怪物のレビュー・感想・評価
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単純じゃない話
観終わってみると単純じゃない話で、さすがという印象。
基本、同性としたつるまない小学生が、仲良し、好きとか恋とかよくわからずにこうなってしまうというのはわかる。
そこは、すごくうまく演じられてると思った。
ただ、大きなテーマの
「子供ってすらっと嘘つくし、親であってもわからん時もある」
ということ。これ、小学生だとちょっと無理あるかな。
夜に秘密基地的なところで親に発見されたら、全告白するだろうね。小学生なら。
この2つを両立させるのは難しいけど、バランスとってせめて中2くらいかな。
学校部分は、1幕目のあのやり取りはリアリティに欠けるかな。
ちょっと先生をバカにしすぎ。
1幕目の先生のバカっぽい感じはひどすぎる。
そうであれば、それが2幕で完全に消えてるのがなんともね。
結末は自分で
学校はあそこまで酷くないなとは思う。教員はただの人間だというのはわかるが、学校を守るなんて公立校では無いと思う。教員を守ることはあっても(是非はともかく)。で、親だって正義ではない。大人たちが本当のことを聞くことをしなかったところから広がっちゃったかなと思う。
それ以外については、やっぱり是枝さんという感じ。脚本は時系列が変わるから、本当に伏線回収できてるのか一回ではよくわからないが。
同年齢集団って残酷。でもそれは社会の縮図。自分の気持ちを見極めるにはあまりにも幼い子どもたち。最後のシーンでは涙が。
怒るより励ます母さん良い子が育つ
2023年映画館鑑賞35作品目
6月25日(日)イオンシネマ石巻
ACチケット1000円
監督は『誰も知らない』『花よりもなほ』『空気人形』『そして父になる』『海よりもまだ深く』『三度目の殺人』『万引き家族』『真実』『ベイビー・ブローカー』の是枝裕和
脚本は『世界の中心で、愛をさけぶ』『西遊記』『花束みたいな恋をした』の坂元裕二
音楽担当は坂本龍一で彼の遺作になった
坂元裕二は元々国際的に評価が高く今回の作品で第76回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した
ついでにこの作品はクィア・パルム賞も受賞したがこっちは大いに疑問
カンヌはあまりリスペクトできない
息子が教師に体罰されていることを疑い母親が学校に抗議する話
しかし事実はまるで違った
大雨の日に息子と友達の行方がわからなくなる
あきらかにカンヌを狙いにいった感が否めない
その辺が露骨でいやらしい
とてもじゃないけど星5や星4は与えられない
複数の違う視点で物語が構成されている
その点では『ミセス・ノイズィ』に似ている
麦野早織中心の視点
保利道敏中心の視点
麦野湊中心の視点
どちらかといえば好きなスタイル
『怪物』とはなんなのか
今ひとつはっきりしない
『怪物くん』『となりの怪物くん』『グエムル 漢江の怪物』それははっきりしている
映画のタイトル同様ラストもモヤっとしている
『キャプテンウルトラ』の最終回のようなシュールな展開だ
エンドロールのあと続きがあると思ったが無かった
モヤッといえば校長の孫を轢いたのは校長の夫なのか校長なのか
それもまたはっきりしない
インタビュー記事で好き嫌いをはっきりしているわりに作品は全体的にモヤっとしている
ある意味卑怯だ
学校に押しかける安藤サクラが教師たちと対峙する場面が面白い
特に田中裕子とのやりとり
そのなかでも大先輩の鼻に人差し指を押し付ける衝撃の場面はおかしくてたまらない
あと星川依里役の柊木陽太くんが可愛かった
子役では他に髪型のせいかお高くとまった感がハンパない木田美青役の飯田晴音が印象深い
配役
元ラガーマンの夫を交通事故で失ったシングルマザーの麦野早織に安藤サクラ
体罰疑惑でクビにされる湊と依里の担任教師の保利道敏に永山瑛太
早織の息子で依里と仲が良い麦野湊に黒川想矢
湊の同級生でいじめられっ子の星川依里に柊木陽太
体罰疑惑で離れていく保利の恋人の鈴村広奈に高畑充希
湊と依里が通う小学校の教頭の正田文昭に角田晃広
保利の同僚教師の品川に黒田大輔
湊が前の学年で担任だった神崎に森岡龍
保利の同僚教師で噂好きの八島万里子に北浦愛
湊と依里のクラスメートの木田美青に飯田晴音
早織のママ友の広橋理美に野呂佳代
伏見の夫に中村シユン
依里の父でシングルファーザーの星川清高に中村獅童
湊と依里が通う小学校の校長の伏見真木子に田中裕子
今見るべき作品。
モンスターペアレント、教師のなり手、男女の希薄さ、嘘、DV、いじめ、LGBTQなどを巧みに盛り込んだ傑作。
謎や考察を呼ぶエンディング。前半は、安藤サクラや瑛太の演技にすっかり騙され
後半は主演の男の子のジュブナイルな演技に魅せられ、しっかりと胸に刺さる大人が見るべき作品。
先生が飴舐めるのは、明らかにミスリード。
劇中のテレビでのタレントの扱いのように
本作の内容が映画の中だけの終わってしまうのか?
自分が怪物になるかならないかは、この映画を観た人の今後のモノの見方や行動にかかってくる。
怪物は僕達たちの心なのだ。
遠い少年時代の日々と
それを取り巻く大人のドロドロ。子供のドロドロ。
カンヌの好きそうな要素を入れてみたらうまく当たったと言う感じ。
そこにも大人のドロドロが垣間見れて面白い。
少年たちが良かったので元少年的には要らんお世話感が残る。
「普通」でいること。
この映画を見て、小学生のころ「気持ち悪い」と言われたことを思い出した。
彼も悪気があった訳ではないし、私も傷ついたという訳ではなかった。しかし今でも確かな疎外感が、常に私の根元に存在している。自分と他人とは、なにかが違うのではないかという恐怖。小学生の素直な言葉に、それを突きつけられた気がしたのだ。
彼らもきっと、それを感じたのだろう。
純真な少年達の童話
『罪と罰』
これは大人(少年法の適用範囲にて)が必ずや背負わなければならない規範である。刑法的な見地から。
劇中の大人達はギリギリそれを守り、そして子供は守らない、守る必要がない、そして大人を振り回す。
全く悪気なく。純粋に生きているならなおさら…
この映画は星川君が出てきた段階で初めて作品が2人の物語である事がわかり、それにともない他の方々は一気に後方に下がって状況の構築をするようになっていると思います。なので2人が直接見ていない周りのエピソードは、あっさりと描かれているようです。
今作品で最も気に入ったのは、麦君が星川君に抱きつかれた時の『自分に対する、そうしたかった自分と驚きにより突き放してしまった自分に戸惑う姿』がとても繊細で良かったです。これはやっぱり役者さんとそれを引き出された監督の素晴らしさなのでしょうね。
他の方も触れられていましたがこの作品では、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をうっすらとしのばせてあると思いました。母子家庭であったり、友情をこえた「淡い少年達の恋心」に触れている点や電車の中を星々で飾る、お菓子を分け合うなどです。途中でそう思えたので最後までスッキリと観れました。
ラストはおそらく遺体で発見されているのでしょうが(銀河鉄道の夜では1人だけ)、映画冒頭から何度もでてくる『生まれかわったらどうなるの?』という問いに対し、作品では『2人で仲良く過ごしているんじゃないだろうか』という救いが与えられているだけに、没入して鑑賞されていた方はその熱量をはるかに上回る切なさが一気に押し寄せてくるのだと思いました。
ラストは泣けました。
最近思うのですが、『予告編が作品を台無しにしている』という事です。
この作品でもキービジュアルがバンバン出てくるので閉口しました。
予告編やチラシなどは極力見ないようにしていますが、それって全くの逆効果ですよね。
真実とは
真実は本人たちにしかわからない。
それ以外の人達は断片的な情報から自分の見たい視点でしか推測できない。
なんか、昨今の過度な不祥事報道と似たような面もあるのかな〜と。
役者の演技と音楽がよかった。
是枝裕和カンヌプロジェクト第○弾
「カンヌで賞を獲って興行成績をあげる」というポリシーで作られた作品だと思うの。
実際に興行成績はあがるから、狙いは間違ってないね。創り手が唯々諾々とそれに従うのかというところだけど、たまには良いよね。
安藤サクラ視点、永山瑛太視点、麦野湊視点から描かれる羅城門形式なのね。
メインテーマは少年二人の同性愛感情と周囲の無理解だと思うんだけど、これを描くなら安藤サクラ視点と永山瑛太視点は不要なの。
「お前の脳は豚の脳だから」と言う中村獅童の重要度があがって、そこに少年二人、永山瑛太、安藤サクラが絡んでいけば描けるはず。
たぶん最初はそうだったんじゃないかな。
「これじゃ売れない」と考えた誰かが「学校のことなかれ主義も描きつつ」「いっそ羅城門形式で」「みんなでカンヌ獲りましょう!」「パルム・ドール!」と企画会議が盛り上がって決定したのでは。
それを形にする坂元裕二の技巧はすごいね。
ただ無理もあって。安藤サクラが学校に乗り込んだときの永山瑛太の対応が無理あるのね。高畑充希に色々と吹き込まれていたから、それが出たという設定にしてるけど、後の永山瑛太の対応を見るとそのキャラクターに説得感がない。観客をミスリードするために無理な設定になってるの。
田中裕子に「誤って孫を轢き殺した」という無茶な事情を負わせてるんだけど、これがないと学校のいい加減な調査が説明つかないのね。学校に真摯に対応されると問題が大きくならなくて一般大衆受けが疑問だったんだろうな。そんな理由で重い事情を背負わされた田中裕子夫妻は可哀想だったな。挙げ句に唐突に良い話風で「誰かしかなれないのは幸せなんかじゃない」って語らせて浮いたシーンを作っちゃってるし。
坂元裕二の超絶技巧はすごいけど、技巧ってのべつまくなし使うもんじゃないよね。ドラマを描く中で「ここだ」というシーンを効果的にするために用いるはず。この作品では技巧のための技巧になっていて、坂元裕二技巧鑑賞会になってたな。
是枝監督の画は独特なんだよね。少し引いて撮る特徴があるのかと思ったけど良く分からない。それでその画がそこまでうまくないと思うの。スクリーンショットを集めても写真集にはならない感じ。「うまい文章を書こう」と思って書かれた文章を読むと辟易するけど、その感じに似てたな。
普通の作品を創るときは、マイナスになる要素もあるんだけど「カンヌを獲る」と考えたときはプラスに働くんだろうな。実際、脚本賞獲ってるし。
売れるための作品を作ろうと思うと、どこかで「観客はこの程度でしょ」という部分が出るんだけど、この作品はそこを強く感じさせられてしまうので今ひとつでした。
しかし映画館でみたので「賞を穫れば人は来る」はあたってるね。
視点を変えて語られる事実から浮き上がる真実
物事の側面を一方からしか見ない悲劇
幸せを一つの固定観念で縛る悲劇
主要登場人物たち、それぞれの視点からみた怪物
極々ありふれた、善良な市民も、ある側面から見たら怪物である
社会と閉鎖的な価値観と無知によって犠牲になった大人と子供たちの物語
この時代でありながら、子供達の世界は遅々として進まず、排他的で弱きを挫く
少年たちが駆け抜けるラストシーンに流れる坂本龍一の音楽に、命の響きを感じる
いろんな「愛」に満ち溢れた青春ストーリー。あぁ、私も怪物ね…
ずっと気になっていた作品。
クィアパルム賞を受賞したってことはLGBTQ+関連なのか!?
ちょっとホラー?サスペンス?な要素もある感じだけど、どういうこと?!…と楽しみにしていました!
CMはホラー、サスペンス、スリラーっぽい感じもしてたけど、実際はヒューマンドラマ。
人間が壊れていく過程がしっかり描かれててゾッとする。
人が壊れていく、狂っていく系の作品、結構好きなんですけど、この作品はすごいな。
いじめの描写に耐えられるかな?と不安な気持ちを残したままの鑑賞でした。
正直、いじめ関係のシーンでは心臓がバクバクしました。
学校の対応等も妙にリアルで、安藤さくらさん演じる母親の演技も素晴らしすぎるが故に、少しクラクラと目眩がするほどでした。
だけど、いろんな人間の視点で描かれるので、いじめに関して色んな疑問や色んな気持ちが湧いてきて、「え!私ったら!決めつけていたわ!これじゃあ、まるで私が怪物ね。」という気持ちです。
ネタバレになるからこれ以上は言えない!言わない!
いじめ問題は人それぞれ感じ方が違うと思うので一概に言えませんが、いじめ関係で観るのを躊躇っていた私的には良い意味で拍子抜けでした。だからこそ私にハマった作品。
もどかしさや、いじめについての怒りを感じたりはありますが、いろんな「愛」に満ち溢れた青春ストーリーでした。
坂本龍一さんの音楽もとても素晴らしく美しく…
だからこそ、揺さぶられる感情があります。
近々もう1度、劇場で観たいと思います。
109シネマプレミアムは、坂本龍一さんが音響監修を手掛けているとのことなので、そこで観ます!
映画を観ながら色んな事を推理したり勘ぐったりしていた私も怪物かもしれない。
怪物だーれだ。
ラストの意味
ハッピーエンドにもバッドエンドにも、どっちにもとれるような終わり方は、あえてそう作っているのだと思いました。
ハッピーエンドか、それともバッドエンドになるかは、この映画を観た我々の、これからの行動次第で決まると言われているような気がしました。
テーマ性、脚本、演技、映像、演出、そして坂本龍一の音楽。すべてがハイレベルでした。
私はこんな物語は、たとえ思いついたとしても怖くて書けない。色んなしがらみのせいで保身に走る人が多い中、こんな映画を作って発表した勇気と誠実さを評価したい。表現に携わるプロとしての、そして何より「人間」としての本気を見ました。
僕らは何を恐れている?
怪物だーれだ?
僕らは何を恐れているんだろう?
美しい景色のなかで
日常が動いている。
映画が進行するなかで
1枚1枚レイヤーが重なるように
物語が積み上げられていく
重くつらい話しだが
ラストシーンは希望のようにも受け取れる。
是枝さんの作品は
スクリーンでないと最後まで見る自身がないですが
最後まで行けば必ず心に何かを残してくれますね。
それにしても
田中裕子は
凄い!
誰でも怪物になる
子供、親、教師、学校。それぞれが自分の立場を正当化するためにウソをつく。でもそのウソは、水面下に深く沈んでなかなか見えてこない。
登場人物、それぞれの愛情同士が絡み合って、もはや救いは、夢か幻か。2人の子供同士の友情が真っ青な空と海に解き放たれる瞬間は、清々しい時いうより、むしろ複雑な気持ちを抱いてしまった。
怪物だーれだ?
怪物だーれだ?という予告編のフレーズが、おどろおどろしく不安な印象を与える作品。
学校で起こった子供の喧嘩をきっかけに、大人の間で大騒動になっていく。母親・先生の双方から描かれるストーリーは、一つの真実でも立場によって大きく見え方が変わってくる。
怪物だーれだ?というフレーズは、そんな映画中で実はほのぼの要素(最終的には切ない要素)なのだが、映画全体のストーリーを考えると、観客に突き付けられるフレーズだ。
怪物とは誰だったのだろう?子供を怪我させた(と思われた)教師?学校に乗り込んでくるモンスターペアレント?それに右往左往して悪手を指す学校組織?(殆ど落ち度が無いのに安易に先生に謝らせた学校の初期対応が完全に悪手だったと思うけれど) 自分の子供を豚の脳と表現してしまう父親は当然劣悪だけれど、この映画中では小者だ。
個人的な感想としては、一番の怪物は子供と感じている。虐めも嘘を吐くのも当然悪いこと。でも人生経験の少ない子供たちにとっては、ちょっとしたきっかけで犯してしまう犯罪行為なのではないか?
大人になると、そういった行為によって警察に拘束されたり、周囲の人や社会からの信用を失って、時には職を失い生きていけなくなることを知っているからこそ、多くの人が自制できており、正論で生きていけるだけなのでは?決して子供が邪悪で大人が善良な訳ではないが、大した悪意も覚悟も無く犯される犯罪行為にどう対処するのかというのは、社会としての永遠のテーマと思います。
やはり子供と接する時こそ、襟を正して大人が範を示して、様々な人生経験をさせていかなければいけませんね。
ラストは非常に切ない展開(と自分は解釈している)だけれど、母親と先生の間の誤解が解け、当事者である子供たちの間の真の関係性が明らかになる(であろう)ストーリーは、決してハッピーエンドではないが救いのあるストーリーだったと思う。
この映画は凄かった😵
いじめられッ子だった人は必ず泣きます!
安藤さくらの映画かな?途中から瑛太の話かな?テーマは藪の中かな?違う!いじめられッ子同士の友情とBL?の映画で、主役は子どもふたりで、ラスト10分は演技と映像と音楽にやられて、号泣しました!(当方60歳)。
坂本教授と相米監督が見たら何と言ったかなあ~なんて思いました。
ジョバンニとカンパネルラ
何度も何度も、丁寧に視点を変えてみせてくれて、その度に怪物の意味合いが変わる、重なっていく。
お母さんは絶対じゃないし、先生はおかしくない。
ある面100%ダメに描かれていた★パパすらも。
廃列車での少年たちの戯れは、ある種色気すら感じるところもあった。二人のやり取りには銀河鉄道の夜を感じた。
是枝監督は可愛い少年たちを魅せる。。
自分の考えなしの行いが誰かの怪物になってる。今も。
うがった見方
怪物だーれだ
話が進むにつれ、『怪物』が次々と移り変わって見える
それはそれぞれの立場や視点
そして噂、嘘などからも作り上げられてくる。
そして本当に気づくべき
虐待する親や真実を隠す教師、嘘をつく子供は
誰からもみつからない
さて、
ホシカワ君は
あのチャッカマンで放火をしたのだろうか
そう考えた時に
火災のビルの側で女の人と歩いていただけで
キャバクラに通っていると噂をされたホリ先生を
思い出す。
『うがった見方』
それについてホリ先生が語るシーンもあるところがまた面白い。
学校が大切だから本当は孫を轢いたのに
夫に代わってもらった校長先生
それは本当か??
この映画を観る中で
うがった見方で登場人物を見ずにいられた人はいるのだろうか
誰もが自分の観たいように
相手をみているのかもしれない。
虐待する父親はもしかしたら
自分自身も親から同じように育てられてきたのかも
これも、私が見たいように見たかたちです。
怪物というwordの使い方、予告も上手い!
まず、音楽
邪魔にならない主張の塩梅が素晴らしく、本当に美しかった!!!
そして、何にも増して、子どもたちの瞳が美しくて、
それだけで、なんだか泣けてきた…。
人は誰にとっても、捉える側の価値観で怪物になりえる、
母親の「私が話しているのは人間?」のセリフの通りで、
彼女からしたら、話の通じない先生たちは怪物で、
保利先生からしたら、生徒も先生たちも母親も怪物で、
理解できないものは、怪物というWordに当てはめてしまえるのかな。
そして、無垢なとは言い切れない大人になりかけの子ども…
湊は、周りと違う自分を見つけたとき、
また、お母さんの期待する人間に成れないかもな自分に気づいたとき、
自分の中に怪物がいるような気持ちになっちゃたのかなー。
汚れていない分、ウヨウヨと不安の怪物にどうしていいか判らなくなっちゃたのかなー。
依里くんは、あんなお父さんでも大好きなんだよね…
だから、戻ってきて欲しいがために、なまけものに徹していたのに、
急に怪物のごとく動き出しちゃった?
ここで、二人に好かれているが故に翻弄される保利先生、
良い人だったのに、かなりの被害者か?!
いちばん、振り回されているし… 苦笑
そして、田中裕子、結局、今回も一番、印象に残っている。
この校長先生が、自分の中の怪物も、周りの怪物も飼い慣らせている、
いちばんの怪物やも知れん。
また、予告編も上手い!
“怪物”というWordに観客の注意を向け想像を掻き立てる感じに作られてて、
これにもやられた!!
子ども時代の息苦しさを改めて感じた。
是枝監督作品は、普段忘れている心の下に沈んだ澱を、下からかき混ぜる。
観た後、いつも何とも言えない酸っぱい気持ちになる。
今回も、そんな映画だった。
私自身、男の子を2人育てたので、つい母親目線で観てしまった。
いやー、この状況、身が持たないよ。
先生方も学校も変だし、父親たちもダメだ。
湊たちが秘密基地を作りたい気持ちは分かる、でも、数々の奇行、危険行為は、ホンマに勘弁して欲しい。
今回一番感じたのは、「学校」という場、ホントに子どもの成育環境としてこのままでいいのかという点。
私自身、学校はしんどかった。
教師で尊敬できる人は10人に1人くらいだったし、クラスメイトで友達になりたい人はほとんどいなかった。
いじめに加担もしなかったけれど、特に助けもしなかった、学校の人間関係に無関心だった。
勉強を効率よくするために通っていたけど、「学校は刑務所のようだな。刑務所はここよりひどいだろうから、絶対に犯罪者にならないようにしよう」と思ったことを覚えている。
少子化対策の前に、今存在する子どもたちにきちんと向き合う必要があると思う。
坂本龍一さんの音楽は、クラシックのように魂に響きます。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
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