658km、陽子の旅 : インタビュー
菊地凛子「私の原点。好きなのはこういう現場」 熊切和嘉監督&オダギリジョーとの“旅”を語る
「海炭市叙景」「私の男」「武曲 MUKOKU」「#マンホール」などエッジの効いた話題作を世に送り出している熊切和嘉監督の新作映画「658km、陽子の旅」(7月28日公開)。2001年公開の「空の穴」以来、20年以上ぶりにタッグを組んだ菊地凛子を主演に迎えて描くのは、人生に行き詰まりもがいている女性・陽子の姿。疎遠になっていた父親の突然の訃報を知り、故郷の青森県弘前市までヒッチハイクで帰る道すがら、さまざまな人との出会いによって、緩やかな一歩を踏み出すさまが描かれる。
「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 2019」脚本部門で審査員特別賞を受賞した室井孝介の脚本を原案に、熊切監督と妻・熊切智子の共同ペンネームである浪子想が改稿して作り上げたロードムービー。さらに本作では、原案にはなかったという陽子の父親役として、奇想天外な形でオダギリジョーも登場する。
熊切監督、菊地、そしてオダギリが集い、現場で感じたことや、作品への思いを語った。
●熊切和嘉監督「ロードムービーはチャレンジしたいと思っていた題材」
――「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 2019」脚本部門で審査員特別賞を受賞した作品です。熊切監督が映像化したいと思ったのはどんな部分だったのですか?
熊切監督:ロードムービーはもともとチャレンジしたいと思っていた題材でした。なおかつヒロイン像が、日陰者というか、自分がとても撮りたいなと思える人物でした。あとは主人公が北に向かうというところも魅力でしたね。僕も北の人間なので……。もし南に向かう話だったら、躊躇していたかもしれません(笑)。
――室井さんの脚本から監督のアイデアでオダギリジョーさんの役が足されたということでしたが。
熊切監督:原案だと父親が危篤で、陽子が急いで故郷に帰る話だったのですが、それだとヒッチハイクをしている場合じゃなく街金でお金借りてでも新幹線に乗るのかなと思いまして。いろいろと考えるなか、すごく残酷ですが、父親が亡くなるという形で書き直しが始まったんです。女性的な視点も入れたかったのでうちの妻にもかなり力を借りまして、物理的な状況だけではなく、帰りたいけれど帰りたくないという揺れる気持ちを内側から描きました。そのなかで、父親の亡霊というか幻の存在として陽子が旅をしていくというアイデアが生まれました。
●脚本の感想は? 菊地凛子が“陽子”に感じたのは「特別な人ではないということ」
――菊地さんとオダギリさんは脚本を読まれて、ご自身の役柄をどう捉えましたか?
菊地:最初に感じたのは、特別な人ではないということ。誰しも先が見えないという不安のなか、目の前のことだけに目を向けて生きていくという感覚は少なからずあると思うんです。そんな特別ではない人間が、たった一日の帰郷のなかで、最初は誰とも話ができず、声が出ないぐらいなのに、最後は自分のことを他人に話し始めてしまうぐらいになる変化を表現するのは、楽しかったです。
オダギリ:僕の役は幻というか、幻想というか……。
菊地:幻感がすごかった。オダギリさんってここにいそうでいない雰囲気を出されることがあるんです(笑)。
オダギリ:そうですか? 自分ではそんなつもりはないんですけどね(笑)。芝居って役者と役者が言葉や感情でキャッチボールすべきものじゃないですか。ただ今回は生身の陽子と、幻想の父親のやり取りなので、陽子のベクトルと父親のベクトルの違いとか、二人が共存しているんだろうけれど、できていない感じとかをうまく成立できればいいのかなとは思っていました。
●オダギリジョーの役どころは「弘前のジェームズ・ディーン」
――オダギリさんは特殊な役柄でしたが、熊切監督はどんな演出を?
熊切監督:初日から「ここに隠れてもらっていいですか?」とか「足音を立てないでください」とか、結構あり得ないことをお願いしていました。
オダギリ:父親が出てくるシーンは、色々とギミックを使った撮影が多かったので、毎回楽しみにしていました。
熊切監督:初日から「四つん這いで静かに看板に近づいてください」なんて言っていましたね(笑)。
――オダギリさんのお父さん役はいかがでしたか?
熊切監督:素晴らしかったです。菊地さんもそうですが、本を直しているときから、僕と妻はオダギリさんをイメージしていたので。現実感のないというお話がありましたが、僕のなかで、オダギリさんってちょっと儚い印象があったんです。しかも菊地さんのお父さんなので、美しい人であってほしいという。僕のなかでは「弘前のジェームズ・ディーン」と呼ばれていたような人のイメージ。陽子にとっては自慢のお父さん。非常にうまく体現してくださいました。
オダギリ:弘前のジェームズ・ディーンというのは初めて聞きました(笑)。光栄ですね。
菊地:オダギリさんが来た日に「そういうことか」とすべて理解できました。陽子はお父さんが好きだった。だからこそ、お父さんからしたら何気ない一言でも、陽子にとってはすごく悲しかったり、悔しかったり……。すごく腑に落ちました。
●オダギリジョーは「佇まいが映画の人」 熊切和嘉監督と初タッグ
――熊切監督はオダギリさんと作品を共にするのは初めてなんですよね。
熊切監督:もう、佇まいが映画の人なんです。一番感じたのが、何でいままで一緒に仕事をしてこなかったんだろうって。昔の自分に「オダギリジョーいいぞ」って言ってやりたいです(笑)。
――オダギリさんも監督として作品を撮られていますが、熊切組はいかがでしたか?
オダギリ:すごく良い現場でした。同世代として今まで注目してましたし、これまで撮ってこられた題材が結構攻めている作品が多かったので、やんちゃな方なのかなと思っていたのですが(笑)、実際の監督はいつもニコニコと楽しそうにされていて。スタッフに対しても、キャストに対しても丁寧ですし、組って監督の人柄が出るので、空気の良さが満ち溢れている現場でした。
●菊地凛子&熊切和嘉監督、久々の再タッグはどうだった?
――熊切監督と菊地さんは、2001年公開の「空の穴」以来のタッグとなりました。
熊切監督:最初は緊張していました。僕は今回の撮影でも、軽トラに乗り込んで……みたいな昔とほぼ同じ撮り方だったのですが、菊地さんと言えばマイケル・マンとかと一緒にやっているわけで。「ありえないんですけど」なんて言われたらどうしようと思っていたんです。でも初日から「そうそう、そういうこと」ってすごく息が合って、20年間という時間を全く感じませんでした。時々何テイクもやる大変な撮影もありましたが、まったく集中力が途切れない。相当すごい現場を経験されてきたんだなと、たくましさを感じました。
菊地:私も初日に現場に入ってすぐ「私の原点で、好きなのはこういう現場だ」と思いました。熊切監督も昔とまったく変わらず、ずっとニヤニヤしていて(笑)。監督の熱量だけで部屋が暑くなる……みたいな。「空の穴」のときに映画の楽しさを教えてもらった方なので、そこから20年、みんな歳を重ねて現場をまたできたことが嬉しくて。
熊切監督:録音部の人もみんな同じに年を取って(笑)。
菊地:ここに戻ってこられて良かった、やり続けて良かったみたいな感じになりました。
――菊地さんはオダギリさんとの共演はいかがでしたか?
菊地:オダギリさんとやる仕事は、いつもめっちゃウキウキします。同じ画に映ると、割と「やった」という気持になります。
オダギリ:いままでは結構コメディが多かったですよね。
菊地:お父さんとのシーンは不思議な空気感でしたね。先ほども話ましたが、オダギリさんは、ここにいて、いないような雰囲気を出す方なので、一緒にフレームに入っても関係性に説得力が出たような気がします。
●「一歩を踏み出した体験は?」という質問から意外な答えが……
――陽子の一日を描いた作品。帰省の道すがら出会った人によって、一歩踏み出すことができましたが、3人にとってそういう出会いや出来事は?
オダギリ:人生ってそういうことだらけで、何かを選ぶのは難しいですよね。
菊地:私は小さいころ歯医者に行ったとき、あごに空洞があると言われて、すぐに大学病院に行ったんです。そのとき、死んでしまうと思ったら、案外大丈夫でして、「そうか、もっと色々できるんだ」と思えるきっかけになりました。
オダギリ:あごに穴があるからって死ぬと結びつくのがおかしくない(笑)?
菊地:いや子供のころってドラマチックに物事を考えていたので、結構本気でそう思っていたんです。
オダギリ:でも“あご”繋がりじゃないですが、あごだしを知ったとき、ものすごくおいしくて人生変わりましたね。
菊地:あるある。フォアグラを最初に食べたときの感動は……人生変わったかも(笑)。でも映画もそういうものですよね。たった2時間で人の人生を変えてしまう力があると思います。
――熊切監督は人生が変わった1本はありますか?
熊切監督:1本というのは相当難しいですが、18歳のとき大阪の映画館で観た「ソナチネ」は、人生が変わったということではないですが、、映画館から出た後に世界の色が違って見えた気がしました。
(取材・文/磯部正和、写真/山口真由子)
「658km、陽子の旅」 配信中!
シネマ映画.comで今すぐ見る