正欲のレビュー・感想・評価
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性欲を描けていないような
朝井リョウの原作は読んでいました。 小説は深い印象を残す作品だったのと、試写会に参加した友人がすごい作品だった、絶対に観た方がいいと言っていて、期待しすぎたのかもしれません。 まず、水に性的興奮を覚える人たちの描き方が美しすぎました。 水を見ているとき、噴き出した水を浴びているときの顔は、恍惚とした表情のようではあるものの、あれは性的興奮を覚えている顔ではないです。 役者が悪いのではなく、あえてそういう演出にしているのだと感じました。 性欲は正欲ですが、人間の動物な面が剥き出しになる本能的なもの。 映像だからこそ、そこをきっちり描いてほしかった。 よかったのは大学生パート。佐藤寛太の匂い立つ色気が印象的だったのと、東野絢香がとてもいい演技をしていました。いちばん伝わってきた。 稲垣吾郎が主演だけど、印象としては新垣結衣が主演という雰囲気。この2人の演技はどちらもいまひとつ。 カレンが制作なので、朝井リョウ原作作品に、飯島さんが吾郎ちゃんを主演させたかっただけなのかな。
生欲だと思ってた...
原作は未読です。 欲といのは、どのような形であれ、 皆が持っているものであって、 水が好きなのは性癖であって… で、このタイトル、生きる欲で「生欲」だとずーっと思ってた...汗 だから、そんな変わった癖(ヘキ)を持った者や または、男性との距離に不安を感じてしまう者や、 いろんな理由で生き辛いと思ってしまう者たちが 生きようとする欲の話という理解でいた...。 率直に思ったことは、 水で快感を覚えることは、何一つ後ろめたいことではなく、 夏生や佳道の人間性が、なぜ、あんなに暗くて、 コミュニケーションスキルがなくなってしまったのかが、 良く判らなかったのです。 こんな私、誰も理解してくれないからって理由が、 仏頂面で仕事する理由にはならないし、 それとも、昔、それが原因で虐められたりしたのかな。 そこが描かれていないので、佳道はまだしも、 夏生は、とても自意識過剰で自分本位で甘やかされて育てられたのかしら? などなど、彼ら二人への共感が薄れてしまいました。 個人的には、水を見たり触ったりしたら、わたし快感なんだー! と言われても気にしないし、別に言うことでもないだろうしね。 それより、公園の水、無駄遣いしないでって、ツッコミ入れてました 笑 もうひとつ、別にセックスしなくても生きていけるだろうけど、 でも、そこには興味あるんだね? その感覚は、歳の割には幼いのね。 (窓ガラス割るのも、あの歳でやりますか???) じゃあ、もし、セックスを実際に経験したら、 快感を覚えるかも知れないということ? などなど、この二人のパートには、疑問符多めでした。 その反動か、神部八重子のパートが一番、胸に響いたし、 東野さんと佐藤さんの演技が素晴らしかったです。 神部八重子さんの男性が苦手だけども、 性別的に男性である“人間”を好きになってしまったという事実は、 とてもしんどいよね、でも、ものすごく生きようとしてるよね、 と守ってあげたくなりました。 ということで、原因は様々だけど、 生き辛いと思っている人たちを理解するという問題提起にはなっているのかな… 原作を読んでみたほうが良いのかな もっと個々のキャラが深く描かれているのかしら? にしても、「生欲」のが合ってない?
普通は罪なのか
普通って難しいということを改めて植え付けられた。 普通に生きたいという裁判官がまるでつまらない人間だと言われてる気になる。 誰も悪いわけじゃないけど(犯罪はダメだけど)別に全てわかりあえなくてもいいということも伝えてほしい。 普通に生きて、普通に離婚する。 わかりあえる人を探す。 どちらも正しい
迷い道
共感が出来るわけではないが、誰もが人から見れば理解されない趣味や嗜好性を持っている。本だろうと映画であれ、興味のある人は多いかもしれないが、興味の無い人にはどうでも良いこと。 しかし、人は同じ嗜好の人と繋がり易くなり、嗜好が違うと繋がり難い。 これが今の世の中? なんて、私でさえ、鑑賞後に色々と議論したのですが、やはり咀嚼は出来てません。それで良いのかも。
こういう内容なのか・・・
共感は出来ないけど理解はできたと思う 本当に様々な人がいるんだと思えた 普通とは何なのか… 自分だって普通ではないのかもしれないしね なんとも言えない余韻の残る作品でした 新垣結衣さんと磯村勇斗さん初め、登場人物の絶望的な眼に吸い込まれるように見入ってしまって観終わってから「終わった・・・」とホッとする自分もいたりして。 東野絢香さんは役作りであんなに痩せちゃったのかな? ものすごく演技が上手ですごいと思う反面、心配な気持ちもして複雑でした 原作未読です
その先を見せてほしい
言ってることはその通りだけど、しかしこんな初歩的なことから語って教えてあげないといけないくらい、他者が他者であることをみんな理解できないのかなと思わざるを得なかった。 最後に次のステップへのヒントでもあればよかったけど、多数派に「あんた方は間違ってる」と言って映画は終わってしまう。 たとえば、新垣結衣が徳永えりに「嫉妬してんだろ」と言われるシーン、それは「嫉妬」ですらない、とにかくあんた方多数派の「普通」が限りなく関係のない事象でしかないから、それをうるさく言われたり、当然の前提として話されたりするのが鬱陶しいってみんなわからないってこと?? まあ、そんなか。 「みんな違ってみんないい」の本当の意味をわかってる人の方が少ないですよね。
Wガッキー(言わねーよ)初共演だが・・・
2023年映画館鑑賞70作品目 11月23日(木)フォーラム仙台 会員料金1500円 原作未読 原作は『桐島、部活やめるってよ』『何者』の朝井リョウ 監督は『あゝ、荒野 前編後編』『前科者』の岸信幸 脚本は『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』『あゝ、荒野 前編後編』『宮本から君へ』『MOTHER マザー』『とんび』『アナログ』港岳彦 期待外れ 群像劇 寺井の息子がYouTuberになる話はまだマシ 桐生中心の話と神戸中心の話が脚本として完全に破綻しているように感じた まるで下北沢の下手な演劇を観ているかのようだった ご立派な御託の数々も言葉が全然入ってこない しかもマシな方だった小学生YouTuberの件も尻切れトンボ 原作は高い評価のようだがそうなると脚本家が酷いのか どうしたの港岳彦 行き詰まってぶっとび系のクッキーやグミを食べながら脚本を書いたのか ぶっとぶのは若い頃の宮沢りえだけでいい 多様性をテーマにしたらしいがテーマがデカすぎて消化しきれずそのまま表現してしまった吐瀉物みたいに思えてならない 多様性はいいがLGBTQと不登校YouTuberと少年愛を一緒にしてはいけない それらを材料にごった煮を作ったら闇鍋みたいになったよう感じ 多様性がテーマなら子供からお年寄りまでなるべくわかりやすい言葉や表現でより多くの人たちに理解してもらえなければ映画を作る意味はない 2023年自分が映画館で観た作品の中では最低最悪の駄作である テーマの良さで正当化できるものではない 新垣と磯村が着衣で正常位の真似事をするシーンがある 1500円払って自分はなにを観せられているのだろうか自問自答した ひとりぼっちで可哀想だから声をかけたって大人同士の会話でありえるだろうか それなら自分にも声をかけてほしいな徳永えり 声をかけるのは犬とカラスくらいだよ 配役 息子のYouTuberとしての活動に反対する地方検事の寺井啓喜に稲垣吾郎 イオンモールの寝具店で働いている桐生夏月に新垣結衣 夏月の中学時代の同級生だが3年生の時に転校し再会後結婚することになる会社員の佐々木佳道に磯村勇斗 ダンスサークルのトップダンサーの諸橋大也に佐藤寛太 男性恐怖症の大学生の神戸八重子に東野絢香 啓喜の妻の寺井由美に山田真歩 啓喜とコンビを組む事務官の越川秀己に宇野祥平 夏月と佳明の中学時代の同級生の西山修に渡辺大知 夏月の同僚で妊婦の那須沙保里に徳永えり 少年愛のため逮捕されてしまう矢田部陽平に岩瀬亮 ダンスサークルのリーダーに高見優芽に坂東希 夏月と佳道の中学時代の担任に山本浩司
小説は前に読んでいた
ガッキーがキラキラしてなくてあんな何してもかわいくなっちゃう人が愛想が悪いとあんなにも可愛くなく見えるのかとビックリ。ガッキーの努力は凄い。 内容は映画向きではなかったかな。 活字の方が伝わってくるものあったかも。
毒にも薬にも成らない正論映画。
正しい事を正しいと言う、 毒にも薬にも成らぬ一本。 この稲垣は今や分が悪いのは自明。 この無害で綺麗な性趣向を 目を覆う迷惑千万有害な性趣向に置き換えても 同様に語れるか?と意地悪を言いたくもなる。 で、地味。 新垣開眼は次に。 東野絢香は記憶する。 クロネバクラッシュを再見しよう。
いろいろ自分と重なる
人生なんか生き辛えなって思ったことがある人は共感できるけど、人生それなりにハッピーに生きてきた人には合わんかも。 世の中はその人にとっては普通でも誰かにとっては普通ではない。それでも世の中には一般的といわれている感覚や習慣、概念などいろいろあると思う。 世の中の所謂「普通」ではないと感じている人が一番その「普通」を理解して縛られながら他人と比較して生きていると思う。「普通」になれるのならそう生きていきたいと思っている。 この物語では自分が「普通」でないことを理解し、生き辛さを感じながらもそれを共有できる仲間に出会えている。そこがとても羨ましく感じた。 私は今まで男の人も女の人も恋愛的な意味で好きになったことがない。友人以上の関係を求めたいと思ったことがなく、ずっと友人でいたいと思っていた。でも世の中は当たり前に誰かを好きになって結婚して子供を産んで、それが「普通」の人生の歩み方なんだと思う。これからの未来を考えると自分が孤独になり、取り残されていくような感覚になるのかなと思う。映画のように自分の思いを共感して理解してくれる人と出会えたらいいな。
俳優陣の演技は観応え十分だが、NowTubeとYouTubeを混在...
俳優陣の演技は観応え十分だが、NowTubeとYouTubeを混在させるディテールのいい加減さや終盤のドタバタ感はかなりのマイナスポイント。
「普通」を自認する人と、それ以外の人たちの居場所をめぐる争い
「普通」には幅があります。その幅をどこまで許容するか考える作品です。 稲垣吾郎演じる検事は、「普通」を自認し、身の回りの人にも「普通」を強要します。でも、その「普通」は相当幅が狭く、創造性や想像力を感じません。こんな「普通」がはびこったら、多様性がなくてつまらない社会になるでしょうね。 一方、稲垣吾郎以外の主たる登場人物は「普通」じゃないとされる人なので、「普通」を求められる社会での生きにくさ感じています。生きにくさに対抗するために、同じ「普通じゃなさ」を持つ人同士で連帯して、人生に明るさを作ろうとします。 新垣結衣や磯村勇斗は水を性癖とする設定でしたが、これはありとあらゆる個性や性癖、趣味、趣向を当てはめて考えを巡らせるというのが観客に求められているんでしょう。 世の中色々な個性や性癖、趣味、趣向があるので、「普通」の幅はけっこうあるはずなんですが、創造性や想像力が無い人はそうした幅が分からず、自分の基準のみを「普通」だと考えてしまい、結果として他人に対して手前勝手な「普通」を強要することになるという警鐘を鳴らす内容だと思いました。 児童をターゲットにする性癖の持ち主が逮捕されるシーンがありましたが、これは性癖を理由に逮捕されたのではなく、子供に対して危害を加えたり、人権を侵害したから逮捕されたのです。しかし、それにしても現行法では罰が軽すぎます。 最後、「普通」を自認する検事稲垣吾郎が家族に見放されたことを聞いた水フェチ新垣結衣は、逮捕状態にある同じく水フェチの磯村勇斗への「いなくならない」というメッセージを「普通」のこととして伝達を依頼します。 家族にいなくなられそうになっている検事に、お前は「普通」ではないと暗に伝えてイジワルしたわけです。 スカッとしました(もちろん水フェチ新垣結衣は、家族に見放されるのも「普通」の幅の中の話だと思っているとは思いますが、あくまでも検事稲垣吾郎に対する嫌みとして)。 いわゆる男女の結婚だけでなく、生きにくさに抗うためのパートナーというのもアリだよなだと感じられました。
自分は何者か
自分もこの映画のように明日も生きたいか、生きる意味はとか考えてしまう時がある。周囲に合わせて会話するのも面倒くさい時もある。自分は普通じゃないのかもと時々思う。 「私を束ねないで」「皆んな違って皆んないい」など頭の中をよぎった。原作を読みたくなった。
正しさとは。
2022.01.08に原作を読了。原作の感想は「読み進めるにつれ、加速度的に他者と他者が繋がっていく群像劇。マジョリティに属さない、彼岸にいる、目立たぬよう、日々の生活を紡いでいる人々。多様性の受容が謳われる昨今、それでも受け入れられない選択肢がやはり存在するのは皆が気付いている。陽の当たるところ、当てても大丈夫なところだけにスポットが当たり、ヌメッとした得体の知れない何かは、多くの者に見えないまま。私自身も仕事はしているが、彼岸に生きていることを自覚しているので、かなり胸締め付けられた。」というものだった。 映像となった「正欲」を拝見し、普通を語る者の無自覚さ、能天気さに絶望的な気持ちになる。と同時に、なんやかやで日常生活を営めている私も、所謂普通さの何割かは有しており、無自覚に世間の常識を振りかざし、無意識に他者を傷つけているかもしれない。いや、おそらくそうだろう。 「普通」「常識」という言葉で一般化して理解しようとすること全てが悪いとは思わないものの、そのことに自覚的であるべきだな。そんなことを思う。 そして、一人じゃないって尊いし、大事なことだな。一人でも理解してくれる人、パートナーさえいればどれだけ心強いか。「いなくならないから」と言ってくれる人が、私も含めた全ての人の傍らにありますように。 あと、演出だとは思うのだけれど、検事がカチャカチャとスプーンで音を立てながらオムライスを食べる様がかなり気になった。
あなたにここにいてほしい
岸善幸×新垣結衣×稲垣吾郎「正欲」、「LGBTQ +」の“+”についての映画でもあるんだけど、そこは主題ではなくて、人はそれでも繋がりを求めるべきなのか他者を理解しようともがくべきなのかという映画だったな。この映画は食事シーンが多いんだけど、新垣さんと磯村さんの朝食のシーンが素敵でした。
ちょっと良くわからない
水フェチの何が悪いのか?別に公言してもひかれはしないのではないか? 終始淡々としていて何度か眠たくなってしまった。 最後の結末も中途半端な感じで結局良くわからない映画だった。
惜しい、今年公開じゃなければ。
新垣結衣を中心に、「普通」ではない感情をもった人間たちが描かれる。 名前のない欲望を持つ彼らは、それを共有するコミュニティの形成すら困難になってしまう。だからこそ、誰よりも一人でいることに恐怖する。誰かと居られることに安堵する。 欲望を共有できる喜びを、映像を通して観客に訴えかけてくるようだった。 ただ、いくつかの描写の甘さはある。まず劇中ではYouTubeだとかYouTuberだとかの単語が頻出するものの、実際のページで表記されているのはnowtubeなので一々違和感がある点。加えて、群像劇の割にはいまいち展開の起伏がないという点。あと、ちょっと新垣結衣は可愛すぎて、一人ぼっちの役には合ってないんじゃないか、という点である。 そして、この映画最大の問題点は同年に「怪物」という名作が公開されている事だ。
いのちのかたちが違う
誰も一人でないと良いね。 あっちゃいけない感情なんてこの世にない。 普通でないと自認する人たちの何気ない言葉がドーンと響きました。 何となく昔から「普通」という言葉が好きではない私には心地よい映画でした。
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