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三宅唱監督×シム・ウンギョン×河合優実、心のつかえを溶かし流してくれる“旅路”について【「旅と日々」インタビュー】

2025年11月10日 18:00

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河合優実(左)、シム・ウンギョン(中央)、三宅唱監督(右)
河合優実(左)、シム・ウンギョン(中央)、三宅唱監督(右)

ケイコ 目を澄ませて」(22)、「夜明けのすべて」(24)の三宅唱監督が、つげ義春の原作に挑んだ「旅と日々」(公開中)。台詞を抑えた作品ながら、多くの物語への旅に誘ってくれる作品となった。主演はシム・ウンギョン、共演に河合優実シム・ウンギョン演じる冬編はつげ作品の「ほんやら洞のべんさん」から、河合扮する夏編は「海辺の叙景」をベースに描かれている。夏の海辺を訪れた陰のある女性・渚(河合優実)の物語を始めようとして、鉛筆を置く脚本家・李(シム・ウンギョン)。心のつかえを溶かし流してくれる二人の旅について、三宅唱監督、シム・ウンギョン河合優実に聞いた。(取材・文/関口裕子、編集/大塚史貴、写真/間庭裕基

――まず出会いのエピソードからうかがいたいのですが、この映画へのオファー前の段階から教えていただけますか。
三宅 シム・ウンギョンさんとは「ケイコ 目を澄ませて」が釜山国際映画祭で上映されたとき、彼女から「韓国の観客に届けたいのでぜひ」と提案いただき、一緒にQ&Aに登壇したのが最初です。そのときの印象が特別なものとなったこともあって、いつか一緒にお仕事したいと思っていました。今回、シナリオを書いている途中に「この役をシム・ウンギョンさんが演じたら、役も映画そのものも面白くなるに違いない」とふと思いつき、オファーしました。シナリオ執筆中も、何度かメールでやり取りし、撮影現場でも一緒に試行錯誤し、手応えあるものにできました。
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シム 以前から、三宅監督の作品を拝見しており、特に「ケイコ 目を澄ませて」の大ファンだったので、韓国の皆さんに届けたいという気持ちが募って、釜山国際映画祭で一緒にQ&Aをやらせていただきました。いつか作品でもご一緒できたらと思っていましたので、三宅監督作品に参加できて、本当にうれしかったです。実は、「旅と日々」のシナリオを読み終わったとき、運命かもと思ったんです。「もしかするとこれ、私のことを書いている?」と。たぶん自伝を書いたら、この映画とそっくりになると思います。運命とかあまり信じないんですけど、感じましたし、何より役者としてうれしかったです。
三宅 河合さんとは以前、別の作品のオーディションでお目にかかったのが最初です。残念ながらすぐにはオファーできませんでしたが、第一印象は「とんでもない人がいるぞ」というもので、いろいろな作品で演じる姿を見て、ぜひ一緒に仕事したいと思っていました。今回、つげ義春作品から2作品選ばせていただいたんですが、そのひとつを「海辺の叙景」と決めた時点で、スケジュールを確認させていただきました。映画作りは事前にいろいろプランを立て、それはそれで準備しつつ、撮影現場で手放し、その瞬間にしか起きないことを救い取るものだと思っています。河合さんとは、あの土地を一緒に感じることができたと思っています。カメラの前の彼女が、海や夜道の恐さ、闇、あるいは美しさを全身で捉え、体現してくれたので、それがスクリーンを通して伝わると思います。
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河合 私も以前から三宅監督の作品がすごく好きでした。特に好きなのは、「きみの鳥はうたえる」。公開された2018年はお芝居をしたくて事務所に入った年で、初めて出た映画の監督さんと一緒に見に行ったんです。思い返すと、同時期に濱口竜介監督の「寝ても覚めても」も上映していて……。
三宅 知ってる? 濱口さんの「寝ても覚めても」と、ポレポレ東中野でやっていた(山中瑶子監督の)「あみこ」と、「きみの鳥はうたえる」は、全部9月1日同日公開だったの。
河合 そうなんですか! あのとき、「今、日本に、こういう映画を作っている人たちがいるんだ」と、ざわざわした不思議な興奮があったんです。その頃から一緒にお仕事できたらと思っていたので、お話をいただいたとき、とてもうれしかったです。「旅と日々」に参加して、三宅さんの映画作りを拝見し、映画祭にも参加させていただいて、ハッと気づくことがすごく多かったんです。作品への参加という形で出会えたのは大きな意味があったと思っています。
画像4(C)2025「旅と日々」製作委員会
――映画の中で、「脚本と出来上がったものが違うことがあると思いますが、この映画を見たときの感想は?」とシム・ウンギョンさん演じる李が、大学の講義で質問される場面がありました。三宅監督に同じ質問をしてもいいでしょうか?
三宅 あのときの答えは、まさに自分が撮影中に感じていたことも反映されています。映画の冒頭で、シム・ウンギョンさん演じる脚本家の李が、「女性が車の中で目覚めて起き上がる」と1行書きます。車の中に寝そべっている河合さんが起き上がる。僕らの台本にも同じことが書かれている。でもカメラが回ると、脚本には書かれていない波の音、雲の流れ、体の重さ、肌が感じる空気がウワッと立ち上がって、脚本家の想定を超えてくるわけです。僕としては、これこそが映画を作る喜び。それが全シーンにわたって起きていく。お芝居も、天候もそうです。予想を上回るものに驚きながら、脚本家としては李さんと同じように「全然想像できていなかったな」とショックを受けつつ、監督としては映画を作ることができることを幸せだなと感じました。
画像5(C)2025「旅と日々」製作委員会
――三宅監督は脚本も書かれるわけですが、李さんとご自身に重なる部分はあるのでしょうか?
三宅 まず李を脚本家にした背景には、つげ義春さんがご自身をモデルに私小説的な手法で漫画を描かれたということがあります。僕も自分にいくらか似た要素を登場人物に加えたので、いくらか重なります。ただ、つげさんのように虚実入り混じるように書いてみたつもりなので、完璧に一致するわけではありません。
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――そんな脚本家の李さんには悩める人間を感じ、とても愛おしく思いました。シム・ウンギョンさんは演じられて、映画の世界で仕事をされる李さんに近しい部分、シンパシーを感じる部分はありましたか?
シム そうですね。李さんは大学の授業で、「自分は才能がないなと思いました」と学生さんの前で言いますが、この台詞には台本を読んだときからグッときていました。ある意味で李さんは勇気のある人間だというか。私も自分に足りなさを感じたり、お芝居を続けていくべき役者なのかとよく悩みます。悩みは常にあるもので、無くすことのできない自分の一部だと思っています。その部分にはシンパシーを感じながらも、先生のお話を思い出して、ふと旅に出てしまうところには、私とはまた違う人間だなと感じて。李さんに刺激を受けたり、共感したり、振り返って自分のことを考えてみたりしていました。
画像7(C)2025「旅と日々」製作委員会
――どんなに素晴らしい功績をあげた方でも、他者には分からない悩みがあるもので、それはどんな賞讃を受けようとも解決するものではなく、人間の中に横たわるものなのでしょうね。そんな李さんの悩みが、監督自身の悩みでもあるように、深読みの余地を残した三宅監督の脚本も楽しめました。
三宅 そうですか。
――河合さんが演じた渚は、そんな李さんが書かれたキャラクターです。一見、だいぶ異なるように見えますが、一部は李さんであり、李さんの思いの片りんを感じる部分もありました。河合さんは演じられてどのように感じられましたか?
河合 確かに、そうですよね。撮影時は、劇中劇であるとか、フィクションだとか考えずに演じていいと思うと言われていたので、ただ夏編という映画を撮るつもりで臨みました。だから李さんのキャラクターも冬編も含めた完成した作品を見ていろいろ発見したほどで。私としては、渚はどういう人なのか掘り下げるより、できる限り何もせず存在することに挑戦した感じで、渚と夏男(髙田万作)を含む景色を撮ってもらうことがゴールだと思っていました。ある意味、それが李さんの描く世界だと言えるのかもしれませんが。役の気持ちよりも、夏男との関係や、夏の島という場所、その空気をとらえたいと考えていました。
――観客側からすると、渚と李さんの関係性が面白いわけです。渚は、李さんの中から生まれたキャラクターですが、近いようで遠い。そもそも見た目で理解できる人間などいないように、お二人で一人の人間の複雑な内面を表現されているように感じられ、ふと気づいて、わーっと叫びたくなるような面白さを感じることがありました。
河合 そういう感想をいただけると、一緒のシーンこそありませんでしたけど、共演できてよかったなと思いました。
シム ね。
――つげ原作の中から、この2作品を選ばれたのはなぜだったんでしょうか?
三宅 スタートは、夏と冬を同時に見ることができたら、きっと面白いんじゃないかという直感からです。「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」を並べることで、共通するテーマやいろいろなものが際立つんじゃないかと。
画像8(C)2025「旅と日々」製作委員会
――原作として選ばれたのはこの2作品ですが、テーマやシチュエーション、アイテムや固有名詞など、それ以外の作品の要素もたくさん入っていますよね?
三宅 そうですね。新しいアイデアを付け加えているものもありますが、つげ作品の他の作品世界に、何らかリンクさせたいなと考えていました。
――そのひとつでもあると思いますが、食事のシーンが非常に興味深かったです。つげ原作も、食をフィーチャーするわけではありませんが印象に残ります。映画の場合、島の天草で作ったであろうみつ豆、恩師だった魚沼教授の弟さんが作られた蕪のスープ、前の客が宿泊してからどのくらい経っているのかと思わせる雪国の宿の亭主・べん造(堤真一)の作ったイワナの炭焼き。夏なのに死の匂いを漂わせる渚が、みつ豆を食べることで生を感じさせるんです。それぞれ召し上がった食べ物で感じたことを教えていただけますか? 三宅監督も。
三宅 僕は最後ですね。最後に言い訳を言えばいいんですね(笑)。
シム (佐野史郎演じる)魚沼教授の弟さん(佐野さん二役)がふるまう蕪のスープ、本当においしかったんです。だからもっと食べたかったのに、「李さんの感情としてはあまり食べないでしょうね」と言われたので、口元までは運ぶんですがずっと食べないでいて……(笑)。でも正直、これ自然に見えるのかなと思っていたんです。
三宅 「少し引っかかります」と言っていたよね。
シム ひと口ぐらい口に入れてもいいんじゃないかと思っていたんですが、監督が「あまり口に近づけないようにしてください」とおっしゃるので(食べないように)頑張りました。でもとてもおいしかったので、どうしても食べたかったというエピソードです(笑)。もうひとつ、べん造さんの宿の絶妙にしょぼい朝ごはんですよね。釣ってきたイワナを頑張って焼いてくれる堤さんの後ろ姿のお芝居が、すごく面白かったんです。その姿を見たから李さんは、「大丈夫かしら?」と懸念しつつも食べようと思う。お腹も減っていますしね。そういう気持ちで演じました。
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――錦鯉、金兜の炭焼きは食べたんですか?
シム あれはちょっと。
三宅 「食べたい」と言われたけど、「だめ」って言ったんだったっけ?
シム いいえ。「もしかすると(李さんの気持ちとしては)食べちゃうかもしれない」と言ったんです。でも「いや、さすがにどうでしょうね」と。食べてしまったら面白すぎますし、ユーモアのバランスのために止めておこうとなりました。
三宅 そうだった、そうだった(笑)。
―――河合さんが食べた、みつ豆はいかがでしたか?
河合 みつ豆のシーンはすごく記憶に残っています。海辺での雨降らしのシーンだったんですが、タンク車が呼べないのと環境的な問題から、海からポンプで海水を引っ張って降らしているんですね。当初、さほど危惧してなかったんですけど、やってみると海水がみつ豆に入るのですごくしょっぱくて(笑)。おいしく作ってくださったはずなんですけど、あまりのしょっぱさに我慢できませんでした。
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――あのみつ豆の寒天の天草は、島で取れたものですか?
三宅 確かそうですね。ただ、その代わりというわけでは決してないんですが、実は、夏編の撮影にシェフが帯同していまして、日々の食事も他の現場では考えられないようなおいしいものを毎日食べることができたんです。
河合 「神津島でフレンチ!?」みたいな。
三宅 実際、フレンチのシェフだったんですよ。幸せな現場でしたね。
――シム・ウンギョンさん、いま「え?」という顔をされました?
三宅 「冬編に連れてきていないじゃん」って思ったでしょう? でも1回来てくれた。教授の家での撮影に。スープのシーンの後、彼がランチを振る舞ってくれたのは食べていない?
シム ないです……。
三宅 食べられなかったんだっけ? ごめん!
シム いいなあ。でも冬編のお食事もおいしかったですよ。うどんもありましたし。
三宅 (ロケを行った)庄内は、食べ物がおいしいですもんね。そういえば、今、話を聞いていて気づいたことがあります。映画の中に登場する食の演出、意識的ではないんですが、振り返ると天草にしても、蕪のスープにしても、誰がどう作ったか、映画の中で丁寧に作り方の説明をしていますね。うどん屋さんでは調理するシーンを撮り、宿でも堤さんの調理シーンがある。ポンと出すのではなく、誰かが作っているから食べ物が出てくる。無意識でしたが、いま共通点に気づきました。そういえば、映画を見てくれた友人からも「飯テロ」、「お腹のすく映画だった」と言われました。作っている場面があるから、そう思うのかなと思いました。まあ、単純にみんなのお腹が空いていたからかもしれませんが(笑)。
河合 冷たい、熱いなど質感がある映画だからそう感じやすいのかもしれないですね。
三宅 なるほど。確かに。
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――人は生きるために食べなきゃいけない。その食材をどこから調達してくるのか。例えば、イワナを「どうやって調達したんですか?」と聞くシーンがあり、「釣ってきたんだよ」と答える。島の産業のひとつである天草に関しても、その歴史的経緯を渚に辿らせる。この映画は、生きるために必要なこと……、人が生きることについて問い、しっかりと、でも気づかぬうちに考えさせてくれるんです。
三宅 確かにそうだ。映画って恐ろしいですね。
――恐ろしいですねじゃありません。シナリオは監督が書かれたんじゃないですか?
三宅 すいません。
――本当に丁寧にシナリオを書かれているのだと感じました。だから、食が印象に残り、お腹がすいてしまうんでしょうね。渚と李さんの設定でそれぞれ印象に残ることがあります。渚でいうと中指を怪我していること。あれはどういう意味なのでしょうか?
三宅 原作にはない設定ですが、ミシンを使う人であることから僕がそう書きました。渚は、人間関係に疲れ、全部放り出して島にきた。でも島に行ったところで自由になれるわけではない。そんなのことを事細かに描くより、目の前に包帯があれば、簡単に海に入れないし、それを見るたびに彼女の気持ちが怪我をした時点に引きずり戻されるのが分かる。
――彼女を解放しないのは、指の先にある小さな傷なんですね。
三宅 小さくても、指の先にあるから気になる。自分の体が思うようにならない、空っぽになりたいのになれないことに対する苛立ちですね。それを中指にした理由は……、なんなんでしょうね。中指を立てられない、怒りの感情をうまく表現できない、ということにします。半分ジョーうですけど、人差し指よりは中指なんじゃないかしらと。
河合 原作にも、脚本にも、あまり拠りどころがなかったので、足してくださった中指の怪我は、一つ背景を想像する大きな要素になりました。この傷は、私が逃げてきた世界から持ってきたものなんだと思っていたのと、包帯を取ったときの臭いや痛みを想像させて、渚が生きている実感が強まるなと考えていました。
――冬編では、李さんの泊まった宿の襖に、場違いな感じの素晴しい日本画が描かれています。あれは何を象徴されたものなのでしょうか?
三宅 襖についてもっと触れるエピソードもあったんですが、カットしたんですね。あの画の風景は、夏編の島に似ていますよね。
シム きっとそのシーンがなくても、不思議な宿であるということは十分伝わるのでなくされたんだと思います。でも後で、ちょっと色気を出したべん造さんから、「うちのこと、俺のこと、書いたらどう?」と言われて。彼女は、脚本家だから、そもそも観察する習慣があるんだと思うんです。そのひとつとして「その襖絵はどなたが描いたものですか?」と聞く。
――あの宿では、どんなことが起きていてもおかしくないような気がしますね。
シム はい。
――何かで無理やり描かされたんじゃないかとか、妄想は広がります(笑)。
シム うさぎの名前がピョンちゃんとなっていることにも、李さんとしては好奇心をかき立てられます。台詞にもありますが、彼女が「家族で経営されていたんじゃないですか?」と立ち入ったことを聞いて、「そういうのは聞くな」と言われたり。宿に残された“形跡”に、李は惹かれていくんだと思います。
――そういう意味で、この映画の美術や衣装も雄弁です。李さんのコートだったり、渚の強風になびくスカートだったり、お二人の演技をさまざまにサポートされたのではないかと思いますが。
シム 李さんのトレードマークは帽子だと思うんですが、映画の中であの帽子が風で飛ぶシーンはとても意味深く感じられ、あの偶然がとてもうれしかったです。あの帽子をかぶるとなぜかは分かりませんが、より異邦人に見えるような気がするんです。帽子は、正解だったなと思っております。
河合 渚が着ていたスカートは、巻きスカートになっていますが、開きすぎないけどたなびくように針を入れてくれたりと調節されていました。シャツを選ぶときも、つげさんの漫画にある色気、夏編に欲しい色気や、風邪になびいてしまう不安定さは必要なものの、女性性に偏らない健康的な感じがあり、すごくいいバランスの色と形を選んでくれたなと思いました。
――嵐を連れてくるスカートという感じ(笑)。画として見えるものからも、演技や台詞からも、多くのものを受け取らせてもらいました。

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