首のレビュー・感想・評価
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【”新解釈、男色本能寺の変。そして、どうする秀吉。”戦国武将たちの愚かしき裏切り、騙し合う姿をシニカルな笑いを絡めて描いた作品。狂気の織田信長を演じた加瀬亮が凄かった作品でもある。】
ー 前半の、狂気を帯びた信長の前にひれ伏す家臣団、羽柴秀吉(ビートたけし)、明智光秀(西島秀俊)、荒木村重(遠藤憲一)、徳川家康(小林薫)・・。
信長の”功を上げた者に跡目相続をする”という言葉に、色めき立つ中、信長に侮辱された荒木村重は、信長に謀反を超すが、一族郎党を殺され、光秀に匿われる・・。-
◆感想
・前半の、信長を演じた加瀬亮の演技が凄い。尾張弁丸出しで、”俺の為に死ぬ気で働け!”等と言いながら殴る蹴るの暴力を振るう姿。
ー 加瀬亮さんは、役柄としては地味な役が似合うと思っていたが、今作は真逆で凄かった。”皆殺しに決まっとるがや!”-
・ビックリなのは明智光秀と荒木村重が男色関係にあったという設定である。
ー 西島秀俊さん、遠藤憲一さん。さぞや気持ち悪かったであろう・・。
信長が両刀使いだったのは有名だけどね。森蘭丸(寛一郎)を傍に置いて抱いていたのは、事実である。多分・・。-
■信長が、家康を殺そうとして、光秀に家康の好物だった毒入り鯛を、食わせるシーンはナカナカであった。流石、タヌキ親父である。
そして、家康を殺せなかった信長は、光秀に更にキツク当たるようになるが、光秀の信長を想う言葉を聞いて・・。オイオイ・・。
・だが、信長が認めた信忠を跡目に付けるという手紙が、出現。そこには秀吉、光秀を殺せと書いてある。
ー ここら辺が上手く描かれていなかった気がする・・。-
・で、本能寺で、信長は「敦盛」(人生50年ね。)を舞う事もなく、傍に置いていた黒人に首をアッサリと撥ねられるのである。オイオイ。
■秀吉の中国大返しのシーンも可笑しい。毛利勢と戦っていた秀吉は備中高松城で、毛利勢と和解するが、城主清水宗治(荒川良々)に腹を切れと言うシーン。
清水宗治が、水攻めに在っていたために水上で切腹する姿(歴史的には有名なシーン)を、秀吉は遠眼鏡で見ながら”早く死ね!何やってんだ!!”と苛苛しながら叫ぶシーンや、川を渡るときに、輿の上で吐くシーン。
全然、秀吉が格好良く描かれない。可笑しいねえ。
<光秀が、追っ手が迫る中、常々”天下を取る!”と言っていた農民の茂助(中村獅童)に”首ならくれてやる!”と言って自ら首を切り落とし、茂助はそれを狂気乱舞で高く掲げている所に、竹槍で農民に殺される姿。無茶苦茶、シニカルである。
そして、秀吉の前に置かれた茂助と光秀の首を見て、秀吉は”俺は、光秀が死んでいれば良いんだよ!”と言って、光秀の首をサッカーボールの様に蹴り上げるのである。
今作は、愚かしき戦国武将たちが敵の首を得るために、嘘、裏切りを重ねる姿をシニカルな笑いと共に描いた作品なのである。>
色々と今の話題とあう話で。。
英雄色を好むというのか、、戦国時代はこんなにボーイズラブな世界だったのか?とおもったりしたが、戦国時代は男色が今より多かったとの話も聞く。目の付け所、表現などは北野武映画っぽさが出まくっていた。
個人的にそもそも歴史に疎いところもあり、これくらいの評価。
バイオレンスコント
天下人になるために武将たちが企み合う物語というと、結構描かれてきたテーマだなと思ったんですが、北野武節がそこに加わると、どうなっちゃうんだろうというワクワクに身を任せて鑑賞。
物語のベースは本能寺の変前後で組み立てられており、権力を振りかざしまくる信長と、天下人を目指す武将たちの意地の悪さと執念深い様子がしっかりと描かれます。
R指定に相応しいレベルのグロは戦国が舞台でも健在でした。基本的には首をすっぱねるシーンで大量に血飛沫が出ますし、自害するシーンや処刑シーンもしっかりあるのでグロいですが、自分は序盤に信長が村重に饅頭を食わせるシーンで、予告ではなんかワタみたいなものを口に詰めさせていたのかなと思っていましたが、刃物に突き刺した饅頭を口の中でグリグリさせてもう口内出血まっしぐらで痛々しかったです。そんな時にするキスの味なんてもう鉄の味しかしませんよまったく笑
信長が男性も好んでいたというのはなんとなく聞いた事がありましたが、今まで信長を題材にしてきた作品でそこにフォーカスを当てた作品は観たことなかったんですが、今作は信長をはじめ明智光秀や荒木村重でもその面が描かれていました。
信長は現代でいうところのバイセクシャルというやつで、好意を持つ以上に服従させたいというのが強く出ていたなと思いました。森蘭丸にア○ル責めをしていたのも、当人が気持ちよくなりたい+屈服している様子を見るのが心地よいという狂喜的な一面はここでも出ていました。
光秀と村重はその面では真正面から愛し合っており、2人で布団を共にし、乳首を舐めたり(西島さんの鍛えられた筋肉がとても良かったです)、熱い口づけだったりと、この時代は現代よりも同性愛に寛容だったんだなと思いました。
どの武将も戦略家や豪傑としての一面は潜め、1人の人間がどれだけ這い上がるかという面にスポットが当たっていたので、どの武将も民も泥臭いです。
信長はその中でも悪魔的な面を全開にしており、この人は実はこうだから…なんてフォローは0にひたすら傍若無人な様を見せつけてきます。労いなんて一つもありませんし、蹴る殴る切り倒すとやりたい放題です。それ故にほとんどの部下に疎まれているのに当人は何も気にせず、さすがの肝っ玉でした。ただその中でも子煩悩な一面を見せたことにより、部下からあったわずかな信頼が崩れ、謀反へ…。奥深かったです。
秀吉は静かに天下を狙う今作の中では策士としての面が強く出ていたなと思いました。あっちとあっちをぶつけて、あいつはあぁやって始末して、ついでにあいらつもやってと様々なところに包囲網を張り巡らせていました。役を演じている時は北野武よりもビートたけしとしての表情が出ており、大きな水たまりを超える時簡易的な神輿で担がれていたシーンが1番面白かったです。秀吉、秀長、官兵衛のシーンはいくつかアドリブっぽいシーンも挟まれており、そこだけは狂気的な笑いではなく、コントとしてのお笑いがあったのも良いスパイスだったなと思いました。
「首」というタイトル通り、印象的なシーンには必ず"首"が存在しています。農民が天下人になる時には見知らぬ首を掲げ、処刑シーンでは首を切り落として殺し、信長の最後も自害ではなく首を切られて燃え盛り、光秀の最後は自ら首を落とし、ラストシーンでの首の見本市かの如く並べられているシーンなど、よくある生首が死んだのに表情が動くなんていうものは一切なく、死んだままの表情だったのが強く目に焼きついています。
オチも引いてみればかなり弱いんですが、史実で光秀の首が見つかっていないというのを元にして、顔の識別ができないから秀吉が光秀の首を蹴っ飛ばすという終わり方はもう完全にコントのオチでした。しっかりと物語の終わりにもなっていますし、これは芸人・ビートたけし節が強烈に炸裂したシーンだったなと思いました。
ほとんどの人間が死に絶え、残されたものは天下へと向かう、この時代をこれでもかと象徴としていたなと思いました。歴史の授業を飛び越えて戦国時代の舞台裏をこれでもかと堪能できました。
思っていたよりも笑いの方が強く、バイセクシャルである信長の面を押し出したというのも今までの信長像を覆す新たなものが観れて良かったです。登場人物が多いのもあって、駆け足かつその人物の顛末が雑な気はしましたが、十二分に楽しめる作品になっていました。"首"を巡るアクションを大いに笑っていきましょう。
鑑賞日 11/23
鑑賞時間 11:00〜13:25
座席 O-5
加瀬君!!!
北野武監督解釈の
戦国時代「本能寺の変」ですね。
ふむふむ。。
主君・織田信長(加瀬君)を裏切った家臣・荒木村重(エンケンさん)が発端となり、
「本能寺の変」へと繋がっていく。。
というストーリー。
羽柴(姓の頃の)秀吉(ビートさん)の
軍師・黒田官兵衛(浅野さん)は、
明智光秀(西島さん)と信長の書状を使って、ある戦略をたてる。
千利休(岸部さん)がそれを助け、
光秀が利用されたって事ですね。
そしてそこには、天下取りの野望と
BL要素も絡むのだからサービス満点。
信長はどっちもイケたらしいのは有名だけど、光秀と村重までも。。!!
私の西島さんがぁ〜!!
エンケンさんに喰われたぁ〜!!泣
('◉⌓◉’)('◉⌓◉’)
(西島さん、ゾワッとしただろうねw
エンケンさんの顔面の破壊力ww)
信長と蘭丸(寛一郎君・
超合ってたw)はなぜか見れました(^。^)
秀吉との講和の為、自ら切迫を申し出た清水宗治(良々君)が、備中水攻めの中、船上で舞い句を詠み、いざ。。
切迫したシーンのはずも、そこには笑いのエッセンスが。。
他にも、秀吉、秀長(大森さん)、
官兵衛3人のアドリブ?会話もコントの様だ。
皆、命懸けのはずなのに、随所に散りばめられた笑いパートは「たけし節」って感じでした。
ラストは、皆なあれだけ「首」に執着していたくせに、それを蹴っ飛ばしちゃうんだから。
こちらも「たけし節」でした(^。^)
「こんな戦国時代の解釈も面白いだろ?!」と言われた気がしましたね。
そして何と言っても加瀬・信長!!
狂気的で、残忍で、圧倒的なカリスマ性!
尾張弁が恐怖過ぎた!
声のトーンもいいんだこれが!
加瀬・信長なしでは本作の重みは出なかったと思います!
ラストはえええ!!だったけど。
北野監督、構想30年と?!
もっと前ならば、信長はビートさんが演ってただろうな。
30年かけてくれて良かった(°▽°)
俳優ビートさんの演技はもう良いんですけど。
キム兄は何とかならなかったもんか。
(キム兄はダウンタウンに仕えている方がしっくりくる。。)
桐谷・半蔵はカッコ良かったです!
薫サマ・家康。
あんなんじゃ騙されないわ。
気づいて。。その前にお酒をグイッと呑む所イケてたわ♡タヌキじゃないもん♡
戦国時代のあの時代。
誰であっても蹴落として成り上がりたい!
そんな血生臭い、人間の本性剥き出しの人物達。
時には強引に、時には戦略を練り、生き抜いた人々が有り有りと描かれていました。
歴史は、解釈や脚色の仕方で、如何様にも表現できる。
本作は北野武監督ワールド全開の作品でした。
正に「戦国の常識を覆す」出来栄えでしたね!
そして最後に確認させて。
本作のヒロインは。。
柴田理恵さんでよろしいか??
北野監督のドライな死生観が時代背景にマッチする戦国アウトレイジ
北野武のバイオレンスと戦国時代は相性がよいのかもしれない。近年の時代劇では描かれない、切られてぽんぽん飛ぶ首、たくさんの人がドライに殺されてゆく様を見て、これが当時の命の軽さのリアルかもしれないという感触を持った。
混沌とした時代を生き延びようとする大名や要人たちの権謀術数は、北野監督の手にかかればまんまアウトレイジだ。彼が戦国時代を描きたかった理由が何となくわかる。キャスティングもアウトレイジ感満載で、物語が進むにつれ馴染んだものの、序盤はアウトレイジの面子で戦国芝居をしているように見えて困った。村重が刀に刺さった饅頭を食べるくだりでアウトレイジの歯医者のシーンを思い出した(アウトレイジ連呼)。
大将首が出世を叶える重要アイテムというのが共通認識の時代に、飛ぶ鳥を落とす勢いの秀吉は、敵大将が死んでさえいれば首などどうでもいいと生首を蹴り飛ばす。清水宗治が自刃する時の武士としての段取りも、秀吉の目にはただ冗長なものに映る。
武士の世界の常識に染まらない農民上がりの秀吉に、映画監督として世界に名を馳せても芸人としてのアイデンティティを持ち続ける北野武の姿が重なって見えた。首はさしずめ、常識や形式の象徴だろうか。
予習として原作小説を読んで臨んだところ、いくつかの相違点があった。
原作では男色は「そういう関係にあることの匂わせ」程度の表現だったので、肉体関係のがっつり描写はちょっと驚いた。
また、弥助の白いところを当てるというくだりは原作にもあって、読んだ時点でポリコレ的に心配ではあった。映画化にあたり海外に配慮して削るかと思いきや、そのまま入れてきた。一方で、小説では最後まで信長に逆らうことはなかった弥助が、本能寺の土壇場で信長を裏切り、人種ディスり返しをするという顛末に変更されていた。
北野監督は何を思ってそのような変更をしたのだろうか。これでポリコレ面でのバランスを取ったつもりということか、ただ単にこの方が映画的に面白いと思ったからだろうか。海外のアジア人差別への皮肉と解釈する余地もなくはないが、よくわからない。
身体的特徴をイジる表現が一律にアウトだと言う気は全くないが、テーマを表現する上での必然性は必要ではないかと思う。それがないと、側から見たら単なる差別表現に堕してしまう。
光源坊の容姿は、原作では「行き倒れの雲水同然」「筋張った体」などとあるのみだが、本作ではホーキング青山に白塗りメイクを施して狐面の巫女(?)を侍らせ、唐突に異世界ものの雰囲気を醸し出していた。また、半蔵と斎藤の対決場面だけ、いきなり一昔前のワイヤーアクションになったのは笑うというよりきょとんとしてしまった。
こういった突然の非現実描写は何だったんだろう。笑うところだったのだろうか。私含め客席はしーんとしていた。
光秀の最期は、茂助に背中から刺されて息絶えるというものから、自ら首を切る描写になった。原作はそもそも曾呂利の語る物語という体裁で、曾呂利が死ぬことはなかったが、映画ではラストに殺された。
このあたりは、中村獅童による茂助のキャラ表現を踏まえて、より茂助が情けなく見えるように変えたとか、武士たちの野望の間隙を上手く渡ってきた曾呂利まで死なせることで、時代のシビアさをより強調するとかの意味があるのかなと思った。
キャストで一番エグかった(褒め言葉)のは信長の加瀬亮だ。ささいな対処を間違えたら本当に殺されそうで怖い。史実に基づいた信長像というより、北野武映画のキャラとして最大限面白くなるよう脚色した信長だ。
加瀬亮ってここまでキレキレになれるんだ(他の出演作品をあまりチェックしていない私の不見識かもしれないが)……と茫然としてしまった。エキセントリック過ぎて怖いが、ほとんど不快感がないのも不思議だった。
彼だけでなく、北野監督のバイオレンス映画に出てくるワルはみんな、「ただ悪いだけ」ではなく、ワルの魅力や人間臭さを漂わせている。名だたる俳優が北野作品に出たがるのもわかる気がする。
たけしの秀吉は……演技はうーんって感じなのだが、作品を作った本人なので、これを正解と思って見るしかない。官兵衛&秀長と3人でわちゃわちゃやり取りする場面は面白かった。
序盤で「役不足」の誤用がつい気になったが、そういうのは御大の脚本だからノーチェックなのだろうか。
武将やその奥方などがやたら現代的な感覚で命の重さを語るような今時の大河とは対極の命の扱い。当時の現実なんて誰にもわからないが、こっちの方が断然リアルなのだろうと肌で感じる。
北野監督の、バイオレンス作品における生き死にへのドライな視点が、戦国時代の価値観を現代倫理への忖度で汚さないというある種の誠実さとしても作用しているように見えて、その点はよかった。
映画ってつくづくタイミングだなぁって思う。
構想30年と謳われて、ソナチネの頃かあ〜と思いながら鑑賞、あ〜その頃に撮って欲しかったなぁって思いました。
初期の2作「その男凶暴につき」「3-4X10月」が好きで、硬質な無常感に痺れてた北野映画原理主義者としては、
製作費、VFX、キャスティング、美術、衣装、撮影等、申し分無く豪華で、北野武は映画監督として巨匠なんだと、寂しくなりました。
30年前だと基本ノンCGだから斬首シーンは良くなかっただろうし、
今作のスケール感を出すには、もっと製作費がかかった筈だし、
男色描写もどう描かれていたか分からないけど、
あの頃の北野武だったら、もっとソリッドだったと思う(抽象的ですいません)
そもそも30年前なら信長役が、北野武氏だったろうし、それで観たかった。
基本的には、コントの様な短いシークエンスを繋いで進んで行く作りは、初期から変わってないし、
さすが構想30年だけあって光源坊とかの設定も面白いんだけど、
例えば清水宗治の切腹の時の「あっ」は良かったんだけど、なんか編集がワンテンポ余分と言うか、切れ味が鈍い気がしました。
首が水辺に落ちて慌てて拾いに飛び込むまでで良くない?拾いあげる必要なくない?
最後の首を蹴っ飛ばすシーンも、もっと馬鹿馬鹿しく大仰に、細かいカット割で撮ったんじゃないかなあって思うのと、
あっさり撮るなら武氏の身体性が落ちてて、笑えないじゃないかと思いました。
とはいえ、最近の信長像を魔王に戻し、
信長自身の斬首シーンなぞ見た事無かったし、斬ったのが彼とか、さすが北野武と思ったし、こういう企画を通せる力は、今の日本映画界で彼しかいないのだろう。
KADOKAWAの首が変わって、お蔵入りを逃れたのも、やはり持ってる男だなぁと思いました。
ビートがねー
男色が普通の時代を正面から描く、これも昨今LGBTQムードになってからようやく描けるようになったこと。言ってみれば以前の時代劇では目をつぶってきたことか。
北野武監督は技の面ですっかり安定感。しかし俳優ビートたけしが思ったより下手くそ。
〝生〟の部分
〝狂ってやがる〟
今作のコピーの言葉だ。
文字通り、「首」は全員といっていいだろう、狂った戦国武将たちとそれを取り巻く〝狂気〟の人々の物語である。
「本能寺の変」を出来事の中心として、その前後を描いた作品となっている。
〝狂気〟を扱うにあたって、その〝まとも〟さの〝ものさし〟となるのは何だろう。
ぼくは〝笑い〟なのではないか、と思う。
よって本作はコメディ時代劇作品とも受け取れてしまう。
けれども、それは必然だったように感じる。
〝悪〟を描くだけなら、〝ものさし〟は、場合によってもそれ程必要無いのかもしれない。
それは観客の人々の中の倫理的な要素が、比較対象となって現れやすいのではないだろうか。
思い出すのは、同監督の「アウトレイジ」シリーズで、特に三作目の「アウトレイジ最終章」はそのバランスとなる〝まとも〟な存在も希薄だったように感じる。本当に全員〝悪〟だったという印象を記憶としてももった。
今作「首」の北野武演じる羽柴秀吉は、よってコメディリリーフとしての役割だった。
だが、その秀吉も、狂気の側面をもっており、ただそれが笑いに転じているだけであって、思考や、そのもっている野望には残忍性がある。
秀吉を中心にバランス、〝まとも〟さを感じられるのは、彼が〝笑い〟をもたせるからであって、それ以外の、人間性などからのことでは無いと、観た人々は分かると思う。
主に織田信長、明智光秀、羽柴秀吉を中心として物語が展開されてゆく印象があるが、
構成としては、荒木村重、羽柴秀吉、難波茂助の三人の軸があったように感じた。
巻き起こる「本能寺の変」と、その新しい解釈と共に、明智光秀を討つまでが描かれている。
時代劇として新鮮味をもったのは、銃火器の使用がやたら多いということや、農民の者たちが侍ぐらい強いということである。
しかしよく考えると当然のことのように思う。
「長篠の戦い」の火縄銃が本当なら、銃の強さは人々に知れた筈で、そこは否応無く、侍たちも使っていた可能性はある。
また、農民たちは普段も身体を動かしている訳であり、いきなりでも戦いに参じれば、例え武器がどうあろうと戦力的に高かった可能性はある。
そうした点をふまえると、黒澤明監督作「七人の侍」に対しての、時代考証含めた、北野武監督によるアンサーのようにも感じ取れる。
作品「七人の侍」のように、武士としての魂として銃は使わない(そう述べてないもののそう受け取れる)ことだったり、農民はか弱き存在(そう述べてないもののそう受け取れる)であるといったことを、考えとしても〈アップデート〉している。
こうした過程を踏まえても、本格的な時代劇でありながら、〝笑える要素がある〟作品だった。
各武将それぞれに孤独が見え、そして不安からか、武将たちは愛し合ってもいる。それはけして抽象的にではなく、肉体的にも、である。これが真面目にも描かれるのだから、同情していいのか嘲笑していいのか、共感すべきか同感すべきか分からなくなり、結局のところ心の内で笑ってしまった。
こうした複雑なところを含め、北野監督の手腕が発揮されており、画作りから色彩においても、これまでキタノブルーと呼ばれた青の強さよりも、今作品においてはグリーンの艶やかさ、柔らかさを感じたように思う。
演出、画作りや編集も、「アウトレイジ」シリーズと「龍三と七人の子分たち」を経た形で、より人物造形は劇中キャラクターとしても自然な形で自然さを携え、画面に活き活きとして現れたと感じた。
それは、どちらかといえば〝死〟を携えたこれまでのキタノブルーからは感じ取れなかった、〝生〟の部分のように思う。
ラスト近く、明智光秀は追われる形で、部下たちを失いながら逃走する。彼等は、死と共に、従えることを選んだ。だが、光秀自身は、武勲の為に、従えることを否定し拒否した者である。
〝武勲〟か、〝従えることの想い〟か。
その選択の中で、どちらも、まあ、狂気においてだが、
幸せでもあったのだろうか、とも思う。
そこに、もの悲しさを感じる。
農民として戦に参じながら、最後には光秀の首を取る(が、自身も取られる)難波茂助は、現代人の象徴のようにも受け取れる。
武勲のために、ただ流されるように人を殺めてゆく。
そこに彼の〝選択〟はあっただろうか。
ただ〝欲〟のままに突き進まなかっただろうか。
そうした、〝なにも選択しないことを選択する〟姿はどこか、今の現代人のようにも思う。
こうしたことすべてが〝狂ってやがる〟、なのではなかろうか。
こうしたこと全て、本当に〝バカヤロー〟なのかもしれない。
(追記)
信長より秀吉の方が賢かった、それも信長の狂気性は増したまま、って割に合わない気がしてきたので、半星下げました。
命が軽い
バンバン死ぬし、大河では見られないくらい首が切られる。
まぁそういう意味ではリアルなのかな。
各人物はそれなりに史実通りで、コメディ寄りにしている感じ。
ストーリーは歴史なのであまり語ることはないかな。
まぁ駆け足気味なので、展開は早い。
何か教訓があるというよりは、こういう説もあるよね、という内容なので、正直そこへの感想はあまりないんですよね。
それを北野武節で描いており、独自の解釈やコメディ要素等が受け入れられるかで評価は変わりそう。
ゴリゴリのハードな歴史物ではないので、ライトに見たいならばありかな。
まぁ最後の一言である意味全否定なんですけどw
そこがらしいっちゃらしいw
首が軽い
戦国時代なので、とにかく首、つまり命が軽い。
首が簡単に飛ぶのはその軽さを表しているのかなと思いました。
北野武さんは、映画では人の命を虫ケラのように扱いますから、それは健在です。
ただ、面白かったかと言われると…。
むやみに星を下げたくないので星はつけますが、全体的には単に残酷度が高い時代劇って感じです。
しかしながら、残酷描写ならば、園子温や三池崇史には及ばない。
アウトレイジでは、歯医者のシーンとか、あんなに痛みの描写にこだわってたのに。ここでは饅頭のシーンぐらい?
秀吉、家康は生き残ると言うのは史実なのですが、にしても信長や光秀の命まで実に軽い。信長は騒ぐだけ騒いで、あっけなく消えていきます。
本能寺の変はいつの間にか始まり、数分で終わります。
「どうせお前死ぬけどな」
「とっとと死ねよ!」
のセリフは予告で大袈裟に取り上げられてましたが、重要でないシーンでさらっと言ってるので、別にキーとはなってません。光秀に言ってたら、非情で面白かったのに。
笑えると言ってる人いますけど、どこが笑いどころなんでしょうか?私は一度も笑えなかった…
「あちっ!」のシーン?醜女のくノ一のシーン?草履のシーン?川を渡る時に神輿に乗せられるシーンがダチョウクラブっぽいとこ?切腹の下り?
男色が話題ですが、具体的なシーンはそんなしょっちゅう出てきません。男同士の裸が絡むのは2回。
遠藤さんが、光秀に「いつからなんだ?」は、浮気を問い詰める女性みたいで、ちょっと面白かった。
桐谷さんの服部半蔵はかっこよすぎでした。織田信長が陽の演技とすれば、こちらは陰。あと小林薫さんは格が違いましたね。ほんとに狸の家康。
大掛かりではありますが、まああらためて見直すほどではないし、派手な宣伝をして、動員を稼いでペイしようという感じですかね。
色々マイナス意見書きましたが、
ただし、Netflix単独での公開だったら印象変わったかも。
世継にしちゃるーじゃねえよ!何だこのやろ~、与助どこだ!
命を預ける戦国時代の主君とよ関係や、裏切りすぎて裏切りに怯える秀吉などなど面白かったです。
史実だとエンリケさんは死なないはずなのでビックリしました(*´∀`)
期待が大きかった
なんというか、全体に緊張感がないから映画観ている感じにならず、
壮大な、メイクとかいろんなものに凝ったコント観てる感じがしてしまった。
だから、笑いも特にバシッと来なくてクスクスっと笑うことはあるけど。
たけしさんでこのキャストでなければ評価は大分低くなってたかな
信長なめとったらだちかんぞ!
世界の北野!きっと海外の評価は高くなるんだろうな〜って言うのが率直な感想です。北野武監督作品の凄いことはわかるもののどちらかというと正直苦手な方でしたが、その中では『座頭市』くらいに楽しめました。
最後の決めセリフ「バカヤロー、俺は光秀が死んだのが分かれば首なんてどうでもいいんだよ!」って言って光秀の首(と思ってないけど)を蹴り飛ばすのが北野武監督が言いたかったことなのかな?とも思いました。
人の命がこの映画の中のたくさんの『首』みたいにぞんざいに扱われていた戦国の世が実際にあった史実を嘲笑うかのような武監督のメッセージとして受け止めた次第です。
ベテラン俳優さんたちがそれぞれのいい味をふんだんに放っていることは監督の力なのかなって感じます。中でも加瀬亮さんの狂気のうつけモノ、織田信長は最高でした。キムタクの信長と共演してほしいものです。
ただ名古屋人の私はセリフすべて理解できて楽しめましたが東海地区以外の方にはデラ難しいのでDVDには是非テロップでも入れたってちょ!(こんな感じでどうでしょうか?)
服部半蔵(桐谷健太さん)かっこよかったですね。ただ大好きなキム兄はこの作品ではちょっと残念でした。世界的俳優になりつつある西島秀俊さんはさすがです。『あすなろ白書』の頃の初々しさを懐かしく思い出します。好き嫌いは別れそうですが、そこそこ楽しめました。
皆さんのレビューが短めなのが戸惑っているかのようにも感じます。
黒澤に
ネタバレです。
なるほど新解釈。本能寺の原因は痴情のもつれ説ね。
途中から光秀がシロさんにしか見えなくなってきてた。だったら荒木村重は内野聖陽にやって欲しかったな…ww
その場合、信長は山本耕史になる訳だけど。
加瀬亮も信長のキレた芝居で振り切ってて感心したけど、基本的にはコント。
たけしがビートたけし名義でめちゃくちゃ楽しそうに秀吉やってて、(おそらく)アドリブに大森南朋と浅野忠信が笑ってた…ww
合戦シーンは凄かったけど、影武者取っかえ引っかえで笑ったし…ww
観る価値ありだし、なによりもたけしが「黒澤になろう」なんて欠片も考えてないのが良い。
全員企む。
「本能寺の変」をベースに新たな見せ方で仕上げた、俳優ビートたけし&北野武監督作品。
天下統一を目指し毛利、武田、上杉軍と攻防を繰り広げる中、信長(加瀬亮)に仕える家臣荒木村重(遠藤憲一)が謀反を起こし姿を消す。
信長は明智(西島秀俊)、羽柴(ビートたけし)、家臣を集め自身の跡目相続を餌に村重の捜索命令を下す事から始まるストーリー。
いゃあ~めちゃくちゃ面白かったです!
織田信長作品って数多くあり、歴史というベースがある、その見えてない部分をどう脚本書くか、見えてるベース部分をどう撮る?だと思うんだけど脚本、監督が違うだけでベースはあるけど作品印象は変わる、当たり前の事なんだけど。
今年の頭に公開された「レジェンド&バタフライ」はベースはあるけど恋愛ストーリー仕立て、数年前に公開された小栗旬君演じた信長協奏曲は現代人が戦国時代へタイムリープ「人の命は大事、人を簡単に殺させない」みたい感じで、信長の周りに仕える家臣達とは良い関係性で描かれてたけど本作は真逆。
本作加瀬亮さん演じた信長はセリフでもあったど「俺の為に死ぬ気で働け!」「人生ずーっと遊びだわ!」人の命など何とも思ってない感じが何とも面白く、光ってて、今まで綺麗に描かれてた信長よりも、本作信長の方がリアルは勿論知らないけど、リアルに近い信長なのかなと思った。
羽柴秀吉演じたビートたけしさんはとりあえず最高!!
俳優ビートたけしとバラエティ番組で見せる顔ビートたけしを上手く使い分けてて、アドリブっぽいセリフから、バラエティでみせる軍団とのやりとりのような「バカヤロー、コノヤロウ」、「早く死ねよ」とかそんな感じが観てて最高でした!あと片口の口角上げてニヤッと笑う悪い顔も!
この戦国時代ゲイ多めってのも笑えた。
北野武監督作品はグロさ、血生臭さも売りだったけど、ここ最近控えめな作品が多かったから何かこれぞ北野武監督作品って感じで良かったし、過去作に出てたキャスト達もオールキャストって言ってもいいぐらい出てたので楽しめました!
悪ふざけしすぎた結果、興醒め
ブラックジョーク?悪ふざけ?の頻度が多く、死自体が軽くみえる。実際、そんなふうに見せたいと思っているんだろうけれども。
ならば、PVはあの作りじゃないよね、ってところ。
新説三国志とあまり変わらない程度の映画だった。
ビートたけしpresents戦国バイオレンスコメディ
予告ではまるで「戦国アウトレイジ」のような雰囲気を醸し出しつつも、実際の「首」は秀吉・秀長・官兵衛の3人による、壮大なバイオレンス・コントであった。マジで思いっきりコメディ。
ストーリーには二本の軸があり、一つは村重・光秀・信長の愛と嫉妬と野望の入り混じった三角関係。戦国時代の衆道に関してはちょっと調べればわかるので詳細は述べないが、単なる「男性相手の性行為」ではなく、一蓮托生の契りみたいな性格のものだと思って貰えば間違いない。
じゃあそれが一生ものの崇高な愛かと言えば、そう単純でも無いところがミソである。光秀風に言えば「武士の惚れた腫れたは複雑」なのであり、「天下を思えばその他は瑣末」なのもまた事実。
欲望か?愛か?の二択なら、最後は欲望の方がより価値がある。
もう一つは、武士と庶民の対比だ。
タイトルでもある「首」とは「みしるし」であり、つまりそれは「ブランド」なのだ。権威とか、大義とか、虚飾と言い換えても良いかもしれない。
荒木村重の一族郎党が河原で斬首されるシーン、斬首を行う信長勢にとって大事なのは首だ。誰が死んだか、首がなければわからない。だが、京・六条河原に詰めかけた庶民たちにとって重要なのは身につけていた金目のものだ。首じゃあオマンマ食えねえ。
このコントの肝は「御印至上主義」の武士たちと「みしるし?何それ美味しいの?」な百姓たちとのコントラストである。
百姓出身の秀吉・秀長にはこの「侍」魂がよくわからない。秀吉と秀長はこの「よくわからない」戦国価値観を官兵衛という補佐役に助けられて乗り切っている。
「何でも良いから上手くやれ」とか「官兵衛がそう言うんだから、そうなんでしょ」という丸投げぶりも、「お前は官兵衛が言ったからってオレに草履取らせたのかよ!」というツッコミも、たけしとたけし軍団を思わせるやり取りだ。だんだん大森南朋がガダルカナル・タカに見えてくる(笑)
その一方で武士の価値観に染まらないからこそ、相手の気持ちに共感したり手心を加えることなく、淡々と必要なことをやってのけられてしまうのだ。
100%ピュア百姓の茂助も、武士の価値観など到底わからない。わからないまま為三と秀吉の軍勢に加わり、わからないまま敵襲に巻き込まれ、わからないまま為三から大将首を奪う。
「首」の意味、その価値などわからず、また為三に対して「武士の惚れた腫れた」のような気持ちも抱かず、何もわからないまま友も親も妻も子も亡くした茂助は悲しい道化だ。
時に味方の大将首を手にして得意げだが、曽呂利新左衛門に「味方の大将首取ってどうするつもりや」とボヤかれる。その悲しい滑稽さは武士との対比であったはずなのに、愛と裏切りに翻弄され、天下を夢見て踊らされた光秀の滑稽さと重なりはしないだろうか。
エンディング、秀吉・秀長・官兵衛は十把一絡げの首の山から光秀の首を探すわけだが、傷だらけの首では3人とも光秀だと認識出来ない。
その一方でキレイな茂助の首は「これ茂助だわ」と認識できる辺り、ボロボロのブランド物(明智光秀の首・時価天下統一)より小綺麗なノーブランド(百姓茂助の首・時価ほぼなし)の方が身近だよね、みたいなシュールギャグなんだろうか。
「オレは光秀が死んでる事さえわかれば、首なんかどうでもいいんだよ!」という秀吉の叫びは、武士の価値観に染まらなかったお陰で、色々と上手いことやってきた秀吉が、最後の最後に「首」に翻弄されるオチ。首なんてどうでも良いのに、首の価値がわからなければ求めた天下は手に入れられない、という葛藤に突き落とされるのだ。
まるで落語のようなオチも含め、本当に壮大なバイオレンス・ギャグである。
結構色々面白かったのだが、「こんなにコメディだと思わなかったなぁ」という、やや肩透かしな気持ちは拭えない。
監督・北野武が芸人・ビートたけしと「オイラで本能寺の変撮りませんか?」「良いね、やろうやろう」と、コントと戦国バイオレンスをコラボレーションさせた感じの映画だった。
誇りや綺麗事なんて知ったことか
久々のレビュー。
たけし監督のメッセージは拙レビューのタイトルにこそあるように思う。
この映画には3人の卑しい者、羽柴秀吉・曽呂利新左衛門、そして難波茂助…………ではなく、弥助による「武士(=上流階級)の誇りへのアンチテーゼ」から込められている。
まずは秀吉。言わずと知れた戦国一の出世者である彼は終盤、清水宗治が切腹にあたり儀礼として能を舞い、辞世の句を詠むのを見て「早く死ね」とぼやき黒田官兵衛に「ああいうのが武士としての誇りなので…」と弁解されても納得のいかない様子(小便から戻った弟・秀長も『まだやってるの?』と呆れる始末)。一旦、新左衛門に話題を移す。噺家であり抜け忍の彼は官兵衛と宗治、安国寺恵瓊の「武士の誇り」「仏の道」「主君への忠誠」「兵士への想い」といったテーマが飛び交う会談を見て「みんなアホか」と呟き秀吉と明智光秀の決戦・山崎の戦いを五分五分と見立てるや、勝った方につくつもりで戦線離脱する。
そして弥助。宣教師の従者である解放奴隷(諸説あり)の黒人(当時の黒人の立場がどんなに弱く、どんなに弥助が恵まれていたかは言うまでもないだろう)で織田信長に武士の身分・私邸・刀を与えられたりと可愛がられていた彼だが、本能寺の変において信長に「介錯してやる(=ここで俺と一緒に死ね)」と言われるや否や「黄色いクソ野郎!!」と叫びその首をとる(ここで首を持ち去り、愛知県瀬戸市の西山自然歴史博物館に展示されている『信長のデスマスク』に繋がる)。
百姓出身の秀吉が天下を取り、弥助が信長を殺す。そんな下剋上、誇りなき卑しい者が誇り高き武士を倒す、卑が尊に勝るという構図はクライマックスで盛大に我々へ突きつけられる。
終始品があってかっこいい光秀(西島秀俊は最高)が敗走し野盗が竹林に仕掛けた罠によって息も絶え絶えになるシーン。自らの首をとろうと現れた茂助(侍大将に憧れて親友・為やんを殺し、家族が死んでも『邪魔者がいなくなってせいせいした』と喜ぶほど、愚かだが上昇意識が高い)に、
「下郎!俺の首が欲しいか?くれてやる、持っていけ!!」
と笑いながら語り、自刃する。
新左衛門と出会って最底辺の兵士として「尊」への仲間入りを果たし、光秀の首を片手に狂喜する茂助だが追ってきた「卑」である野盗に滅多刺しされ、その中に紛れて恨めしげに見つめる為やんの幻覚を見て死ぬ。その後秀吉(卑)の元に持ってこられた2人の首は茂助(卑)は綺麗であるものの、光秀(尊)は野盗に傷つけられて(腐敗のせいでもある?)汚れ、なかなか気づかれなかった。
そして光秀の首は「バカヤロー!!俺は光秀が死んだのがわかれば首なんてどうでもいいんだよ!!」と蹴り飛ばされる。
長々と書いてきたが、要はある意味卑しい者は尊き者より勝る、ということだ。世の中には卑しい者の方が多いし、現実の厳しさも卑しい者の方が知っている。武士道=尊き者達の綺麗事に唾を吐く映画だったんだよ!!!!!(伝わってほしい)
流血が多いのと当時衆道と呼ばれた男色文化の描写が多いので苦手な方は注意。
ビートたけしが要所要所でバカヤローというので秀吉に見えず、安国寺を演じた六平直政の怒鳴りが錦鯉の長谷川に見えてシリアスさが崩れたので減点。
本能寺の新説
なるほど、本能寺の変で信長の首が出てなくて。。っていう史実は今の大河ドラマでもあった話だけど、
これをどういう風に描くのかな、と思ったらなかなかの新説を入れてました!なるほど、そういうのも言えるな~その場にその人が本当に居たなら、と思えました。まぁ本人達の本心は分からないので本当に信長にそういうことをする人だったのかは分かりませんが。。
とりあえず信長の首ってなかなか見つからなかったことへの理由にはなっていて面白かった、というか斬新でした。
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ただ〜脚本上、信長さんが良い性格だったら困るのも分かるけど、ちょっと信長の描写が大雑把すぎる。大河ドラマでの岡田准一さんと違うのは別にしょうがないけど。。いやそれでもなぁ、こんな性格悪すぎる奴には誰も付いていかないよ、秀吉や明智光秀が部下をやってることになんか説得力が無くて残念。カリスマも無いし単なる乱暴者。「こんな信長だったらイヤだ〜!」をまんまやってる感じでがっくり。
そしてまぁ、衆道というものが当時あったのは知識としてはなんとなく知ってましたが。。いやなんかおっさんずラブをそんなに見たくなかったかも(汗)。。
そして題名の首についても、実際は首実検なるものがあったわけだから、こういう扱いだったのかなぁ、となかなか怖いものがありました。
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北野武監督だから描写が痛々しいというか怖い部分があるので、そういうの苦手な人はイマイチかな、と思いつつ、
本能寺の変に至る明智光秀の流れや信長の首が見つからなかった理由の新説がちょっと面白かったのことと、
唯一普通にかっこ良かった服部半蔵がいてくれたこと、今年の大河ではもう退場してしまった寺島進さんが時代劇にはやっぱり似合って有能な人の役で良かったこと、大森南朋さんもまた武将姿が見れてそれだけは嬉しかったです。
新解釈
これはたけしの新解釈戦国時代でいいんじゃないか。
日本人にとってはよく知った話をやるんだから普通じゃつまらないもんね。
見る前は時代的に秀吉がこんなジジイじゃないだろとか思ってたけど昔から教科書でジジイの秀吉絵を見てきているからそこまでの違和感もなく見れた。
周りの役者もベテランが多いからってのもあるとは思うけれど。
加瀬亮は意地の悪い役をやらせたら本当に憎たらしく見えるからアウトレイジに引き続きたけし映画ではああいう役所でこれからもはまりそう。
役者でいうと木村祐一、下手すぎない?台詞も棒読みだしもっとなんとかできたでしょ。
1番気になったのは金かけて美術やら作り込んでるのは分かるんだけどタイトルを「首」にしてんだから首の小道具に関してはもっとどうにかしろよと思った。
余りにも簡単に切れすぎる、抱える俳優が全く重そうに持たない。
もっとしっかり首を扱え。
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