【「ある男」評論】「“別の私”を追う私」を描き出す。自己を巡る思索を潤いと温もりで肉体化した知的エンタメ
2022年11月20日 10:00
映画の冒頭、一枚の不条理な絵が映し出される。姿見を眺める男の後ろ姿が描かれているが、鏡の中の像も背中を向けているのだ。平野啓一郎が原作小説でルネ・マグリットの有名な絵画『複製禁止』に触れた導入部を、映画でも踏襲した格好だが、この絵の構図がまさに作品を通じて語られるテーマを象徴してもいる。
物語はミステリー仕立てだ。シングルマザーの里枝(安藤サクラ)が大祐(窪田正孝)と出会い再婚するが、夫は数年後に事故で命を落とす。しかし一周忌に訪れた大祐の兄が、遺影の男は弟ではないと断言。里枝はかつて離婚調停で世話になった弁護士の城戸(妻夫木聡)に、大祐とは別人と判明した亡き夫の身元を調べてもらうことにする。
かくして、“X”と仮称された人物と、本来の大祐との接点を探るべく調査を開始する城戸だが、Xの人生の謎に迫る過程で、自らのアイデンティティー(在日韓国人三世だが帰化している)や家族との関係についても葛藤を深めていく。観客もまた、「シーク(探す)&ファインド(見つける)」という探偵物の定型をたどる城戸の動きを追いながら、名前と身元と戸籍、出自と差別といったトピックや、一個人の中に備わるさまざまな面(別の自分)について、思いを巡らせることになる。
平野啓一郎はこの十数年、自ら提唱する“分人主義”をベースにした小説や解説本を手がけており、2018年発表の「ある男」もその一冊。対人関係ごとに分化した異なる人格を“分人”と呼び、それら複数の人格すべてを「本当の自分」として肯定的に捉える考え方に基づくのだが、映画「マチネの終わりに」やテレビドラマ「空白を満たしなさい」もそうだったように、平野はそうした思索を現実味のある人物らが織りなす物語に落とし込んできた。だからこそ映像化の企画も比較的通りやすいのだろう。
監督の石川慶、脚本の向井康介、撮影の近藤龍人ら製作陣も、そうした思索を内包した物語を精妙に映像化している。表(顔)と裏(後ろ姿)あるいは側面の意図的な使い分け、背景として有機的に機能する雨、血や涙の潤い、差し出す手の温もりに注目したい。俳優陣も前述の3人に加え、とりわけ眞島秀和、柄本明ら“憎まれ役”が、主要キャラクターの立体的・多面的な描出を効果的にサポート。ピアノ、ギター、弦楽器で台湾の大自然とそこから喚起される感情を表現してきたアコースティックユニット、Cicadaによる劇伴も潤いと温もりに貢献し、不穏さが漂う場面でも実に印象的だ。
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