正欲のレビュー・感想・評価
全378件中、121~140件目を表示
クライマックスの言葉が刺さります!
マイノリティの方たちの生きにくさは、大衆の私には分かりません。 だけど、多様な嗜好や考えの人がいることは、受け入れたい。 この映画は、そういうマイノリティを中心に置いたもので、まさに今の時代の私たちはどう考えるのかを問題提起したものだと思います。 昭和の人は、昔は上からの強制に耐え、今はZ世代の人たちの理解をしなければならない的な風潮で‥昭和の人たちはいつまでも間に挟まれて大変なのよね😅とかも思いつつ それは置いておくとしても 水に官能的な刺激を受流という設定は、ある意味とても美しい情景にも見えました。 ちょっと思うこともありますが、このクライマックスのために(無理くりでも)必要だったのでしょうね。
法の正しさと生きづらさ
とても現代的で難しい、複雑なテーマを扱った作品。
原作ファンや俳優のファンでもなければ、何か目的を持って映画を観るというのはかなり減ってきているかもしれない。そういう意味でこの作品はサブスクで観ようとすればスマホや他の日常の作業や雑音にさえ飲み込まれてしまう可能性が高く、集中して作品と向き合わなければ何を伝えたいのかも分からないと評価されてしまうかもしれない。
分かりやすさで言えば本作は分かりにくいし、複雑で、同時期に検察を皮肉る作品としては公開された『法廷遊戯』の方が一般的に評価されやすいと思う。
しかし自分が思いもしない、全く別な角度から鈍器で殴られるような衝撃でいえば本作の方が空恐ろしさを描いていると個人的には思う。
タイトルの「正欲」は性欲でもあると同時に多くの人が口にする「普通」や「一般」「平均」としての「正しく」あろうとする姿やそれに擬態して自身の欲望を隠す様を表しているのだろうか。
昨今、LGBTQに代表される性的マイノリティが世界的に注目を集め、諸外国の中には同性婚などに踏み切る国もある。
日本でもLGBT法案が通過し、心の性は女性と自認する身体の性は男性の人が女性の公衆浴場に入ろうとする問題や性犯罪者、小児性愛の問題が議論されているが、そうした中で既存の法律や社会規範が前提としているモノが崩れつつある現代だからこその作品だと思う。
作中には様々な他の人とは違う、自分にとって当たり前の欲を持つ人が登場する。作中に登場する日付から2019年を舞台である時代背景を念頭に考える必要があると思う。
非常に挑戦的な作品で、法の全体としている社会的規範や常識で計れない人々に対して適度な距離感とグレーをはっきりさせようとする現代の在り方に対する皮肉が込められていると評価している。
特に中盤移行のそれぞれの人物がどう繋がっていくのかは、本作の肝で、一般的に良い人とされる人が一番怖いという教訓でもあると思う。
また大学生の表面的なだけの言葉のキャッチボール、YouTuberの社会を知っている風に見せる演出などへの皮肉の込められ方も含めて演出が巧み。
★1.5は公開時期が時流を捉えるにはLGBT法案が通る半年〜1年前が適切だと思われた点。
また後の時代にどう評価されるかはわからないが、ホテルでのバストアップで夏月と佳道が語るシーンは解像度が高すぎ、ノイジーさや暗さが足らない気がした。
まるでそこだけ後から撮り直しでもしてツギハギをしたようなトーンの違いを感じた異物感から。
また夏月と八重子をどちらも黒髪ロングで揃えるのは意図してなのかキャラクターのイメージがダブり気味に思えたから。
以下、主な登場人物について。
★稲垣吾郎演じる「寺井啓喜(ひろき)」は横浜地方検察庁で働く検事。作中でもっとも模範的常識人だけれど、一番辛い立ち回りかもしれない。物静かに見える役柄から反転する怒号、苛立ちの演技は作中ダントツ。
不登校YouTuberに感化されて我が子がYouTuberになる。学校に行く時より我が子が生き生きとしていると喜ぶ母親。耳障りの良い事を言って広告などで収益化をしている人は詐欺師同然と…次第に夫婦と親子の関係は別居から協議離婚調停へ。いわゆるモラハラやペアハラ(ペアレンツ・ハラスメント)の役所。
★東野綾香演じる「神戸八重子」(かんべ)、金沢八景大学の学祭実行委員で「ダイバーシティフェス」を企画。兄弟もいるが、男性から性的に向けられる視線に吐き気や過呼吸になる程の男性恐怖症で、自分の言いたい事も面と向かって言えない。空気が重くなるような絵に描いたような陰気なタイプ。長い黒髪が重々しさマシマシに伝わり、そこから覗く表情は焦点がここではない何処か遠くを見ているようで光はなく、息が詰まりそうな演技が怖い。
★佐藤寛太演じる「諸橋大也」(だいや)、金沢八景大学のダンスサークルの花形。昨年のミスターコンテストの準ミスター。水に対して性的興奮をするが、人に暴露できず、誰にも理解されない事をダンスにぶつける。口数が少なく眼光の鋭さとキレのある動きの奥に何を考えているか分からない不気味さが同世代の学生には大人びて格好良く見えるかも。
★磯村優斗演じる「佐々木佳道」(よしみち)、偏愛を中学時代の桐生夏月と分かち合う。広島育ちだが中学3年の途中で横浜に転校。両親が事故で他界し、広島に戻り、同級生の結婚式で夏月と再会する。
★新垣結衣演じる「桐生夏月」、イオンモールの寝具売り場で働く販売員。結婚適齢期を迎えても恋人を作らず、親や周りから不思議がられ生きづらさを抱えている。メイクの影響もあるだろうけど、年齢相応に影のある演技も出来る女優さんなんだな改めて感じた。
許可証
彼女にとっては彼が。彼にとっては彼女が生きててもいいっていう許可証なんだろうと思う。
⭐︎5.0は決して面白かったわけではなく、減点に値する要素が見当たらなかったからだ。
マイノリティの人々の目線というか生き辛さの話なのかなぁと思いながら観ていたのだけれど、そんな局所的な話を入口にして、人が根源的にもつ仕組みの話になっていった。
承認欲求って言葉は、他人から認めてもらいたい欲の事だと思っていたのだけれど、この物語にもソレは当てはまり…たった1人にでもいいから必要だとされる事も、承認欲求が成就された形なんだと思う。
人ってのは、そんなに弱いのかなぁと思う反面、確信をもって同意してしまう自分もいる。
別に1人で好き勝手に生きていきゃいいじゃんよ、なんて思っていたのだけれど、きっと俺は本当に1人になった事がないのだと思われる。
俳優陣は皆様、素晴らしかった。
新垣さんと磯村氏は特にだし、男性恐怖症の女性も抜群だったなぁ。
新垣さんの台詞がいちいち刺さり…どこにも居場所がなく「地球に留学してきたようだ」とか「命の形が違うんだよ」なんて言ってた彼女が、彼と抱き合い?「世界の中心になったみたい」なんて台詞は、それまでどれほどの疎外感を受けていたのだろうと思うし、そこまでだった疎外感はたった1人の理解者によって砂の城の如く崩れるのだと思えた。
彼女が稲垣氏に向ける台詞も味わい深い。「惚気をきいてくれてありがとう」って。
おそらく理解できない感情だったと思うし、唾棄する程の嫌悪感もあったんだと思う。でも彼女は惚気る。他の人が標準装備している欲求がちゃんと彼女にもあったわけだ。
依然、内側は変わらない。
特殊な性癖もそのままだし、自分が普通になったとも思ってないだろう。なのだが他人に自慢したい事が増えたのか、それとも自慢できる程、自身に自信がもてたのか分からないけども、一度切られた彼女の堰は塞がる事はないようだった。
生きていく上で「理解者」の存在って絶大だなぁと思える。
俳優陣は、そんな感情の機微を巧みに表現してくれてた。
演出も上手いなぁと思うのは、稲垣氏のパートで…彼は精一杯歩み寄ろうとしてるのであろうなぁと思う。動画撮影の際に同席してたりするのは、きっとそういう事なのだろう。
あんな風に奥さんに泣き喚めかれて、子供に反論されたら、自身の正当性は落ち葉のように吹き飛ぶ。お願いだから泣かないで、と。彼に同情してしまった。多様性の現状を如実に表してるパートだと思えた。
長らく家長制度を継承してきた日本社会において、奥様と子供は弱者にあたりもして、それはそのまま日本の社会にも変換できる。
凄い剣幕で自身の権利を主張する。今まで是だった事が否定されていく。弱者救済と言えば聞こえは言いが、弱者という立場の人達から脅迫されてるような状況にもなりうる。
どこまでを許諾してよいのか困惑する。
その先の未来の予測が立たないから。
その予測出来ない未来を度外視してでも対応するのが現代の風潮ではあり、変革の渦中でもあるから致し方ないとは思う。
稲垣氏の立場は絶妙で…言ってる事は分かる。理解しようともしてるけど素直には受け止められない。でも、お前ら俺を悪者にするなよ…みたいな感じだった。
実際、タイトルである「正欲」だけど、性欲にかけられたりもしてたけど「正しい欲望」とか「正当な欲望」なのだと思う。
人としてある正しい欲求や欲望。
マイノリティである人達にもそれは装備されてて、だからこそ生きにくいって話なのだけど…「水」程度な事ならば受け入れもする。
でも作中にあったように小児性愛者とかカンニバルとかなら多様性の項目からは除外する他ない。
百歩譲って需要と供給が一致しているのならば、どうぞその狭いコミュニティで謳歌してくれとは思う。
人肉を食べたい人と、自分の肉を食べて欲しい人がいて、互いの欲望が満たされるなら補完しあえているのであろう。ただ、それ以外の人を巻き込むなとは言いたい。
殺人とかになってくるとまた話は違う。
そう言った意味でも稲垣氏の職業が検察官なのかな?人を管理する基準である「法」に関連させているのは技ありだった。
磯村氏らの処遇が気になるところではある。
前例からは判断できない動機があって、それを認めなきゃいけないのが現在の多様性社会でもある。法が追いついてないと言うのがた乱暴だと思うのは、元々そういう性質ではないからだ。
法の枠組みを逸脱してるというか網羅できてる訳がない。彼らに適用しきれない法によって彼らの人生は変わってしまう。
普通じゃない彼らを普通の価値観で推し量る。そんな理不尽さを抱えているとも言える。
ラストカットも絶妙で…稲垣氏のリアクションも良かったけれど、立ってる場所による価値観の分断って日常的に起こるのだなぁと思える。
閉ざされた空間に1人残る稲垣氏と、その空間から出ていく新垣さん。それは旧世代の常識に囚われた人々の暗喩のようで、彼はその中で悶々と自問自答を繰り返すのだろうか?
それとも、安全な檻から出ていく無謀な冒険者を意味するのだろうか?いずれにせよ、その扉は閉まり、両者を隔てる壁によって分断される。
どちらかがその扉を開けない限り分かり合える事はないのだろう。
厳選と言うと語弊があるのだけれど、新垣さん達は唯一無二なんだと思われる。個体数が少ないからと言えばいいのかな?その関係性が「愛情」ってものに変化していくのならば、稲垣氏が交わした結婚っていう愛情が根底にあるはずの契約は安心とか建前とかなのかもしれず…唯一無二と言う根拠は新垣さん達と比べて薄いようにも感じる。
まぁ、子供っていう未知なるものを抱えた時点で比較するべきものでもないようにも思うけど。
ラストに至り、かなり重たい天秤を突きつけられたようでもあった。
「人は1人じゃ孤独も感じられない」なんて歌詞があったけれど、誰かが居ないと自分すら分からない不自由な生き物なんだなぁと思う。
一昔前までは「普通じゃない=異常」って価値観だったように思うけど、昨今は「普通じゃない≠異常」になっていて、細分化もされていってるって事なのだろう。
分かりきってる事だけど、普通じゃないって事だけで罪に問われる事などない。
ただ一つ。
ズルいなぁと言うか浅ましいなぁと思うのは、ビジュアルによる印象の違いだ。
美くしい人が主張するものは正論と受け止めがちな自分に気づく。きっとそうでない人が主張すると暴論に聞こえてしまうのだろう。
とても愚かな思考だと自覚はする。するが…条件反射にも近いような気がしてる。
展開が遅い
4~5人の登場人物の視点でグルグル進行していくため、どうして展開の遅さを感じずにはいられなかった。
動き出したのも1時間経過したぐらいからだったと思う。
そこから一気に面白くなった。
映画館じゃなきゃ見れない作品とも言える
マイノリティの中のマイノリティ
小説読みかけだったけど、序盤にダイバーシティなんてマイノリティの中のマジョリティのためのものにすぎない、といった記述があってすごく納得したのを覚えている。 世のDEI活動は女性、LGBTQ+、障がい者とかに割と集約されており、もちろんそれが最早マジョリティであっても未だ根深い差別や無配慮が残ってるからこそ声を上げ続けないといけないのだろうけど。声を上げることすらできない、自分を肯定できない、自分だけが世の中と違うと悩んでる人は見過ごされてるんだろうなとよく思う。 水フェチ自体はそれほど隠すことでもなさそうだけど。。周りにはそう思えてもその真髄までは理解されないという気持ち、人と違う負い目がシャットダウンさせるのかな。水見てるの好きなんですよー、と軽く誤魔化すことすらできない何か特別な神聖な思い入れがあるのか。もしくは水を見て体が興奮しているのを見られたら子どもなら容赦なく攻撃しそうだし、そんなトラウマもあるのかも。 そしてそんな特別な「違い」がなくても、昔の同級生に会いたくない、自分の思いや自分が誰であるかを説明できない、別に生に執着はない、そんな辛さはわかる気がする。たまにそんな時がやってくる。無邪気に同窓会に誘ってくる人たちはきっとちゃんといつでも自分を語れる、胸を張れる生き方をしてるんだろうなと思うし、そんな人たちが行きたくない、今は誰にも会いたくないという心の闇を理解できないのもよくわかる。 人のことを分かった気にならないで。決めつけないで。それだけで救われると思うこともある。そんなメッセージを自分なりに消化しました。
稲垣吾郎さんがハマり役!
と言っていいのかわかりませんが、本当にハマり役でした。
稲垣さん演じる寺井は、いつも『正しい』んですよね。
それでいて、ピュア。
登場人物の中で、一番ピュアかもしれません。
寺井は自分の"正しさ"を振りかざします。
それは時に家族、または仕事で会う被疑者たちに対して。
その、『正しいが正義』と信じて疑わない姿、逆に清々しかったです。
それが稲垣さんの雰囲気と合わさって、どこか憎めないんですよね。
映画全体としては、原作にはないシーンが大胆に入ってるな、という印象でした。
でも、このシーンはカットしないで!というシーン
(ビジネスホテルのシーンや、中学校の蛇口のシーン)
はきちんと盛り込まれており、安心しました。
原作とイメージが違うなと思った方がお三方。
まずは神部八重子です。
映画のあそこまでオドオドしてる子が学祭の実行委員になるかな?と。
もう少し、普段は割と普通な学生という印象でもよかったのかなと。
次は寺井の部下です。
原作では体育会系のイメージだったので。
最後は夏月の両親です。
ちょっと年齢上すぎません?
おじいちゃんおばあちゃんに見えました。
いろいろ言いましたが、原作の雰囲気はそのままに、うまくまとまっており、観てよかったです。
映画の方が後味よかったかも。
みんな寺井に言いたいこと言ってくれましたもんね。
見えない価値観
恐らく、「良く伝えてくれた」と思っている方が かなりいるんでしょう。私はこの世界を居心地悪く 思っていないけど、この作品に出て来る価値観が 「存在」する事は、理解できます。 でも多かれ少なかれ、みんな何かこう言う感情って あるんじゃないかな。他人にはわからない、自分の 価値観。 ハグする大切さ、価値観を押し付けない大切さ、 色々なものを教えてくれた作品でした。ガッキーの 演技力の高さも必見要素です。
多様性にも含まれない人たち
多様性という言葉が普及はしているが、同性愛とか無性愛とかまでしか含まれてない気がして、そこに含まれない人だって当然いることを認識させてくれる。そんな人たちからすると、多様性なんて言葉はクソ食らえなんだろうなぁ。 明日を生きたい人には分からない苦悩が夏月からはひしひしと伝わってくる。が、他の人からは時間の都合で描ききれていない気がする。 普通とは、当たり前とは?ラストの稲垣と新垣の会話で強烈に叩きつけてくるし、稲垣の愕然とした表情が痛烈。
えっ!こんな作品
稲垣とガッキだから舐めてた。原作は、朝井リョウやし。しかし、違うやん。びっくりだよ。
稲垣みたいな人多いね。特に、偉いさん。自分が法律だって。ラストは、救われるね。待ってるって
変わった人でも生きていけるよって!
地球最後の男。
検事の寺井は典型的な保守的人間。息子が学校へは行かず、YouTube動画を始めたいと言っても、頭ごなしにそれを否定する。 「普通」から道を外れた人間は負け癖がついて自分が楽な方へ楽な方へと行きたがるものだと、まったく息子の気持ちを理解しようとはしない。 おもちゃを散らかしっぱなしの息子にしつけをしない妻も息子を甘えさせてるだけだとして彼らの話に真剣に耳を傾けない。 水がほとばしる様に快感を覚えるとして罪を犯した人間の記事を見せられても彼の「普通」では考えられないこととして同じく頭ごなしに否定をする。自らの固定観念に縛られて、その範疇からはみ出すものはすべて理解できないものとして。 寺井のような人間が今の社会ではいわゆる主流派と呼ばれる人間ではないだろうか。個々人の個性やそれぞれが持つ嗜好を理解しようとはせず、画一的視点でしか人間を判断できない。彼らが考える常識や普通からはみ出すものは彼らにとって理解できないという理由で全力で排除しようとする。 寺井がただの一般人ならばさほど問題ないのかもしれない、しかし彼は行政権の担い手である検事なのだ。彼のような価値観で行政権力を行使することがどれほど個人の権利を侵害することとなるか。 最近話題だったLGBT法案。結局議論もろくに進まずに骨抜きに終わってしまった。権力の担い手たちが個人の権利を尊重できない国ではマイノリティーの人々は生きづらい。彼ら保守的な人間にとってLGBTQの人々は理解できない存在だからだ。 しかし近年、LGBTQの人たちが声を上げ始めた。自分たちの存在を理解してもらおうと街中でデモ行進を行ったりと。これは大変な進歩だと思う。 かつては自分の性的嗜好を誰にも理解してもらえず一人苦しんでいた頃に比べて。それが同じ嗜好を持つ者同士がネットワークを築き、孤独の苦しみから解放されて勇気を持てるようになった。自分の気持ちを世間に対して主張できるまでに。 SNSもこれに大きく寄与したことは確かだ。この広い世界で自分と同じ境遇の人間を探し出せるツールとして。自分をわかってくれる人とのつながりを感じることで自分は孤独ではないとを実感できた。これは大きな救いになったと思う。 引きこもりの寺井の息子も動画をやることで自分が孤独ではないことを知る。そんな息子を応援してやりたい母親。だが、寺井にはSNSの弊害にしか目がいかない。息子にとっては世界と通じ合えるSNSが寺井にとっては得体の知れない危険な人間と遭遇するというデメリットしかとらえることができない。 確かに幼児性愛などの危険な嗜好を持った人間がいることも事実だ、だがそうだからと言ってSNSのすべてを否定する根拠にはできないだろう。 夏月と佳道もけして他人には理解されない嗜好を持っていた。誰にも自分たちを理解してもらえない、地球で一人孤独に暮らす異星人のごとく孤独感にさいなまれて自死を考えるほど追い詰められていた。そんなお互いを理解し合える唯一無二の者同士が再会し、共にこの地球で生きてゆくことを決意する。 誰よりも孤独だった二人はかけがえのない理解者を手に入れた。それは二人にとって何よりの幸せだった。 同じ嗜好を持った人間同士でネットワークを築こうとした矢先、佳道は児童虐待の嫌疑で取り調べを受ける。 担当するのは寺井である。寺井にとって幼児性愛者と佳道、そして大也は同じに見えてしまう。彼には理解できない存在として。 佳道や夏月の言うことが理解できない寺井。彼は二人の気持ちをなぜ理解できないのか。なぜ息子と妻の気持ちを理解できないのだろうか。 できないのではなく、自分の固定観念に縛られて理解しようとしないだけなのではないか。 孤独だった佳道と夏月はかけがえのない伴侶を見つけた。もうひとりではない。けしていなくならないからと夏月は佳道に伝える。その言葉を聞いて愕然とする寺井。 固定観念に縛られて生きてきた寺井は妻と息子に去られていまや孤独の身だ。自分が当たり前だと思っていた、自分が主流派だと。 しかしそれはいつか逆転する時がやって来る。自分の信じていた常識や普通が通用しなくなる日が。 いまや個人の権利、価値観が尊重される時代。古い価値観に縛られて個人の感情を否定する時代ではないのだ。あってはならない感情はこの世にはない。 かつて寺井の信じた価値観は通用しなくなり、マジョリティーと思っていた自分がいつしか気づけばマイノリティーになっているのだ。そうして時代は移り変わってきた。 接見室から出ていく夏月、その夏月を見送り一人部屋に残された寺井の姿が閉じられるドアで見えなくなるラストシーンはとても印象的だった。 作家のリチャード・マシスンの「地球最後の男」は突然変異で吸血鬼となってしまった元人類たちとたった一人で戦い続ける男の物語だが、実は吸血鬼たちこそが新人類であり、ひとり人間として吸血鬼たちを殺し続けていた主人公こそが伝説の怪物として新人類から恐れられる存在だった。いつしか自分は主流ではなくなっていたという皮肉な物語。 古い考えにとらわれて気づけば世界はがらりと変わり、自分一人が取り残されていた。寺井のような人間こそが地球最後の男になるのかもしれない。
試してみようそうしよう
序盤から暫くは少し笑えたりもするのだが、俄然話が動き出してからはずっと息苦しい。同棲開始位で呼吸を整える事は出来たが、油断するとその後一気に酸欠になる。多様性をアレコレ言うならこの位の際に居る方々にも目を配らなければならないよねと強く思った。素晴らしい作品。
面白くなかったのは多分キャスティング
題材は奥深く面白いストーリーにできそうに思います。でも私はつまらなく感じました。最後半の展開がリアリティーがなさすぎて冷めてしまいました。 もうひとつはキャスティング。稲垣はあっち側の役でこそ嵌まると思うのです。 あっち側のさらに別の正欲も持ってる役の稲垣が観たかったです。 (ジャニーズ出身でも、だからこそ。本来映画と無関係ですが。と気づいてしまいました)
濡れてない濡場
水フェチなのに。 そもそも水フェチってひた隠しにするような物なのかなと言う疑問があったが 自分が世界と繋がってない(と感じる)孤独感というのは凡夫な自分にも少なからずある感覚なので共感はできた 擬似セックスシーンも映像として見るとなんか笑えたし、本当に恋愛感情は無いんだなあと
眼の前の者を理解する
またまた凄い映画だった。 理解されない者と理解出来ない者が次々に入れ替わる群像劇。この映画に、今後救われる人が沢山いる気がする。 「月」同様、こんな映画がロードショー館で上映出来ている日本の映画界に期待する。 そして、そんな映画に毎回出ている「磯村勇斗」、あなたは何者ですか!?
わかるとは何か
わからないものを、わかろうとする時の難しさ。 どういうことだろう?と思いながら見ていたら、 最後にぐるりと「普通」が変わった感覚。 あぁ、これが映画の力だ。 裁く側に、こうした理解が求められる時代なんだな。 どうしたら「わかる」だろう。
原作を読んだ後だと物足りなさ過ぎる
稲垣吾郎、磯村勇斗、ガッキーというキャストで何とか最後まで見れたけど作品としてはイマイチな感じでした。大学生のところもちょっと話を端折りすぎてるからよくわからないし。 改めて映像化されてみると、水フェチは人には言えないし親や周りから彼氏は?結婚は?子供は?と言われて苦しいけれど、まぁ簡単に手に入れられるし相手(水)に感情もないし犯罪とは無縁だよなぁ 小学校の教師で男児が性的対象で嫌がってるのに…は完全に犯罪だし。 真っ当なはずの稲垣吾郎家族もガタガタだし。 幸せって難しい
これが王道の恋愛映画と括れる時代までどれくらいの月日が必要なのだろうか。
非常に有意義な2時間強だった 現代的なメッセージ性が非常に強い作品だが、まず「物語」として純粋に楽しめた。 終盤の検事×夏月の静かで熱いバトルシーンに見事に凝縮された本作のテーマが 斧で殴られたのではなく水のように身体に(脳に)スーッと入り込めた感覚が素晴らしく 鑑賞後は清々しい気持ちになれた。 勧善懲悪な描かれ方ですが、検事は別に悪(意のある)人では無いんだよな、、、そこはもどかしい。 事実、無性愛者が世の中には非常に少ないが(当方、否定的では無いので悪しからず) そのような人が中学のクラスに2人もいること、その2人がお互い同じ人種であることを認識できていることがまず奇跡に等しい その2人が大人になり再会して、手を組む選択肢をとったこと、お互いがかけがえのない存在となったことは奇跡中の奇跡 ただ夏月と佳道、お互い恋愛感情が生まれないのを最後まで貫かれていたのは良かった。 私は本作をひと言で申し上げると「素晴らしい作品」だと思いました しかしそれはガッキー×磯村くん という誤魔化しようのない顔立ちの綺麗な御二人が演じているから 作品が美しく思えるように感じます。まあ映画はエンタテインメント作品ですからね。 これが等身大の俳優さんでしたら傍観モードになってしまっているかも。 あとビジネスとして成立しないと思いますから正解です。 褒めてるんだか貶しているんだか分からないレビューですが 間違いなく観て良かった。あとVaundyと気付かず聞いていた主題歌が良かった。 さすがVaundyと思った。 もう一度言うが、 これが王道の恋愛映画と括れる時代までどれくらいの月日が必要なのだろうか。
朝井リョウ原作の見事な映画化!
原作を読んだ時、これって映画化できるのか?って思いましたが内容を損ねることなくきちんとした作品に仕上がっていました。これは見事な映画化! LGBTs、多様性、不登校、社会不適合者、フェチ、普通ではない人たち…。 正しい欲望って?普通っていったいなんなんだ? いったい人口の何%以下になったらマイノリティーと呼ばれるのか? 誰もが他人とは違う一面を持っている。 まぁそれが多様性って言うことなんだろう。 文庫本の後書きにもありましたが ”この物語は手に負えない” 解説しようとすると泥沼にハマってしまう。 “観る前の自分には戻れない” かもしれない。 あなたは”普通の人”ですか?
全378件中、121~140件目を表示