ワン・イーボーの圧倒的な存在感 「無名」日本公開時の“即完売”が中国でも話題になっていた【アジア映画コラム】
2024年6月7日 14:00
今回は、5月3日に日本公開を迎えた「無名」に関する“驚きの事態”から話を進めていきましょう。
同作の特典(ポストカード)付ムビチケカードですが、オンラインでは予想を超える早さで完売となっていました。同作の公式X(旧Twitter)は、ムビチケ・オンライン発売の40分後に“完売”の投稿をしています。
さらに、劇場窓口でのムビチケ発売初日のこと。午前10時22分には、シネリーブル池袋が公式Xで「『#無名』ポストカード付きムビチケ完売いたしました」と投稿。同日午前11時19分には、ヒューマントラストシネマ有楽町の公式Xでも同様の“完売告知”が行われました。
しかも「無名」公開初日には、各劇場において、キャストのワン・イーボーの関連グッズが“即完売”。
近年の日本において、中国映画の前売券やグッズが、これほどのスピード感で“即完”となったことがあったでしょうか? この“社会現象”は、中国でも大きく報道されました。なぜこれほどの盛況となったのか。カギを握るのは、やはり“ワン・イーボー”の圧倒的な存在感です。
2023年旧正月に公開された映画「無名」は、奇才チェン・アル監督が「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海」以来7年ぶりに発表した新作映画です。名門「北京電影学院」を卒業したチェン・アル監督は、中国国内でも極めて特別な存在と言えるでしょう。急成長の中国市場においても、自分の撮りたいものしか撮らないスタンスを貫き通し、これまでの全作品が中国で高評価となっています。
「無名」の主演は、国際的スター、トニー・レオン。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海」の素晴らしさに魅せられ、「無名」への参加を決めたそうです。
2023年の旧正月における中国映画市場は、非常に競争が激しかった印象です。2022年のコロナの影響で、上映延期の作品が多かったため、それぞれの作品が旧正月の上映を狙っていました。巨匠チャン・イーモウの歴史大作「満江紅」や、メガヒットしたSF大作「流転の地球」の続編「流転の地球 太陽系脱出計画」も、2023年の旧正月の公開となっています。
「無名」は“豪華スターの共演映画”とはいえ、複雑な時代背景を考慮すると、旧正月映画としては不向きではないかと言われていました。ところが、最終的には「満江紅」「流転の地球 太陽系脱出計画」に次ぐ、興収181億円の大ヒット。作品の完成度の高さも、この結果に結びついたのでしょう。
舞台は、第2次世界大戦下の上海。“孤島”と言われた当時の上海は、世界各国のスパイが集結し、情報戦&銃撃戦が乱立している混沌の時代でした。この時代に魅力を感じた映画作家も少なくありません。ロウ・イエ監督の「サタデー・フィクション」、アン・リー監督の名作「ラスト、コーション」も“あの時代”を舞台にしています。ちなみに「ラスト、コーション」はトニー・レオン主演。「無名」での髪型が「ラスト、コーション」出演時と“ほぼ同じ”だったので、まるでマルチバース作品を見ているような気分になりました(笑)。
「無名」は「サタデー・フィクション」や「ラスト、コーション」とは異なり、チェン・アル監督の作家性を保ちつつ、より旧正月映画向きのエンタメ要素にも力を入れていました。激しい銃撃戦、キャラ同士の対立といった見どころも満載。そのなかでも特に注目が集まっていたのが、ワン・イーボーでしょう。
アイドル出身のワン・イーボーは、2019年の中国ドラマ「陳情令」でシャオ・ジャンとともに大ブレイクを果たしました。「陳情令」は、1日の再生回数が2億回を超えるなど、当時の中国を席巻。その後、日本を含めたアジア各国でメガヒットしました。
「無名」が初めて情報解禁された際、中国ではかなり大きく報道されていました。もちろん最も注目されていたのは、ワン・イーボー。ただ、中国映画市場は簡単にヒットできるようなマーケットではありません。数多くのアイドルや若手スターが、ドラマなどで実績を残しながらも、映画ではコケるといったことが度々ありました。しかも、映画がヒットしない場合、出演するアイドルが、批判の矢面に立たされることが多いんです。だからこそ「映画出演」のプレッシャーは、非常に高いものになっています。
ところが「無名」は大成功を収めることになります。しかも、ワン・イーボーには、一般の観客からだけでなく、映画批評家たちからも称賛の声が届くことになりました。その後、主演映画「ボーン・トゥ・フライ」(6月28日から日本公開)、「熱烈」(9月に日本公開)が連続で大ヒットし、第17回アジア・フィルム・アワードの最優秀新人賞にノミネート。2023年は、ワン・イーボーが映画俳優として大きく躍進する年となったんです。
日本では、2020年に「陳情令」が大ヒットし、日本語吹き替え版も制作されました。ただ、中国ドラマに関しては「陳情令」以前から、日本ではちょくちょく話題になっています。特に、時代劇やファンタジードラマは、中国ドラマ市場の成長によって潤沢な制作費を確保。映画スケールのドラマが数多く作られています。
ジャンルも豊かで、昔のように「三国志」などの名著や各王朝を描く歴史ドラマだけでなく、女性を主人公にする宮廷モノも多く制作され、「宮廷女官 若曦(ジャクギ)」や「瓔珞<エイラク> 紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」などは、日本でも高評価です。日本では中国ドラマファンが増え、中国ドラマへの注目度が年々上がっていると言えるでしょう。配信プラットフォームを確認してみると、韓流ドラマほどではないですが、中国ドラマの本数も増加傾向にあります。
一方、中国映画、特に中国のメジャー映画は、ここ10年間、日本でほとんど話題になりませんでした。
かつての日本では、もともと“中華圏映画”に対する関心は高かったはずです。ジャッキー・チェンの映画はもちろん、チャン・イーモウ監督の武侠映画「HERO(2002)」は、2003年に興収40.5億円を記録。ジョン・ウー監督の「レッドクリフ Part I」「レッドクリフ Part II 未来への最終決戦」は、合算興収100億円超えという大ヒットを記録したくらいですから。
ところが、10年代以降、映画ファンが好きな中国映画作家の作品以外は、興収ランキングにランクインするどころか、話題にすらならなかった印象です。確かにここ十数年は、中国映画市場が大きく成長したことで、作品の内容や方向性が少し変わりましたが、作品の質自体は決して落ちていません。
中国ドラマのように、膨大な制作費がかかった大作も増え“普通に楽しめるエンタメ作品”も多くなりました。しかしながら、なぜか日本でなかなかうまくいかなかった。だからこそ「無名」のヒットは、ある意味とても素晴らしいことだと思います。これをきっかけに、日本の観客が中国映画の“いま”に対して興味を持てば、更に多くの中国映画が日本で上映されることになるでしょう。
今、中国では毎年多くの日本映画が上映され、昨年は「すずめの戸締まり」「THE FIRST SLAM DUNK」、今年は「君たちはどう生きるか」といったアニメ映画が公開され、大ヒットとなりました。
苦戦続きの実写映画も、今年5月に公開された「青春18×2 君へと続く道」が興収5000万元超(=約10億円)と良い成績を残しています。ちなみに同作では「シュー・グァンハンの日本映画出演」というニュースが、中華圏では話題になっていました。このような交流は、互いの映画文化を学んでいけば、より活発になると思っています。日本でもっと多くの中国映画が上映されれば、そこから“アジア映画”の新たな可能性が見えてくるはずです。
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