岡田裕介
慶應大学在学中の1969年、テレビドラマ「レモンスカッシュ4対4」で俳優デビュー。70年には「赤頭巾ちゃん気をつけて」で映画初出演を果たしたが、「吶喊(とっかん)」(76)のメガホンをとった岡本喜八監督から指名されたのを機にプロデューサーに転身した。88年に東映に入社。父は「映画界のドン」と呼ばれた岡田茂氏(元東映名誉会長)だが世襲ではなく、2002年から東映社長、14年から東映グループ会長を務めていた。日本アカデミー賞組織委員会名誉会長、日本映画製作者連盟会長でもあり、映画産業の発展に尽力した。また吉永小百合出演作の製作を生き甲斐とし、これまでに16作品をプロデュースしている。