正欲のレビュー・感想・評価
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ラストシーン
ラストで桐生が寺井に伝言を頼む「普通」のこと。
寺井が少し可哀想になったけど、あれが桐生にできる最大の反抗だったと思うし、一番ベストなセリフだったと思います。
この映画は笑える面白さを求めて観るジャンルではなく、どちらかといえば純文学小説を映画化した作品という認識で観に行く方が良いと思います。
子供の頃から「変わってるね」「何でみんなと同じようにできないの?」と言われてきた人間からすると、寺井が自分の価値観の"普通"を疑うこともなく、それからはみ出した人間には見下したり高圧的な態度を取っているシーンには怒りも覚えました。さらに、最終的にただの社会的にマイノリティである水フェチだった彼らは冤罪で捕まってしまい、物語としてはハッピーエンドではありませんでしたが、この登場人物たちが出会えたことは私にとっては救いにもなる映画でした。
小説は分厚くてもっと話も色々あった記憶があり、少し物足りなさも感じましたが、映画の尺にするにはこの脚本で良かったなと思いました。
ただ、自分の価値観の"普通"で攻撃してくる人物が、主に寺井ひとりだけだったので、寺井だけが凄い悪党に映ってしまったのが共感できない人がいる原因かなと思いました。
実際の社会では、もっと大勢の人たちが「普通」という言葉の暴力で自覚ありなし関係なく殴ってくるから。
だからこそ、桐生と佐々木の擬似セックスのシーンはひとりぼっちだった2人がお互いに1人じゃない安心感を得ることができて、それに感情移入した私はとても嬉しかったし、こちらも幸せな気持ちになりました。
2023/11/21
本日2回目鑑賞しました。
小説を半分ほど読んでの再鑑賞だったのですが、小説には描かれている神戸八重子と諸橋大也の過去や深い描写は丸ごとカットされていることに気付きました。
どうりで神戸八重子がお節介な気持ち悪い人物に見えてしまう訳ですね...。
映画化する上で仕方ないのは承知ですが、できれば同級生が死んだシーンも入れて欲しかったなと個人的には思いました。
あと、特に気にし過ぎかもしれませんが、寺井の食事にレトルトばかりなのと、帰宅して散らかっているのに対して、寺井がなにも言わない(妻を責めない)のは少し不自然に感じました。あの人格なら文句言いそうだと思ったのですが...。
普通の人と普通ではない性的嗜好・感性を持つ人達の話
普通の人には理解しがたい話かもしれないが、少しでも周囲との違いだったり疎外感を感じた人には分かる部分もあるのでは? 登場人物が結構多いがオムニバス的に紹介されるので分かりやすい。 普通の人代表として登場する寺井(稲垣)とその家族の諍いと普通ではない桐生(新垣)と佐々木(磯村)の話が主軸。 寺井達が分かり合えずに桐生達が離れがたい存在になっていくのが皮肉めいていて良かった。あらゆるところでこういった対比が描かれていて、それぞれの立場や心情が際立つようになっていた。 寺井夫婦の描写にはどちらの言い分もある程度理解できて、どちらか一方が悪いわけではないように見せていたと思う。 物語に大きく絡むわけではないが男性恐怖症の神戸八重子の演技が素晴らしかった。もう神戸八重子じゃん! 観終わった後の余韻が凄い。 今年の邦画では一番好きな映画。
心の居場所
『自分の心の居場所はどこなんだろう』と今作を観終えて感じ入りました。
心の働きは千差万別ですが、詰まるところ『自分が心地よく生きられる世界になっているか否か』だと思います。自分の心が休まる空間をどこまで広げられるかという事です。
(一般的な趣味も同じようなものではないのかなぁ)
一人称の世界です。
自分の居場所が見つかり出したら次に欲しくなるのが『他者とのつながり』です。他人と連携することで自己愛がお互いに強くなります。
ここで二人称の世界になります。
そして最後、繋がりが出来つつあったら『愛すること』が欲しくなります。
より一層深いつながりで、多様性の受容です。(犯罪は当然いけません)
「明日などなくてもいい」と自殺をしようと思っていた人が、明日のためにもう少しだけ生きてみようと思えたり、男性恐怖症を克服しようとしてみたりするの人の行動は、時間がかかっても自分の中に心の居場所や、少しだけの自己肯定が芽生えたからではないかと思いました。
映画本編では『愛する』という言葉は出てこなかった(と思います)のですが、それは桐生さんがラストシーン面会に訪れた際、名字に『佐々木』と記入したことや最後の台詞によって愛するという言葉以上に愛を語っているのを際立たせたのだと思いました。
桐生さんの時間的な心境・環境の変化と、寺井さんの変化とが上手く真逆に進んでいくのが面白かったです。
あと音楽が素晴らしかった。曲は当然ながら、ここぞというタイミングで音楽が入るのがとても心地よかったです。
長い映画でしたが最後まで楽しめました。
あと余談として… OPシーンの『大きな窓ガラスをバックにベッドの上に座り込むシルエット』や『ベッドが水で満たされて仰向けで浮かぶシーン』はアニメ攻殻機動隊のOPにそっくりだと思ったのは私だけでしょうか?
寺井も『普通』ではない。
原作からの鑑賞です。
磯村勇斗さんが出演される作品は
考えさせられるものが多くて疲れますね。笑
でも舞台挨拶で見る磯村さん、
本日も素敵でした。笑
自分にとって生きやすい世界。
それは他者にとって
生きにくい世界かもしれない。
誰もが持っている感情や癖や趣味嗜好は
普通であり普通じゃない。
多様性を知ることと理解すること、
受け入れることは別物だし
その多様性に拒否反応を示すのも多様性…。
レビューを見ても皆様感想がバラバラ…
この映画に対して正解なんてないと思うし、
どの感想も感情も正しいものだと思います。
それもまた多様性ですね。
(多様性ってとっても便利。)
映画では終始『普通』代表、
自分の理解に及ばない人間は全て
『社会のバグ』と考える寺井ですが、
原作では寺井の癖についても描かれています。
これだけ『普通』のレールに乗っていると
自負している寺井の『普通ではない一面』
についても描いていただけたら
「はてさて普通とは?」…と、
観客の考察に深みが出たのでは?と感じました。
ただ最後に桐生が逮捕された
佐々木への『普通』の伝言は
調停中の寺井への最大の皮肉だなぁと感じました。
誰でもここにいていいはず
原作を読んでいたからなのか、登場人物たちが何を言いたかったのか、自分なりに、原作を読んだときより理解できた気がします。 本当に欲しいものは何なのか、考えさせられるさくひんです。 エンドロールと共に流れるVAUNDYの歌、刺さりました。
ソウルメイトに出会える幸運の事蹟
疎外感満載の中で、 真偽を疑義しながら生きて行く葛藤の展開と集結。 理解のしようのない生来からの世界観を、 言葉でも映像でも表現できない部分を、 水をモチーフとした、 千住博の様な滝の映像が出てきたときに、 二人の関係が整列したことを感じた。 友人でも、親友でもない。 奇跡の出会い。 性行為の予行演習は不要だね。 もしよければ、 ひょうきんな稲垣くんが、 検事らしく絞めてくれれば、 より高次元な作品として成立した。 それでも、 ラストの締めは最高だった。 ( ^ω^ ) 第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウの同名ベストセラー小説を、 稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画化。 「あゝ、荒野」の監督・岸善幸と脚本家・港岳彦が再タッグを組み、 家庭環境、性的指向、容姿などさまざまな“選べない”背景を持つ人々の人生が、ある事件をきっかけに交差する姿を描く。 横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、 不登校になった息子の教育方針をめぐり妻と衝突を繰り返している。 広島のショッピングモールで契約社員として働きながら実家で代わり映えのない日々を過ごす桐生夏月は、 中学の時に転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。 大学のダンスサークルに所属する諸橋大也は、 準ミスターに選ばれるほどの容姿だが心を誰にも開かずにいる。 学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画した神戸八重子は、 大也のダンスサークルに出演を依頼する。 啓喜を稲垣、夏月を新垣が演じ、佳道役で磯村勇斗、大也役で佐藤寛太、八重子役で東野絢香が共演。 第36回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最優秀監督賞および観客賞を受賞した。
ストーリーと配役の妙は堪能
これが問題作らしくみえるのは、それは新垣結衣さんがその役をやっていることがかなり強い。しかも堂にいっている。パブリックイメージとはだいぶ違うが、きっとそのような要素を持っている人なのだろうと思う。テーマとはかなり合致している。 にしてもフェチズム、ダイバーシティ、SNS、現代的なアイテムを散りばめて回収していく、想像するにおそらく原作のものである構成力は後半グイグイと発揮される。正直前半は映画的快楽がほとんどない情報の配置に終始して、さほど面白いものには感じられないが、話芸というのは映画のひとつの力だな、と感じられた。 で、水フェチか、水フェチなんてあんのか、と思いもするが、こんなフェチまであるのかもよ、というファンタジーというかメタファーな気もするのでさほど気にはならない。世界の隅の隅でひっそり暮らす未来のマイノリティに対しての眼差しがしっかりとあった気がする。マジョリティとマイノリティを図式的にも提示して、敵対と融和のドラマも作ったうえでの最後の対峙と、新垣が言うそのセリフ、いなくならないから、というのはやはり巧みなストーリーだな、と思う。
優しい虐待
寺井検事の言い分、ほとんどがまっとうに思える。
「人間の皮を被った悪魔いるんだよ!」全くご尤もです。
子どもたちが動画配信を始めてイキイキしてきたと母親は全面応援だが、単にコドモの言いなりになっているだけ。肝心の動画は子どもたちがフォロワーさんの要求に応じて自らを消費しているだけで子どもたち自身のためになることはなにもない。
子供は苦言を呈する父より自分の言いなりになってくれる母が良いに決まってる。
見当違いに父を憎む子供の出来上がりだけど、お片付けも命じられずに育ったコドモはどんなオトナになるんだろう。
社会で生きていけるおとなになるための「しつけ」がされない育て方は、優しい虐待といえないか。
この夫婦のキャラクターは類型的。かなり悪意のある描かれ方と思う。
人と変わった性指向があることを後ろめたく感じるのは分かる。
でも、「水フェチ」だからといって特に世の中の害になるわけでなく、カミングアウトしたところで「そーですか」で済むんじゃないか?
ガッキー、磯村くん、佐藤くんがコミュ障で生きづらいのは他にも原因があるとしか思えない。
嗜好とかシュミは理屈ではなく、ただただ心の底から湧いてくるものなので、同じ志向を持つ人とは魂のレベルで理解し共感できる仲になれそう。
コミュ障同士なら相手は唯一無二で、巡り合ったことで二人に生きる気力が出てきたのは分かる。
このあたりでちょっと面白くなってきたのにその後の展開が予想通り暗転。
変態教師が磯村くんや佐藤君を仲間だと証言したとしても、犯罪の証拠が全くないのに逮捕・送検までされるものか? それに、検事なら様々な事件を見ているはずで、世の中には理解できないような志向を持つ人達が普通にいるのを身に染みていると思う。
肝心なところが嘘くさくてはまともに観る気が削がれる。
くらし安心に電話したら、吹き出す水見たさに磯村くんが修理に飛んできそう。
好きな人に好きっていうのってとっても大事
原作を読んで考えさせられたので、どんな風に映画化されるんだろうという興味で観てみた。観てみて、原作未読であれば、話しのつながりやその人物の葛藤がみえにくい場面があるかもとは感じたけれど、原作を読んでいるので、あぁこの場面かと思いながら観ることができました。
朝井リョウ作風の群像劇、今回は男女の組み合わせのそれぞれの群像劇。私はどちらかというといわゆる普通ではない方の部類(40代独身、理解しあえたと思えるパートナーと付き合えたことはこれまでナシ)だから、共感できる場面は多かった。
他人とは理解し合えないけれど、かといって人とのつながりを諦められずにもいる、それでいて異性も好きになるときがある、こんな葛藤には共感できた。その意味では、夏月や佐々木君が数十年を経て付き合うことができたのは奇跡的な幸運だったと思える。同窓会って気になってた人に声かけたくてもかける勇気いるんよね、あの時結局、自分の思い込みだったんじゃないかって疑心暗鬼になったりして。
それはさておき、最後の夏月のセリフは、唯一無二のひとに出会えたという確信があって、そんな人に出会えたならば、人生幸せだと思った。あと感動したのは、八重子が大也に告白する場面。あれだけ自分をさらけ出して思いを伝えることって、なかなかできない、それをやるくらいなら何も伝えないってこと多いんじゃないかな。時が経ってしまうとそのときの感情はもう言えなくなるから、シンプルに、その人が届く距離にいるうちに、好きならば好きって言おうって、それめちゃくちゃ大事なことなんだと思った。
【”居なくならないから・・。”一般的常識外の思考、嗜好を持ったが故に、生き難さを抱える人たちの苦しみと似た者同士が助け合い救済される姿を描いた群像劇。一般的常識って何だろう、と思った作品でもある。】
ー 今作は”一般的な常識や、正しい思考、性欲ってなんだ。”と言う問いかけに満ちた作品である。-
1.夏月(新垣由衣)は、広島の中学で同級の佐々木(磯村勇斗)が、工事する水道を壊し、水しぶきを嬉しそうに一緒に浴びる。
その後、二人は同じ思考、嗜好を持っている事に気付き、世間的な体裁を考え同居を始める。
2.大学でダンスサークルに所属する大也(佐藤寛太)は、皆に認められながら表情は暗い。そんな彼を見つめる八重子(東野綾香)
3.息子が不登校になり、ユーチューバーになることに違和感を覚える検事の寺井(稲垣吾郎)と息子の側に立つ妻(山田真歩)
■今作は上記の”一般的な常識に捕らわれた人々”の群像劇である。
◆感想
・夏月も佐々木も、ノーマルな性欲を持たず生きている。
ー 夏月の言葉”地球に一時的にいるみたい。”
そして、二人は世間体を考え同居を始めるが、部屋は別々。食事も別々。けれども二人の表情は穏やかである。
ある日、夏月が”SEXをしたい”と言って、二人で服を着たままSEXの真似事をするシーンが印象的である。
佐々木は”普通の人って、裸になってやるらしいよ。”と言って笑いあうのである。-
・大也も夏月も佐々木と似た”明日目覚めたら、別人になっているといいな”と思いながら暮らしている”が、八重子は大也に”男の人は嫌いだけれど、貴方だと平気。”と言う。
■検事の寺井が、妻と息子に言う一般的常識は確かにそうであろうが、彼の言葉は自覚なく息子及び妻を傷つけているのである。
彼が帰宅した時の妻が作る夕食の変遷も見事である。
最初の頃は、手料理だったのが、溝が出来始めた頃から、レトルトカレーになりオムライスになっていく・・。
・水フェチの佐々木が大也と小学校教師の陽平(岩瀬亮)とネットで知り合い、実際に在って子供達と楽しそうに遊ぶシーン。
ー だが、陽平は子供を”買って居た事”で警察に逮捕。連動して、佐々木も大也も拘留される。寺井は佐々木と大也の取り調べをするが、彼らの言い分が理解出来ない。
彼にとっては一般的常識内の思考、嗜好しか分からないのである。-
<そして、夏月が佐々木に関して呼び出されるシーンが印象的だ。
夏月は、佐々木は子供に対する性的嗜好は無いと言い切り、”ところで、奧さん達は戻ったのですか。”と以前、街で寺井が自転車と接触して転んだ夏月を助けた時に彼が漏らした”家が広すぎて・・。”と言う言葉を覚えて居て問うのだが、寺井は俯いた表情で”調停中です。”と答えるのである。
そして、彼女が寺井に佐々木に伝えて欲しいといった言葉。
”居なくならないから・・。”
感動的で有りながら、寺井にとってはシニカルなシーンである。
今作は、”一般的常識の世界に安住して来た人々。”の”一般的常識外の世界で苦しみながら生きている人々。”に対する、無自覚な罪を描き出した作品なのである。>
ある意味、究極の愛かも
とても特殊な性欲の形ですが、「何に対して」によって見え方が違って面白いと思いました。ネタバレしないとして、 ●●に対して感情が湧くという時点でまったく理解できないのですが、そこが肝になっているとも思います。これが別のものになれば一気に犯罪とか恐怖になるのでしょうけど。●●なので、何が悪いのかと思ってしまう。 「普通」をかざして正論を言うことが滑稽にも思えます。 性癖については「普通」なんて有り得ないし。もし「普通」があったとしたら、それが1番変態とも言えますので。 磯村勇斗さんはもちろんですが、新垣結衣さんも凄いですね。悪ガッキーというか、裏ガッキーというか、ちょっと気持ちが悪いというか怖いというか。 だからこそ、笑顔が輝きますね。ちょっと性的なシーンも新鮮です。 何ヶ所かウルっと来ました。 本当の意味で、「あなたしかいない」なので究極の愛だと思います。
音響整音が残念
オムニバス風の作りですが、ただ単に構成が複雑になっているだけでストーリーの心は全く感じられない作品でした。音響的にも整音が不充分で聴くに耐えませんでした。全体的に作りが雑な印象でした。インディーズ作品でしょうか。
裸でしろよ。
ガッキーが出てるから、ゴローちゃんが出てるから、磯村勇斗が出てるから、観に行ったけど、ガッキーでなくても、ゴローちゃんでなくても、磯村勇斗でなくてもよかったな。この3人だったから最後まで魅せられたけど、役回りに合った地味な俳優さんたちが演じてたら誰も観に行かないか。 子どもは学校行けよ、とか、水出しっぱなしにすんなよ、とか言ってしまう明日も生きていたいと思ってる年寄りには響かなかった。 普通の人の役まわりの稲垣吾郎にとどめの一言を浴びせたかったんだろうけど、最後の方の展開必要だったのかなぁ。(あの一言はよかったですね) 岩代太郎の音楽はいつも美しく、そんなに盛り上がるような場面でなくてもしっかり盛り上げてくれる。 磯村勇斗は、ビリーバーズ、波紋、渇水、と水続きだな。あ、CMもか。 わかりあえるところ、ひとりじゃない、お互いが大事に思えるところがよかったですね。 セックスするならまず裸になりましょう。 映画館の大きなスクリーンでワクワクするような映画を観たいという普通の人間(普通ですよね?)の欲は満たしてくれなかった。
多様性の進化系?
共感できるストーリーではない。これをダイバーシティと呼んではいけない気がする。個々の人物からその相関関係に進展する展開は良いと思うが何一つ回収せずにエンディングでは物足りない。 新垣結衣さんに⭐️3。 ガッキーがいなかったら観てないと思います。 124
朝井リョウ原作映画の魅力
まずキャスティングが素晴らしい。 そして全てのキャストが最高のパフォーマンスをしていて久しぶりに邦画を観ていて感動した。 原作は読了済み。朝井リョウの小説では「何者」が1番グッときていて本作「正欲」はタイトルは上手いこと考えたなーと感心しつつも予想の斜め上を行く内容で、心に刺さるまではいかなかった。 水フェチはあくまでもメタファーで、本当はもっと犯罪に繋がる性癖でもよかったかと思うが、ここらへんが限界でしょう。 実写化となった本作では原作のオムニバステイストを踏襲しつつも順番を入れ替えることでクライマックスの夏月と啓喜の対峙がより際立ち、そして鉄の扉がガッチャンと重々しく閉じるように終幕する演出が素晴らしかった。全体的に照明も暗いし、ひたすら重いんです笑 この映画。 ただしこの重さがあるからこそ、ラストの夏月の台詞に救われ、啓喜の孤独感がより際立ったと思います。 原作でも見せ場だった大也にまさかの反撃をする八重子のシーンで、八重子を演じた東野綾香さんは圧巻だった。本作が映画初出演とは思えない存在感で今後が非常に楽しみである。日本アカデミー新人賞確実でしょう。(日本アカデミー賞は特にチェックしていませんが笑) 監督は面食いなのか、啓喜、夏月、佳道、大也を演じたキャストは原作を読みながら想像していた顔より数段良い笑 だからこそスクリーン映えするのかな。夏月のウザい同僚との対決シーンなど、原作から大きく削ったところもあります。しかしここはクライマックスの夏月VS啓喜をしっかりみせるための的確なバランスだったと思う。 長い間の使い方や自然な台詞など心地よい演出だった。やたらと感情叫んだり、説明台詞の連打など、「ゴジラ-1.0」等で見受けられる日本ドラマ仕込みのクサい演技と演出が本作では全くない!笑 これぞ映画の時間! 今年の邦画ではトップクラスに好きです。 朝井リョウ原作映画が今のところ全部"当たり"という素晴らしいユニバースに私は生きている。売れないと世間的には(普通は)"当たり"とは言わないかもしれませんが。 あとは渡辺大知さんのショッピングモールで遭遇したくない陽キャ幼馴染感ハンパなかったです笑 啓喜の食事がカレーライスやオムライスなどやたらと子供っぽい食事なのは映画だけの演出だと思うが、どういった意図なんだろう。(嫌いな人がいない、みんな大好きな間違いないメニューを食べている=普通であろうとする啓喜そのものみたいな?)
作為的な人物造形
ガッキーが演じる桐生夏月の最後のセリフは、ごく普通の言葉なのにとんでもなく響いた。佐々木佳道は、その言葉を聞いただけで、勇気づけられたに違いない。そして、自分に対する想いを全て感じとったはず。 ラストは感動したんだけれども、人物造形については疑問符だらけ。 稲垣吾郎が演じる地方検事の一家が、嘘くさい。嘘くさいは言い過ぎとしても、家族の匂いがしない。セリフや演出の問題だと思うが、上っ面の会話劇が白々しい。 生きづらい人々は、いろんな形で存在しているし、自分も生きづらさを感じている。だけれども、この作品に登場する人々は、どこか人工的に作られた感じがして、共感できない。 マイノリティを自称する人々の中には、毒蛇の輩も混じっている。そういうリアリティ路線を作品全体で通してくれれば、随分と違った印象になったと思う。
異種。
過去に起きた事件、藤原悟に魅了され気づかされた桐生夏月と佐々木佳道、後に絡む事になる検事、寺井啓喜の話。
中学の時に転校してしまった唯一分かりあえる佐々木、人伝に地元に帰ってきたと聞き…同窓会で再会…、その同窓会では話せないが後に、検事寺井家の不登校の子供がYouTuberになりコメント欄にハンドルネームSatoru Fujiwaraからメッセージ、後に複雑に絡む人間ストーリー。
人間、人それぞれ色々な趣味、癖、フェチって持ってると思うけど人に言える趣味や癖、逆に言えない趣味や癖などあると思う。
だけど桐生と佐々木の水が好き、水飛沫が好きってなぜ隠したがったんだろう。
稲垣吾郎演じた検事寺井の一言「人間の皮を被った悪魔がいるんだよ!」全くその通り!
この人達は人間の皮被ったカッパなんだ!
そうなんだ前世はカッパだ!髪の毛あるけど実は頭頂部はサラなんだ!と都合よく解釈したら、あの水遊びする姿 は納得できた!(笑)
終盤辺りで出来た共通の仲間、あの変態教師のせいで、ああいうラストはちょっと残念な終わり方でした。
作品としては惹き込まれ面白かったです。
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