【「VORTEX ヴォルテックス」評論】不可避の老いと病と死。新境地の鬼才ギャスパー・ノエが提示する穏やかな悪夢
2023年12月10日 14:30
「カンヌに愛される監督」でありながら、「カンヌで途中退席者続出」の問題作を連発してきた鬼才、ギャスパー・ノエ。批評家週間賞を受賞した「カルネ」を含む中編2本と長編6本がカンヌ国際映画祭に出品されてきた一方で、「カノン」での近親者への異常愛、「アレックス」での人体破壊の描写と9分もの長回しによるレイプシーン、「LOVE 3D」でのリアルなセックス描写に加え、延々と続くストロボ的明滅やノイジーな音響の多用でも観客の理性と感覚を挑発し続けてきた。映像スタイルは柔軟な面もあり、クリストファー・ノーラン監督作「メメント」(2000)の時系列がさかのぼる編集を「アレックス」(2002)で採用したり、ジェームズ・キャメロン監督作「アバター」(2009)に刺激されて「LOVE 3D」(2015)を作ったりといった具合。画面分割については、前作の中編アートフィルム「ルクス・エテルナ 永遠の光」でも試していたが、この最新作「VORTEX ヴォルテックス」では本編尺の実に9割強が左右に区分された2画面で構成されている。
画面分割という映像的ギミックがあるとはいえ、ノエ監督のフィルモグラフィーを知る人にとって「VORTEX ヴォルテックス」は意外なほどおとなしい作品に映るかもしれない。テーマはずばり、老いと病と死だ。主な登場人物は3人。心臓の持病がある映画評論家の夫(「サスペリア」で知られるホラーの名匠ダリオ・アルジェントが映画初主演)、認知症を患う元精神科医の妻(フランソワーズ・ルブラン)、離れて暮らす息子ステファン(アレックス・ルッツ)。古いアパートメントで穏やかに暮らす老夫婦だが、日常生活に支障をきたすようになった妻と、ステファンに提案された介護ホーム入りを頑なに拒む夫の人生は、静かに崩れるように終わりの時へと向かっていく。
分割された画面は基本的に夫と妻それぞれの姿を追う(時にはステファンなど他の人物を写したりもするが)。この閉塞感を伴う枠に個別に収められることで、同居している夫婦とはいえつまるところ別々の個人であることが強調され、会話の少なさも相まってそれぞれの孤独と悲哀が増幅されて伝わってくる。妻役のルブランの表情や動作は実際に家族が認知症になった人(評者の父も晩年認知症だった)から見ても胸が痛むほどの再現度で、夫が身体や精神への負担で心臓が苦しくなる姿も合わせ、すべての観客に「自分もいずれ年老いてこうなるのだ」と思わせる迫真性がある。
ノエ監督がかつて好んだ題材である性、暴力、狂気(ドラッグの影響も含む)は、比較的若い年齢層や特殊な環境において体験されうるものだった。だが老いと死は生きているすべての人が逃れられないという点で、より普遍的な恐怖であり悪夢だ。原題のVortexは「渦(うず)」を意味し、本編終盤で具体的な“渦”が現れる。その美しくない渦はノエ監督の露悪的な側面の現れでもあり、死が巧妙に隠蔽されている現代社会においても「人間が生きて死ぬというのは結局こういうことだ」と突きつけてくるようでもある。
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