正欲のレビュー・感想・評価
全383件中、361~380件目を表示
台詞が生きている
存在意識の中で
価値観や好み
そして考え方もマチマチ
普通に生きていけない人たちの
…生きづらさを描いている
普通に生きている人には
理解できないところもある
が……次第に
多様性を認めない普通に
どこか違んじゃない
と思ってしまう
その人たちの生きている
…ことばが心に響き刺さる
同じ価値観の人とつながりたい
という気持ちは奥底にはある
共有したい気持ち
感動する場面が…随所にあった
ラストも稲垣の啓喜に
結衣ちゃん夏月が
放った言葉にどう感じたのだろう
と思いをめぐらす
・・強い絆を持ち合わせているのは。
それぞれの俳優さん
素晴らしかったですね
想像させる演出も
原作者 朝井リョウ
何者でも斬新な切り口で
これからの今を描いていて
…興味をそそられます
自分にしか分からないこと
ストーリーは全く違うのに何故か頭の中で怪物だーれだ?が流れた。どこか同じ匂いでデジャヴ感があった。
個性とも違うその人特有のフェチの世界が描かれていて、共感はできなかったがどこか理解はできた。
自分にしか分からない事で、決して共感を誰かに求めてるわけじゃないけど理解し合えるならそれは幸せで嬉しい。人間誰しも人それぞれの形で繋がりが欲しいものと分かる。
結構、精神的な内容なので暗いドラマです。
最後はあそこで終わるんだーって、まさかのエンドロールが流れビックリ。
あんなんで共犯と見られちゃうの⁉️
怖いね。
余談
吾郎ちゃんってやっぱりあーいう役ピッタリですよね(笑)
若い時のドラマの役は違ったのに。
性的少数者
生き辛さ
普通とは何かを問いかける映画
だったように思う。
多少、悪意ある表現になっていたが、最後まで水に性的なものを感じることが信じられなかった稲垣さんの役は、この映画での私の救いになっていた。
普通
普通って…?
自分は普通じゃないと自覚して生きづらい人
自分は普通と思って自覚していない人
普通を装っている人
映画始めは、磯村さん、ガッキー
吾郎ちゃん、異性に対してトラウマがある大学生
それぞれの生きづらい毎日の話が続き
中盤までとてもモヤモヤしました。
徐々にお互いが絡み合ってくる
話が進むにつれ
普通とは?
または、普通じゃなくてもいいね
そもそも普通って存在しないかも…
という感覚になってくる。
ある事件が更に話を複雑にするかと思いきや
各々の心に迷いから確信が見えてくる
最後にガッキーが
離婚調停中の吾郎ちゃんを
一言で黙らせるとこが良かった。
それが答えだと思いました。
スッキリしました。
是非映画館で見てください
あ〜
稚拙な文章、読んでくれた方
ありがとうございます。
「生きることへの欲求」を持つために何をすべきかを描く名作
どんな話かあまり確認せずに観に行きましたが、意外にというか、かなり良い映画でした。”普通じゃない”登場人物が入れ替わり登場し、彼らの悩みや秘め事を緩やかに見せるオムニバス形式になっていましたが、”普通じゃない”彼らの行動や思考を前にして、最初のうちは正直拒絶感がありました。それが、物語展開や人物描写、俳優陣の演技のお陰で、登場人物たちがこちらの方に歩み寄って来る感じがし、それがためにこちらにも彼らに対する共感が生まれて来るように創られていたのが、何よりも素晴らしかったと思います。
”変わった人”、”普通じゃない人”、”世間に馴染まない人”というのは、何処にでもいます。かく言う私も、他人から見ればそうした人間かも知れません。でもどうにかこうにか折り合いをつけて何とか生きて行く。それがこの映画のテーマだったのではないでしょうか。題名は「正しい欲求」と書いて「正欲」でしたが、私なりの受け止めとしては「生きることへの欲求」を描いていたように思います。それが出来ずに悲しい結末に迎える人もいる訳ですが、そうならないためにはやはり人との繋がり、共感と言ったものが必要だということであり、万人に対しても出来ることではないものの、誰かに対しては自分も出来るんじゃないかと思わせてくれました。
最も印象的だったシーンは、大学の教室における神戸八重子(東野綾香)と諸橋大也(佐藤寛太)のやり取りでした。一切心を開こうとしない大也に対し、自分の思いの全てをぶつける八重子。八重子がぶっ壊れてお仕舞いかと思いきや、薄っすらと光の見える展開に、思わず泣いてしまいました💦
また、”普通”の象徴たる検察官の寺井(稲垣吾郎)と、夫が逮捕されてしまった夏月(新垣結衣)の2度に渡るガッキー対決は、ドラマとしても最高だったし、微妙な感情を表現しきった2人の演技もアカデミー賞ものでした!
さらに、純粋かつ繊細な佐々木佳道を演じた磯村勇斗も、「月」で見せた”狂気”とは対照的な役柄を、相変わらず上手に演じていました。というか、「月」で磯村勇斗が演じた昌平も、夏月のような人に出会えていたら、ああした惨劇を起こすことはなかったんじゃないかと、作品横断的に考えた次第です。それにしても磯村勇斗こそは、最近の日本映画を名実ともに牽引していると言って過言ではないんじゃないかと率直に思えますね。
唯一気になったのは、仕事から帰宅した寺井が、食卓でネクタイを締めたまま夕食を取っているシーンがたびたびあったこと。”普通”の象徴である寺井の行動なので、このシーンにも意味を持たせているのでしょうが、家に帰ったらまずはスーツを脱ぎ、ネクタイを外し、Yシャツも脱いで家着に着替えるのが”普通”なんじゃないかと思うんだけど、どうなんでしょう。昔からネクタイを締めて家の食卓で食事をするシーンをちょくちょく観ますけど、こんな人おらんでしょと思うのは私だけでしょうか?
そんな訳で、最後にネクタイに対する敵愾心を曝け出してしまいましたが、それを除けば物語、演技、映像ともに、非常に素晴らしい出来栄えの作品でしたので、評価は★4.5とします。
机上の空論‼️
映画なのか原作からなのか、この映画には大きな間違いが二つある。
まず、水フェチは生きる上で、なんの問題もないし、あかしても指弾される可能性は無い。
磯村くんは生きる気力が無く、ガツキーを含めて、他人に関心が無いのが問題なのだ。
少年偏愛指向は、殺人に等しい犯罪であり、性指向の一つに含めるものでは無いない。
もう一つ大きな問題は、まともな捜査なら磯村くんが逮捕送検されることは無い。
ライン、メール、等や、SNSから、少年偏愛指向の者と間違えられる事はあり得ない。
だから、正欲などと議論する内容では無いのだ。
水フェチは、水を盗まない限り、良いんじゃ無いか。
ただし、磯村くんは水のクラシアンのCMに出てるので、大いに笑わせられた。
ガツキーは徹夜で栗をむいているそうだが、源くんとの暮らしは映画みたいなのかな。
暇なら、どうぞ。
ダイバーシティの大安売り
第36回東京国際映画祭2冠達成の圧倒的傑作!
予告を見た時、傑作の予感がしました。ちょうど観る前に、第36回東京国際映画祭で最優秀監督賞と観客賞を受賞したことを知り、期待が高まりました。
久々に前のめりになって、映画に没入しました。
物語の内容は多様性に触れつつ、マイノリティとフェティシズムを主題に挙げていると感じました。
フェティシズムは、犯罪と紙一重だなと思います。誰もがフェティシズムを持っていると思いますが、一般人から見れば「あり得ない」と反感を買います。
マイノリティやフェティシズムについては、「人間はこうあるべきだ」と押し付けるのではなく、多角的な視点を養う必要性を問うた作品だと思います。
人間は、生まれた時から世間の常識というレールの道が敷かれていますが、脱線することもありますし、個々人が一番幸せと感じる道を法に触れない範囲で歩んでいけばよいと思います。
登場人物毎に話が構成されていて、寺井(稲垣吾郎)と桐生(新垣結衣)の話は、かなり共感しました。
水しぶきの映像の撮り方も上手く、芸術的な作品だと思います。
ダイバーシティダンス
多様化を表向きは賞賛する時代を問う問題作と感じました。
普通の人たちのように生きていかれない孤独を感じるマイノリティたちの繋がりと救済を描きながら、現実の容赦のなさが差し込まれてきます。
例えば数年前ならば、このお話のラストは、多様性を受容し罪のないマイノリティたちに救いの手を差し伸べた正義の検事が、妻と子と手を取り合って多様性ダンスを披露して喝采を浴び歌い踊りながら手拍子の中ハッピーエンドするのかもしれない。実際海外映画で観たような気もしますね。
しかし現実にはそんなことは起こらない。作中よりももっと酷いことも起こりうる。
そんなことを考えさせられました。
ラストの新垣結衣のセリフと、それを受けた稲垣吾郎の表情が心に残りました。佐藤寛太のダンスがすごく素敵でした。
ぜひ沢山の人に見てもらい、感想を聞きたい作品であると思います。
朝井リョウの同名ベストセラー小説を、稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画...
朝井リョウの同名ベストセラー小説を、稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画化。「あゝ、荒野」の監督・岸善幸と脚本家・港岳彦が再タッグを組み、家庭環境、性的指向、容姿などさまざまな“選べない”背景を持つ人々の人生が、ある事件をきっかけに交差する姿を描く。
新垣結衣演じる夏月が、最後に発する言葉ひとつひとつが、、純愛。いいね!
つながりたい気持ち
“普通じゃない”人たちが感じる生き難さ、苦しみ、劣等感、罪悪感、孤独、そんな感情が画面を通して伝わり胸が苦しくなりました。彼らのような所謂マイノリティではない私ですが、共感するところは多々あり、特に前半はとても辛かった。世の中が「普通」と定義していることが出来なかったり難しくて、普通になれない自分を追い詰めてしまう様が、大袈裟ではなく淡々と描かれているので、尚更哀しく切なかったです。
だからこそ、誰かと理解し合える喜びや、普通っぽい毎日を送れることの嬉しさが伝わる後半の展開には希望を感じました。ひとりじゃないと感じることで得られる安心感や満ち足りた気持ちって、とても素敵で貴重なものだよなぁと、改めて思います。
彼らがこれからも、一緒に生きていけますように。
【追記 2人が共有し隠しているのは水フェチだが、水フェチは他人に理解されずフツーじゃないと言われるものの象徴。】水しぶきはたぶん何かの隠喩。オーラを消しても萌える。
【追記】
レビューを上げた後、みんなのレビューを見て1つ驚いたレビューがいくつか有ったので、急きょ追記することにした。
映画で出てきた水フェチだが、これをただ 「水の流れを見るのが好きな人」レベルのフェチとみなしていると思われるレビューが散見されるが、とんだ大間違いだ。2人の水フェチは水の流れに性欲、エクスタシーを感じるレベルで、なおかつ人間に性欲を感じないのだ。だから理解されず、おかしいと思われるかもしれないと思って隠す。
僕はまさかガッキーが自慰の場面を演じるわけないよなという思い込みから、しばらくは僕のスケベ心のイヤラシイ勘違いだろうと思っていた。だけど後半、2人が正常な人のセックスってどんなものなのかなと服を着た真似事をする場面を見て、さっきの場面はヤッパシ○○で2人の水フェチは性欲、かつ人間には性欲を感じないんだと確信した。この性欲は2人にとっては正欲(正しい欲)だ。
水のしぶきや流れが好きなレベルの水フェチならともかく、それにしか性欲を感じないのは他人に言ったら理解されなくてフツーじゃないと思われるから知られたくないと考えるだろう。もしそれも分かった上で、この水フェチとLGBTは隠さなくても今の日本なら全然大丈夫だよって言われてしまったらこの映画は成り立たない。取りあえずはフツーじゃなくて異常と思われるかもしれないから隠しておきたい何かの象徴ととらえるしかない。
【以上、追記終わり】
夏月(新垣結衣)と佐々木(磯村勇斗)は、ほとばしる水しぶきが大好きだ(噴水が好きなのではない)。中学のとき壊した蛇口から噴水のように吹き出る水しぶきにまみれて喜びにひたる2人。こんな変なことが好きで喜ぶなんておかしい。他人には絶対理解できないに違いないし、人に言えばきっと変な人だと思われるから胸に秘めている。しかしここに奇跡が起こる。こんなワケわからん嗜好を持った2人が同級生として出会うのだ。有り得ん。神様のイタズラだとしか思えん。
こんな自分は誰にも理解してもらえない。自分はひとりぼっちだ。この事はずっと心に閉まって生きて行かなくてはならない。そう思っていたのに、自分と同じ者がいた。この喜びを分かち合える者がいたのだ。それが例え1人でもかまわない。自分はひとりではない。自分のことを分かってくれる者がいた喜びは何物にも代えがたい。それも自分と同じクラスにだ。
しかし別れが訪れる。佐々木が横浜へ転校してしまう。ひとりポツンと残される夏月。ここで映画の技法だと思うんだけど、画面上で夏月がキューっと小さくなって見てるこっちに夏月の喪失感、寂しさが伝わってきた。夏月かわいそー。映画見てる観客もうみんな普通ここで泣いちゃうだろ。ワシは泣かん、男の子は泣くなと言われて育った世代だからじゃ(アホ)
で、有り得んことにまた神様がイタズラする。佐々木が地元へ戻って来る。女を自宅へ連れ込んでしけこむ佐々木と、あとをつけて様子を伺う夏月。ストーカーだがストーカーではない。夏月には佐々木に対する恋愛感情がないからだ。理解し会える同志だ。たまたま女と男だっただけだ。この後2人は結婚するが(籍は不明)恐らく二人には恋愛感情というものがないし、分からないのだと思われる。結婚という形が恋愛感情というものが無いことを隠す隠れミノになるから回りにバレない。夏月が寺井(稲垣吾郎)に初めて会ったとき、奥さんぽい雰囲気があると言われたのも夏月の自信と安心感から来るものだろう。
そういうわけで、ガッキーが佐々木の家のガラス窓を叩き割ったのも当然だ。あの時、夏月は佐々木が正常の世界へ行ってしまったと思い込み、世界で唯一の仲間を失った悲しみと怒りを目一杯ぶつけたのだ。
後に佐々木と結婚した夏月が、「もう私ひとりで生きていた世界に戻れんかも」 としみじみと言う場面が印象に残る。
で、また神様がイタズラする。3人目の水しぶき仲間がロリコンで捕まった流れで、佐々木が捕まってしまう。中学のときと同じく1人ポツンと残される夏月。この場面でも夏月がキューっと小さくなる。でも今の2人は中学のときとは違う。検事室で夏月は稲垣吾郎に頼みたかった佐々木への伝言の内容を口にする。「いなくならないから」。佐々木が聞いたら勇気100倍。
この場面では吾郎ちゃんがキューっと小さくなる。フツーな吾郎ちゃんはフツーでない息子を受け入れられず、パートナーと息子を失っていた。フツーな吾郎ちゃんがちょっと可哀想になる。「俺はフツーなだけだ。フツーのに何が悪い?」と嘆くゴローちゃんの叫びが聞こえてきそうだ。
検事の寺井はフツーの人代表。息子がフツーじゃないのが悩みで、息子をフツーに戻したい。学校行くのがフツーだろう派だ。パートナーが泣きながら寺井に言ったセリフが印象に残った。「どうして息子のバグを分かってあげようとしないの」
この映画ではフツーの人がかなり悪者扱いされてて少し分が悪い。
水しぶきが楽しいなんてフツーじゃないだろと言う寺井に夏月が言うセリフもイイ。
「あなたが信じなくても私たちはここにいる」。 てガッキーカッケー、どっかで使ってみたいよ。
大学生の神戸と諸橋についても1つ。ケンカして立ち去ろうとする師橋に神戸は理解できないだろうけどと前置きして自分のことを伝えようとする。もちろん諸橋は分からない。だけど諸橋は、自分とは違う種類だけど”人には理解してもらえないもの”を神戸も抱えて生きていることを知って、「きっとどこかに君を理解してくれる人がいる」みたいなこと言って神戸を励ます。いいシーンじゃないか。ここの部分だけでも原作者のメッセージが伝わって来るよ。ホント映画とか作ってるクリエーターってすごいといつも思わされる。
あと 「セックスってこんな感じかな?ごっこ」の場面が有り得んと思える人は(僕も理解出来ん人)は、アロマンティック、アセクシャルを検索してみるといい。僕は、理解は出来んが、まあ世の中にはそうい人もおるようじゃな、ぐらいには思っている。
ちなみにアロマンティック、アセクシャルの人たちの苦悩、悲しみはハンパない。
感想。
相互理解ってホントむつかしい。理解という言葉を定義するのもムツカシイ。
以前どこかで聞いた”2つの円の重なった部分”ていうのを思いだ出す。
新垣結衣が出ているの知らなかったら、僕はきっとよく似た人だなと最後まで思い続けたと思う。俳優ってたまに、うだつがあがらない地味なヤツの役やるときオーラ消すんだよ。驚くよ。
あと理解というこよについて僕は人は理解しあえない派。 差別については思っていても否認・差別的言動は気を付けてしないようにしよう派。
投げっぱなし未回収。観た人それぞれの判断任せ。
名のある俳優の絶妙な演出
もう少し面白く出来たんじゃないかと。
何が言いたいかは分かるが、全体的に薄くて形がぼやける。
水フェチ自体より異性に興味がない事が生きにくくさせてる。何故なら"結婚して子を持ち家庭を作るのが普通だから。"...ってそんな周りの価値観をはねつけ、私は私と生きるのは難しいと感じ殻に閉じこもる。外界に触れなければ、私を否定する人と接する事ないし。それはそれで寂しく…仲間が欲しいのか。
いわゆる世間の言う普通を見せつけ見下しきた同級生の妊婦が一番気持ち悪かった。
全383件中、361~380件目を表示