ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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びっくりするほど薄っぺらい
映像は頑張ってるけど、話があまりにも薄っぺらい。今どき暴れてるだけでは見てられないので、何かそれなりに感情移入できる脚本を作ろうよ。。。途中から残り時間が気になってきた。もちろん悪い意味。この苦行はあと何分続くのかって。
頑張ってる映像も、深海魚が浮袋が飛び出して浮いてる絵は、分かりにくく合成もちゃちいとか気になる点は多い。
アワアワ作戦は結局何の効果も無しってこと?そもそもあのボンベや膨張装置が深海1500まで耐えられるのかとか、動いたとしても容積が減るんじゃないかとか、気になることだらけ。
オスカー獲得も納得!
私自身は怪獣ものの作品は普段殆ど観ないのですが、レビューがとても良く、オスカーも獲得したので、これは劇場でやってる間に行かねば!と思い遅ればせながら足を運んで来ました。
映像についてはもちろん、文句のつけようが無く、ハリウッドに比べると低予算ということだが全く気にならないというか、しっかり没入して恐怖を感じていた。
それだけでなく、人間模様を描いた脚本とそれを映す映像の組み合わせの絶妙な感じが、良かったのだと思う。とても良い作品を劇場で観れたという満足感に浸った。
正直なところ、映画予告CMを劇場で観た時には、気が進まなかった。戦後の銀座をゴジラが襲う!、、って。そこじゃなかったかも、この作品の魅力って。(CMは何を訴求するかがほんと大事)
芝居がかった演技がくどい
これはもう好みだと思うけど喜怒哀楽のリアクションがいちいち不自然にデカくて内容よりそっちが気になった。
驚いた時は目をひん剥いたり、悲しみに打ちひしがれているときは肩を落として目は虚ろだったりただただ神木隆之介が泣き叫び喚き散らすように思えて何というか半沢直樹みたいで歌舞伎チック、演劇チックで見るのが辛かった。
クライマックスとか伏線とか全然なくて「そうなるんだろうな」の展開がトップガンマーヴェリックの香ばしい感じを思わせる流れでした。
悪いのではなく自分がこのテイストを楽しめなくなっているんだと思いました。
ドライなシン・ゴジラの方が好きです。
但し特撮は評判通りというか全然安っぽくなくてCGゴリゴリでねっとり動くハリウッド版よりいい気さえした。
長い人間ドラマパートなのに、セリフがメチャクチャ
ゴジラが100%「特撮映画」だと思って見ている人には関係ない話だけど、このゴジラ映画はけっこう人間ドラマのパートが長い。たぶん「シン・ゴジラ」より長い、たぶん。だからそこもしっかり表現してくれないとすごい違和感が残る。誰もが知っている現代が舞台でなく、80年近く昔の設定だ。しかもその頃にはすでに映画は存在し、その時代の人間がたとえ劇中であれ、どんな話し方をしていたかを見聞きしたことがある身としては、そこを疎かにされると、虚構が愚かな虚構にしか感じられない。
まず典子(浜辺美波)の言葉が現代風だったり昔風だったり、一体どの時代の人間なんだと思うぐらい奇妙だ。敷島との出会いも唐突なので、何だこいつと思うのが第一印象。典子と敷島はだいぶ長い間一緒に暮らしているのに夫婦関係にならないのは、いくら敷島に戦争のトラウマがあるにしても不自然だ。それほど敷島が人生に絶望しているなら、そばに住んでいるけど同居はしていない、たまに顔を見せる程度の関係にすればいいのに。まったく他人の疑似家族というテーマに監督はエクスタシーを感じているのかも。
向かいに住んでる澄子(安藤サクラ)の登場もあまりに配慮がない。いくら特攻隊とはいえ、帰還兵に対してあの言葉はひどすぎる。はい、「そのあといい人になります」フラグなのはわかっているが、東京(だけではないが)が焼け野が原になったのは特攻が死ななかったからという、おそらく当時の誰も考えなかったロジックをひねり出したのには恐れ入谷の鬼子母神だ。それだけでなく、この人、岡山か広島の出身であることが語尾で判明する!(笑
日本軍は解体されGHQの支配下にあり、民間で対処するしかない……っていってるけど、結局動いてるのは元軍人ていうのはありなんでしょうかね。強制じゃないからOKなのかな。ヤシオリ作戦にワダツミ作戦か。
謎の巨大生物の出現に対して外国の科学者は何の関心も持たなかったのでしょうかね。突然ここに外人が登場すると、60年代の東宝特撮映画みたいになっちゃうんで、困りますけどね。
ついでにゴジラについて思うことは、大胸筋が異様に発達した造形は不自然ではないか。大胸筋は大きいのに腕は細いというね、ところがね。ま、怪物なんで何でもありか。
最後に、この映画の中では余計なことをやってぶち壊しになっているところが何箇所かある。特に最後の方。それ、いらなかったんじゃないか?
きけ、わだつみの雄叫びを
本作におけるVFXが評価されアカデミー視覚効果賞を受賞した山崎貴と、『オッペンハイマー』ではじめてCGを使ってアカデミー主要7部門を独占したクリストファー・ノーランが対談していたが、なかなかエスプリの効いた組み合わせである。『Always三丁目の夕日』でも高度成長期の昭和をお得意のCGで見事に再現させて見せた山崎監督だけに、米軍の空襲により焦土と化した戦後まもない東京の姿は実にリアルなのである。
特攻の生き残りとして東京に戻った敷島(神木隆之介)は、そこで血のつながってない赤子を抱いた典子(浜辺美波)という女性と出会う。銀座の街もようやく活況を取り戻し、敷島ら3人の疑似親子生活も安定し始めたちょうどその頃、特攻機を不時着させた島で遭遇した怪物がさらに巨大化した姿となって東京に上陸。ゴジラの放った強烈な熱線により典子と生き別れた敷島は、不死身の巨大生物ゴジラへの復讐を誓うのだったが....
庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は、“ゴジラ”をまさに福島原発のメタファーとして描いていたが、山崎貴監督の“ゴジラ”はもっとエモーショナルな存在として登場する。嘘をついて特攻を回避した敷島は不時着した島でゴジラに襲われるが、運命の悪戯かまたもや生き残ってしまうのだ。その疚しさをして敷島に「俺の戦争がまだ終わっていない」と言わしめたのではないか。日露海戦で沈没を免れた軍艦と同じ名字(敷島)である点に我々は留意しなければならない。
戦後、海底から突如として日本に現れ上陸するゴジラとは一体何だったのだろう。GHQのメタファーかって?いやいやそうではないだろう。むしろその逆で、祖国日本のために勝てないと分かってながら太平洋戦争で命を落とした英霊たちの化身ではなかったのだろうか。死んでも死にきれなかった英霊たちの魂がゴジラを三度祖国に招き寄せたのではないだろうか。“生”の尊さを今一度日本人に思い出させるために。ゴジラ撃退作戦が“わだつみ”と名付けられ、海底に沈んでいくゴジラに元海軍の生き残りたちが最敬礼をした理由も、おそらくそこにあるのである。
これで、原発事故と敗戦という日本が経験した2大リアルを、ゴジラというSF世界のモンスターに結びつけた映画がともに成功したわけで、ノーラン監督の『オッペンハイマー』のように、今後しばらくは史実に基づいた映画作りが増えていくのではないだろうか。ミハイル・ハネケは、現実世界がより茶番化、劇場化していくことに危機感を募らせていたが、YouTubeがフィクション化して👍️を稼ごうとするならば、映画は逆によりリアルにリンクしていけばいいのである。
怪獣映画にエモーショナルなヒューマンドラマを入れたのは新しかった。
これはとてもよかった。
山崎貴監督作品はわかりやすさが最優先されており、誰がどこでなにをしているのか、というのが非常に明確だし、ストーリーがどのように進んでいくのかも明確だ。そして、観客が観たいものをそのまま出してくる。
このセンスはどこから来るのだろうか。
本作は、1945年から物語がはじまる。
特攻兵の敷島が零戦が故障したといつわって、小笠原諸島にある大戸島という守備隊基地に不時着する。
そして、その島にゴジラが現れる。敷島は零戦の機銃でゴジラを撃つように頼まれるが、怯えて撃てない。彼の目の前で整備兵たちが次々と殺されていく。
生き残った敷島は本土に戻る。彼は特攻から逃げ、ゴジラとの戦いからも仲間を見殺しにして逃げた。闇市で出会った女性と、彼女が連れていた赤ん坊を成り行きで養うことになり、ようやく生活が落ち着いてきたが、戦争のトラウマは抱えたままだ。そして、再びゴジラが現れる。
本作は敷島という兵士が自らのトラウマと対峙する物語だ。
怪獣映画であるゴジラに、ヒューマンドラマをからめたところが新しい。ゴジラが暴れるところを描きたくて撮るんだけど、観客を呼ぶためにヒューマンドラマをからめた、という感じだ。このやりかたはクリストファー・ノーランの「インターステラー」と同じだと思う。あの作品は、ハードSFをやりたいんだけど、それだと売れないからヒューマンドラマをからめたのだと思う。
なお、本作は主演の神木隆之介をはじめ、みんな大げさな演技をしていて嫌だったのだが、よくよく考えてみると、今は観客がyoutubeを観ているから、注目を集めるための演出に慣れているし、早送りで視聴したりするから、演技を過剰にしておかないと演出が伝わらないのだと気がついた。個人的には繊細な演技を観たいのだが、それでは売れないのだろう。
なお、ゴジラは原爆のメタファーだということになっているが、本作では冒頭で、島の言い伝えでゴジラという怪獣がいる、という話が出る。原爆は第二次世界戦の際にアメリカが作ったもので、本作は1945年からはじまる。なぜ、それ以前からゴジラの存在が知られているのだろう。ゴジラを見たものはいない、という設定であれば問題ないので、その旨を説明したほうがいい。
不思議なのは、日本人は原爆の恐怖について語り、映画「オッペンハイマー」に原爆投下のシーンがないと言って怒った。
では、なぜ原爆のメタファーであるゴジラが東京破壊すると喜ぶのだろうか。本作ではゴジラが熱線を吐くシーンは二回ある。一回目はキノコ雲と黒い雨が降ったので、山崎監督もそのつもりで演出しているのだろう。二回、という数字は広島と長崎を意識しているのだろう。
ゴジラを明確に原爆として描いているのは、本作が反戦映画だからだ。
世界で戦争が起こっており、核を意識した映画がやたらと世に出ていることからも、悪い意味で核がトレンドになっている。
この点では、本作も現代という時代を反映したものであり、制作の意味づけはここにあるのだと思う。つけくわえるなら、「国は守ってくれない」と市民が団結してゴジラに立ち向かうシーンがある(ノーランの「ダンケルク」っぽい展開になっていて、なぜこんなにリンクするのだろうとは思うが)。これも現在の政府に対する国民感情を反映しているのだろう。
話を戻すと、日本人がゴジラを観て喜ぶのは、これが反戦映画である以前に怪獣映画だからだ。それは言うまでもないのだが、だったら「オッペンハイマー」も、ひとりの物理学者の伝記として楽しめばいいではないかと思う。
製作費は15億~22億円。興行収入177億円とのこと。山崎監督の他のヒット作だと「STAND BY ME ドラえもん」(280億円)、「永遠の0」(120億円)と、過去作の中でもかなりのヒットと言える。
参考までに近い時期の話題作の世界での興行収入をピックアップしておくと、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」(2,000億円)、「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」(1,000億円)、「君たちはどう生きるか」(260億円)、「THE FIRST SLAM DUNK」(230億円)、「すずめの戸締まり」(200億円)といったところ。こうしてみるとわかりやすいだけではまだ足りないのかもしれない。
それにしても、個人的には本作のゴジラは動作はややぎこちない(コロッケの「ロボット五木ひろし」に似ている時がある)が、破壊のアクションや熱線放射のスタンバイに入る際のビジュアルなど、今までのゴジラで一番納得のいくものだった。そういう点でも山崎貴という監督のすごさを感じつつ、つくづく作家性が見えない人だなとも思う。
美しいテーマに彩られた作品
ゴジラ-1.0 このタイトルに2つの意味を感じることができた。
始まって早々、時代背景は高度成長期に入った日本ではなく、その前に起きた大戦。
主人公敷島が抱える心の葛藤「生きていることはダメなことなのか?」
特攻出撃に機体故障を偽り、小さな島にある整備工場へ逃げ込む。
そこに突如出現したゴジラ。戦闘機の機銃操作もできないほど恐怖に襲われ、立花を除く整備員全員が死亡。
戦争が終わって実家の両親は空襲で死亡。隣の姉さんから生きて戻ってきた「恥さらし」となじられる。
当時の日本社会の常識。
赤ちゃんを託され死んだ母の代わりに身一つで走り回る典子。主人公との出会いと居候。
気の抜けた主人公は典子に出て行けと強くは言えないままで、隣の姉さんからヤジられるが気にかけてもらえる。
アメリカ軍の残した機雷掃除の仕事はいい稼ぎになる。
典子は敷島に「生きて」というが、敷島は食べるためにお金が必要だという。
やがてゴジラの存在をアメリカ軍がキャッチするが、ソ連との関係で日本での戦闘行為を拒否するという設定だ。
これによって日本は軍無しでゴジラと戦う必要になる。
秋津のセリフに監督の日本政府に対して言いたいことが語られる。「緘口令 この国は変わらない」
ゴジラの口に機雷を入れて爆発させてもゴジラは再生するという設定。
九死に一生を得たように高雄が現れるが、主砲を撃っても全く効果がなく、ゴジラの放つ熱光線の恐ろしい破壊力。負傷した敷島が気絶するが、こんな場合絶対気絶した者勝ちだと思った。どうせ死ぬなら気絶しているうちにやってくれ。
余りにもすさまじいゴジラ。二度逃げたという自己憐憫。「俺は本当は生きてちゃいけないんだ」
そんな敷島に典子は「どんなことがあっても死んではいけない」
そして東京に上陸したゴジラ。すさまじい破壊。熱光線は原爆そのものだ。
典子は敷島を庇いゴジラの犠牲になる。
典子は死んだ。大人の嘘。心の芯でわかる事実に、アキコが泣く。
さて、
ゴジラとはいったい何だろうか?
それは、災害と戦争のモチーフではないだろうか?
そしてそれは、「人の過ちの象徴」だ。 「理不尽に何もかもを奪う愚かさ」
野田の出したわだつみ作戦。心に火が付いた敷島。整備士の立花を説得し「震電」の整備を依頼した。
「俺の戦争は終わっていない」という特攻への覚悟。
そしてまた秋津が言う「この国は命を粗末にしてきた」「ゴジラとの決戦は死ぬための闘いじゃない。未来を守るためだ。若者たちの未来を」ここにまた監督の政治に対する思いが込められている。
敷島に抱きしめられたアキコはすべてをわかっている。だから泣くのだ。戦争の悲しみが伝わってくる。
大どんでん返しの伏線「電報」 さすがにわかりますが、そう簡単に理解させないところが面白い。
この作品のテーマは「それでも生きろ」というところでしょうか?
作戦もヤバくなってきたところに、水島らが加勢。ゴジラを引き上げます。しかしまたもや熱光線を準備するゴジラ。
そこに特攻隊敷島号。あの電報が無になってしまうのか?
見事特攻した敷島号は、ゴジラの頭を吹っ飛ばした。そしてまたどんでん返しのパラシュート。
「生きろ」立花が言った言葉に「新しい考え方」が込められている。
これからの時代の新しい選択だ。
ゴジラとは畏敬の神でもある。敬礼する男たち。
そして、
電報が敷島に渡される。
無事だった典子。
「生きている」という喜び。
くだらない古い概念を終わらせることが、この作品が伝えたかったことだろう。
しかしオチがある。
ゴジラの復活。
それはいまだ終わらない戦争。いまだ続く人の過ち。
ゴジラ-1.0のもう一つの意味、それは、
いまだに解消されない「戦争」というマイナス(負)の遺産。
最高に面白い作品だった。
命を考える。新たなるゴジラの物語。
「ゴジラ✕コング 新たなる帝国」に大満足した帰り道、予約していた本作品のBlu-rayを受け取って、自宅で鑑賞です。
怪獣王ゴジラが好きな自分にとっては、人間と戦う本作品、あまり期待してなかったのですが、映画館で見た時に、予想以上の大興奮。今回、3回目の鑑賞です。
いや~、何度見ても面白い。
今までの作品は、昭和29年の第1作ありきのゴジラシリーズだったのですが、本作品は、その前の物語。正に新ゴジラですね。
ゴジラが登場するCGシーンが、迫力満点で面白いのは勿論なんですが、人間が演じるドラマ部分も見応えありました。
戦争という特殊な状況からの復興のなかで、神木さんが精神的に成長していく様子。
戦後の混乱期を、全く血の繋がらないもの同士が、家族として共同生活を行い、絆が深まっていく。
そして、ゴジラを退治するために奔走する人々。
それぞれのドラマ部分もホンッと魅入っちゃいます。
でも、やっぱりスゴいのはゴジラですね。
なんと言っても、アカデミー賞視覚効果賞受賞ですから。
何度見ても、銀座の破壊シーンは、迫力満点で素晴らしい。特に熱線を吐く時のトリガーみたいな演出は最高です。
ホラー映画に有りがちな、まだまだ続きそうな演出は怖さを倍増するにはもってこいかな?
自分としては、是非とも続きが見たい。
今度は怪獣とのバトルものになると良いな。
役者は豪華なのだが・・
うーん、VFXは素晴らしい。脚本自体はそう悪くはないと思うが、役者や掃海艇や震電の振る舞い方に違和感を感じた。演技指導が良くないのかも。
浜辺美波の唐突な神木隆之介との出会いや安藤サクラの妙に冷たい出だしの絡み方は三丁目の夕日の登場人物達の劇中の絡みの自然さには遠い。掃海艇の山田裕貴も震電の修理人の 青木崇高も、その作業の内容からは浮いてしまっている(あまりにもその作業内容が軽い)。そもそも、震電をゼロ戦のようにヒラヒラと飛ばすところにリアリティの無さを感じ、それを操縦するのがあきらかに技量に欠ける学徒動員の特攻隊上がりの神木隆之介というのもうなずけない。
VFXとストーリーは楽しめる。しかし、演出と脚本は今一つで、特に役者がもったいない。これならシン・ゴジラの方がずっとアカデミー寄りだったな。改めてシン・ゴジラを見直してそう思った。
反戦映画というほどではないが面白かった
特撮、怪獣、もっと言うと東宝自体も嫌いなのに見ようと思った理由は、もちろんアカデミー賞受賞と、それまで私の中では三丁目の夕日や永遠の0の人でしかなかった山崎貴監督のインタビューを見て立派な人だなあと思ったから。面白かったというのが率直な感想。
自分の弱さ故に戦争で生き残ってしまった主人公が、同じく多くの大切な人を亡くしながらも生き延びた仲間達と出会い、共に戦いトラウマを乗り越えていく。
辛いシーンが続いても豪華キャストによって和む瞬間があった。佐々木蔵之介が関西弁になる瞬間が一度あったり、東京の役所の公務員がコテコテの関西弁だったりするのは何故?
戦争末期の冒頭からゴジラが襲撃してきて、その時点で少なくとも太平洋には核爆弾は落とされていないと思われ、ゴジラ誕生の理由はわからない。
「今の日本は自国の軍隊も持てない、GHQの援助も得られないのだから、我々の力で」というところで自衛隊発足かー?と思ったがそうではなくて良かった。最後、全ての人が自ら敬礼するが、ゴジラに対して?あそこまで揃いも揃ってゴジラに敬礼するとは不自然な気がした。
つくづく思うのは、俳優はあまりCMに出すぎてはいけない。神木隆之介を見ていて何度も「宝くじ」を連想させられてしまった。
ゴジラと特撮は最高
2回目の鑑賞。
ゴジラと軍艦、戦闘機が映っていると画面が引き締まる、またいは予算のかかり方がそこだけ違うと観客からもわかってしまう。
特に戦闘機でゴジラを誘導する場面では、長閑な農村を背景にして優美に飛び回る戦闘機を、荒々しいシルエットのゴジラが一瞬素早く動き噛みついて落とそうとするのは、縮尺は違うけれど何か犬みたいでかわいいと思ってしまった。
カメラワーク
アカデミー賞で視覚効果賞を受賞したのでその辺に注力して観たが、確かにゴジラに違和感がなく本当にそこにいるかのように感じた。カメラワークが効果的に使われていると思った。水面下から襲いかかるゴジラには、ただただ恐怖。
個人的には、戦後の日本の様子が細かく丁寧に描かれているところが良かった。
それと戦闘機や軍艦が好きな人にはたまらないのかな、と。
ゴジラがひたすら街を蹂躙する様子が多いのかと思ったが、思いのほか人間ドラマが大半を占めていた。ゴジラの映画はだいたいこうなのかな。怪獣系の映画はほとんど観たことなかったのだが、なかなか面白かった。
幼少期に家族3人で観たゴジラを越えた♪
四の五の言わず今すぐ映画館に観にいきたまえ♪
兎に角神木隆之介くんがカッコいい!ずっと逃げ続けていた彼が遂に・・・
戦後何もなく皆貧乏だった時代に「ゴジラ」
がこれでもかと最悪をもたらす・・・😱
ドSな映画です♪
映像がキレイだし迫力あり!
幼少期に観た時は、ゴジラのちっちゃなフィギュアがおまけで貰えました♪
まさか自分の子供とアップデートした「ゴジラ」を観られるとは思わなかった😌
映画って
本当に素晴しいエンターテイメントですね♪
戦争に敗けた鬱憤をゴジラの駆逐で晴らすな
大阪ステーションシネマにて、遅ればせながら観賞してきました。2023年11月3日封切りでもう5ヶ月を超すロングランですね。着ぐるみじゃない完全CGで、視覚効果賞のオスカーを獲ったゴジラとあらば、流石にスクリーンで観るしかない。
1945年の大戸島の時点で大興奮。深海魚が浮いてくると呉爾羅が現れるという伝承のある島で、戦時は故障した航空機の不時着所となっていた。1954年にはじめてゴジラが観測されたと思っていましたが、今作で1945年にすでに観測されていたことが明らかになりました。それで-1.0か。エピソードゼロでもないしね。ゴジラは1945年時点では大型恐竜くらいの大きさであり、1946年のビキニ環礁水爆実験の影響であの50.1mの大怪獣サイズになったと。
巨大化前の口で人間を咥えて振り回す様はジュラシックパーク的で、やはり未成熟のゴジラという感じ。しかしこのシーン、噛みちぎらずに投げる、投げる。そして翌日布をかけられたご遺体もいやにきれいでした。これは別に文句言いたいわけじゃないけど。グロ描写に弱い人のための優しさかなー。時代だなー。
とはいえ敷島に絶望と悪夢を植えつけるには十分な出来事でした。特攻隊として出発しながら、生きて家族のもとに帰る方が重要だと判断した敷島は間違ってないと思います。けれど同じく家族がいる仲間たちが特攻して死んでいき、嘘をついて一人だけ免れた自分を卑怯だと責める気持ちは消えない。大戸島に逃げ込み何も語らず時が過ぎるのを待つつもりが、あの夜あの惨劇を目の当たりにしてしまう。自分のせいだ、自分は生きてちゃいけない人間なんだ…。「図々しく生き延びた、この恥知らず!」澄子さんは吐き捨ててくるし…
まあでも2年後くらいには、澄子さんも反省したでしょう、なんであんなこと言ったんだろって。戦時は人々の感覚や価値観が狂っていたというのがよく描写されてたんじゃないでしょうか。敷島はマトモですよ。
俺の戦争は終わってない云々はよくわかりませんでした。言いたいことわかるようなわからないような。要は国への帰属意識があり、敗戦と共に「敗けた。俺は役に立てなかった。のうのうと生きていて恥ずかしい」という気持ち。役に立ちたいという気持ちなんでしょう。わだつみ作戦の人たちも「今度こそ役に立ちたい」とか言ってたし。アメリカから国を守れなかったが、ゴジラから国を守ることができれば、誇りが回復できるという。戦争直後は戦時のメンタリティーを引きずっているということなんでしょう。
そう考えると、ゴジラは自然災害ではなく、襲いくる「敵」なんですね。最後に敷島が特攻作戦を成功させ、なおかつ生還したというエンドは、戦時の価値観と戦後現代の価値観を満足させるいいとこ取りの結末だったと言えます。敷島や橘もこれからは前を向いて歩いていけるでしょう。絶対これから仲良くなりますよあの二人。典子も生きてたしね。
いやー身勝手ですねー。そんなものの捌け口にされたんですか、我々のゴジラは。ゴジラはね、無垢な海底生物なんですよ、ちょっとデカいだけの。大戸島では恐れられると同時に崇められてたはずです。1954年時点では、呉爾羅の怒りを鎮めるために生娘が生け贄にされましたが、それも人間が勝手にやってたことだしね。神性生物として人間が勝手に崇めてるだけの野生生物。奈良公園の鹿みたいなものでした。
それが人間の水爆実験で肥大化させられて、熱戦を放つようになっちゃったんでしょ。熱戦を撃つのも辛いですよきっと、ホントはやりたくないんじゃないかな。
まあでもゴジラが東京に上陸するなら、駆逐するのは当然ですよ?黙って破壊されることはない。黙って駆逐し静かに黙祷を捧げるべきです。若しくはアメリカの水爆実験に罪があり、日本に罪はないとする立場をとるなら、ゴジラへの哀れみと共にアメリカへの怒りをもって本作戦を遂行するべできですよ。
ゴジラが青い光を放ちながら朽ちていくシーン、感慨がなかったですね。それもそのはず、皆ゴジラが何なのか考えてなかったからです。なんかわからんけど死んだわ、よかった、みたいな。敷島に至っては、考えて反省し意味付けをするべき対象はまず戦争ですよ。澄子さんとの軋轢も、自身を責める気持ちも戦争に由来します。戦争を決行した日本政府、その軍部、それからアメリカ、そして世界、人間。それらについて振り返り、意味付けをすることで、これからの人生の展望、為すべきことが見えてくるはずです。それらの論点をゴジラとすり替えて、ゴジラ駆逐によって解決したと思い込んでしまった敷島は、どこかでまた壁にぶつかります、必ず。だって何も解決してないもん。
まあ戦時に大戸島でゴジラに遭遇して、問題がぐちゃった敷島は不運ですがね。戦争は人災、大戸島のゴジラは天災、銀座のゴジラは半分天災半分人災(アメリカの水爆実験のせいとも、人類共通の罪とも言える)、ややこしいわな。
戦争のやるせなさをゴジラの駆逐で解決した気になってしまうあたり、なんか日本だなって気がします。問題を取り違え、やってる感で満足してしまう感じ。そういう意味で、しっかり日本映画でしたね。
スッキリしてませんよ?私は。続編作ってくださいね、山崎監督!
いたずら
でしょうか、古今東西の「映画」への、オマージュというよりは
シンゴジラでお子さんお孫さんのヒンシュクをかった方々も今回は大丈夫たぶん
くちくかん見たさに通ってしまいました
艦名はカタカナがよかったなァ
ちゃんと日本の怪獣映画になっているような気がします
小さい頃数本見ただけなんですけど
たまたま隣り合ったご婦人の度々のため息を感じながら観た日は辛かった
仕舞いには鼻で笑ってたし
怪獣映画だって知らずに見たのかはたまた
これもオスカーはオッペンハイマーとのバーターかと
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