【「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」評論】やはり三部作で有終の美を飾るという決断は圧倒的に正しかったのだ
2020年11月29日 10:00

「バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3」のアイデアは単純かつ明快。「今度は“西部劇”だ!」である。マーティたちの“現代”である1985年の100年前に飛ばされてしまったドクを救うために、マーティが西部開拓時代のヒルバレーへとやってくるのだ。
マーティが町に足を踏み入れるショットはセルジオ・レオーネの「ウエスタン」の再現だし、「荒野の用心棒」へのオマージュやクリント・イーストウッドへの言及などの西部劇絡みのネタがてんこ盛り。パロディといえばパロディだが、公開当時のハリウッドでは西部劇映画はとっくに下火になっており、大規模なセットや細かい時代考証、ジャンルの定番でもある機関車を使ったクライマックスなど、かなり気合が入ったレアな本格派でもあった。
また、100年に渡る物語になったことで、これまではギャグに過ぎなかった要素が壮大な意味を帯びるという大きな変化が生じている。マーティのマクフライ家とビフのタネン家の対立は100年前から続く因縁だったことが明かされるし、三部作すべての舞台であるヒルバレーという町そのものが、アメリカという国の歩みを象徴する“もうひとつの主人公”になったのだ。
もともと主人公のマーティは80年代の中産階級の典型的な高校生であり、ヒルバレーもアメリカの最大公約数的な町として描かれていた。しかし「Part3」で町の創成期が描かれたことで、開拓民によって町が築かれ、人々が定住し、子を育て、次の世代に受け継がれていくという大きなサイクルの縮図となった。いうなれば、BTTF三部作におけるヒルバレーはアメリカの“歴史博物館”なのである。
ゼメキス監督も認めているように、BTTFは主人公が大きな成長を遂げるタイプの物語ではない(むしろ大きな成長を遂げるのはドクの方だ)。マーティの夢はロックスターだが、夢がかなって大成する未来像が描かれたらそれはBTTFとは別物になってしまうだろう。それはもはや、どこにでもある町の、どこにでもいる少年の物語ではないからだ。
「Part3」のラストで提示されるマーティたちの未来は可能性に満ちているが、やはり三部作で有終の美を飾るというゼメキスとボブ・ゲイルの決断は圧倒的に正しかった。マーティとはアメリカ庶民の代表であり、ひいて言えば、普通の人生を送るわれわれみんなの代表だからこそ、この冒険物語は時を超えて愛され続けているのではないだろうか。
(村山章)
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