ペパーミント・キャンディー
劇場公開日 2019年3月15日
解説
韓国現代史を背景に1人の男性の20年間を描き、韓国のアカデミー賞である大鐘賞映画祭で作品賞など主要5部門に輝いた人間ドラマ。「オアシス」「シークレット・サンシャイン」のイ・チャンドン監督が1999年に手がけた長編第2作。99年、春。仕事も家族も失い絶望の淵にいるキム・ヨンホは、旧友たちとのピクニックに場違いなスーツ姿で現れる。そこは、20年前に初恋の女性スニムと訪れた場所だった。線路の上に立ったヨンホが向かってくる電車に向かって「帰りたい!」と叫ぶと、彼の人生が巻き戻されていく。自ら崩壊させた妻ホンジャとの生活、惹かれ合いながらも結ばれなかったスニムへの愛、兵士として遭遇した光州事件。そしてヨンホの記憶の旅は、人生が最も美しく純粋だった20年前にたどり着く。2019年3月、イ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」公開にあわせて、4Kレストア・デジタルリマスター版が日本初公開。
1999年製作/130分/韓国・日本合作
原題:Peppermint Candy
配給:ツイン
日本初公開:2000年10月21日
スタッフ・キャスト
全てのスタッフ・キャストを見る
2020年5月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
絶望の淵に立つ男が、迫りくる電車を目前に「帰りたい!」と咆哮する――まさに衝撃的、そして不可解さに満ちた場面で幕を開ける本作。7つのエピソードに分け、キム・ヨンホの20年にわたる人生が描かれていきます。
“逆走する電車”のモチーフが象徴するように、本作は「現在→過去」という手法によって紡がれていきますが、これがかなり痛切な描き方。20~40代をひとりで演じきったソル・ギョング(圧巻の芝居!)の表情には、ストーリーが進む内に“希望”が満ちていきます。しかし、これは裏を返せば、その“希望”が時間の経過によって失われていったということ。幸福を“獲得”しているはずなのに、私たちはそれらが“剥奪”されることを知っている。物語は“明るさ”を取り戻していくのに、私たちの“心”は暗転していく。「逆再生スタイル」は、他作品でも事例はありますが、何よりも演出&脚本が素晴らしいです。思わず唸ります。
また「現代→過去」という構成上、各場面で「何故こんなことをしたのか?」という疑問を抱くはず。鑑賞者はその問いを携えて、過去へ過去へと突き進んでいきます。勿論、これらの疑問の真相は、きちんと明かされます。「何気ない仕草は、この時代から来たものなのか」「このアイテムには、こういう思い出があったのか」等々。単なる伏線回収――と言ってしまえば、それまでですが、キム・ヨンホの人生を「過去→現在」で捉え直すと“時が経過しても、残っていたもの(or残ってしまったもの)”という意味合いが生まれ、妙に物悲しくなってしまうんです。
余談:キム・ヨンホの20年は、韓国現代史とともにあります。その中には「光州事件」の存在も…。近年では、この事件を題材とした「タクシー運転手 約束は海を越えて」という傑作も誕生したので、そちらも是非チェックを!
2022年1月10日
Androidアプリから投稿
最後の最後で人生のどん底を味わう男の時代を遡り、結婚、出会い、初恋、別れ、様々な人生の経験を現代から辿っていく。
最後は人それぞれ…観た感は満足感^_^
2021年12月30日
iPhoneアプリから投稿
ネタバレ! クリックして本文を読む
物語はヨンホという男が陸橋を走る電車に身を投げるところから始まり、過去に向かって少しずつ後退していく。これがクリストファー・ノーラン『メメント』より1年前の作品だというから驚きだ。
物語序盤、つまりヨンホの人生の末期において、彼の性格はとても歪んでいる。憔悴している。苛立っている。すべてを失っている。そしてそれらの集大成として自殺がある。なぜヨンホはこのようになってしまったのだろうか?というプロセスへの疑問がこの映画のサスペンスとなって「過去」という名の未来を切り開いていく。
物語が列車のアレゴリーとともに過去へと進んでいくにつれ、ヨンホの性格は少しずつ精彩を取り戻していく。しかしどの時代区分においても彼の性格を歪ませる原因となるようなできごとが彼を襲う。その大抵が、彼本人の力ではどうしようもないようなスケールのものばかりだ。裏切り、仕事、兵役。
またそういったものに憔悴させられすぎたあまり、彼は取りこぼさずに済んだかもしれないものまで取りこぼしてしまう。些細な悪意から初恋相手のスニムとの関係に終止符を打ってしまったシーンなどはこちらまでやるせのない気持ちになる。
総じて見れば彼の性格は徐々に回復の一途を辿っているにもかかわらず、物語には常に暗澹たるトーンが漂っている。囚われた鳥がケージから飛び立とうとしたまさにその瞬間、振りかざされた網に捕らえられてしまうかのような歯痒い絶望感。
このように我々は時代を遡行するごとにヨンホの性格を歪ませてしまった原因を一粒一粒拾い集めていくこととなるのだが、これはヨンホの精神状態の推移とまるきり逆行している。ラストカットの清純たる彼の若い姿を見つめながら、我々はそのギャップにひたすら途方に暮れるしかない。
とはいえ最も印象深いのは、終盤で川べりの景色を眺めながらヨンホが放ったセリフだ。「この景色は前にどこかで見たことがある」。
この川べりの景色とは言わずもがな、映画の冒頭でヨンホが投身自殺を図ったあの陸橋と同じ場所だ。若きヨンホはそこで不可解な既視感に襲われる。彼がこのような感慨に至った理由は何だろうか?
身勝手な憶測とは承知の上だが、私はこれを現在と過去の位相転換であるように思う。
この物語は、現在のヨンホが走馬灯的に辿った追憶の軌跡だということができる。つまりそこで開陳される彼の過去というのは、あくまで現在の彼が思い浮かべる幻影に過ぎない。しかし過去の最後の一コマである若き日のヨンホは、一度も訪れたことのないはずの川べりで既視感に襲われる。あまつさえ意味深な涙さえ流す。まるで来たる未来における自分の死を予感したかのように。
回想される客体でしかなかった過去が、回想する主体である未来(つまり現在)を思い浮かべている、という逆転現象。いつの間にか物語の主導権が現在から過去へと移譲されている。
これによって出口のないこの物語の暗雲に一縷の光が差し込む。「救いようのない末路を辿る現在のヨンホ」が「過去のヨンホがなんとなく感じた幻肢痛」へと後退したことで、現在のヨンホのほうが非現実の存在となるのだ。そして記憶の中の、つまり過去のヨンホが現実の存在となる。平たく言えば「夢オチ」というやつだが、ここまで見せかたが上手いと肩透かしの感は微塵もない。よしんば夢オチだとして何が悪い?これは虚構なのだ。
見始めたときこそ「現在→過去という進行形式に必然性はあるのか?」と訝しげな私だったが、これでは否が応でも平伏せざるを得ない。韓国社会のリアルを抉り出す社会派映画であると同時に、物語位相を自由自在にコントロールする巧みなトリック映画でもあるといえるだろう。
2021年8月19日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
ネタバレ! クリックして本文を読む
過去にだんだんさかのぼっていく構成。みんな楽しそうな河原でのバーベキューに主人公が一人だけ全く違う空気で存在していたのが面白い。ビニールハウスで生活している人を初めて見た。いざとなったらそういうのもありではないか。
すべての映画レビューを見る(全30件)