落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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微妙
法廷物としても家族物としても人間の負の側面についても微妙で物足りなかった
法廷物として、真実が明らかにならないまま終わるのはいいのだが、それで何がどうなったかというと主人公の性根がかなり終わっているという事実と、そんな母親がダニエルとこれからも生活していくという未来だ
見ていてなんの喜びもカタルシスもない
ついでに言うと主人公がこれまでの行いを反省するような描写も無かったので、きっと母親はこれからも精神的安定を言い訳にどっかの男や女と盛り、ダニエルの勉強も見ずに生きていくのだろう(主人公はダニエルの面倒を見ることを自身の時間が削られる行為としか認識していなかった)
この映画で盛り上がったのは法廷で明かされる夫婦喧嘩のシーンで、主人公の性格が前述の通りまあまあ終わっていることが分かるシーンなのだが、それを見てダニエルがどう感じたのか、何を考えて最後の証言に至ったのかが描写が不足しておりイマイチ感情移入できなかった
そこがあやふやなのがいいんだろと言われればそうなのかもしれないが、旦那の死の真相も明かされないまま何から何まで真実は藪の中とされると流石に文句の一つも言いたくなる
こんなことならダニエルを主人公に据えて母親のイメージと実態に苦悩する姿をもっと見せてほしかった
法廷物としてなら「それでも僕はやってない」とか「十二人の怒れる男」の方がよっぽど面白い
何が描きたいのか全く分からなかった映画だったが、他の人がレビューで書いていた「旦那から妻への復讐物」として考えれば色々筋が通るのでこれからはそう考えようと思った
死人に…無し。
冒頭から大音量の音楽が不快な感じ
を受けた
何か嫌~な思いがたちこめる
ここは意味があるのか
わからないけど。
…夫が突然の転落死
事故か自殺かあるいは妻による殺人か
そこから主人公の行動が重要な
ポイントとなる
彼女が質問に答えているところは
なぜかウトウト。
あまり引き込まれない
裁判が始まってからやっと
裁判の行方は彼女が殺したみたいな
展開だったが…
…わたしは殺していない。
と言い切る
ほぼ彼女の心情と言い分を
聞いているだけで
彼の言い分としては残された録画のみ
(ここで彼の不満が爆発している)
そして息子が記憶の中の
父の言葉を思い出す
見えかたが変わる
彼女が殺したのか殺してないのか
自分には分からないけど
息子の証言で判決が決まった
息子としては大好きな父親を亡くし
ショックで辛かっだろうし
その上、母親を失うのはもっと
辛いものがある
彼女も
夫を追い込んでしまったことは
裁判に勝っても気持ちは晴れない
裁判では決着がついたけど
犯人捜しではなかった
もう少しおもしろい展開を
期待していた
この感覚は、そう、HUNTER×HUNTERを読んでる気分!
一つの事件にフォーカスして150分描かれる。
法廷シーンはかなりのセリフ量かつ、長時間であるが、そこに夢中になれるかが、大きな分かれ目となる。
まるで、漫画であるのに大量の文字で心理戦と駆け引きが描かれるHUNTER×HUNTERを読んでいるような感覚でなった。
自分は大好きであるので、一言一句漏らさず聞こうと集中して観ることができた。
その心理戦もさることながら、夫婦関係、セクシャリティ、障がい、親子愛など、さまざまな要素が組み込まれながら、観客自身が陪審員のように揺れ動きながら体験できるのが新鮮であった。
法定内のカメラワークも覗き込む視点で、惹き込まれる。
裁判というものは、論理的でありながら、人が判断する以上、感情に左右されるものだと痛感する。(少なくともこの作品では)
真実はどうかはわからないが、いささかキャラクターが立ちすぎているがために、意外性というものは少なく感じた。
とはいえ、さすがの俳優陣の演技で、評価されるのも納得の一作。
にしても、邦題が直訳でも日本語的にハテナで、どれくらい観たいと思えるのか。こういうときにお得意の意訳を使ったほうがいい。
脚本は監督とパートナーの共同執筆
人の本性なんて簡単には分からない
不審な墜落死を巡るミステリーだが、誰が犯人かを推理する話ではなく、殺人の嫌疑をかけられた妻が、本当に夫を殺したのかどうかが物語の焦点となる。
「やったことを証明するよりも、やっていないことを証明する方が難しい」と言われるが、裁判における妻側の弁護は、当然、難航することになる。
決定的な証拠がないため、検察側も憶測でしか妻を追求できない中で、夫が死亡する前日に、彼が録音していた夫婦喧嘩の音声により、妻と夫の真の関係性が明らかになる過程は圧巻である。
夫婦喧嘩のやり取りだけを聞けば、自分が小説を書けないことを妻のせいにする夫の言い分よりも、それが言いがかりであることを論破する妻の主張の方が筋が通っているのだが、妻が夫に暴力を振るったことや腕のあざの原因を法廷で偽証したこと、あるいは、彼女が過去に女性と浮気をしていたことなどが明るみに出て、それまで間延びしていた感のあった法廷劇が、俄然、面白くなる。
そうした、妻にとって不利な状況を覆すのは、新たに追加された息子の証言なのだが、彼には、勘違いだったと証言を修正した過去があるし、「真実が分からないなら、自分で真実を選ぶしかない」みたいなアドバイスも受けていたので、彼が本当のことを言っているのかどうかは、最後まで分からない。
そもそも、彼の視覚に障害があるという設定が、ミステリーとしての面白さにほとんど活かされていないのは、物足りないとしか言いようがない。
ラストで、実は息子は真実を知っており、裁判での判決とは異なる結末が示されるのかもしれないと期待したのだが、結局、そうした「ドンデン返し」はなく、その分、深い余韻を味わうことになる。
どこか釈然としないモヤモヤは残るものの、変にウケを狙わないところには、作り手の誠実さが感じられて、決して落胆させられるエンディングではなかった。
終わってみれば、小説家として成功した妻を妬んだ夫の惨めさと、そんな夫の原案を基に小説を書いて成功してしまった妻の神経の図太さばかりが印象に残るのだが、そうした妻の本性が白日の下にさらされたのだから、ある意味、夫の復讐は達成されたのかもしれない。
裁判に勝っても素直に喜べない妻の姿を見ると、そう思えるのである。
ちょっと違った法廷もの
「犯人は妻か」の真相を解き明かす法廷ものではなくて、一つの家族のドラマでした
思っていたのと違ったけど、主人公サンドラ演じるザンドラ・ヒュラーと子役の男の子、この2人の演技がすごかったと思います
自分も裁判に参加しているような気持ちでいろんな証言や検察の言い分を聞きながら進むストーリー
物的証拠が出るわけじゃなくて、出てくるのは状況証拠ばかり
だからザンドラも怪しく感じるし、息子の証言も本当の事なのかと疑ったり、みんなが自分の思惑通りに裁判を進めようとしているように思えて真相は何なのかラストまでずっと考えていたけど、そういう終わり方なのか…でした
この作品にはあの終わり方が良かったようにも思います
ストーリーには全然関係ないけど、やっぱり子供にとって両親が仲良いのが一番だとつくづく思いました
息子さんの今後が心配になった。
題名が「落下の解剖学」とか・・・大変意味深長に感じましたので、当初医学的な見地から真実に辿りつくミステリかと思いました。
しかし、検死のシーンなどあったもののそこに言及するのはほんのわずかで、殺人事件の法廷シーンを軸とした家族ドラマ、人間ドラマがメインの構成です。
殺人の容疑がかけられた女性作家が、自身の無実を証明するために、旧知の(元恋人?)の敏腕弁護士と共に法廷で戦いますが、自殺、他殺のライン・・・いずれも決定的な物的証拠はなく状況証拠を積み上げていくしかない状況。また、被害者の第一発見者である息子は事故で視神経に障害があり、かつ彼の証言も現場検証時に矛盾してることなど決定打に欠けます。日本の法廷じゃ物的証拠に乏しいから推定無罪だろうけど、フランス司法はどうなんでしょか?
法廷闘争が進むにつれ検察側は夫婦間のいざこざや女性作家のスキャンダラスな一面をクローズアップし彼女を有罪にしようと画策します。息子さんは母親の隠された事実に直面し、ショックを受け絶望しますが・・・という話。
この映画において観客が求めてるのは真実であって裁判の結果じゃあないのは言うまでもないのです。
しかし真実をあえて「ハッキリさせない」ことで観客の各個人的な検証や憶測を創出させ、作品にある種の余韻を持たすことにはまあ成功してると思います。
ただちょっと気になる点が。息子さん、何か・・・(優れた聴覚記憶で)認知しながらも母親が裁判で不利にならぬ様に「何かしら隠蔽」してませんでしたかね?
彼の今後のメンタル面がとても心配になりました。
まあ、これこそ私の憶測に過ぎないのだけれども(笑)。
証拠が無い場合、どう裁くのか。主役より子供と犬の名演が印象的。
証言や、録音など、次々に提示される中、なかなか真相がわからない展開に、150分の長さを感じませんでした。
最近、「結末は観客に委ねる的な」真相の直前でブラックアウトしてエンドロールという映画が多い気がしていて、本作もそうなるのではという予感がしていました。
個人的には、それでは、意見を提示せず観客のせいにする作品、脚本、監督が無責任だと思っています。
結局、本作では、裁判の結果は描かれますが、「真実」は描かれません。
劇中でも証言や録音の映像化はあっても、回想シーンはありません。
仮にラストで回想シーンで、本当は・・・と明かされても興ざめするだけなので、この結末には納得します。
真相は、本人しか知らないわけで、観客は劇中の被告人以外の人々と同様に、それまでに提示された情報、息子の証言を元に想像するしかない。
本編のセリフにもあった、有罪か無罪か判断が難しい場合でも、明確な証拠がない場合は、それまでの状況から、判断するしかない、というのと同じ状態に、観客も置かれることになって終わるのが素晴らしい。
主人公の妻の熱演よりも、目の見えない息子の名演に注目。
さらに、飼い犬のスヌープの名演技に見入ってしまった。
真実は観る側に委ねられる
フランスの山間部に住むある家族に起こる事件と、その事件の裁判を介して、この家族の関係性を浮き彫りにする作品。
冒頭、爆音で鳴り響くラテン音楽(恐らくクンビア?)とフランスの山々との不思議なコントラストが印象的だった。因みに個人的にはこの音楽は好みだったが(夫とは趣味が合う!)、作中の奥さんには嫌がらせと受け取られるほど大変苦痛だったようだ。
音楽が流れている間、弱視の息子は盲導犬と一緒に雪溶けの山道へ散歩に出かけるが、帰ってみると父親が血を流して倒れている。この、散歩帰りの息子の足下から盲導犬が遺体へ駆け寄るまでのパンが、何とも素晴らしいシーンだった。
本作については、最初は典型的な謎解きミステリーと認識されるよう、ある種確信犯的に作り手にミスリードされる構成となっていると感じた。(雪山→死体→アリバイ工作→謎解き→ドーパミンじゅわ〜のお決まりパターンを想像してしまったが、それも観る側の先入観だと思い知らされる。因みに私は、映画と音楽さへあれば、アスピリンもエスシタロプラムも不要な人間です…)
中盤から後半に掛けては、法廷シーンが続くが、ある音声証拠をきっかけに、その前後でこの夫婦に対する見え方が大きく変わってしまう。
エンディングで判決が出るが、真相は観る側に委ねられるといった構成で、モヤっとしたまま終了。
個人的感想は、真相は判決とは異なると思う。途中、弱視の息子は当初の証言を変えるが、視覚が奪われた人間は、逆に聴覚や触覚、その他の感覚が研ぎ澄まされるというが、息子の当初の発言は「勘違い」では無かったと思う。
この作品は、謎解きを目的としているのではなく、家族の関係性、特に夫婦関係と母子関係を描いていると思う。それから、真相が不明な事柄は、社会のシステムとして裁判により裁かれるが、判決は必ずしも真実と同じとは限らない様を描いていると感じた。ただ、作品の構成は特徴的だけど、テーマ性としては特に目新しいものでは無く、描かれ方も目を見張るような印象的な表現は無かった。結果、個人的にはそこまで惹き込まれる内容では無かった。
本作の比較対象として思い出したのは、昨年に見た「ザリガニの鳴くところ」、それから、昨年のカンヌ映画祭の審査員長も務めたリューベン・オストルンド監督の「フレンチアルプスで起きたこと」。前者は法廷ものとして、後者は家族における夫や父のあり方をブラックジョーク満載で自虐的に描いているが、テーマ性では本作に通じると思う。
追記:
夫が爆音で掛けていた音楽だが、調べてみるとドイツのスチールパン・ファンクバンド Bacao Rhythm & Steel Band(日本でいうところのリトルテンポみたいなバンドかな?) がラッパー50cent の PIMPという楽曲をカバーした音源のようですね(法廷でも言及されていた気がするが、理解できていなかったw)。てっきりクンビアか何かかと思ったのだけど、何れにせよ嫌いじゃない音楽だったからさっそくAmazon music でダウンロードしてしまった。爆音で流さないようにだけ気を付けたい。。。
神経がすり減る感じがした
プレゼン・コンペティション「落下の解剖学」
予告編を観た限りでは、サスペンスミステリーの様相だった「落下の解剖学」だが、もし一言で表現しなければならないとしたら、タイトルに書いた通り「プレゼン・コンペティション」になると思う。
数々の映画賞で脚本賞も受賞しているこの作品の最大のオリジナリティは、「立証不可能な変死事件」をどう解釈するか?という話しかしていないことだ。
頭脳明晰な名探偵も出てこなければ、観客にそのポジションを与えることも許さない。人物の表情を捉え続け、背景は申し訳程度にしか映されない。この作品に謎解きは不要で、我々が可能な事といえば「誰の話に最も心動かされたのか」を選択することだけなのである。
思えば人生はたった一つの真実で出来上がっているものではない。ある点では自分は恵まれていると感じ、ある点では不幸だと感じる。
性格だって、長所と短所は紙一重で、結局はどう感じるか・どう思ったかの違いでしかなく、全ては結局受け手の「好き嫌い」をフィルターに審査された「その場限りの真実」なのだ。
話を映画に戻すと、作家サンドラの夫・サミュエルの死を巡り、様々な人物が様々な角度から持論を展開する。他殺を疑うもの、自殺を疑うもの、事故だと考えるもの、全員の主張が入り乱れ、家族の過去や秘密が暴露されていくが、全ては事件と「関係があるかもしれない」出来事の列挙でしかない。
しかも実は序盤から裁判までにかけて、全ての可能性がやんわりと否定されているのだ。
事故だとするなら、夫サミュエルは内部に断熱材を貼る作業中、何故か内開きの窓を開けて外に身を乗り出した事になる。
サンドラがサミュエルを殺した場合、凶器で彼を殴りつけた後、体格の良い夫を突き落とす必要があるが、彼女は高い所が苦手で屋根裏では常に梁を掴んでいるくらいなので、例えバルコニーが現場だったとしても実行は恐らく無理だろう。薬物によるオーバードーズなど、彼女が実行可能な殺し方は別に存在する。
自殺については衝動的な飛び降りの可能性は否定できないが、3階程度の高さから雪の積もった地面への飛び降りで死ねるかどうかは疑問だ。首を吊るなり、手首を切るなり、屋外で睡眠薬を服用して凍死するなり、もっと確実と思える方法があの山小屋には存在する。
つまり、この事件は最初から「有り得ない事件」なのだ。
だからこそ、証人たちは僅かな記憶や感覚や事象を頼りに、自分の知る限りの「印象」で事件にストーリーを与え、自分や周囲を納得させようとしているのだ。
むしろ一番「事実」にこだわっているのは、最も不利な立場に追い込まれたサンドラであると言えよう。
もう一つ、この脚本で興味深いのはあらゆる現代社会の要素が盛り込まれていることだ。性的指向、障害、共働き家庭の分担率、国際結婚。どれをとっても正解などなく、当事者にとって暮らしやすいスタイルは常に自分で模索していくしかないものだ。
傍聴席にはアジア系やアフリカ系がさり気なく配置され、彼らの目に映るこの事件は彼らのアイデンティティを通して考えた時、どの説にどんな説得力を与えるのだろうか。
裁判の最後に再び証言したのは、サンドラの息子・ダニエルである。今まで自分が知らなかった両親の姿や、壮絶な夫婦喧嘩、テレビやインターネットが事件を娯楽化していく様は、彼を著しく傷つけるとともに大きな選択を迫ってもいた。
大人たちが喧々諤々の議論を展開する事件で、少年が「事実」を見つけるのは不可能である。どれも不確かでどれも尤もらしいと思える世界に放り出された時、決めることが出来るのは「自分の心」だけだ。だから彼は選んだ。自分が最も確実だと思うストーリーを。
そして、彼が語った見解が最も参審員や観客である我々の心を動かしたのである。
我々は正解を探しがちだ。正解や真実が最も客観的で最も公平だと思うからだ。しかし実際の世界はそんなに甘くない。正解の無い問い・正解が複数の問いは無数に存在し、そのたびに曖昧な中にも折り合いをつけ続けなければ人生を前に運べない。
エンディング、サンドラは夫の書斎のベッドに横たわる。「今夜は親子2人で」、とダニエルを見ていたベルジェに気遣われるが、ダニエルと会話した後彼女が選んだのは、愛する夫の残り香と共に眠ることだったのだ。
真相はわからない。わかるのは彼がもうこの世にいないことと、彼とサンドラの間にはかつて幸せや愛や絆が確かに存在していたことだけ。
そんな彼女に夫と重なる存在であるスヌープが寄り添ってくる。いつかスヌープも夫サミュエルと同じように、サンドラとダニエルの前からいなくなってしまうのだろう。けれど、彼らが家族であった事はいつまでも変わらない「真実」だ。
本作、何が評価されているのか全く理解できなかった
何を信じるか選ぶ時、どうするか
カンヌやアカデミー賞など、各賞レースを席巻中で大注目のヒューマンサスペンス。
真実を求める「謎解き」ではなく、人間の多面性や、信じること選ぶための要素、事実と想像の曖昧さなど、人の感情の複雑さや人間の多面性を目の当たりにし、なんともスッキリしない作品でございました。(褒めてます)
不審死した夫の妻が被疑者となるなかで、キーパーソンになるのは視覚障害を持つ息子。彼の目が見つめる先にある、以前は揺るぎない信頼と愛情でしかなかったものが、様々な姿を見せることで心が揺さぶられ自分でも分からなくなっていく様が見事。愛犬スヌープを演じたメッシ君の最高の演技と共に、とても印象に残りました。
ラストの余白もまた良き。
観たあと感想を聞いたり言い合ったりするのもまた楽しいタイプの作品なので、これからの反芻も楽しみです。
作中の息子さん、こんなの一生背負うよね
家族を心から理解して、心から愛してると言えるか
【ベストセラー作家の女性が夫の殺害疑惑により、法廷に立った時に次々に明らかになる真実。今作は被告の人間性を暴く法廷劇であり、相手の立場や心を理解する大切さ、寛容さを鑑賞側に問いかけて来る作品である。】
■ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が自宅で女子大生からインタビューを受けている。すると上の階で民宿にするために自宅を改造していた夫、ヴィンセントは大音量で音楽を掛け始め、インタビューは中止になる。
その後、散歩に出ていた事故により目が不自由になったダニエルが父の遺体を発見する。
自殺か、他殺か、様々な捜査が行われ、サンドラは被告人として法廷に立つ。
◆感想
・被告人席に座ったサンドラは涙を流すことなく、毅然とした態度を取っている。そして次々に判明する事実。
1.ダニエルはヴィンセントが付き添うはずだった時に、世話役に夫は仕事を委ね車に撥ねられて、視力を失った事。サンドラはそれを恨んでいた事。(最初は数日・・、と言っているが、そんなことはないだろう。)
2.ヴィンセントはロンドンでサンドラと出会ってから作家を目指していたが、芽が出なかった事。そして、サンドラがそれを詰り、経済的にも追い詰められた二人が、彼の故郷の山奥の仏蘭西の家に越してきた事。
更に、サンドラのヴィンセントの小説のアイディアを自分の本のネタにしたのでは、と言う疑惑。
ー ドイツ生まれのサンドラとフランス生まれのヴィンセントとの言語の溝が、彼ら夫婦の溝に繋がっている事も良く分かる。-
3.ヴィンセントの死の前日の二人の間に、激しい喧嘩があった事。(彼がUSBに記録していた。)
ー サンドラはヴィンセントが作家として芽が出ないのは、努力が不足している事を激しく詰る。サンドラがヴィンセントに対し、如何に不寛容で冷酷だったかが分かるシーンである。ー
4.サンドラがバイセクシュアルであり、過去に浮気をしていた事。(回数はサンドラに寄れば一回。)
- これだけ、新事実が出てくれば有罪が有力視されるが、検察も決定的な証拠が出せない。-
・膠着状態の中、裁判は長引く。
そんな中、ダニエルは裁判官から出廷しない回(夫婦の喧嘩が、暴露される回。)を申し渡されるが、ダニエルはその回にも敢えて出廷し、両親の間に何があったかを聞こうとする姿が、健気である。
■サンドラは、ダニエルの最終心理の前、裁判官から息子と家の中で出来るだけ会わないように言われて、初めて車の中で大粒の涙を流すのである。
サンドラは確かに様々な事実を隠して来たが、それは息子を思っての事が多かったからであろう。
<最終心理の日、ダニエルは2度目の証言台に立つ。
そして、ダニエルの視力喪失を自分のミスと思い、妻からも常に詰られ、悩んでいた父から車の中で言われた言葉を喋るのである。
”人間は、いつか死ぬんだ。”と運転しながら、淡々としゃべる父の横顔。
ダニエルの言葉を聞き、静かになる法廷の人々。
そして、無罪を言い渡されたサンドラ。
【だが、本当に彼女は無罪なのか?夫を死に至るまで追い詰めたのは、誰であったか!!】
今作は、夫婦間の溝を描きながら、観る側に相手の立場や心を理解する大切さや、寛容さを問いかけて来る作品である。
主演したザンドラ・ヒュラーの名演も忘れ難い、見応え深き作品でなのである。>
恐ろしい映画だった
この手の作品でよく見られる“真実はこうです ”が一切描かれていない。
被告からの視線すら描かれていない。
それは
劇中に語られたように、“真実なんかどうでも良い”のかもしれない。
静かな映画
軒並みそれぞれ登場人物の人生観を深掘りして、高評価がやたら多いようですが、淡々と静かに進行するこの手の映画(フランス映画は、たしかにみんなこんな感じ)は、オイラはちょいと苦手。確かに後半のたたみかける展開の裁判劇は迫力あるはあるが、なんかブツギレ気味の演出になかなかついていけない。ラストも真相は分からず見る側に委ねるわけだが、サスペンスのどんでん返し好きのオイラには期待
外れになるのは致し方ないところ
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