この物語の時代、丁度1970年代後半から80年代前半、いわゆる「文革直後の中国」をひたすら歩き、映画を撮るという形で体感した僕には、丁度あの時代のあの国の人々の生活の哀しみや痛みが、まさに実感を伴って骨身に沁みる。
当時「無産階級文化大革命」の号令に誘われて地方から都会に集中しすぎた少年少女達「紅衛兵」のその後の扱いと、革命の十年間で崩壊した「教育」に悩んだ中国政府は有識学生の地方への半強制的な移住政策を進めた。
いわゆる「下放政策」だが、やがてそれは危険分子と目される学生達へのみせしめのような性質を濃くした。
僕が中国へ行ったのはその頃のことだ。北京大学卒や武漢大学卒という下放農民に沢山会った。
彼らの文化的苦悩や生活苦にも触れた。一方で希望を見失う見識ある若者、他方では一体自分の国で何が起きているのかも知らない大多数の人民との温度差に驚いたものだ。
嵐のような価値観の変化に翻弄され、貧困と戦いながら当時を生きていた地方都市の小さな家族にとって「生きること」とは正にこの物語のようだったと思う。
人は精一杯生きているからこそ、どこか滑稽で切ない。
また、人は冷酷で狡猾だが情という温度によってかろうじて心を冷え切らさずにいられるのだ。
僕にはこの物語からそんな「生きることに一途」だった心の時代への切ない鎮魂歌が聞こえる。
残念ながら物質に飼い慣らされた我々には、もはやこの家族の切なさも痛みも、多分それぞれの「愛」すら正当な温度では伝わるまい。我々ばかりか、現代の中国人にすら。
贅沢に慣れた者には「生活」の痛みは空想の域の代物だからだ。
そして息苦しく重たいこの物語の本当の力は見終わった後に発揮される。
まるで酷い打ち身の如く「お前、精一杯生きているか?」と問いかけてくるこの家族の「生きる痛み」があたかも連鎖する残像のような疼痛となっていつまでも僕の心の傲慢さを笑うのだ。
重くて痛いが、切なくて良い映画だ。
―さだまさし―(作家/歌手・アーティスト)
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