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【二村ヒトシコラム】「ある人の欲望」が自分にとっては必要だ、ということがありえる イ・チャンドン「オアシス」から考える“純愛”

2023年9月15日 23:00

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画像1(C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.

作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、現在レトロスペクティブ開催中の韓国の名匠イ・チャンドン監督の代表作「オアシス」についてのお話です。

※今回のコラムは本作のネタバレとなる記述があります。未見の方は、ご注意ください。

「純愛」という言葉がありますね。どういう意味なんだろう。純粋な恋愛? まじりっけ無しの愛? 恋愛してるときに「純粋である」とか「余計なものがまじっていない」とは、どういうことなんでしょう? わかりません。そもそもこっちは自慢じゃないけど、およそ純粋じゃないし愛が何なのかもよくわかっていないからね。

韓国のイ・チャンドン監督の「オアシス」は、日本での宣伝文句に「極限の純愛映画」と謳われています。観ると「純愛とは何か」がわかるんでしょうか。例によって盛大にネタバレしつつ、思ったところを書きます。すみません。

「極限の」という言葉が何を表そうとしているかは観ればわかります。あらすじを読んで想像がつくものの100倍ぐらいは極限の物語で、問題作ですがほんとうによくできた面白い映画なので、ぜひ観てください。ひどい男(だと思われていた男)が可哀想な女と巡りあい恋して改心する、みたいな単純な話じゃないんですよ。

画像2(C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.
▼人間の心の中にある「差別」を描いている

この映画のテーマの一つに「差別」があります。つまり「きもちわるがられていること」「めんどくさがられていること」「嫌われること」「危険な人であること」「避けられること」「軽んじられること、ばかにされていること」「隔離されていること」「利用されて(今ふうの言葉でいうと、搾取されて)しまうこと」「人々が心身の安全のために触らないようにしていること」など。

それらはもちろん登場人物たちの心の中だけにではなく我々の(僕の)心の中にもあることです。無意識に差別してしまうことと、差別されていることの両方が。これを2002年に撮ったというのもイ・チャンドンすげえなあと思うんですが、20年を経た現在、差別をめぐる状況は我々のまわりで、いくらか変わってきてはいるのでしょうか。

女のほうの主人公コンジュ(ムン・ソリ)のような人を街で見かけたとき我々の多くは、この映画に出てくる人々のようなあからさまな差別は、しなくはなったかもしれない。配慮しながら排除とか、配慮しながら利用とか搾取とかは、あいかわらずしてるとは思いますが。(そしてコンジュと近い障害をもたれているかたは今この文章を読んでくれてる人にも、映画.comを読んで、映画を観て楽しんでいる人の中にもたくさんおられるでしょう。男のほうの主人公ジョンドゥのような人にも映画が好きな人はいるでしょう)

もしかしたら世間の、根拠なく自分を「普通だ」と思ってる人間の、罪悪感とか優しさというものの持ちかたが多少は変化したのかもしれなくて、だとしたら昔より少しはマシな世の中になったのでしょう。我々は、普通とはちがっているように見えてもそこに納得できる理由があるもの、理由ある迷惑をかけられることに対してこちらが安全な範囲で助けることで「やりがい」を感じられるようなものごとには、ある程度は寛容になりました。

しかしジョンドゥ(ソル・ギョング。なんと「ペパーミント・キャンディー」の主人公も演じてる)のような人がうけるあつかいは、どうでしょう。 20年前でも今でも彼のような人は嫌がられて当然と世の中の多くは思っているでしょうし、映画のなかの家族も(弟も、兄嫁も)そう思わざるをえなかったのでしょう。ジョンドゥがうける差別は、いわゆる反差別の映画やフェミニズム映画で多く描かれる女性差別や黒人差別や障害者差別とは全然ちがいます。彼の距離感のおかしさは「危険な迷惑さ」だからです。え? 本当にそうでしょうか。

彼の迷惑さは誰にとって危険なんでしょう? 映画を注意ぶかく見ると、じつは彼は本質的には「危険」ではなく、ただ周囲に不快で不穏な感じを与えつづけているだけで、やってしまうことにはすべて彼なりの理由があることがわかる。なぜ我々は危険だとされる人物を「危険だ」と思ってしまうのか? ということまで考えさせられてしまう。

画像3(C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.
▼変な人というのは、ほんとうに変な人?

これは余談ですが、Wikipedia によれば菅田将暉さんはこの「オアシス」のソル・ギョングの演技を見て大きな影響を受けたとのことで、菅田さんが「オアシス」いつ観たのかにもよりますが、もしかしたら「そこのみにて光輝く」や、これは意外かもしれませんが「ミステリと言う勿れ」での演技にも、それが結実しているのかもしれません。つまり世間から見て「変な人」というのは、ほんとうに変なんだろうか。そして距離感がおかしい人が「きもちわるい」「こわい」のと「かわいい」の境界線は、どこなんだろうか。ジョンドゥも結構かわいくないですか?

しかし問題はジョンドゥには性欲がありますね。これが大問題です。避けられ、しかも軽んじられている人が乱暴に放ってしまうシグナル(信号)としての性欲。表明された性欲はまちがいなく危険さのシグナルであり、受け入れられないまま行動にうつされれば暴力です。ジョンドゥは男で、力も強い。

これも余談ですが、さっき女のほうの主人公とか男のほうの主人公とか書いてから思ったのですが、もし「オアシス」を今リメイクするならふたりそれぞれの障害はそのまま性欲もそのまま、ふたりは同性であると設定するというのはありかもしれません。ダブル・マイノリティの物語になります。観たいな。

いや、それよりむしろジョンドゥと同じ障害をもった女と、コンジュと同じ障害をもった男との恋愛を描くリメイクこそ作られるべきなような気もしてきましたがどうだろう。人との距離感がおかしい女がいて、周囲から可哀想だということにされている男がいて、愛しあってしまう物語。まだ人類の寛容さはそこまで達してないだろうか…。あっ、なんだ、書いてて思い出したけど「パーフェクト・レボリューション」という素敵な邦画がもうあったじゃないか。「オアシス」とはまた全然ちがうストーリーだったけど、そういう設定というか、こちらは実話ベースだった。

画像4(C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.
▼性欲が描かれると純愛ではなくなるのか?

純愛映画というと、プラトニック・ラブを描いた映画なんだろうと思う人が普通は多いと思われます。プラトニック・ラブとは性欲がまぎれこまない愛のことでしょう(性欲はないけれど恋愛したい人や、性愛抜きの他人の恋愛を鑑賞するのが好きな人、他人から自分に向けられる性欲を恐れる人、自分自身の性欲を憎んでいる人にとってプラトニック恋愛映画は必要なのだろうと思います。現実の世の中には性欲があふれすぎていますからね)。しかし映画「オアシス」はジョンドゥの性欲が登場してしまいます。

「普通の」人は、ジョンドゥから性的に興味関心を持たれたら恐ろしくて受け入れられないでしょう。ところがコンジュはやがてジョンドゥを求めます。それはコンジュがジョンドゥを可哀想だと思ったからではありませんし、コンジュが女としてヤケクソだったからでもないでしょう。

ましてや「それぞれ純粋なふたりだからこそ、普通の人間が得られない純愛で結ばれたのだ」みたいな解釈は上から目線で、それこそコンジュとジョンドゥに対する差別のように思えます。そんなふうにこの映画を(そして「純愛とは何か」ということを)とらえたくない。ふたりの話を、もう少し自分ごととして考えたい。

コンジュにも性欲と「大切にされたい欲」があるし、そしてコンジュの自尊心にとって女として見られること、自分に性欲を向ける男がいることは必要だったのだろうと僕は思います。それが他の人にとっては「きもちわるい、危険なもの」であるジョンドゥの性欲であっても。

世間の人は求めていない「ある人の欲望」が、自分にとっては必要だ、ということがありえる。僕が「オアシス」を観て「なるほど、これは純愛の映画だ」と納得したのは、そこです。コンジュの欲望には嘘や見栄がない。つまり純粋だということです。言い換えれば我々、世間に生きている人間は、恋愛や結婚をするときに常に世間体を気にしています。そのことを「我々は嘘つきだ」とまで言う気はないですが…。

画像5(C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.
▼純愛とは「世間がないふたりのあいだにかよった愛」

ジョンドゥの距離感のおかしさを「善さ」として受けとることができたのも、コンジュに「世間がないから」ではないでしょうか。ジョンドゥの周囲の人々には世間があるから、彼と一緒にいるだけで恥ずかしい。

じつはかつて兄もジョンドゥの「善さ」を与えられていたことが劇中で明らかになります。しかし与えられて受けとっただけで何も返さず、返さないどころか兄はジョンドゥを憎みます。兄には「世間がある」からです。世間があるということが、ジョンドゥに感謝しなければならないはずの兄の、恥ずかしさや罪悪感や屈辱感をますます激しくさせてしまうのです。ある人の善さを受けとれる器が自分になかったとき、人はその相手を憎む。この人間心理…。

純粋であるとは「世間がない」ということではないでしょうか。だとすると純愛とは「世間がないふたりのあいだにかよった愛」のことです。

でも我々は、人から見て可哀想でなくても、露骨に差別されてなくても(つまり世間というものに入れてもらえていても)、世間とは関係ないところで純粋に恋愛を、世間からは理解されないような恋愛をすることはできるのかもしれない。世間に生きながら、恋愛においてだけ世間を失うことは「普通の」人間にもできるのかもしれない。それはおそらく反社会的な恋愛ですから(コンジュとジョンドゥの恋愛も社会から否定されました…)、そんなことをわざわざしたいかどうかはさておくとして。

▼「まぼろし」もテーマ、“純愛映画”と呼ぶことに納得できる美しいラスト

映画「オアシス」のもう一つのテーマは「まぼろし」です。まぼろしといっても「はかないもの」という意味ではありません。むしろこの映画での「まぼろし」は非常に強固なものであって、他の人には見えないけれど「その人にとって、いちばん大切なもの」です。

部屋に差す小さな白い光に鳩や蝶々をありありと見ることは、コンジュの個人的な脳の特性でしょう(コンジュの障害の特性ということではないでしょう)。ある場所にだけ小さな白い日差しがキラキラ差すモチーフは、イ・チャンドンの最高傑作「シークレット・サンシャイン」にも現れていましたね。

もちろん我々の「世間」も、まぼろしです。ですが「世間がある」というのは、他の人々との最大公約数である脳の機能を使って、同じ大きなまぼろしを共に見ているということです(そのほうが「生きていきやすい」から人間は世間と同じまぼろしを見るわけです)。

コンジュのまぼろしは、我々のまぼろしの世間とちがって、コンジュだけのものです。ただ仔象やインド人たちの出現は、もともとのコンジュの脳の機能だけによるものではなく、ジョンドゥが夜にみた夢の話に触発されたもののようです。そしてその夢はジョンドゥが、コンジュの部屋の絵を見て触発されたから夢みられたのです。

そして、ここは解釈が別れるかもしれないのですが、ジョンドゥには仔象やインド人は見えてないんじゃないかと僕は思うんです(同じように、立ち上がることができたコンジュの姿も見えていなかったんだろうと思います。もしかしたらコンジュがささやくように口ずさんだ歌はジョンドゥの耳には微かに聞こえたかもしれませんが)。

画像6(C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.

ただ、ポスターのビジュアルにも映画.comの作品紹介ページにも使われているカットをご覧いただきたいのですが、コンジュのまぼろしでしかないインド人は、接吻してるコンジュとジョンドウのことを見ていますよね。ジョンドゥには見えていない(かもしれない)まぼろしの人々が、ジョンドゥとコンジュを祝福している。なんて美しいシーンなんでしょう。こんな美しい状況、僕は「オアシス」以外の映画で観たことありません。

物語のラスト。ジョンドゥはコンジュのもとに向かいますが、それは自分の欲望を満たすためでもなければ、コンジュを助け出してふたりでどこかに逃げるとか最後に一目だけ顔が見たいとか、そういう「観客である我々と共有できる」まぼろしのためでもありません。普通、映画の主人公だったらヒロインの命を具体的に救うとか、ヒロインのために(または世間のために)映画の観客からも悪だと見做されている悪と戦うとか、世間にも理解できるヒロインの望みを叶えようとするとか、そういうことをしますよね。

ところがジョンドゥは、コンジュにしか見えていない(ジョンドゥ自身にすら見えていない)まぼろしから影を取りのぞくためだけに、コンジュのもとに向かったのです。これは世間から見たら、まったく意味のない行為です。そして、きっとジョンドゥにもコンジュの言う「絵にかかる影が怖い」という言葉が、ほんとうのところどう怖いのか、どのくらい怖いのか、わかっていないんです。まぼろしが共有できていないんですから。

なのにジョンドゥは影を取りのぞきに向かいます。あんな状況なのに。なんて美しいことでしょう。

まぼろしも世間も共有できてない相手のために、自分にとってそうとう大変な行動をする。こういうことを純愛と呼ぶのだ、と言われたのなら僕は納得します。

イ・チャンドン、ものすごい監督だと思います。「オアシス」を含む彼のレトロスペクティヴは現在上映中です。ぜひ劇場でご覧になってください。

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