【イントロダクション】
大人気ホラードキュメンタリー『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズ、記念すべき第100弾。シリーズの黎明期を支え、以降は「お分かりいただけただろうか?」のナレーションでお馴染みの、『残穢 住んではいけない部屋』(2016)等の中村義洋監督自らが監督・構成・演出も務める。シリーズの黎明期となった1999年、とある理由から収録されなかった投稿映像に24年の時を超えて再び相まみえる事になったスタッフは、驚愕の真実を目撃する。
【ストーリー】
大学生である投稿者・鷲巣大介さんから、友人達と初詣に訪れた際にAirDropでスマホに送り付けられてきたという不可解な映像が投稿されてきた。映像には、ママさんバスケらしき人々の試合映像の途中、神棚らしきものを映したと思われる真っ赤な映像に切り替わる様子が記録されていた。
本来ならば、シリーズ『96』に収録されるはずだったこの映像のナレーション収録中、ナレーションを務める中村義洋が「この映像、前に見た事がある」と話しだす。話によると、当時高校生から送られてきたという同じ映像は、とある理由から収録されずにいたのだという。
事務所に送られてきた便りを調べると、中村義洋がかつて目にした映像を送ってきた、当時高校生だった杉田(仮)さんからの手紙を発見。杉田さんは母親の所属するママさんバレーチームのチームメイト、和子(仮)さんから投稿映像の記録されたビデオを借り、無断で投稿していたのだ。しかし、すぐに母親にその事がバレ、製作委員会に返却を希望する電話が掛かってきて、返却したのだという。
しかし、中村義洋によると、本来の投稿映像は画面が赤く変色しておらず、尺も今回の映像(16秒程度)より長いものだったという。杉田さんの手紙からも、今回の映像では抜け落ちている部分があるのは明白であり、演出補の木勢まりあは杉田さんの行方を調査する事になる。
やがて、現行シリーズの製作にスタッフを割いている都合上、中村義洋自らが現地に赴いて取材を繰り返していく中で、映像を見たスタッフ陣に様々な怪奇現象が発生する。しかし、当の中村義洋には何ら怪奇現象は起こっておらず、彼は「かつて元の映像を見ていたから」ではないかと推察する。そして、調査は演出補の男鹿悠太、演出協力の藤本裕貴らも巻き込み、やがて恐ろしい真実へと向かって行く事になる。
【感想】
通称『ほん呪』、ナンバリングシリーズ通算100作目という事で、ビデオ(DVD)リリースではなく劇場公開作となった。劇場公開作としては、『The Movie』(2003)、『The Movie 2』(2003)、『55』(2013)に続き4作目。
私は、およそ『40』〜『60』辺り、岩澤宏樹や菊池宣秀による監督シリーズをかつてCS放送でよく目にしており、その辺りのファンである。特に、劇場公開作にもなった『55』は、その脚本の鮮やかな回収ぶりに感心させられたのを覚えている。
本作は記念タイトルという事もあって、シリーズの黎明期を支え、ナレーションを務める中村義洋(以下、中村氏)が携わっており、気合の入りようが伝わってくる。内容もシリーズ始動年の1999年に纏わる内容となっており、シリーズの歴史の長さを感じさせる。
2022年というコロナパンデミック真っ只中の世情、それに伴い一気に普及したリモート通話、心霊系YouTuber的な心霊スポット訪問と、現代ならではの時代性を感じさせる要素が多く、他のナンバリング作品とは異なる作風になっている。
しかし、霊現象の原因をシリーズタイトルにもある“ビデオテープ(VHS)”に持ってくるあたりに、シリーズとしての原点も感じさせる。更には、ダビングが重要になってくる辺りや、途中登場するある女性は『リング』(1998)の「呪いのビデオ」と貞子を連想させる。
とはいえ、内容は行き当たりばったり感が強く(それがリアリティに繋がる演出だとしても)、度々「なんじゃそりゃ?」と首を傾げたくなる箇所もチラホラ。
特に、民俗学の専門家が、最初は鷲巣さんの投稿映像の赤い映像部分について「疱瘡神は赤を嫌うので、疱瘡除けの為の映像だろう」と分析していたのに対して、和子さんの自宅を訪れる直前の再確認の際には、「疱瘡神は赤を好む。これは神迎えの為の映像だ」と語り出した瞬間のズッコケぶりは凄まじく、思わず笑ってしまった。結局、「疱瘡除けの意図も、神迎えの意図もある」という“諸説あり”という雑な結論で強引に押し切ったのは美しくないなと感じた。
また、後半は事件の真相が隠されているであろう和子さんの空き家に中村氏をはじめとしたほん呪スタッフが赴き、問題となったビデオテープを回収しに行く。この時、「暗くなってから現場に行ったんじゃ、心霊スポットに行く心霊系YouTuberとやってる事一緒じゃん」と中村氏自身が語って、そうした心霊映像作品によくあるスタイルに異を唱えつつも、結局は夜間の心霊スポット探索という映像になってしまっており、どうせなら昼間に訪れたにも拘らず霊現象に見舞われるといった演出の方を見てみたかった(夜間の方が加工しやすいだろうとはいえ)。
しかし、こうした行き当たりばったりでツッコミどころ満載の構成は、ともすれば“笑い”の一種だと捉える事も出来、そうした笑いを楽しめるかどうかによっても、本作の評価が分かれそうである。個人的には、こうした笑いの要素をふんだんに取り入れた作品を、『100』という記念タイトルではやってほしくなかったというのが素直な感想である。
【事件の経緯】
ママさんバスケチームの監督をしていた、雇われ住職のシゲモリ(仮)は、妻子ある身でありながら、チームメンバーの和子さんに惚れ込んでしまい、度々ストーカー行為を繰り返していた。執拗なつきまとい行為は警察沙汰となる事態にまで発展し、弁護士による介入も行われた。しかし、1999年とは、翌2000年に起きたストーカー殺人事件によるストーカー規制法の制定前であり、シゲモリの行為を法的に罰する事は出来なかった。
やがて、シゲモリは“神迎え”と呼ばれる儀式を行った映像を和子さん宛のママさんバスケの試合映像に紛れ込ませ、和子さんがそれを再生した事により「家に迎えられる」事が可能となる。和子さんは急性肝炎となってその年の11月に亡くなり、シゲモリはその前の月の10月に謎の失踪を遂げていた。シゲモリの娘は、まだ生まれたばかりであったのにである。
調査の結果、災いの元凶となっている映像は“神送り”と呼ばれる川に流す処理が行われておらず、スタッフは神送りの儀式を済ませた後、ビデオをお祓いする事で、一連の怪現象は終息に向かった。シゲモリは恐らく、和子さんと霊体となって永遠に結ばれる事を望み、彼女を病に罹らせる意図で映像を製作したと思われる。
【冒頭のAirDrop事件の犯人は?(ナレーション風)】
ここで、皆さんに一つ思い出してほしい事がある。鷲巣氏のAirDropに送り付けられてきた投稿映像。この事件の犯人は、未だ判明していない。しかし、当時シゲモリには生まれたばかりの娘が居たはずである。娘であれば、件の投稿映像のマスターテープを所有していても、何ら不思議ではない。
鷲巣さんは一連の怪現象から解放され、コロナ罹患からも無事復帰し、同じ大学で大学生院に在籍する三上茜(仮)さんと交際する事になった。この三上さん、いつも「赤い服」を着用しており、ラストでは真っ赤なドレスに身を包み、満面の笑みで鷲巣さんの部屋でリモート通話に参加している。
まさか、シゲモリの娘はこの三上さんであり、彼女は亡き父親の遺した神迎えの映像を用いて、父親と同じように愛する人と結ばれようとした…とでも言うのだろうか。
【総評】
傑作である『55』と比較すると、本作はどちらかと言うとファンムービーの側面が強く、好き嫌いが分かれるかもしれない。個人的には、シリーズの集大成を期待していただけに、これまでのシリーズにあった作風とは違ったファン向けな作りに肩透かしを食らってしまい、それ程楽しめはしなかった。
記念タイトルという事で、番外編的な立ち位置として鑑賞すれば、途中途中挟まれる様々な笑いの要素も相まって楽しめるかもしれない…とでも言うのだろうか。