オノ セイゲンPresents<映画の聴き方> Vol3. 加藤和彦さんの話 「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」相原裕美監督と対談

2024年6月8日 08:00


相原裕美監督(後方)とオノ セイゲン
相原裕美監督(後方)とオノ セイゲン

坂本龍一さんの「戦場のメリークリスマス」サウンドトラック(1982)録音に参加したことで知られる、世界的音響エンジニア、オノ セイゲンさんに映画と音、音楽についてのさまざまなトピックをきく企画<映画の聴き方>。

難しい専門用語は少な目に、音の調整の仕事について、また一般の映画ファンがより良い音と環境で映画を楽しむための秘訣や工夫をわかりやすく語っていただくコーナーで、時にはゲストとの対談も。

今回は、セイゲンさんと交流のあった音楽家、加藤和彦さんのドキュメンタリー「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」の公開を記念し、「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」(18)、「音響ハウス Melody-Go-Round」(20)などを手掛け、セイゲンさんと旧知の仲であり、今作「トノバン」で音声マスタリングをセイゲンさんに依頼した相原裕美監督との対談をお届けします。

卓越したセンスと才能で現在も多くのミュージシャンのリスペクトされ続ける加藤和彦さん
卓越したセンスと才能で現在も多くのミュージシャンのリスペクトされ続ける加藤和彦さん

映画は、「帰って来たヨッパライ」「あの素晴らしい愛をもう一度」などで知られ、日本のポピュラー音楽史に残る数々の名曲を生んだ加藤さんと、サディスティック・ミカ・バンドで活動した高橋幸宏さんの加藤さんへの想いから企画が立ち上がり、日本初のミリオンヒットを生んだザ・フォーク・クルセダーズ結成秘話、サディスティック・ミカ・バンドの海外公演やレコーディング風景などを交え、生前の加藤さんをよく知る人々が思い出を語る貴重映像、高野寛高田漣坂本美雨らによって新たにレコーディングされた「あの素晴しい愛をもう一度~2024Ver.」などを収録したドキュメント。

1960年代から90年代、日本の音楽史を変えた不世出の音楽家として知られる加藤さんは、70年代後半にはYMO結成前の若き日の高橋幸宏さん、坂本龍一さんらを起用してアルバム制作を行うなど、才能あふれるミュージシャンを発掘する目利きとしても名高い。そんな音楽史の後半(1987~2009)を体験してきたセイゲンさんと相原監督が当時を振り返りながら、加藤さんの思い出を語ります。


▼「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」製作の経緯

――今作は、高橋幸宏さんの言葉がきっかけで作られたそうですね。

相原監督(以下相原):2019年製作の「音響ハウス Melody-Go-Round」に幸宏さんが出演してくださって、初号試写の後の打ち上げ時に、幸宏さんがいろんな話の中で「加藤和彦さんはもっと評価されてもいいんじゃないかな?」と仰って、それをなんとなく思い出したんです。

僕ももともとは音楽業界で働いていたので、もちろん加藤さんのことを多少は知っていましたが、それほど詳しくはなく、仕事もしたことはなくて。それでCDを買ったり、本を読んだりして、すごい方だなあと改めて認識しました。それで2020年の春頃から映画にしようと考え、いろんな方々に会って話を聞いたり、紹介していただきました。

僕は今64歳で、小学生の頃「帰って来たヨッパライ」がラジオやテレビで流れていました。そしてサディスティック・ミカ・バンドもリアルタイムで聞いて、20歳前後ではヨーロッパ三部作(『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル エキセントリック』)もYMOとともに気になっていました。でも、すべて音楽的に全く違うので、加藤さんの具体的な人間像のイメージが当時は湧かなくて。この映画を撮り始めて、多面的な加藤和彦という音楽家を知っていった感じです。

セイゲンさんは加藤さんといろいろと仕事をされていたんですよね。

サディスティック・ミカ・バンド
サディスティック・ミカ・バンド

▼世界を股にかけた加藤和彦さんの仕事

オノ セイゲン(以下オノ):本人と初めてお会いしたのは1987年秋です。この映画はそれ以前の時代についてですね。僕がコム デ ギャルソンのショーに急遽1曲付け足すことになり、偶然パリに居たジョン・ルーリー(ラウンジ・リザースのリーダー、「パリ・テキサス」で役者)と録音していた時でした。加藤さんは別の大きい部屋でストリングス(弦楽)のダビングをしていて、フランス人の友人がコーディネーターで紹介してくれたのです。加藤さんが僕なんかのことを知っていてくれたのが、すごく嬉しかったのを覚えています。安井かずみさんとご一緒でパリがよく似合うご夫妻でした。

この映画のために資料を整理していたら1993年にいただいたサイン入り全CDの束がありました。仕事をするようになったのは、2001年のある日、加藤さんが紀ノ国屋のワインとチーズを持って、僕のスタジオにふらっとやって来て「セイゲン、モスクワにキャビア食いに行かない? マスタリングも録音もやってもらおうか」と、その仕事はモスクワ交響楽団とポリショイ歌劇団の厳選メンバーによる80人のオーケストラの一発録音で、市川猿之助 (3代目)さん総指揮のスーパー歌舞伎の音楽でした。空港からVIP待遇で税関もノーチェックでそこから驚きましたよ。そして2002年「次は、アコギのすごいやつがあるから、セイゲン頼むぞ」って。それがザ・フォーク・クルセダーズの再結成アルバム「戦争と平和」の件でした。

加藤和彦さんのサインの入ったアルバム「マルタの鷹」
加藤和彦さんのサインの入ったアルバム「マルタの鷹」

それまでは相原監督と同じく1リスナーです。この映画を通じて加藤和彦さんという天才が広く若い人に知られたらいいな、と思います。相原監督の目線は新鮮なんです。まったくの俯瞰ですから。加藤さんって新発明みたいなことを毎回試していくアーティストで、スタイルがどんどん変わっていくのをうまくまとめましたね。

ベルリンは、70年代にデヴィッド・ボウイの「LOW」で有名になった、ハンザ・トン・スタジオで録音していて、当時、西側のアーティストが一番行きたいスタジオだった。第2次世界大戦後のベルリンの壁の横にあってホール(今はないらしい)は連合軍の将校クラブだったのです。東側の体制を感じられるということで、多くのミュージシャンがエッヂなものをつくるために通ったのです。

相原:もともとはブライアン・イーノがベルリンに住んでいたんだよね。加藤さんはボウイのようなグラムロックに惹かれてサディスティック・ミカ・バンドを作ったわけだから、「LOW」の影響はあったのかもしれないね。

セイゲンさんがパリで加藤さんに会ったときは、87年にリリースした「マルタの鷹」というアルバムのレコーディングで滞在されていたようです。フランスのシャトースタジオは、田舎のスタジオで電圧も不安定で、シャワーもお湯が出ない、楽器も届いてないという感じだったみたいですね。「ポリス」とかも使っていたからいいだろうと思ったらしいんですが、響きのために場所が広くて大きいだけで他は何もないから設備の面でえらい苦労したみたいです。

オノ:さすがドキュメンタリー監督の調査・取材力! その後シャトースタジオでミックスしたんですね、きっと。相原監督の時代考証と記録としてのレコードがトリガーとなって、これで87年の秋のパリが見えた(笑)。

相原:「帰って来たヨッパライ」のようなフォーク、そしてサディスティック・ミカ・バンド、ヨーロッパ3部作、加藤さんの音の作り方の変遷でセイゲンさんは気になったことはありますか?

ザ・フォーク・クルセダーズ
ザ・フォーク・クルセダーズ

▼常に新しいものを生み出す加藤和彦さんの才能。そして思い出

オノ:それは響きへのこだわりですね。それは楽器の音だけじゃなくて。楽器をどこに置くかで初期反射音が変わります。そういったことを加藤さんと一緒にやっていたのが、ザ・フォーク・クルセダーズ再結成の時。ようやくベルリン三部作を聞いて、これはハンザでの収録だとか、すぐにわかりましたね。ハンザは82年から僕も4、5回行きましたので。

相原:そんな風に音を聞いていただけでわかるものなんですか?

オノ:もちろんですよ。80年代っていまほどサンプリングもできなかったし。この楽器を使うなら、このスタジオ、これだったらどこのホールみたいな感じで決めて、あとはマイクをどこに置くか……そうやって音を作っていた。アナログですが当たり前のことを真面目に掘り下げて僕と加藤さんはやっていました。

しかも音は早く決められないとだめで。でも決めた後に出た音に対してガラッと変更が入ったりも。アーティストに抽象的に言われた音、音色を具現化するのがエンジニアの仕事ですから。音作りってどこか料理みたいなんです。

▼グルメだった加藤和彦さん

――セイゲンさんは坂本龍一さんはじめ様々なアーティストと仕事をされていますが、加藤和彦さんならではの特異点はどんなところでしたか? 現場でのエピソードなどあれば教えてください。

オノ:僕なんかが知っている加藤さんはほんの一部分でしかありません。「帰って来たヨッパライ」教科書にも載る「あの素晴らしい愛をもう一度」「悲しくてやりきれない」などの作曲者、そしてザ・フォーク・クルセダーズですね。映画に出てくるミカバンドの「黒船」やBBCでの活躍なんか、実は相原監督からこの映画の制作準備過程で教えられたといいますか。自分が録音に携わっていた数年間のその現場のことしか知りません。

坂本龍一さんは友人でしたが、YMOのアルバムは一枚も持っていません。買わないでもいつもラジオで流れてましたよね。たまたま82~85年とcommmonsになってからの録音現場やその頃だけは仕事もプライベートでお世話になったといいますか。番組編成や音楽ライターさんはある意味、研究者ですから全部の作品を聞いてますよね。僕にはそんな時間ないんです、当時のスタジオに住みこみですから(笑)。

僕が関わったのは、ザ・フォーク・クルセダーズとスーパー歌舞伎でした。アコースティックギターが本当に上手かった。すごいアコギをいっぱい持っててね。

相原:セイゲンさんがマスタリングしたサディスティック・ミカ・バンドの「サイクリング・ブギ」のギターも上手かったよね。

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オノ:現場ではね、録音が楽しいんですよ。坂本さんもそうだったけど、うまくいかないとスタッフにイライラしたり、あと自分がやりたいことをやらせてもらわないときっと怒るタイプ(笑)。

僕がちょっと後悔してるのは、大先輩だから友達みたいにはしゃべれないですよね。加藤さんは躁うつを患ってらっしゃったのですが、僕と会っているときはいつも超ハッピーで、レコーディング大好きなんですよ。音のことや食べ物のことを話してくれました。映画にもその話題が出てきますが超グルメで。

「ちょっとあそこに連れてってください」って、いいお店をおねだりしたかったな。(そうしたら)うるさい後輩だなあ(笑)なんて思って、うつの解消、ちょっと気晴らしになれたかもしれない。

プリンスホテルで開催された「加藤さんを送る会」では、ホテルの総料理長も理解してくれて、生前の加藤さんが愛した岐阜や関西の料理人も集まったんですよね。ホテルの厨房に料理人が10数人入るっていうことが異例中の異例。食べ物と音楽こそが地球をハッピーにするっていう考えは僕も持っています。

――今日は加藤和彦さんのマネージャーだった内田宣政さんも来てくださっています。

内田さん:加藤さんは料理も音楽も同じレベルで考えていましたね。河口湖のスタジオで合宿レコーディングがあった日に、加藤さんが自分で料理を作ると言って、コックコートを着て朝からシーフードカレーと、マトンのカレーなどいろいろと仕込んでいましたね。喜んでもらうことが好きな人でした。

安井かずみさんはフランスが大好きで、朝食はカフェオレとクロワッサンなんだけど。加藤さんはイギリスびいきだったから本当は紅茶が好きだったようで。でも安井さんと一緒に暮らしている時は全部カフェオレにしていたっていう。そういう優しさもあるって聞きました。

カップ焼きそばなんかを食べるときも、オイスターソースだったかナンプラーだったかな? 味変して美味しくするんですね。そういうところから、クリエイティブでしたね。

左が元マネージャーの内田さん
左が元マネージャーの内田さん

――この映画では多くの方々が加藤さんの思い出を語っています。監督が受け取った加藤さんの才能はどのようなものだと感じましたか?

相原:カップ麺の話にしてもナンプラーとか入れちゃう革新性。それは音楽でも一緒だと思うんです。既存のものに何かを足してみたり、新しいことをやってどんどん脱皮して、さらに新しいものを作り出す力ですね。日本で初めてレゲエのレコードをいっぱい買った人だったり、日本でボサノバをちゃんとやろうと試みたアルバム「ガーディニア」の時には、坂本龍一さんに、参考になるような大量のレコードを渡してアレンジを頼んで。坂本さんも中南米音楽のリズムは、加藤さんに結構教わったと言っていましたね。

――相原監督はこの映画製作でご苦労はありましたか?

相原:なかなかアーカイブが揃わなかったのが大変でしたね。

オノ:この映画が完成した後に「黒船」のアナログ・マスターテープが見つかったりね(笑)。アナログテープはやっぱり音色が素晴らしいです。

相原:映画はそれぞれの曲のイントロぐらいしか使っていませんから。この映画は、簡単に言うと加藤和彦の入門編ですね。

オノ:そうなんだよ。映画を見て気になった方は、2CD作品集「The Works Of TONOBAN ~加藤和彦作品集~」をいいオーディオ・システムで聴いてみてください。

相原:今、復刻している本を読んでもらったり、トリビュートライブなどに触れていただいて加藤さんの再評価に繋がればいいなと僕は思ってます。

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▼音の良さにこだわり、音の良い映画館に期待

――加藤さんの音楽を忠実に再現したい思いもあり、今回のマスタリングはセイゲンさんに依頼されたのですか?

相原:こだわらないとこんな気難しいおっさんに頼みませんよ(笑)。セイゲンさんは加藤さんとお付き合いがあったし、完成された音をどうやって良くするか……って考えると、セイゲンさんは日本で一番だと思うんです。

オノ:それはありがとう(笑)。アナログテープからのアーカイブは僕が最後の世代です。今の人はデジタルでないと難しいみたい。

相原:僕も2年間ぐらいスタジオでエンジニアをやっていたので、どういう音が良いのか、誰にお願いするべきかはわかるんです。だから今回は、あのセリフの(音の)処理を逆にセイゲンさんからやらされたんです。僕が監督なのに(笑)。

オノ:そうそう、相原監督は伝統のJVC青山スタジオ(現ビクタースタジオ)の録音エンジニア出身ですからね! いい音のこだわりはプライオリティです。逆にセリフの編集は僕には難しい。キングクリムゾンの「Live in Japanの」ミキシングをしていたときアシスタントしてくれたよね。

ビル・ブラッフォードはブースでずーっと練習してて、ロバート・フリップはずーっとミキシングを細かく聞いてて、エイドリアン・ブリューとトニー・レヴィンはなんだったっけ? そんな僕が忘れてたその時の201スタの様子を細かく覚えていて、ああ、そうだった! と思い出した。ドキュメンタリー監督の素養。今日は対談でいろいろ記憶と記録の照合ができたね。

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――最近は、音にこだわる映画館が増えてきました。

相原:いい傾向だと思います。ドルビーアトモスなど、コントロールはされていますが、ひとつ問題は、スピーカーの音質まではやれていないこと。レベルは合わせているけど、もともとのスピーカーの音質が良くないと、レベルを合わせてもダメなんです。そこまでできれば一番いいですよね。

シネコンは環境が整っているから、本当にあともうちょっとだと思う。単館系はいろんな制約があるから難しいかもしれませんが。あとは、オペレーターというか、映写技師さんと呼べる人がほぼいないような現状だと思うのです。システム化されて逆にいじれるところが少なくなっているから、一から映像の調整、音の調整ができなくなっている気がします。

オノ:いや正に仰る通り! 声を大にして言いたいね。良い音の映画館がこれからは重要。

今はデジタルですから導入されている機材自体は、ものすごく進化していて、オーディオ技術的にはパソコンでどんな調整でもあっという間にできます。ただ、スペックとしてできるのと、実際それをワークフローとしてやるかは別の問題なんです。映画館による差は昔より凄まじいですね。メジャーの新作や名作リストアは、DCP(デジタル・シネマ・パッケージ)自体の音がいいのは当たり前。たまに70年代のコンサート映像、テレビ記録用をDCP化してそのままっていう作品も調整でなんとかなっちゃう、やればね。

映画用のスピーカーも大型化されてきて、そのデジタル調整さえしっかりやればダビングルームくらいまで近づけることも可能です。さらに作品ごとに設定メモリーもできます。まあ、中には隣の映画の音が漏れ聞こえてくるとか、セリフが聞き取りにくいとかいう話も聞きますが……映画館には頑張ってもらいたいですね。1978年、音響ハウスでの僕の仕事は、映写係からのスタートでした。

――次作も音楽や音に関連する作品になりそうですか?

相原:次は「オノ セイゲン マスター・オブ・サウンド」ですかね(笑)。

オノ:録音は裏方で映画にはマニアックすぎるよ。出来上がったときは、僕も追悼になっちゃいますね……(笑)。

トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」は公開中。

「The Works Of TONOBAN ~加藤和彦作品集~」
「The Works Of TONOBAN ~加藤和彦作品集~」

<Information>
オノ セイゲンさんがマスタリングを手掛けた2CD作品集「The Works Of TONOBAN ~加藤和彦作品集~」が絶賛発売中です。セイゲンさんによる池袋・新文芸坐での企画「Seigen Ono presents オーディオルーム新文芸坐」では、6月21日、22日に「リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング」を極上の音響で上映。21日の上映後は、音楽評論家の萩原健太さんを迎えてのトークが行われます。

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