものの、事実上はストリーミング行きだ。
「もしも1年前に、『ワンダーウーマン1984』が動画配信サービスで直接提供されると聞いていたら卒倒していた」と、前作に引き続きメガホンをとったパティ・ジェンキンス監督は言う。
製作費2億ドル以上の超大作映画が、劇場公開を経ずにストリーミング配信される。ジェンキンス監督のみならず、1年前にこんな展開が待ち受けていると予想できた人はいないはずだ。
映画が劇場公開されてからDVDやオンデマンド、定額制配信サービスを通じて家庭で視聴できるようになるまで、タイムラグが存在するのが当たり前だった。この期間を“シアトリカル・ウィンドウ”と呼び――ウィンドウには“期間”という意味もある――映画の宣伝効果を生かすために1日でも短縮したいスタジオ側と、観客を動員し続けたい劇場側が長年にわたり綱引きを繰り広げており、ここ数年は90日前後で推移していた。
だが、新型コロナウイルスが状況を一変させた。感染対策として映画館が閉鎖を余儀なくされたため、均衡が崩れたのだ。
口火を切ったのは、ユニバーサルだった。
「ワイルド・スピード」や「ミニオンズ」といった大ヒットシリーズの最新作を公開延期する一方で、4月10日に全米公開を予定していた「トロールズ ミュージック★パワー」を、劇場公開と同時にオンデマンド配信にした。これが大成功を収めたため、ケビン・ベーコン主演の「レフト 恐怖物件」や、ジャド・アパトー監督の最新作「The King of Staten Island(原題)」などの小・中規模作品をつぎつぎとオンデマンド配信に切り替えていく。
2つの目の転機は、「TENET テネット」の全米公開だった。
米ワーナー・ブラザースはクリストファー・ノーラン監督の強い要望を受けて、8月26日から各国の映画館の再開状況に合わせて「テネット TENET」を段階的に公開。ようやく再開したものの、観客を動員するためのコンテンツが不足している劇場の支援を目的にしていた。蓋をあけてみれば、世界市場では2億9300万ドルという成績を収めたものの、北米では5300万ドルと惨敗。アメリカではロサンゼルスやニューヨークなどの主要都市の劇場が閉鎖されていることに加えて、再開した劇場も大半が定員制限を設けていたためだ。さらに、たとえ安全対策がどれだけ施されていても、パンデミックの最中に映画館に足を運びたいと思う観客が少ないことが証明されたのだ。
「TENET テネット」の北米興行失敗をうけて、年内公開を予定していた「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」や「デューン 砂の惑星」といった大作映画の公開が相次いで2021年に延期となった。劇場の救世主として期待されていた「TENET テネット」が、皮肉にも興行界の首を絞める結果となったのだ。
シアトリカル・ウィンドウを無視したユニバーサルに対して、当初はボイコットなどの報復をちらつかせていた劇場側だったが、閉鎖が長期化するにしたがって態度を軟化。今年7月、世界最大の映画館チェーンであるAMCは、ユニバーサルと歴史的な合意に至る。シアトリカル・ウィンドウを17日に短縮するかわりに、PVOD(プレミアム・ビデオ・オンデマンド)からの収益の一部をAMCが受け取るというのだ。その後、ユニバーサルは業界3位のシネマークとも同様の契約を締結。大作映画も、劇場公開から31日後にPVODで配信できるようになった。事実上、シアトリカル・ウィンドウが3分の1に短縮されたのである。
米ウォルト・ディズニーも、新たな可能性を模索する。「ブラック・ウィドウ」や「エターナルズ」といったドル箱のマーベル作品を公開延期にする一方で、実写版「ムーラン」とピクサー最新作「ソウルフル・ワールド」を自社動画配信サービスDisney+で配信することにしたのだ。
そんな流れを受けて、「TENET テネット」で苦い経験をした米ワーナー・ブラザースは、「ワンダーウーマン1984」をHBO Maxでクリスマスに配信することを決定したのである。HBO Maxとは、親会社ワーナーメディアが今春立ちあげた動画配信サービスで、ローンチで躓いていただけに、「ワンダーウーマン1984」は新会員獲得のためのキラーコンテンツとして期待されている。
「ワンダーウーマン1984」がHBO Maxスルーとなるニュースは映画業界に衝撃を与えたものの、概ね好意的に受け入れられた。全米で感染者が再び急増しており、ロックダウンに入っている州も少なくない。暗いムードが漂うなかで、ポジティブなメッセージを持った娯楽大作は格好の気晴らしを提供してくれるはずだからだ。
だが、その後、ワーナーは大きな爆弾を落とす。21年のラインナップ全17作品を、劇場公開と同日にHBO Maxで配信すると発表したのだ。コロナ禍の特別措置という前置きはあるものの、シアトリカル・ウィンドウの廃止を宣言したのである。
この発表が瀕死の米興行界の怒りを買ったのは想像に難くないだろう。だが、今回の決断は、映画監督や俳優といったクリエイター陣も激怒させた。なぜなら、ワーナーメディアとワーナー・ブラザースとHBO Maxの3社は、HBO Maxストレートにされた17作品の製作陣や出演者に根回しすることなしに、今回の発表を行ったからだ。
ワーナーグループの行動を、クリストファー・ノーラン監督はハリウッド・レポーターで厳しく批判した。「映画界でもっとも偉大なクリエイターや重要な俳優たちは、世界最高の映画スタジオで働いていると思って眠りについたのに、今朝、目が醒めたら、最低のストリーミングサービスのために働いていることを悟ったのです」
彼らが怒っているのは、自作が家庭のテレビや携帯端末で消費されることになったという、視聴環境の劣化だけじゃない。ハリウッドのヒットメーカーやビッグスターは、興行収入のなかから一定額を受け取る、いわゆるバックエンド契約を結んでいる。だが、ストリーミングで配信されると、これが消滅してしまうのだ。
そのため、ワーナー側はHBO Maxでの「ワンダーウーマン1984」配信を説得するために、ジェンキンス監督とガル・ガドットには彼女たちが受け取るはずだったバックエンド収入分として、それぞれ1000万ドルのボーナスを支払っている。
だが、17本の製作者と出演者にはそれらのオファーは一切ない。それどころか、発表当日までHBO Maxで配信することも知らせていなかったのだ。
製作パートナーとの関係にもヒビが入った。HBO Max行きを告げられたモンスターバース最新作「ゴジラVSコング」は、1億6500万ドル程度といわれる製作費の75%をレジェンダリーがパートナー企業とともに負担している。最近、レジェンダリーはNetflixに2億2500万ドル程度で売却する方向で話を進めていたが、25%を負担したワーナーによって止められた経緯がある。HBO Maxが、Netflixの提示額に匹敵する額をレジェンダリーに用意できなければ、訴訟問題に発展する可能性もある。同じ出資比率でレジェンダリーが手がけた「DUNE デューン 砂の惑星」にしても同様だ。
ワーナー・ブラザースといえば、メジャースタジオのなかでも、もっともタレントを大切にする映画会社として知られていた。だからこそ、クリント・イーストウッド監督やクリストファー・ノーラン監督といった巨匠たちがホームとしてきた経緯がある。実際、メジャースタジオのなかでは商業性と作家性とのバランスが、もっとも取れていると思う。
だが、2018年に米通信大手AT&Tが買収したことで、すべてが変わってしまった。バラエティに寄稿した手記で、「DUNE デューン 砂の惑星」のドゥニ・ヴィルヌーブ監督は怒りの矛先をAT&Tに向けている。
「今回の決定により、AT&Tは映画史のなかでもっとも尊敬すべき重要なスタジオのひとつをハイジャックしてしまった。今回の決断には映画への愛も、観客への愛もまったくない。すべては、現在1500億ドル以上という天文学的な負債を抱えている通信大手企業の存続のためでしかない」
この年末、映画関係者のあいだでは、ワーナーが落とした爆弾の話題でもちきりだ。AT&Tは映画作りを何もわかっていないとか、いや、ストリーミングこそが未来だとか、さまざまな議論が交わされている。
ますます映画界の先行きが不透明になったいま、あらためてソダーバーグ監督に聞いてみることにした。
ソダーバーグ監督といえば、家庭用ビデオやiPhoneで映画を製作したり、劇場公開と同時にオンデマンド配信したりと、映画の新たな可能性を模索してきたことで知られる。そんな彼なら、きっとハリウッドの未来像が見えているはずだ。
「映画スタジオが映画を劇場から引き上げようとしているという考えは、ばかげている」とソダーバーグ監督ははっきり言う。19年のアメリカの映画総興行収入は115億ドル、全世界で400億ドル以上もあり、これほどのビッグビジネスを見捨てる企業などあるはずがないというのだ。「いま各スタジオが取っている行動は、必要に迫られているからであって、したくてしているわけではない」
その上で、こう付け加える。「私の願いは、みんながこの議論に費やしているエネルギーを、議会で検討されている追加支援策に注ぐことだ。これこそいま、我々が焦点を当てるべきことだと思う。観客が映画館に戻る準備が出来たときに、映画館が残っていなければいけないからね。だからみんなには、『冷静なれ』と言いたいね」
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi