サム・ペキンパー

英語表記
Sam Peckinpah
本名
デビッド・エドワード・サミュエル・アーネスト・ペキンパー・ジュニア
誕生日
1925年2月21日
没日
1984年12月28日
出身
アメリカ/カリフォルニア州

米カリフォルニア州出身。第2次世界大戦では米海軍に従事し、帰国後にフレズノ州立大学でドラマを専攻、南カリフォルニア大学大学院で演劇の修士号を取得する。いくつかの映画関係の職を経てドン・シーゲル監督のダイアローグ・ディレクターとなり、同監督の「ボディ・スナッチャー 恐怖の街」(56)には俳優として出演した。

同時期にTVドラマのエピソード脚本を手がけはじめ、1961年、西部劇「荒野のガンマン」で長編監督デビュー。第2作「昼下りの決斗」(62)で注目を集めたが、「ダンディー少佐」(64)の撮影現場で酒癖の悪さや麻薬漬けの態度が問題となり、数年間仕事を失う。

西部劇の傑作となったヒット作「ワイルドバンチ」(69)でアカデミー脚本賞にノミネートされて以降、キャリアは復調し、「砂漠の流れ者」(70)や現代劇「わらの犬」(71)から、唯一の戦争映画「戦争のはらわた」(77)、「コンボイ」(78)までほぼ1年に1作のペースで監督作を発表、バイオレンス映画の巨匠の地位を確立した。1984年12月、カリフォルニア州イングルウッドで心不全のため59歳で逝去。

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