落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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背景にある社会的構造は?
自宅のバルコニーから転落死した夫の死が、自殺なのか妻による殺人なのかをめぐる裁判の話。唯一の証人である息子は目が不自由という設定になっている。
全体としては淡々と展開していくが、夫婦喧嘩のシーンと法廷でのシーンが迫力があった。
夫婦間に屈折した関係性がある。成功している妻と挫折した夫。夫の被害者意識とその被害者意識を疎ましく思う妻の関係性。逆の立場も含めれば、多かれ少なかれ多くの夫婦間に見られるのではないか。結局のところ真実は不明である。しかし、妻の殺人だと断じている人達には、自殺であろうと他殺であろうと夫を死に至らしめたのは妻だという思いがありそう。
全体的な構造として女対男になっている。妻の味方は女性で、敵は男性だ。唯一男性で妻の味方なのは弁護士だけ。ただ、この弁護士は古くからの友人であり、かなり親密な関係がある。妻の味方ではあるが、妻の無実を心から信じているとは言い難い気がする。一方でアシスタントの女性弁護士は妻の無実を信じて疑っていないようだ。
なお、息子にとっては夫婦間の争いでどちらの側につくかの結論を迫られることになる。息子の目が不自由なことも家族の関係性を表すメタファーになっている。
登場人物の性別がすべて逆になったら、まったく異なる印象を受ける映画になりそうだ。そう考えると『落下の解剖学』というタイトルは奥深い。この出来事の背景にある社会的な構造を解剖しているようだ。
なるほどなるほど
解剖されてるは、私たちの浅はかな、移ろいやすい感情ってこと?!
真実はひとつ!ってコナンくんが言うけど、この映画はそれは重要じゃないんだ。と思ったら、☆1.5だった点数を2.5にした。
ゲスすぎた検察官?は、SNSだね。
自分の理論正義を押し付けようとする生物。
気をつけよう。
てかそもそもパルムドールをとったという情報で、期待値が高くて、勝手に☆減らしたりしてるから、私の感情は支配されている。
受け継いだ才能
父の不審死、被疑者になった母。
法廷で赤裸々に切り取られ公開される情報や、決められた方向へ導く会話、報道や実際の場面で周りのおとなたちの言動。
「昨日から何を信じればいいのかわからない。
僕を助けて!」
それを浴びなければならなかった少年の惑いがわかる言葉だ。
そして辛辣な日々は彼を決心させる。
「もう傷ついている。
だから話を聞きたい。
立ち直るために。」
その現実で父亡き後の母と暮らしていく為の選択だ。
彼の見えない目は、きっと誰よりもはっきりと表情を捉え空気を拾い組み「ストーリー」を組み立てた。
息子の覚悟を見抜いた母ならではの視線がおもわず一瞬止まり、証言台からわずかにそれていく。
これまでのただの母と子の立場はこの時終わったのだと思う。
あの証言で信頼を得た彼は、両親の人生の歯車のずれに自分が関わっていることをずっと感じながら過ごしてきたはず。
だから、判決後にメディアに対し「息子に電話して家へ帰りたい」と語った母の言葉を聞いた顔は特別に嬉しそうだった。
そしてそれがとても純粋だったことが余計に哀しい。
なぜなら、母が弁護士に判決後の気分を打ち明けたように、ダニエルにもあった期待と現実。
帰りを待ちながらダニエルがどんな気持ちでいたか。
その後母子が交わした言葉と抱き合う姿があるが、そこには疑いが晴れた喜びや幸せはやはりみえない。
過ぎた事実につけた折り合いを分かち合い共に生きる決心だけが通じ母を慰めるように成長したダニエルがいた。
ひと段落ついた深夜、ひとり横になる母の隣りにすたすたと来た犬。
犬は人が隠しても持て余す心を察してそっと寄り添う。
薄明かりの闇の先を真っ直ぐに見つめるその鋭い目は、ダニエルが弾くピアノの音色がその時々の心情をうたう唯一の真実なのだということも知っている気がした。
真実ほど見えない
2023年のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。
カンヌのパルムドール受賞作って、アカデミーの作品賞より時々合わない。一昨年のゲロクソ映画『逆転のトライアングル』なんて何であんなに評価高いの…?? マジ分からん。
しかし今回は…
フランス雪山の人里離れた山荘。
一人の男が不可解な転落死。
発見者は、11歳の視覚障害の息子。
容疑者は、男の妻。
裁判が開かれる。疑惑と嘘が入り交じる中、明かされていく真実。夫婦の関係…。
事件の経緯はこうだ。
その日、妻サンドラは取材を受けていた。サンドラはベストセラー作家。
ところが、夫サミュエルの部屋から大音量の音楽。集中出来ず、取材は中止。
サンドラは仮眠の前に少し仕事を。夫が大音量で音楽を流すのは日常茶飯事で、耳栓すれば支障は無い。
その時、夫婦の間で話が。言い争いか、喧嘩か…?
程なくして、飼い犬スヌープと外に出ていた息子ダニエルが、物置の近くに倒れていた父親を発見する。
状況から、山荘のバルコニーから転落した模様。事故か、自殺か、それとも…?
事件には幾つもの疑惑と嘘が。
転落死した夫だが、致命傷となったのは、頭部の強い殴打。
物置の血痕。ただ転落して付いたようなものじゃなく、突き落とされてその際付いた状況が濃厚。
犬と外に出ていたダニエル。両親の言い合いが始まると、いつも外に出ていたという。
その日の言い合いを外で聞いたと始めは供述。その後一転して、勘違いで家の中で聞いたと。
夫婦は日頃から言い合っていた…?
サンドラの供述も信憑性が…。
一見、良妻賢母。知的。
その一方、底知れぬものも…。
腕の痣についてキッチンでぶつけたと言うが、本当は…。
不倫していた事やその人数も偽っていた。
裁判でマイナスのイメージが付くからと弁解するが…。
元々ロンドンで暮らしていた家族。夫の故郷であるフランスに戻ってきたのは最近。(ちなみにサンドラはドイツ人)
教師であった夫。山荘を改装し、宿泊もやる事で借金を返そうとしていたが、上手く行かず…。
精神科医に通い、薬も飲んでいた夫。借金が理由ではなく、その前から。
ダニエルの失明。ある事故で…。夫が原因。サンドラはそれを責め…。
薬の服用を始め、自殺未遂も…。夫を責める事を止めたサンドラ。
だから今回も自殺したと主張するサンドラ。しかし以前の自殺未遂の事を急に思い出したように言う。
ダニエルの事故があった時、夫は苦悩。サンドラは…。不倫。相手は男ではなく、女性。バイセクシャルであった。
事件当日も、サンドラを取材していたのは若い女性。サンドラは少しお酒を飲みながら。
いい雰囲気。仕事も順調。それは俺への当て付けか…?
裁判中もサンドラはダニエルに心配かけまいと、パパを愛していたと言うが…。
夫のUSBメモリーから事件前日の修羅場の音声が…。
サンドラの為にずっと譲歩してきたと言う夫。仕事も、ダニエルの世話も。
サンドラも反論。
夫は教師の傍ら、執筆も。行き詰まり、書くのを止めた。
そのアイデアをサンドラが貰い、小説を出した所、ベストセラーに。
サンドラは一部のアイデアは了承の上貰い、ほとんど自分のオリジナルと言うが、端から見れば…。特に夫からすれば…。
本の内容も少々問題。自伝を兼ねた内容。息子の事故、夫婦の修羅場。夫へ殺害意欲を思わせる描写も…。
日常の音や会話をよく隠し録りしていた夫。わざと妻を挑発していたようにも…。
疑惑と嘘。憶測と真実。
いずれも確かのようであり、偽りのようでもあり…。
どれもが紙一重。『羅生門』の如く、分からなくなってくる。
そんな時、ダニエルがもう一度証言を。何を話そうとするのか…?
ジュスティーヌ・トリエの緻密な演出と夫アルチュール・アラリとの共同オリジナル脚本は、非常に見るものを引き込む。
第一発見者を視覚障害者にした事、回想シーンでも最も重要な点を敢えて見せない。真実は見えない、もしくは見えにくい。それを大胆にも活写。見る側を惑わし、意欲的な挑戦にも感じた。
初めて知ったのは、2017年日本公開の『ありがとう、トニ・エルドマン』。その時も印象的だったが、本作に於けるザンドラ・ヒュラーは圧巻。普段は物静かで知的だが、あるシーンでの爆発的な感情。女として、妻として、これが本当の顔なのか…? 昨年のカンヌではもう一本の出演作『関心領域』も絶賛され、まさしく“ザンドラ・イヤー”であった。
旧知の弁護士、対する検事も好助演するが、とりわけダニエル役のミロ・マシャド・グラネールくん。視覚障害の第一発見者、作品に於いても事件に於いてもキー。複雑難しい役所を素晴らしく演じ切った。
カンヌでは“パルム・ドッグ”も。あのワンちゃんも好助演。でもお願いだから、ワンちゃんで実験しないで~!
“落下の解剖学”というタイトルから、もっと“ガリレオ”的な科学的ミステリーと解明を期待した人もいるかもしれない。
作品の主軸は事件のサスペンスや犯人より、その背後にある秘密。
超冷めた言い方をすれば、夫婦喧嘩の裁判。それを2時間半延々見せられるだけ。日本のことわざにあるじゃないか。夫婦喧嘩は…云々って。決して夫婦で見てはダメ。家族やカップルでも。
退屈、中身ナシ…。否定派の意見も分からなくはない。私だって『逆転のトライアングル』はダメダメ派なのだから。
しかし個人的に裁判劇が好みという事もあり、見応えあった。カンヌ・パルムドール受賞作としては『パラサイト』以来の当たり。
ラストも尾を引く。
判決が下された。
本当にそれが正しかったのか…?
サンドラもダニエルも本当に真実を語っていたのか…?
ふと、思ってしまう。
何処か晴れない。心に影を落とした母と息子の今後…。何だか映画版『白い巨塔』の最後が頭を過った。
夫婦の関係。家族の関係。子供から親への思い。親から子供への思い。…
真実はいつも一つ!…と何処ぞの名探偵は言うけれど、時に真実ほど見えない。
ずっと、裁判員的な気持ちで観てしまう・・。
劇中の人間描写がうまい作品も多くありますが、
この映画は "観ている側" の心と頭を理解して、それを、かき回してくる作品だと感じました。
みせる順番、時間を間違えれば、単調になってしまうところを、非常にうまく構成しています。
最初「解剖学」という名前に "?" マークでしたが、観た後は納得でした。
この映画は、1つ1つ細かく解剖していくような作品です。
しかも、どこまでいっても、グレーな状態にするのも、ある意味、凄い。
ワンちゃんがグレーなのも、計算だったら、より凄い(笑)
もし、こんな事件の裁判員になったら、自分はどうするのだろう。
どう、その事件を解剖していくのだろうか、と考えてしまう。そんな作品でもありました。
これを観た皆さんは「他殺」「自殺」「事故」「不明」どう解剖結果を出したであろうか?
見方によって
ん?頭殴られて転落してるなら殺人じゃん?
ダニエル(息子)の葛藤もわかるけど、結局母の無罪に心が決まったんだね。裁判員の心はダニエルの証言で100%自殺に流れたよね…。今まで父がやってたことをあの母が果たしてできるのか?
ん…無罪にはなったけど、大丈夫なんか…っていう心配しか残らなかったです。
でも、テンポは好きです。じわじわ出てくる真実。
「〜学」とあるからと言ってロジックのある話とは限らない
気にはなっていたが公開中に見損ねてしまい、単館名画座でやってるのにたまたま出くわしたので鑑賞。映画にあまり予備知識持たずに見る主義だが、こういうこともあるのか、、、と思い知った。
映画としてハズレ、ということはないが玄人好みの人間ドラマ。
尚見終わった後に邦画のタイトル翻訳に問題があつたんだろ、原題は?と思って見直したら「amatomy of a fall」と何のテライも無い原題、ということは監督か、、、。
タイトルに学、とあるからロジックで法廷劇が繰り広げられるのかと思いきや、夫婦仲やら何やらフランス(ユーロ)の社会問題をいくつか投げ込んで視聴者に素のまま判断させる、そんな感じ。
導入でフランス映画、ということが分かつた時点で嫌な予感はしていたが、事件後、法廷に到着するまでの展開は冗長で、カメラワークも単調。2時間半というのはこういうことか、と覚悟を決めた。
法廷での検察、弁護士の丁丁発止のやり取りは面白いが展開がやはり遅い。
息子が何故結審を延期させてまで陳述の場を要求したのか、何故そのときだけ傍聴人が数人しかいないのか、一体真犯人(自殺含め)は誰なのか何も決定的な事実が、明らかにされないまま被告人のベッドに犬が寄り添ってエンドロール、というわけのわからない締め方で終わる。
勝訴を勝ち取った後に御飯を食べて帰る下りや、子供から追い出されて弁護士の車でホテルに向かう道で謎のカット(真っ暗な山道にヘッドライトが照らされてカーブを二度三度曲がる)が挟まったり、最近の尺を詰めて作る日本映画慣れてるとそれ要るの?というツッコミを何度も呑み込む必要あり。
法廷でも一貫して論理ではなく感情で判決を有利に進めようという流れだし、フランス映画はまだこういう情緒で尺を伸ばす映画が許されるんだなあと感慨。
実は自分は最後の最後にドンデン返しで目の見えない息子が犯人説と、クライマックス?の録音喧嘩の後は、「実は前日の、喧嘩のときに既に死んでてそれを翌日まで隠してた」説のどっちかだろうと踏んでた。
ものの見事に裏切られたので、犬が添い寝してエンドロール、というエンディングの後は頭がグルグルして席から立ち上がれなかった。
そういうロマンス、社会問題ネタとしてはいい映画だと思うんだが、いかんせん自分の趣味には合わなかった。
スリラーではなく、人間ドラマ
鑑賞後3週間たったいまでも、父親が息子に車の中で伝えた「遺言」が、忘れられない。
あの言葉を「遺言」と解釈し、決定づける決断をした息子の勇気。
母親は無罪となったけれど、大団円にはならない。終わったわけではない。父親がいなくなった現実は変わらない。
藪の中で起こること
夫が家から落下し死亡した。
これは自殺か?殺人か?もし殺人だったとき犯人は妻なのか?そんな疑問を解くことをキーとしたミステリーではなく裁判で語られる死亡までの夫婦を含めた親子関係、そして裁判そのものをリアリティ感を高めて描き観てるものを惹きつける。
そのため事件事故の判断そして善悪の扱い方は観てるものに委ねるといった方法はとても上手く描けている様に思えた。
解剖され露出したはらわたは戻らない
カンヌとアカデミーで評判のサスペンス映画で、山荘で男性が転落死した事件で妻が殺人容疑で逮捕、起訴されるお話しだけど、なんとも後味の悪い作品でした。美しい雪山の風景の中、夫の謎の死で始まる出だしはいいけど、警察の調査や弁護士とのやり取りなどダラダラと続き、お話しのテンポが悪いです。後半の裁判になってやっと持ち直すけど、検察も弁護側も状況証拠と臆測だけで決め手がなく、夫婦の生活の暴露合戦になってきます。ここで、この作品はいわゆる法廷サスペンスでなく、審理の過程で夫婦関係を解剖していき、性的嗜好や不倫、鬱屈、暴力、病気など、他人には見せられない夫婦の内臓を曝け出していくことがテーマであることに気づきます。しかし、裁判が被告側の勝利に終わっても、一度晒された内臓を元には戻せず、息子や関係者との間の埋めようにも埋められない断絶が残るのも苦い結末です。脚本の着想は面白いけど、枝葉末節が多くて上映時間は長過ぎですね。役者では、サンドラ・ヒュラーが渾身の演技。ハリウッドでリメイクするなら、主演はケイト・ブランシェット、弁護士は伊勢谷友介かな。
複雑なものを複雑なまま丁寧に描く映画
ファクトというのがいかに曖昧かというのは羅城門を彷彿とさせ、言葉とコミュニケーションが夫婦の軋轢になるのは、ドライブマイカーと似ている。
他国が舞台だが、人間の描写がとてもリアリティーがある。たぶん、それぞれの人間が法廷では真実を語っているのに、完全には信用ができない。しかし、演技の迫真さにより、それぞれの感情はスクリーンを通じて伝わってきて、それぞれの立場に感情移入はできる。だけど、完全に信じることもできない。見ているものに複雑な気持ちを常に突きつける。
すっきりしないもやもやは2時間半続く。証言を裏付けるものはとても曖昧で、証言そのものが発言者の立場や気持ちにより、バイアスがある。よく考えたら当たり前の話なんだけれど、緻密な脚本と演出により、胡散臭さく人間臭い人たちのまるで人狼ゲームのように虚偽を言っているのではないかと見ている側は感じてしまう。
いちおうの結末は決してワーストな結末ではないが、ベターなものでもなく、ハッピーなものでもない。真実はなんであれ、悲しみを感じる結末だ。
こんなカタルシスもミステリーが解決するともなく、正義に酔えるものでもない、ただ不安定な気持ちを鑑賞後に突きつける作品は珍しく貴重だ。
夫婦のコミュニケーションをテーマにしたドライブマイカーの方が救いがある。
夫婦はお互い母国語で会話するとも出来ずに、自分は我慢していて、お互いの犠牲になっていると感じていて、家庭のために生きていて、相手を思い遣ってると思っているが、それが苦しみや歪みを産んでいる。傍目からみたらうまく行っている家庭もこのような苦しみがあるのかもしれない。言葉さえお互い不自由なく使えたら問題は解決するのかと言えばそうでもない。
しかし、不幸な家族なわけでもなく、ありふれた家庭に起こりうるミスコミュニケーション。
全くすっきりしない。何も解決しない。だけど、2時間半の長丁場を飽きさせることなく見せれる映画。人を選ぶだろうが、見て良かったと思える映画だった。
フライヤーの一文で顛末が見えていた
フライヤーには下記の内容が記されている。
雪山の山荘で男が転落死した
男の妻に殺人容疑がかかり
唯一の証人は視覚障がいのある11歳の息子
これは事故か自殺か殺人か
このフライヤー、実はもう答えが載っているんだよねΣ(´∀`;)
見る前からだいたい分かっていた。
自殺が答えだ、ってね。
案の定だったよ(;´Д`)
何で自殺だと分かったかと云うと、フライヤーを作った人が文章構成を考える際に、自殺だと顛末が分かっていたから殺人と匂わせながらも最初の段階で事故か自殺と切り出している点で殺人じゃない、事故に見える自殺だと云いたいことが読めた。
本編では、警察が詮索しすぎた結果、単純に考えて事故か自殺で処理するべき事案を血痕に不審点がある理由から殺人の可能性もあると考えられてしまい裁判になってしまったのだが、裁判のシーンがまあ長いこと。息子のダニエルが父親が亡くなるまでに自らの死を仄めかす発言をしていたことが立証され妻は無実を勝ち取るのだが、そこまでの長い長い裁判は本当にあそこまで尺が必要なのか?
もっとカットして余計な部分は割愛すべきなのに夫婦喧嘩をしていたことも何回も紹介するべきシーンなのか、重要だと意味づけるシーンだけで良いのにダラダラと話が続くから眠くてしょうがない。
結論、妻の才能に負けたと思った夫が焦った末に精神的にも追い詰められた結果が自死だった。息子の事故を夫のせいだと責任転嫁で追い詰める妻もどうかと思うが、一方的に責められ更に妻との収入面においても格差が生まれたという点で負けを認めたくないプライドの高さが動機となったのだろう。
心地の良いモヤモヤ感
「犯人はお前だ!」とか「これが真実だ!」みたいな結末のしっかりしたミステリーが好きな人には、もしかしたら刺さらないかもしれない。最初に抱いたモヤモヤ感は観進めるにつれて増幅し、結局最後まで観ても全く解消されない。そして観終わった後も残り続ける後味の悪さ。これは間違いなく観る人を選ぶ作品ですね。
私個人の感想としては、「冗長で退屈に感じる場面も多かったけど、最終的には面白かった」という感じ。大絶賛しているレビュアーさんの気持ちも、批判しているレビュアーさんの気持ちも両方理解できます。
決してエンタメ映画ではないのでデートムービーや家族で観る映画としては不適当だと思います。しかし、映画好きが一人で鑑賞後に色んな人のレビューを読み漁って、「こんな解釈もあるのか」と楽しむには最高の映画だと思いますね。
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人気小説家として活躍するサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、夫と息子と共にフランスの片田舎にある山荘に住んでいた。一見幸せそうな家族だったが、ある日夫が家の目の前で死亡しているのが発見された。現場に居合わせたのは、視覚障害を持つ息子のダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)だけ。窓から転落死したと思われていた彼の遺体や現場の状況にはいくつか不自然な点があり、検察は妻のサンドラに疑いの目を向けることになる。彼女は起訴されて裁判にかけられることになるが、その裁判の中で夫婦間の様々な問題が浮き彫りになっていく。
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本作の最大の特徴は、最後まで観ても結論が分からないことです。
そして本作最大の魅力も、最後まで観ても結論が分からないことです。
私は本作を観て、𠮷田恵輔監督の名作『空白』を思い出しました。万引きをした女子高生を捕まえたスーパーの店長。女子高生が逃走し、それを追いかけている途中で、女子高生が車に轢かれて絶命してしまう。本当に彼女は万引きをしたのか、果たして自分のやったことが正しかったのか。誰も分からないまま、事件の関係者が悩み苦しむという内容の映画です。事件の当事者である人たちでさえ、事件の真相については何も分からないまま物語が進むのに、テレビのコメンテーターや世論は聞きかじった程度の知識で事件の真相を決めつけ、女子高生やスーパーの店長を糾弾し、中には実際に嫌がらせなどを行う過激な者も現れる。これが『空白』の大まかなストーリーです。
本作『落下の解剖学』もまた、事件当事者であるはずのダニエルは真相が分からないまま物語が進むのに、テレビのコメンテーターが「自殺よりも殺人だった方が面白い」と無責任な発言をする。外野の人間ほど、まるで真相を知っているかのように事件を語る。これが本当に印象的でした。
「これは 事故か、自殺か、殺人か―――。」というポスターのキャッチコピーを見ると、てっきり夫の死の真相を探る女性の話かと思ってしまいますが、この映画は最後まで真相は分からないまま進みます。最終的には裁判でサンドラの無罪判決が出ますが、検察側が裁判で話していたように、いくつかサンドラの言動には不自然な点があることは否めません。この映画ではサンドラは所謂「信頼できない語り手」というポジションにおり、観客は完全な傍観者として、確証の薄い証拠と当事者の主観的な証言のみを根拠に、事件の概要を推測することになります。
監督のジュスティーヌ・トリエ氏はインタビューで「この映画に回想シーンは一つもない」と語っています。裁判中にこっそり録音していた音声を聴くシーンで、夫婦喧嘩のシーンが描写されていましたが、あれも回想ではなく録音を聴いた傍聴人が空想したシーンでしかないみたいです。
誰も決定的な証拠を持たない状態で迎えた最後の裁判シーン。最後の最後に、ダニエルが重要な証言を行い、それが決定打となってサンドラは無罪を勝ち取ります。これはこの映画の肝となる素晴らしいシーンで、ダニエルが父を殺したかもしれない母親と共に生きる覚悟をしたという、幼い子供に強いるのはあまりに厳しい判断です。
ラストに飼い犬がサンドラの傍に来て寛ぐというシーンも意味深でしたね。人間より鼻も耳も効く彼は、もしかしたら事件の真相を「知っていた」のかもしれませんし、アスピリンを自分に飲ませたダニエルではなくサンドラを「選んだ」のかもしれない。しかしこれも根拠の薄い妄想にしかすぎません。
この映画を観た方とぜひ語り合いたくなる映画です。難解なところや退屈に感じるシーンがあるのは否めませんが、それでも観る価値のある作品だと思います。オススメです。
ミステリーではないな
藪の中な感じ。藪の中読んだことないけど。
人間なんてどうせみんなちょっとずつ嘘つきなんだから、そんなの映画でわざわざ見たくないというのが正直なところ。
息子が凄く成長して行く(サスペンスと勘違いして鑑賞)
亡き父のことを思うと初めは悲しくてベッドから出られない息子が成長して行く物語。お父さんが亡くなったことを理解しなきゃという風な言葉を発し実行。最後は証言台に立って、自分の考えをまとめ結論づける。母は推定無罪なのだろう。弁護士には殺していないとは言っている。勝訴しても、夫は居ない。勝った!というより虚しいだけ。
良くできたサスペンスドラマ!
描きたいのは事件の真相ではなくて、真相はある程度明示されているもののその真相≒事実を各自はどこまでいっても触れることができないという事実だと思う。それは結局、事件だけの話ではなくて、相手の本音についてもそうだ。いくら家族でも語り合っても議論しあっても本音≒事実に触れられるとは限らない。夫の苦しみに妻は冷淡だし、妻の指摘を夫は拒絶する。家族だからといって常に寄り添えるとは限らないし、理解できるどころか、利害関係が最も対立する相手にすらなりうる。
事件のほうはといえば、息子がどれだけ真実に迫ろうとしていたかは愛犬への行為ではっきりわかる。そして、ラストのあの犬が寄り添う先が示すのは、この作品で間違いなく無辜の存在であることからして、サンドラも手は下してないのだと思う。真相としては、夫の激昂、復讐、俺がこんな死に方をしたら困るだろうという行為だと考えるのが妥当だと思う。
諍う夫婦、そしてその片方の変死という比較的よくあるテーマでもこの作品が新鮮さを感じさせるのは、夫の怒りが一昔前なら顧みられないよくある妻の嘆きと似ていることかもしれない。不貞も、バイセクシャルも男の特権ではないという男女逆転的構図。そして、ザンドラ・ヒュラー演じるサンドラが、ありきたりなファム・ファタルでもなく煙に巻こうとするわざとらしさもなく、淡々としていてそこがよりこの作品を複雑なものに感じさせていると思う。
ラストシーンの息子と母は、判決がどうであろうとそれはあくまで法的処分でしかなく、彼らはこれから疑念と悔恨とわだかまりを抱いて生きていくことを示しているように思えた。そういう後味の悪さが、この作品で最もサスペンスフルだと思った。
ただのサスペンスではない‥くらいの前知識で観に行ったけれど、とても...
ただのサスペンスではない‥くらいの前知識で観に行ったけれど、とても良かった。
この曖昧な現実を、我々はいかに思い込みでジャッジしているか、考えさせられた。
主人公が有罪なのか無罪なのか、気づいたら惹き込まれていて、最後にはぐらんぐらん揺さぶられた。
最初は、まぁ無罪なのだろうな雰囲気だけど、主人公の微妙な性格やネガティブな本性が見えてくると有罪かもと思い、そして夫婦喧嘩のシーンは圧巻でどちらの言い分も理解できるし、回想と現在の切り替えも秀逸だと思ったりしながら、裁判で無罪の判決が出てもなお、やっぱり殺ってるんじゃないかと思わされたり、最後に犬が寄り添うシーンでは、やっぱりいい人だったんだ、無罪なのか‥と思ったり。
友人弁護士といい雰囲気だったのに、じっと目を見つめたあと離れたのは、彼に有罪だと思われていることを主人公が気付いたからなのではとか。
結局、真実はどうでも良く、どう思われているかが我々の現実には威力を持つということがとてもリアルだったし、面白いと思った。
息子くんの供述がお父さんの口パクとピッタリ合っていたのも面白い演出だったけど、あれで息子は、今後の生きていく未来を考えて、お母さんを無罪にしたんだと思ったりした。
最終的に、誰も真実などどうでも良くなったのかもしれない。
全144件中、21~40件目を表示