劇場公開日 2023年11月10日

「「待ってるから…」ではなく「いなくならないから…」」正欲 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5「待ってるから…」ではなく「いなくならないから…」

2023年11月26日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

今、セクシャルマイノリティの存在を社会は認知し、それを理解して受け入れることを我々は課されている。
性的“指向”や性同一性障害については理解が深まり、これを否定することは愚かしい行為・考えだということが社会通念となった。
しかし、性的“嗜好”についてはどうか、と本作は投げかける。
性的嗜好にも色々なものがあるのだろうが、その嗜好の対象が人間ではないケースをとりあげている。

元来、性に関する嗜好は秘事として他人には明かさないものだ。だから、人間関係においてお互いの性的嗜好など知らないまま周囲の人たちと生活しているのだが、少なくとも人間が性の対象だと勝手に思っている。
そうではないと説明されると、理解が及ばない。その理解できない者として検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)が登場する。
しかし、ここまで頭の悪い検事がいるのだろうか。あまりに作為的で時代錯誤も甚だしいキャラクター設定に辟易としてしまった。
これを市井の視点を象徴しているのだと言うなら、ナンセンスだ。
朝井リョウの原作は未読だが、おそらくこんなに薄っぺらに無理解な男として書かれてはいないのではないか。分かりやすくするための脚色が短絡的になりすぎたのではないかと思う。

映画の前半は、横浜、福山(広島県)、千葉を舞台に主要な登場人物が群像劇的に並行して紹介される。

横浜の会社員 佐々木佳道(磯村勇斗)は、明日も生きていたいと思う感覚が持てないでいる。ある日突然両親を事故で亡くすが、それによって楽になったと感じている。

福山のショッピングセンターで働く女性 桐生夏月(新垣結衣)は、親が「結婚ばかりが幸せではないから…」と気を遣って言うほど浮いた話から縁遠いようだ。職場で親切を押し売りしてくる同僚(徳永えり)に酷い態度をとったりする。
ベッドの上で水に包まれていく自慰行為の場面が、演じているのがガッキーだけに衝撃的だ。

佳道は福山の高校で夏月と同級生だったことがやがて分かる。
この二人と、千葉の大学生 諸橋大也(佐藤寛太)には共通の性的嗜好があった。

千葉の大学で大也と同学部の神戸八重子(東野絢香)は、彼らとは別次元のトラウマに悩む女の子だ。男と触れあうことができないのだが、大也に対してだけは拒絶反応が現れない。
大也は周囲の人に迎合せず距離をおいている。八重子の距離のつめ方に我慢ならないでいる。

検事の寺井は、10歳の息子が不登校児なのだが、それを甘えと決めつけるような固定観念の男。妻(山田真歩)が板挟みで苦しんでいる。職場でも事務官(宇野祥平)の助言に耳を貸さない。
ただ、独善的ではあるが正義感は強い。

そんな登場人物たちが交錯しはじめて物語は転換点に至るのがセオリーだと思うが、この映画はそれほど劇的に展開しない。別々の物語が割と長く続くのだ。
自分が普通ではないと自覚していて、普通のフリをして生きている佳道、夏月、大也の卑屈さばかりが際立ってしまって、生き辛さがぼやけてしまってはいないか。
個々のエピソードに拘りすぎて迷走した感が強い。監督の岸善幸は、前作『前科者』でもテーマを見失っていた。

佳道と夏月は世間をはばかる究極の決断をするのだから、彼らの関係を丁寧に描くことは必要だ。
寺井の家庭の事情を描くことも、彼の状況を示すために必要だったかもしれないが、冗長な気がする。
最も割愛すべきは、大也と八重子のエピソードではないか。大也に八重子との関係から変化が訪れるワケではないし、八重子は佳道とも夏月とも寺井とも接触がないのだ。
これらを整理することで佳道と夏月に物語を絞り、核心を示唆するエピソードを織り込んだ方が良かったのではないかと、残念だ。

だが、全編を通して削ってよさそうな上記の箇所に、印象深いシーンがあるのだから、困った。

寺井の妻を演じた山田真歩と、八重子を演じた東野絢香の迫真の演技が、心に残って離れない。

映画やTVドラマで脇のキーポジションを数しれず担ってきた山田真歩が、息子の望みを叶えてやりたくて夫と息子に会話をさせようと努力する母親を演じて、さすがの技量を発揮している。
息子は父親の無理解のほどを知っていて期待をしておらず、父親は寄り添う気がない。父親=夫は家庭に興味がないくせに、妻と息子が他人に頼ることに怒りをあらわにする。
そんな夫に対して沸点に達した山田真歩の叫びは、稲垣吾郎の横暴男ぶりが腹立たしいほどハマっていることもあって、耐え続けた者の渾身の反撃を迫力満点に表している。

映画初出演という東野絢香は、オドオドした内向的な女の子を実にリアルに演じ、本作で最も強い印象を残す。
大也がアルバイトをしているホットドッグのキッチンカーを訪れた八重子に、大也が辛辣な言葉を投げる場面での八重子の狼狽。
意を決した八重子が大也に告白しようとする二人きりの講義室の場面では、大也が八重子に嫌悪感を示していると分かっても必死に心からの言葉を発し、大也の心が氷解すると同時に、彼が求める相手は自分ではないと悟る。そして「よかった…」と言う切なさ。
東野絢香の抑制した演技が素晴らしい。

と、これらを削るのは忍びない…。

クライマックスは、寺井検事と被疑者の家族である夏月の対峙だ。
ただ、このクライマックスで夏月が寺井に突きつける“否定される者からの問い”は予告編に織り込まれていて、その先があるのだろうと思っていると肩透かしをくう。
そもそも寺井の言動に共感できないから、夏月の訴えは単に頭が悪く妻に愛想を尽かされた検事個人に向けたものだと感じる。さらに、前述のように夏月たちの生き辛さは彼等の卑屈さで相殺されてしまっているから、同情心を抱かないわけではないが、私の胸には迫ってこない。

この映画は、性的嗜好も多様性だと言いたいのか、逆に多様性尊重主義に疑問符を打ちたいのか、あるいはその両方を観客に問題提起として示したいのか、いずれも寸足らずだ。

重要なのは、夏月が参考までにと寺井から訊かれたことに応えた最後の台詞だった。

夫が我が子を虐待するのを見て見ぬふりをした過去を持つシングルマザーの新人刑事。
自暴自棄になる少年少女に電話でカウンセリングを行いながら、無力感に心を痛める沖縄の女医。
明るくカワイイ女性像からの脱却を図るかのような最近の新垣結衣は、本作でもその美貌のオーラを殺して演技者のスキルを示している。

磯村勇斗の昨今の活躍ぶりは、語るに及ばずだ。

この二人が演じた夏月と佳道の秘密の関係は、人と人との繋がりの捉え方に一石を投じている。
男女間の友情とか、恋愛のない夫婦とか、古今東西で検証が重ねられた男女の関係に、想像もしなかった新たな、異質なものを持ち込んでみせている。
お互いが異性への性欲を持たないからこそ成立する、肉体関係がなく、お互いを尊重する男女愛。

「いなくならないで」と佳道に懇願した夏月が、会えなくなった佳道に伝えようとした言葉…。

生来孤独感の中で生きてきて、ようやく結びついた二人。支え合う相手を得ることは、生きていくエネルギーとなるのだろう。
この二人にハッピーエンドが訪れることを願わずにはいられない。

kazz
humさんのコメント
2023年12月15日

コメントありがとうございました。
おっしゃるように〝生きていくエネルギー〟が大切だと感じます。
目に光がある夏月の清々しいまでに凛とした姿、嬉しかったです。

hum
おじゃるさんのコメント
2023年11月27日

kazzさん、共感&コメントありがとうございます。
kazzさんのレビューこそ、深い考察をキレのある文章でわかりやすく表現されていてすばらしいです。共感しまくりです!

おじゃる
Bacchusさんのコメント
2023年11月27日

やはり起訴はされないと思いますよね。
送検されただけでびっくりですけど。
どちらにしても寸足らずは正に!です。

Bacchus
トミーさんのコメント
2023年11月27日

共感ありがとうございます。
確かに新垣夫婦? から稲垣検事に目が向けさせられた印象が有りました。社会のバグに言及してましたが、職業柄からももう少し、上辺だけでも理解している様子が必要かなと思います。息子が被害に遭ったかも、と神経質になるのは解るんですが。

トミー
満塁本塁打さんのコメント
2023年11月26日

性的指向ではなくて性的嗜好ということですね。理解しました。

満塁本塁打