儀式のレビュー・感想・評価

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2.5戦後民主主義に否定を突き付ける三島由紀夫の自決への回答を試みた〈観念の闇鍋〉

2023年6月22日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自衛隊の決起を呼びかけ、その直後に割腹自殺したのは1970年11月25日である。
三島は戦後民主主義と、その起点にある米軍製日本国憲法にはっきりした否定を告げていたが、当日は自衛隊のクーデターによる自主憲法制定を訴えたのだった。

高度経済成長の中、米国製消費文化の波にどっぷり浸かる日本では、三島の主張が顧みられることなどなかったが、世界に誇る大作家・三島の自決が日本社会を震撼させたことは間違いない。そして映画監督・大島は翌1971年、彼の死を日本戦後史を総括するなかで受け止め、投げかけられた問いに回答した。それが本作である。

大島は比喩を多用するが、その喩は不出来な直喩に近いことが多く分かりやすい。本作の舞台・桜田家のネーミングも露骨であり、臆面もなく「この一家は日本の比喩だ」と言っているのであるw
そして敗戦と満州からの引揚げから始まる桜田家の戦後史において、当主・一臣は天皇制を表現している。一家のメンバーの思想の中で堅固な保守的価値観や共産党等の左翼思想の伸長、急進的右翼思想の反動が描かれ、大衆の代表である満州男は無自覚なまま権力に庇護される立場に甘んじている――というのが大枠である。

映画で描かれている個々のエピソードには、それぞれ思想的シンボルの意味が込められている。
例えば様々な思想傾向を持つ子供、孫たちが、実はほとんど一臣自身の子供と設定されているのは、右翼思想も左翼思想もすべて天皇制の刻印を打たれていることを示す。
また、満州男の結婚式には花嫁が現れないばかりか従弟が事故死してしまう。「初夜と通夜がいっしょになった儀式」の場で、満州男が枕を相手に性交の真似事をするのは、戦後日本の大衆社会は何も生まなかった不毛な社会である、という大島流の批判がある。

もちろん立花輝道とは三島由紀夫である。三島は天皇を中心とする日本の伝統回帰を夢見たが、輝道も自分を「家長の一臣を継ぐ資格のある者は自分だけだ」と自認し、ともに自決していく。
しかし、三島が天皇回帰に向け決起を呼び掛けたのとは逆に、大島作品の三島は天皇たる一臣の死に際し、後継者を根絶させるために自殺するのである。大島はじめ関係者の豪胆には驚愕するが、本作は天皇制廃絶を主張する恐るべき作品なのだ。

ラストシーンは三島の死を見た大衆に対し、「膨大な戦死者の犠牲の上に戦後を出発した日本社会の原点を想起せよ」と訴える大島のメッセージだろう。耳を押し付けた地の底からは夥しい死者の嘆きが聞こえ、手にした汚れのない白球は戦後の孕んでいた可能性を示しているに違いない。

小生は本作の製作経緯や、大島が本作を三島の死に対する回答として撮ったかどうか等、何ら知るところがない。ただ、製作時期と描かれた内容から三島を連想させられたため、上記の感想を持った。

とはいえ、この戦後思想ドラマがいわば〈観念の闇鍋〉に過ぎないことも確かである。さまざまな思想が味を吟味するどころか、食えるかどうかも考えないまま、ぶち込まれただけの印象を受ける。換言すれば、監督が戦後史を十分総括しきっていない。監督の志はよしとしても、作品としては内容の貧困を免れない所以である。

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徒然草枕

4.0田舎者のシニアには現実だったのよ~ 「分かるかな~分かんねーだろうな~」

2023年5月16日
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若い人には「おとぎ話」の類に見えるかも知れないけどその昔、仏壇上に軍服の写真が並んでいるのを見て育った世代には大陸帰り(父親がそうでした)、貰い子が珍しく無く複雑な家族構成もリアルそのものそのせいか映画にのめり込めました昭和の混乱期直後だからこその映画だとも思いますが、人間の異常にも思える普遍性も捉えていると思います。

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なんてこった

2.0中ばかり見ずに、もっと外に目を向けたら?

2022年3月28日
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鑑賞方法:VOD
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so what

4.5儀式のおかしさについて

2022年2月4日
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鑑賞方法:VOD

最近のコロナのおりで儀式というものを久しく体験していない.最後に立ち会ったのはコロナが流行する直前にあった,大学の同期の結婚式だった.思えば,物心つく以前から儀式というものは身近なところにあって,それは小学校の朝会などの定期的なものから,入学式や卒業式などの節目に行われるものまでさまざまだった.儀式の中で起立,気を付け,礼などの決められた動きや,校歌や国家やその時々の歌を合唱する行為を強制されるがそのことについて特別疑問を抱くこともなかった.そして僕も年齢を重ねるにつれて,儀式を強制される側から,それを開催する側へと役割が変わったことを思う.誰も求めていないのにそれに服従せざるを得ない儀式の謎,そしてその周辺にある信仰のアイテムたちを抽象化して強調したこの映画の描写にを見るとやはり,そのことを考えざるを得ない.

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ケ

4.5思想の左右や時に関わらずイエ制度が今もなお支配している現代日本の現実を突きつける

2021年8月2日
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Kazu Ann

3.0本作は、公開当時の人々なら読み解けたはずの暗号だらけの映画なのだ

2021年7月24日
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鑑賞方法:VOD

家父長制や冠婚葬祭を通じて、大島監督が日本の戦後民主主義を総括した作品とされているが、それは本当だろうか?

違うと思う
そのように一見見せかけてあるだけだ
本当は違うことがテーマだ

本作は、公開当時の人々なら読み解けたはずの暗号だらけの映画なのだ

しかし、半世紀も過ぎた21世紀の私達にはまるで理解できない
まるで「ダ・ヴィンチ・コード」のように

読み解くためには、ある知識が必要だ
それは戦後の日本共産党の歴史だ
その知識がなければ、ただの家父長制への批判とかにしか見えないのだ

本作は、日本共産党批判だ
儀式とは、共産党への葬式だ

自分の限られた共産党の知識で、本作を読み解いていくとこうだ

満州男とは誰のことか?
何を意味しているのか?

まず野坂参三を知る必要がある
彼は戦前からの日本共産党員
ソ連に秘密入国し、戦中はソ連共産党、中国共産党の手先となってシベリアや中国大陸でソ連軍、中国共産党軍(八路軍)と行動を共にした人物
日本兵捕虜のシベリア抑留が長引いたのもこの人物の仕業とも言われる
昭和21年1946年1月に中国から帰国
戦後国会議員となり、紆余曲折の末、日本共産党の党首である第一書記にも就任している
この人物の行動をモチーフにしていると思う

昭和21年1946年に日本に母と満州男が帰国とは?
それはどういう意味なのか?

もちろん、この野坂がその年に帰国したことを指すが、実は同年4月10日にあった第22回衆議院議員総選挙が行われたことを意味している

この選挙は日本共産党が初めて、野坂を含め5名の国会議員を当選させた総選挙なのだ

そして大日本帝国憲法のもとでの最後の総選挙であり、男女普通選挙での初めての選挙でもあった
だから、節子や律子が登場するのだ

この選挙で、野坂参三は衆議院議員に当選を果たしている

序盤でのソ連兵、満州人、朝鮮人に辱めを受けていないか?という問答とは一体なにか?

「葫芦島在留日本人大送還」とは一体何か?を各自で調べるべきだ

満州各地から日本人の脱出途中の困窮の実態は悲惨を極めたものだった

満州人や朝鮮人らに追剥ぎや暴行を受け、抵抗した者は四肢と頭に釘を打たれた末に磔にされたりした例もある

ついには男女とも全員が丸々素っ裸の餓鬼同然の姿になり果てた「全裸の行進」での待避行も珍しくもない状況だったのだ
待避団の人数が半数以下になっていた例も多かったという

ソ連兵による芸娼妓はおろか、人妻や15~16歳の少女までもが強制的にトラックで連れ去られた「女狩り」も頻発に起こったのだ

しかし野坂参三は、帰国後の講演会の壇上でこう述べたのだ

「在満邦人が中国共産党軍やソ連軍により安寧無事に保護されている」と

それがラジオの電波にのり、遠く満州で残留日本人3名らが聴いていたのだ
彼らはこの野坂の発言に猛烈に憤り、直接満州の状況を伝えようと、文字通りの決死の行動で帰国した

彼らは当時の吉田首相に面会して現地の悲惨な引き上げ状況を伝えたものの、主権を失った占領下の日本政府にはなすすべも無かった

しかしその後マッカーサーGHQ最高司令官との面会でついに彼らの行動は実り、葫芦島在留日本人大送還という、アメリカ軍と中華民国(現台湾)の日本人帰還事業が展開されることになり、101万人もの日本人が満州から引き上げすることができたのだ

この一連のことを想起せよというシーンであるのだ

満州男は何故、地面に耳を当て何かを聴こうとしているのだろうか?
劇中の赤ん坊だった弟を満州で生き埋めにしたという話は一体何なのか?

志賀義雄
この人物も戦前からの日本共産党員
18年も獄中のまま終戦を迎えた
戦後釈放後に前述の1946年4月の総選挙で野坂らと共に国会議員に当選する

1950年の日本共産党の内部対立、GHQの公職追放などの紆余曲折の後、地下に潜伏する

日本の独立回復後の1955年に公然を回復し、日本共産党の常任幹部会委員に復帰
国会議員の議席も奪回する

しかし彼は1964年に共産党から除名されてしまう

部分的核実験停止条約が世界各国で批准が進んでいた当時、中国共産党と友好関係にあった日本共産党はこの条約の批准に反対の立場であった
それは中国が核兵器の開発を進めていたからだ

しかし1958年頃からの中国とソ連の対立は、ソ連共産党を、中国の自前の核兵器開発を阻止しようという立場においた
志賀はこのソ連共産党の方針に従って、1964年5月の国会で、志賀は批准に賛成票を投じたからだ

これにより彼は共産党から除名となった
そして志賀は「日本共産党(日本のこえ)」という別の共産党を新たに設立する
しかし彼を支持したのは新左翼系の一部のみであり、総選挙では落選してしまう

もう、分かったこととおもう
地下から聞こえる赤ん坊の声とはこのことだ
だから地面に耳を当てて声を聞こうとしているのは子供達ばかりなのだ

では、桜田一臣とは誰のことか?
絶対的な家父のおじいさんとは何を意味するのか?

日本共産党初代書記長の徳田球一のことかもしれない
1955年、日本共産党は徳田球一が個人的な感情で側近ばかりを偏重し、同志たちを広く公平に登用しなかったとして「家父長的な個人中心指導の誤り」を犯したと批判しているからだ
徳田は1953年に亡命先の北京で病死している

しかし本作では宮本顕治のことだとおもう
その当時の日本共産党書記長
絶対的権力者
共産党は民主的な組織では無い
人が変わろうがおなじだ
本作の花嫁不在の結婚式があったのは昭和36年だ、つまり1961年
その年、宮本顕治の専横的な党運営を批判して
構造改革派が「一時離党」するとして、逆に党から除名される事件が起こっている

宮本顕治は1958年の50歳から、引退する90歳の1998年まで日本共産党に君臨し続けたのだ

相手のいない結婚式とは何の意味なのか?
なぜ満州男は羽織りを借りて独りで初夜を模そうとしたのか

つまり、花嫁とは共産党員、共産主義者、国民などを指すのだ
日本共産党は花嫁と結婚して披露宴を盛大に開いているかも、知れないがその正体はこれだと言っているのだ
日本共産党の党運営は党員不在、共産主義者不在、国民不在であると
幹部や執行部だけは、平然と飲み食いしながら結婚式を進めているだけだと

桜田忠
中国で戦犯の刑期を終えて帰国した自衛官の叔父桜田進の息子
なぜ彼は花嫁不在の結婚式の後死ぬのか?
なぜ彼は武装革命の要項を読み上げたのか?
なぜ棺桶から放り出されるのか?

日本共産党初代書記長だった徳田球一のことだろう
彼は武装闘争を主張していた人物
だから忠は警官の服装で警察の武器を使って武装闘争を主張したのだ
また彼は共産党による新憲法の草案を書いたことも有名だ
輝道が花嫁のいない結婚式で読み上げようとしたのは、武装革命の計画書そのものだ
少し劇中で紹介されている内容をよく聞くべきだ

彼は懐からだしたものを「新日本国家改造計画案」と言った
ひとつ、天皇は……と言いかけて退場させられてまう

攻撃目標、首相以下一切の国務大臣、一切の国会議員団は死刑

本省課長以上、地方自治体部長以上の一切の官僚、及び過去においてその職にあるはずのものは、下記の頭書により受刑、無期限の強制労働を課す

その計画案からすれば、冒頭も死刑に処すと言おうとしているのは間違いない

彼の死後、日本共産党は彼を猛烈に批判したのだ
彼の武装闘争路線を徹底的に批判したことを表現している

だから満州男は、彼を棺桶から放り出して
自分が棺桶に入ったのだ
日本共産党は徳田を棺桶から放り出した
棺桶に入るべきは日本共産党だという意味だ

皆がみている中での、一人での初夜とは?
党員不在、共産主義者不在、国民不在での結婚式を行った夜
通夜と初夜が同じになった

つまりそんな日本共産党による共産主義運動など、一人だけの初夜だ
自慰と変わらないことだという嘲りのシーンだ

立花輝道は誰のことなのか?
鹿児島から船で一昼夜かかる南の島とはどこのことなのか?
なぜ彼は自分の死を打電したのか?
なぜ彼はその島で一人死んでいたのか?

もう、お分かりだろう
輝道もまた徳田球一のことだ
彼は地下に潜伏し、中国に亡命しそして北京で客死していたのが、死して2 年も経ってから判明するのだ
その遺骨を引き取りに北京へ向かったのが、志賀義雄だ

桜田律子、桜田節子
二人の美しい女性は、一体何を意味しているのか

共産主義の美しい理想だろう
節子は、家父長に汚されていいように操られて、最後には殺されるが自殺だと片付けられてしまう

律子は新左翼の新しい理想の象徴だ
しかし彼女も南の島に残って毒を飲んで死ぬ
武装闘争も死んだのだ
共産主義の理想に燃えた若者たちは、このように日本共産党に潰されていったのだ
それがラストシーンのメッセージだ

自分にはこのように読み解けた
本作とは、大島渚監督による痛烈な日本共産党批判なのだ

儀式とは日本共産党の葬式を出してやるという意味だ

大島渚監督は1950年京大法学部に入学して、京都府学連委員長を勤めている

当時は共産党がすべて指導する学生運動だった
しかしその共産党の指導が迷走する様を、彼はつぶさに体験し目撃したのだ
委員長が共産党の非党員を貫いたというのは、この時代においては大変なことだ
身体的にも精神的にも集団で危害を加えられかねないことなのだ
とてつもない信念が無ければ対抗できはしない

この学生運動で大島渚が感じた共産党への反発と、学生運動への虚無感が、大島渚監督の後の作品に反映されていると思う

本作はその集大成なのだと思う

このように読み解いた内容を個人名をだして発表する事は、ついこの間まで危険なことだった
今でも個人を特定される状況で云々するのは憚られることだ
まだ怖いのだ

だから、誰も本作の本当の意味は語ろうとはしないのだ

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あき240