儀式
解説
敗戦によっても揺らぐことのなかった家長制度に縛られて生きていくことを強いられた、戦後世代の若者たちの悲劇を描いた意欲作。個人が家に組み込まれ支配されるさまを、冠婚葬祭の儀式になぞらえて描き出す。混迷と動乱に満ちた昭和の時代と日本人の心情を探りながら、大島渚監督が戦後25年を総括する意味を込めた作品。すでに海外では評価の高かった大島監督の、国内での評価を不動にした傑作。
1971年製作/123分/日本
敗戦によっても揺らぐことのなかった家長制度に縛られて生きていくことを強いられた、戦後世代の若者たちの悲劇を描いた意欲作。個人が家に組み込まれ支配されるさまを、冠婚葬祭の儀式になぞらえて描き出す。混迷と動乱に満ちた昭和の時代と日本人の心情を探りながら、大島渚監督が戦後25年を総括する意味を込めた作品。すでに海外では評価の高かった大島監督の、国内での評価を不動にした傑作。
1971年製作/123分/日本
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2024年7月24日三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自衛隊の決起を呼びかけ、その直後に割腹自殺したのは1970年11月25日である。
三島は戦後民主主義と、その起点にある米軍製日本国憲法にはっきりした否定を告げていたが、当日は自衛隊のクーデターによる自主憲法制定を訴えたのだった。
高度経済成長の中、米国製消費文化の波にどっぷり浸かる日本では、三島の主張が顧みられることなどなかったが、世界に誇る大作家・三島の自決が日本社会を震撼させたことは間違いない。そして映画監督・大島は翌1971年、彼の死を日本戦後史を総括するなかで受け止め、投げかけられた問いに回答した。それが本作である。
大島は比喩を多用するが、その喩は不出来な直喩に近いことが多く分かりやすい。本作の舞台・桜田家のネーミングも露骨であり、臆面もなく「この一家は日本の比喩だ」と言っているのであるw
そして敗戦と満州からの引揚げから始まる桜田家の戦後史において、当主・一臣は天皇制を表現している。一家のメンバーの思想の中で堅固な保守的価値観や共産党等の左翼思想の伸長、急進的右翼思想の反動が描かれ、大衆の代表である満州男は無自覚なまま権力に庇護される立場に甘んじている――というのが大枠である。
映画で描かれている個々のエピソードには、それぞれ思想的シンボルの意味が込められている。
例えば様々な思想傾向を持つ子供、孫たちが、実はほとんど一臣自身の子供と設定されているのは、右翼思想も左翼思想もすべて天皇制の刻印を打たれていることを示す。
また、満州男の結婚式には花嫁が現れないばかりか従弟が事故死してしまう。「初夜と通夜がいっしょになった儀式」の場で、満州男が枕を相手に性交の真似事をするのは、戦後日本の大衆社会は何も生まなかった不毛な社会である、という大島流の批判がある。
もちろん立花輝道とは三島由紀夫である。三島は天皇を中心とする日本の伝統回帰を夢見たが、輝道も自分を「家長の一臣を継ぐ資格のある者は自分だけだ」と自認し、ともに自決していく。
しかし、三島が天皇回帰に向け決起を呼び掛けたのとは逆に、大島作品の三島は天皇たる一臣の死に際し、後継者を根絶させるために自殺するのである。大島はじめ関係者の豪胆には驚愕するが、本作は天皇制廃絶を主張する恐るべき作品なのだ。
ラストシーンは三島の死を見た大衆に対し、「膨大な戦死者の犠牲の上に戦後を出発した日本社会の原点を想起せよ」と訴える大島のメッセージだろう。耳を押し付けた地の底からは夥しい死者の嘆きが聞こえ、手にした汚れのない白球は戦後の孕んでいた可能性を示しているに違いない。
小生は本作の製作経緯や、大島が本作を三島の死に対する回答として撮ったかどうか等、何ら知るところがない。ただ、製作時期と描かれた内容から三島を連想させられたため、上記の感想を持った。
とはいえ、この戦後思想ドラマがいわば〈観念の闇鍋〉に過ぎないことも確かである。さまざまな思想が味を吟味するどころか、食えるかどうかも考えないまま、ぶち込まれただけの印象を受ける。換言すれば、監督が戦後史を十分総括しきっていない。監督の志はよしとしても、作品としては内容の貧困を免れない所以である。
若い人には「おとぎ話」の類に見えるかも知れないけどその昔、仏壇上に軍服の写真が並んでいるのを見て育った世代には大陸帰り(父親がそうでした)、貰い子が珍しく無く複雑な家族構成もリアルそのものそのせいか映画にのめり込めました昭和の混乱期直後だからこその映画だとも思いますが、人間の異常にも思える普遍性も捉えていると思います。
祖父、一臣。軍国日本の内務官僚であり、一時公職追放の憂き目を見るが復帰し、政財界に顔の利く大立て者。本妻しづとの間に韓一郎、兄嫁ちよとの間に守、韓一郎の許嫁との間に輝道、その他、勇、進、節子ら多くの母違いの子を残す(それはいいとして、当主がきちんと跡取りを育成しないのはどうなのでしょうか?)
父、韓一郎。許嫁は父に奪われ、異母妹の節子との仲も父に壊された。仕方なく結婚した母と僕と弟の3人を満州に置き去りにして一人東京へ戻り、敗戦に絶望して勝手に自殺(そんなダメ男、います?)。
父の異母妹である節子。一臣、韓一郎、輝道、僕の男達4人の欲望を一身に集める魔性系の女性。監督の妻である小山明子が演じている。不審死を遂げ、僕は一臣が殺したと思うけど、その理由も動機も不明。
輝道君(孫1)。実は孫ではなく、祖父一臣が父韓一郎の許嫁に手を付けできた子であることが明らかに。一臣にとっては末の子、韓一郎にとっては弟。節子も律子も手に入れる。桜田家の血を絶やすために自殺する(他にも血縁者はいるので血は絶えないはずですけど?)
僕、満州男(孫2)。次期当主の自覚はまるでなく、野球と女にうつつを抜かす若者。父の異母妹である節子、その娘律子、好きになった二人の女性どちらも手に入れられず悶々(もてない男の鬱屈は映画監督となり女優の妻を手に入れて克服すべし)。
律子(孫3)。節子の娘。皮肉屋。輝道君の後を追いかけ服毒自殺。
忠(孫4)。中国からの引き上げものである父と断絶、警官となり日本の改造を夢見るも事故死。
本作は、家父長制の肝である「存続」「家督を譲る」という主題に全く言及しない。本妻の孫である満州男が一臣の葬儀の喪主を務めているから次期当主なのだろうが、頼りない。「家」「墓」「田畑」は日本人が代々守り抜いてきた基本的な価値観だが、先祖にも墓にも全く言及しない。そもそも絶対的君主のように描かれている祖父一臣でさえ、本来は「家」の従属物でしかない、と描かれるべきなのに。構図としては、一臣を先祖たちが見下ろしているはずなのに。そもそも本作が描いているのは「祖父一臣 vs 4人の孫たち」という特殊な家族の物語であって、「家父長制」や「家」は全然描かれていない。物理的な家があるだけ。眉毛のない面相で人物を異形の顔貌に仕立てる独特のメークやライティング、武満徹の不協和音のような不気味な音楽、重厚な美術はアート映画として興味を引くが、肝腎の中身が面白くない。 名家桜田家という設定の閉鎖環境の中で描かれる近親相姦的家族関係が、「戦後25年を総括する」「日本の戦後史の総括」「戦後民主主義を総括」とはこれいかに。「家父長制度の中で生きることを強いられた若者たちの苦悩を描く」「個人が家に組み込まれ支配されるさまを、冠婚葬祭の儀式になぞらえて描き出す」「近代日本国家の縮図というべき、強権的な家父長制度に支配された一族の忌まわしい歴史を批判的に描いた」「強権的で旧態依然とした家父長制度に支配された桜田家なる一族の歴史を、日本国家の近代の歩みと重ね合わせながら象徴的に描き出した」「日本の伝統そのものである冠婚葬祭の儀式を通して、戦後の日本人の情念の歴史をつかみだした」「この一族を包んで流れていった歳月のなかに、混迷と動乱に満ちた昭和の時代と日本人の心情をさぐろうとするもの」あちこちに残された本作の惹句は壮大で凄まじいが、実際に描かれているのはそんな大層なものではなく、監督のナイーブで暗くて鬱屈した内面世界。それに付き合ってくれた70年代は優しい世界だった。そんな情念も観念も、脳天気で軽薄な80年代がきれいに洗い流してくれたw。
最近のコロナのおりで儀式というものを久しく体験していない.最後に立ち会ったのはコロナが流行する直前にあった,大学の同期の結婚式だった.思えば,物心つく以前から儀式というものは身近なところにあって,それは小学校の朝会などの定期的なものから,入学式や卒業式などの節目に行われるものまでさまざまだった.儀式の中で起立,気を付け,礼などの決められた動きや,校歌や国家やその時々の歌を合唱する行為を強制されるがそのことについて特別疑問を抱くこともなかった.そして僕も年齢を重ねるにつれて,儀式を強制される側から,それを開催する側へと役割が変わったことを思う.誰も求めていないのにそれに服従せざるを得ない儀式の謎,そしてその周辺にある信仰のアイテムたちを抽象化して強調したこの映画の描写にを見るとやはり,そのことを考えざるを得ない.