怪物のレビュー・感想・評価
全961件中、21~40件目を表示
世界は主観でできている
タイトルのせいもあって、誰が怪物なんだと先入観を持って見てしまった。
最初は母親の視点、次は教師の視点、、、と。
視点が変わるたびに、なんなんだこいつは!!と思ってしまう。
最後のみなとくんの視点で世界がつながって、これまでのみんなの態度に納得していく。
映画だけでなく、普段の生活もそうなんだと思う。
やっぱり一面的にものごとを決めつけるのはよくないとおもった。
実世界では一面的にものごとを決めつけている人が不利益をこうむってはいないのがくやしいけど。
一番の被害者は決めつけられた人か。。
高畑充希
視点と解釈の迷宮、そこに潜む「怪物」とは
観る者の視点と解釈を揺さぶる、奥深い作品だ。
美しい風景と共に織り成す湊と依里の場面では、私自身の少年時代の体験が蘇る。秘密基地やそこで過ごす誰にも邪魔されない時間、そして言葉にできない感情。それは、大人になるにつれて失われていく、かけがえのない宝物のような時間だ。しかし、同時に、子どもであるがゆえの無力さ、大人たちの無理解に苦しんだ記憶も蘇る。
物語は一見すると、いじめやDV、モンスターペアレント、教育現場における事なかれ主義など、現代社会にありふれた問題を扱う映画のように見える。しかし、湊と依里の関係がクローズアップされるにつれ、物語に潜む場面や何気ないセリフが、彼らへの苦悩や抑圧を生んでいたことに観客は気づかされる。
「お父さんみたいになれないよ」「豚の脳みそに入れ替わる」「ぼく、もう病気が治ったよ」「生まれ変わり」…これらのセリフは、二人の関係への社会の無理解や偏見が生んだものだったと気づき、観客の心を深くえぐる。
湊と依里の関係を安易に恋愛だったと決めつけてしまうことや依里の父親の暴力の原因、ラストシーンの湊と依里の生死など、それらを詮索すること全てが、観客自身の「怪物」性を浮き彫りにし問いかけてくる。
湊と依里が追い求める「生まれ変わり」は、社会的抑圧からの逃避だけではなく、もう一度過ぎた時間を戻し、あの楽しい時間を二人でまた過ごしたいという切実な願いだ。だからこそ二人は、二人だけの場所だった廃電車を「出発」の場所として選び、あの場にいたのだと私は思う。
この映画は、見返せば見返すほど観客を永遠の間違い探しに誘い込む。視点を変えるたびに、物語の解釈が変わり、観客は何度も立ち止まり、考えさせられる。それは、保利先生の趣味である「誤植探し」にも似ている。細部に目を凝らし、わずかな「ずれ」や「間違い」を見つけ出すことで、初めて見えてくる「気づき」がある。
「怪物」は、観る者の数だけ解釈が存在し、観るたびに新たな発見がある作品だ。安易な決めつけや偏見を捨て、多角的な視点から物語を読み解くことで、初めて見えてくる真実がある。この映画は、観客自身の「怪物」性を問いかけ、私たちに永遠の間違い探しを強いる。そして、物語に潜む社会的メッセージに気づいた時、観客は深い衝撃と同時に、少年たちの「生まれ変わり」に託された願いを感じるだろう。
思ってたのと違った
すごい映画でした。そしてやはり田中裕子さんは裏切らない!
あまりにも思いがけない、すごい映画で、なかなか思いがまとまらないのですが
ボクが思うに「みんな(見てる我々も)怪物」なのだと感じます。
真実はひとつのはずなのに、関わっている人の数だけ真実は増える。
その「増えた真実」が、怪物であり、それを生み出す我々みんなが怪物なのだと。
最初、田中裕子さんの演技が「おーい!裕子!キミはそんな人ではないはずだっ!」
なんて思いながら見てたんだけども、終盤、ああもう、やはりあなたは素晴らしい!と
とにかく田中裕子さんの存在感に、演技に、セリフに、心が奪われまくりでした。
流石です。女優 of 女優 です。彼女がいたからこその、この作品の仕上がり。
子どもたちの演技も素晴らしかったし、みんなみんな素晴らしい。
是枝監督作品は初めて見たんだけど、こんなにすごい映画を撮る人なんだ!と感嘆。
脚本もキャストも何もかもが完璧だったと思います。
そしてラストは、その「増えた真実」たる怪物に子どもたちは命を奪われたのだと。
あんなにキラキラで輝いたラストは、アレは、天国なのかもと。
ずっと水色の柵で向こう側に行けなかったはずなのに、柵がなかった。
柵がなく、うわー!って、思いっきり廃線路のほうに走っていけた子どもたち。
天国に行ったんだね・・・(泣)となってしまいました。
皆さんがどう見る、どう受け止めてるかはわからないけれど。
自分は、そう受け止めました。本当に素晴らしい作品でした。
じんわり響く
やっと見れた
面白かったけど、はっきり見せてほしい。
主人公は親から虐待される同級生をホントは守ってて、好きになってしまって(男同士なのに)
先生から虐待うけてると親は勘違いして
学校に抗議にいって
先生はクビになって
最後は夢?
ちゃんとふたり行きてた??
無知故の残酷さ。
自分のことしか考えられていない。
自分をどう取り繕うか。
自分をどう、よく見せようとするか。
好きな人から嫌われたくない。
正当化したい。
よく思われたい。
そういう心で動いたひとつひとつは、とても卑怯で自己中心的だと思った。
自己中心的であって、なおかつ自分に芯がない。
なりたい自分ではきっとない。
自分を正当化させようとする卑怯な考え方なんだ。
昔を思い出しても良い思い出がなくて
なんて腐った人間なんだろうと自分のことを思ってしまう。
なんてダメなやつなんだろう。
なんで本当のことを言えなかったんだろう。
なんでちゃんと言葉で説明できなかったんだろう。
心配してくれてる大人はいたのに、信用できなくて、どうせ自分なんて、自分が悪いんだと決めつけて、他の方法がある事を知ろうともしなかった。
全部自分で頭の中で悶々と考えて
他の考え方を知ろうとしなかった。
無知からくる闇というか、
自分のことで手一杯で何も見えてない感じ。
井の中の蛙。
そういうものを考えさせられる作品だった。
作品は違うけど、鬼滅の刃のひえじまさんのセリフでこんな言葉がある。
「子供というのは純粋無垢ですぐ嘘をつき残酷なことを平気でする。我欲の塊。
自分のことを考えるしか余裕がない。
普段どれほど善良な人間であっても土壇場で本性が出る。」
子どもって無邪気で素直であるからこそ、時には残酷でもあると思った。
受験前に見るもんじゃなかった
あたりまえなんてない
無意識、偏見、自分、他者、あるいは環境を守る行為によって他者を傷つけることが社会にはあると考えさせられた。
自分のルールやモラルを他者に強要する行為は例え相手のためを思っての行動であっても他者のためにならない可能性があるけど、他者を傷つける行為は咎めなければならないし、難しいなと思った。
本音と本音のコミュニケーションを取ることは家族や友人であっても稀なことで、ましてや生徒と教師なんてほぼ不可能だろう。
愛という感情は人間が判断を下す上でのウエイトがすごく支配的なので、間違ったジャッジをしてしまう、愛する人のため、息子のため、あるいは環境のため、自己愛が強すぎる人は自分のため。
人間は皆怪物なんだと思った
強いメッセージを内包しつつ、単純にサスペンスとしても面白かった。脚本が強引すぎるのは好みではないけど諏訪子の映像とラストの色彩との対比は感動した。是枝監督の映画はやっぱり間違いない
映画祭の高評価に納得
映画祭での高評価に納得の作品でした。 想像以上に良かった。予備知識なく観ましたが第1部が終わるところまでは校長室の場面の過剰とも感じられる演出にどこか違和感を持ちましたが、これが第2部、3部と進行するに連れてこちらの感覚が修正させられ、最後には納得させられました。
校長先生の演技が特に強い印象を残しました。さすがの大女優さんです。
二人の少年の交差する思い、胸が熱くなりました。
エンドのシーンには怪物を封じ込める強さも感じた。
希望のあるエンドでよかった。
人は考える生き物です
痛い
視点を変えると見えてくる
やばいモンスター教師がいる学校のお話かと思いきや、違った。
それはある一人の視点に過ぎず...。
母親目線だと、息子はいじめられているように映り
保利先生目線だと、ちょっと変な問題児
だが、実際は物事をしっかり考えられている優しい子でした
中でも、母親目線が面白かった この映画はシリアスに見せかけてコメディなのかな?って思った。
テンプレのような言葉しか繰り返さない、暴力を決して認めない教師たち
校長室のやり取りは本来むかつくシーンなんだろうけど面白い。
先生が人間ではないロボットみたいに奇妙で異質。そんな中での、安藤サクラの芝居が光っていた。
ひとつの視点だけでは見えてこない世界がそこにはあって、自分だけの視点の憶測で決めつけて片付けてはいけないなと思った。
他人に罪を着せてまで自分の社会的地位を守ろうとする奏。は、共感できる部分はあるなと思った。罪を着せるはなくとも自分の地位や見え方を気にして自分を守るために嘘をついてしまう場合ってあるよなって。嘘をついて自分を守っていても、本当のことを言いたくなくなっちゃう感じ。奏は自分と似てるところがあるかもしれない。。
母親目線で見ると、いい母親として映っていたけど奏目線で見ると一番奏を苦しませている存在だ。母親にとっての一番の敵だった校長先生は、奏目線だと、一番の同志(お互いに自分を守るために他人に罪をかぶせている)で味方(大人の中で)なのが皮肉が効いてて良い。
誰かにとっては、敵でも、またある人にとっては味方で。
良い人や悪い人というのはひとつの言葉で括れるものではない。この人物たちは、傷つけられて、傷つけて、みんなそれぞれが誰かにとっての怪物であった。
バックカメラは絶対必要
ブタの脳を移植した人間は人間?ホラー映画に出てきそうなおぞましい会話が頭を離れない。三者三様のドラマが時系列をあやふやに構成され、観ている者をも不安にさせる。最初は安藤サクラによるモンスターペアレントだったが、モンスターというほどのレベルではなく幾度となく学校に通う執拗さだけが不気味だった。保利先生が学校を辞めさせられるのも、校長をはじめ周りの教師の態度が決定打だったな。
保利先生の視点。殴ったのではないのは本当だった。しかし、その対応がお粗末だったことは否めないように感じられる。そしてイジメの認識にしても独善的で見誤った点には非があるし、完璧な教師などいないことを痛感させられた。
湊の視点。結局、小さな嘘が大勢を揺るがしてしまった感じ。その根底にはいじめられていた星川のことが好きだったから。こんなこと誰にも言えない。自分がブタの脳だとして自虐的になるのも理解しやすい。
ガールズバーの入ってるビル火災。一つのモチーフとして犯人が登場人物の中にいるんじゃないかと推理させ、放火犯がいるかいないかを想像させる。そもそも「怪物」は誰なんだと観客を攪乱させることが狙いだったのか。そうやって「悪」を探すことがすでに術中にハマってることなんだろうなぁ。
湊と依里のパートで、捨てられた廃電車や廃線跡の風景がとても良かった。少年たちの隠れ家として最高!ナマケモノの特技というエピソードは俺向き。「将来」といった隠れテーマも登場人物の未来像を想像すると面白い。保利はちょっと可哀想だけど・・・
現在、教員試験の競争率は地域にもよるが激減していて、残業時間が減ったからといって就きたくない職業になりつつある。熱血教師なんてもはや要らない(TVドラマ『御上先生』でも言っている)。将来的にはAIを取り入れた授業が増えるんだろうなぁ・・・こわいわ!それよりもバックミラーなどサポカーをもっと増やしてほしい・・・
素直に感動だが…
怪物は誰の中にも棲んでいる。じっと存在を潜めて深く静かに・・・
男の中に女が棲み女の中に男が存在している。それは無意識の中だけれど確かに存在し人それぞれに潜在する意識下から顔を出しパニックを起こさせる。自我と自己を理解せずに野放図に飼い慣らしてしまうと周りの人間を巻き込み奈落の底へ導く。それは人間にしか起こりえない事象なのか症状なのか病気なのかまるで見当がつかない。この映画を観て怪物探しをしても無意味だろう。怪物は登場人物一人一人なのだから。
映画がはじまり安藤サクラ以外の人々がすべて狂っている人のように思わせる。しかし映画が進行するに従いみんな良い人に思えてくる。それはおかしなことはす訳が用意されているように作られている。その理由がなんとも幼稚だ。だから映画がダレてしまう。観ている者が容易に思いついてしまう。もしくは先読みをしてしまうからだ。しかしひとつだけ解き明かせないと感じさせるよう意図されているのがひとつのこされている。男が男を恋する気持ち。少年は子供ではない。とっくに子供たちは気づいている。ただ認めたくないだけ。そんな気持ちを大人は解ろうとしない。辛抱が足りない親や教師は短時間で理解しようとする。人の気持ちなんてわかるはずがない。そう断定してもいいのだろう。今は・・・・待ちきれない大人たちは子供を不幸にするだけなのに。本当は夜空や雨や風の匂いや諏訪湖の湖面の変化について一晩中でも話しあっていたら、多分とても幸せな気分のひとときが味わえたろうに。
初見ではよく分からなかったけど…
全961件中、21~40件目を表示