正欲のレビュー・感想・評価
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正しさとは。
2022.01.08に原作を読了。原作の感想は「読み進めるにつれ、加速度的に他者と他者が繋がっていく群像劇。マジョリティに属さない、彼岸にいる、目立たぬよう、日々の生活を紡いでいる人々。多様性の受容が謳われる昨今、それでも受け入れられない選択肢がやはり存在するのは皆が気付いている。陽の当たるところ、当てても大丈夫なところだけにスポットが当たり、ヌメッとした得体の知れない何かは、多くの者に見えないまま。私自身も仕事はしているが、彼岸に生きていることを自覚しているので、かなり胸締め付けられた。」というものだった。
映像となった「正欲」を拝見し、普通を語る者の無自覚さ、能天気さに絶望的な気持ちになる。と同時に、なんやかやで日常生活を営めている私も、所謂普通さの何割かは有しており、無自覚に世間の常識を振りかざし、無意識に他者を傷つけているかもしれない。いや、おそらくそうだろう。
「普通」「常識」という言葉で一般化して理解しようとすること全てが悪いとは思わないものの、そのことに自覚的であるべきだな。そんなことを思う。
そして、一人じゃないって尊いし、大事なことだな。一人でも理解してくれる人、パートナーさえいればどれだけ心強いか。「いなくならないから」と言ってくれる人が、私も含めた全ての人の傍らにありますように。
あと、演出だとは思うのだけれど、検事がカチャカチャとスプーンで音を立てながらオムライスを食べる様がかなり気になった。
あなたにここにいてほしい
岸善幸×新垣結衣×稲垣吾郎「正欲」、「LGBTQ +」の“+”についての映画でもあるんだけど、そこは主題ではなくて、人はそれでも繋がりを求めるべきなのか他者を理解しようともがくべきなのかという映画だったな。この映画は食事シーンが多いんだけど、新垣さんと磯村さんの朝食のシーンが素敵でした。
ちょっと良くわからない
水フェチの何が悪いのか?別に公言してもひかれはしないのではないか?
終始淡々としていて何度か眠たくなってしまった。
最後の結末も中途半端な感じで結局良くわからない映画だった。
恋愛映画
原作は見ていません
緩急のない落ち着いた恋愛映画のように感じた。多くの人が持っている他者に理解してほしい気持ち。お互いに理解しあう形で、共に過ごす行為は恋愛のように思えた。
恋愛映画として考えた時、もっと緩急が欲しいと感じた。なぜ、緩急が欲しいと感じたのか?疑問に思った。多分、私の恋愛の緩急は性欲が要因だと思う。そしてそれを当たり前に求めていた。それがない恋愛であったら緩急もないのだろうと思った。
ストーリーは、最期の場面で気になる部分があった。映画だと当たり前であるが、現実的に繋げて考えると難しい場面だと思う。物語としては良いものであった。また、繋げることは出来なくない。その部分を丁寧に描いて欲しかった。
映画としては、水の音の表現は素晴らしいし、映像的にも素晴らしかった。何かしらを考えさせる内容はその手の気持ち良さを感じた。総じて面白い映画であった。
是非多くの人に見られる映画になってほしい。
思想のように
ぼくは小さな頃、碁石で遊ぶのが好きだった。
その碁石で囲碁をする訳では無かった。
碁石を並べ、人に見立てて、キャラクターとして動かして遊んだ。
母がぼくに言ったのは、「安上がりな遊びを見つけてくれてよかったわ…」ということだった。
ぼくは、ぼくの世界にとても満足していた。
という訳で、若干でも〝石遊びフェチ〟であったのかもしれない。…。
「正欲」は、変わったフェチズム、〝水フェチ〟の人々が、社会に受け入れられない自分たちの生き辛さを思いながら、繋がりを求める物語だ。
そしてその人々と関わる人々の話である。
ぼくは、劇中の人々が、どうして生き辛いのだろう、と、とても思った。
というのは、〝水フェチ〟ってとても安上がりじゃないの?という思いだ。
それはぼくの母が、石遊びに熱中しているぼくを見て言った言葉のその気持ちと、ほぼ同じであるように感じる。
ぼくには、その〝水フェチ〟さえも、作品作りにおける道具のひとつのように感じた。
屁理屈をもって理屈を語らないで欲しい。
〝水フェチ〟ならば、ふたりのベッドシーンも水を介するべきではと思う。
そうでなければ、じゃあ、あのふたりのとてもいい思い出として映っているのは、公園で水と戯れていること、そのシーンのみになる…。
まあ、それでいいのかもしれないけれど、観客としては物足りない気もしてしまう。
というのは、そのあえてしてみたかった〝普通〟の方が、劇中としても、変わったフェチズムより良いものに見えてしまっており、扱われていた多様性というテーマについての説得力が弱くなってしまう感じをもった。
そういう意味でも、見ていて、何だかなあ、と思ったけれども、多様性とは、というメッセージと、Vaundyの「呼吸のように」はとても心に残る曲だったと思う。
こうして思うと、いつしか、ぼくは〝石遊び〟をやめてしまっている。
それは〝その程度のもの〟であったのかもしれない。
しかし、それを本当に、逃れられないかのように、行い続けていたらどうだったのだろう。どうなるのだろう。
それでも他者への繋がりを求めるのだろうか。
ぼくは他者への繋がりの為に、いつの間にか〝それ〟も、放棄してしまったのかもしれない。
そう思うと、〝水が好き〟というもので人との繋がりを持とうとすることは、とてつもないことにも感じる。
それは最早、性癖というよりも思想のように、ぼくは思うんだけど。
惜しい、今年公開じゃなければ。
新垣結衣を中心に、「普通」ではない感情をもった人間たちが描かれる。
名前のない欲望を持つ彼らは、それを共有するコミュニティの形成すら困難になってしまう。だからこそ、誰よりも一人でいることに恐怖する。誰かと居られることに安堵する。
欲望を共有できる喜びを、映像を通して観客に訴えかけてくるようだった。
ただ、いくつかの描写の甘さはある。まず劇中ではYouTubeだとかYouTuberだとかの単語が頻出するものの、実際のページで表記されているのはnowtubeなので一々違和感がある点。加えて、群像劇の割にはいまいち展開の起伏がないという点。あと、ちょっと新垣結衣は可愛すぎて、一人ぼっちの役には合ってないんじゃないか、という点である。
そして、この映画最大の問題点は同年に「怪物」という名作が公開されている事だ。
いのちのかたちが違う
誰も一人でないと良いね。
あっちゃいけない感情なんてこの世にない。
普通でないと自認する人たちの何気ない言葉がドーンと響きました。
何となく昔から「普通」という言葉が好きではない私には心地よい映画でした。
常識・既成概念で差別する「普通の人々」
原作を読んでないからあくまでも映画からの印象ですが。
ガッキーと磯村勇斗くんの「水フェチ」は、ある種の性的マイノリティであり、と同時に誰にも理解されない孤独に悩む人間。
彼らが、自分を理解してくれる人と共にいたいという感覚を表現したものとして、『流浪の月』に近い内容でありました。
ただ、『流浪~』と違うのは、主人公が被害者・容疑者側(ガッキーたち)ではなく、吾郎ちゃん演じる検事の寺井なんですよね(クレジットの順番的に)。
この検事を通して、常識・既成概念と言われる一般性にがんじがらめになっていることに自覚がなく、自分の考えと違うもの全てを「嘘」「まやかし」と切り捨て、理解しようとしない、「普通」の人間を描くことが主眼なのかと。
「普通」って実は、最も他人を理解しようとしない概念と思考法ではないか?
「他人の自分との違いを知ろうともしない」態度を、「常識」「普通」「良識」だとするなら、家族という一番近い存在すら理解できず、失うことになる。
この「普通」の残酷さ、無能さ、許容力の無さにより、世の中の不幸を招いているのではないかという提示をしているように思えました。
さらに踏み込んで、(ベストセラーとして話題になったときに目に入った書評で触れていた)容疑段階で佳道(磯村勇斗)を関係のないネットやマスコミが叩く、検事側に立った「正義の娯楽」をする人の悪意までを描くかといえば、それはなく。
たぶん、俳優陣からいって、マイルドな表現にしつつ、その「人の愚かさ」を一人に託したのかなと。
結果……
映画賞狙いっぽくて、エンタメからは遠い感じの"文芸作品"臭が強かった印象。
海外、特にフランスとかには受けそう。
付け加えると、不機嫌で無愛想なキャラなので、起用した意味がないだろう、どうなるんだろうかと思いきや、後半で横浜に移ってからはもうガッキーの美しさ全開。
その点は安心して観にいってもらえればと。
多様性と性欲と正しさと
まず原作は未読です。
多様性が叫ばれるなか、マイノリティが如何に「普通」という概念と向き合う息苦しさを描いた……最近はなどと書かれるのでしょう。
しかし、この物語の登場人物たちは「普通」に適応しているように見せて暮らしている『MIB』の「宇宙人」のように描かれます。
その戦わなければいけない「普通」は年齢の普通、地方都市の普通、学校の普通、職場の普通など様々な「普通」が壁となり立ち塞がる。
その対局として徹底的に社会常識と「普通」の守護者として稲垣吾郎演じる寺井。
『MIB』で行ったらエージェント側。
しかし、信じる普通を突き進むあまり破滅に向かう家庭。
仮初めの夫を同好の士として信じて待つといった新垣結衣演じる夏月。
「あなたはどっちが幸せに見える?」と喉元に刃物を突き付けられた様な作品でした。
個人的にはR-18にしてもっと全てをエロティックに描いても良かった気がします。
興行を考えると全年齢をにしなければなかったのでしょうし、俳優陣がR-18では無理だったでしょう。
ただもっと突っ込んで深く登場人物たちを絵描けたと感じました。
久々の邦画でしたが、個人的には好きなテイストでした。
またヨーロッパ受けしそうだなぁ……などと思いながら、観終わった後、喉に魚の小骨が引っ掛かったような気分のまま帰路につきました。
いのちの形
原作者の朝井リョウはやはり着眼点が凄いと常々感心させられる。
世の中は少しずつ多様性を認める風潮にはなってきたが、本当に万人が生きやすいと思える環境にはまだなっていない。
どこか形だけの、よそよそしさを感じさせる包容力を持った社会。
本当に皆が多様性を受け入れているのか。形だけ理解しようとしているだけではないのか。
この作品はそんな世の中の違和感やひずみのようなものを上手く捉えている。
と同時に、時代が変わっても決して受け入れられないような部分も人間にはあるのだと教えてくれる。
人は誰しも多かれ少なかれ秘密を持って生きているとは思うが、特に特殊な性癖やフェティシズムは隠しておきたいと思うだろう。
誰からも理解されることはない。
どころか知られた途端に誹謗中傷を受けるような。
どうして自分だけがこんな生きづらさを感じなければならないのだろう。
どうして自分はこんなに孤独なのだろう。
世界が全て敵だと思い、心を閉ざして生きてきた、そんな人の前に、もし自分と同じ趣向を持った人物が現れたら。
自分はこの世界に居ても良いのだと肯定された時、人は世界と繋がることが出来る。
その形は様々だ。
夏月が発した命の形が違うという言葉がとても印象的だったが、形は違っても自分と似た命を持った人間は必ず存在する。
画面を通して息苦しい生き方しか選べなかった人たちの、世界と繋がった瞬間の喜びが痛いほどに伝わってきた。
同時にその息苦しさを理解しようとしない無神経な人たちが放つ言葉に傷つけられる彼らの心の痛みも。
検察官の寺井が不登校の息子に、逃げると生きづらいままだと突き放す場面が印象的だったが、彼の言葉は正論のように聞こえるだけで、自分の生き方を肯定したいだけの言い訳にも聞こえる。
何故なら逃げずに立ち向かっても、生きづらさを感じている人はたくさんいるからだ。
実は普通に楽しそうに暮らしている人も、そのように見えているだけかもしれない。
自分は幸せだと思いたがっているだけかもしれない。
だから、自分よりも不幸そうな人を見つけて、善意のふりをして悪意をぶつける人がいるのだろう。
普通とは何か、まともとは何か。
その境目はどこにあるのか。
観ていて色々と考えさせられ、苦しくなる場面もあった。
そして寺井が言うように、社会には本当にヤバい奴がいるのだということも事実なのだと思った。
夏月や佳道や大也や八重子の、息苦しさを感じる彼らの虚ろな目と、それでも世界と繋がろうと賢明に生きる姿が強く印象に残った。
どんな欲があってもいい、公共の福祉に反しない限り。
寺井夫妻の紛争は、世の子どものいる家庭では、あるあるかと思います。
うちも、ありました。
どちらも、子どもの今と将来を想ってなのですが、そもそも前提条件が違うから、コミュニケーションがかみ合わない。
家族だから分かり合えるという幻想がマイナスに作用して、壊れるところまで行っちゃいましたね。
2人が一番大切な息子君の将来が心配です。
人生のかなり早い段階で、人と人とは分かり合えないと諦めた私としては、夏月と佳道のあり方は、ほほえましく、羨ましかったです。
同じ星の人に出会えてよかったね。
いつまでも、お互いにいなくならないで欲しいです。
一番胸糞悪かったのは、少年を買春する教師 矢田部さん。
男の人って、性欲?征服欲?みたいなものに振り回される生き物なのかなーとゲンナリ。
ジャニーさんもこんな感じだったのかなと思うと、ホントに気分が悪くなりました。
無知に付け込んでの搾取は、大人が子どもにすることではありません。
そして、私が一番頑張ったねと言いたいのは、女子大生の神戸ちゃん。
盛大な告白は空振りになったけれど、彼女が大きく変わるきっかけになったんじゃないかな。
一番心が動いたシーンでした、若いっていいな~。
監督の岸さん、「前科者」の人だったんですね!
重いテーマを扱うも、ほの明るいラストを用意してくれるので、救われます。
次作も楽しみにしています(*^-^*)
欲とは…
色々と語れるほど見解は持っていないが、常識とは、普通とは何か?よく良く考えさせられた…。
がしかし、原作は読んでいないが、物語として あの終わり方は余韻を残して観客に考えさせているのか?物足りない気もした。
敢えて言えば、自分は普通の部類だと思うが、最後にガッキーが言った『居なくならないから』というのは、どんな人にせよ、必要な(言われたい)言葉だと感じた。
”寺井が最初に置かれた理由について”
映画のエンドロールにせよ、食品の原材料名にせよ、説明の最初に置かれている名前がメインであると思う。今回エンドロールで最初に書かれていた名前は、「稲垣 吾郎 寺井 啓喜」であった。
それを見て、違和感を感じた。メインは桐生 夏月(新垣 結衣)でないのかと。寺井が最初に置かれた理由。そのことについて考えてみたいと思う。
稲垣が演じる寺井は、はじめから最後まで自分の常識に当てはまらない人間に対して、理解を示さない人物として描かれる。
映画を見終わって、自分は寺井に対して嫌悪感を抱いていた。もう少し歩み寄ればいいのにと。ただ、自分も歩み寄れているのかと疑ってみると、どこか、表面上で価値観を認めようと口ばかりで言っているだけになっているのではないだろうか。
本当に、自分と全く異なる価値観を持つ人を目の前にした時、その価値観を受け入れるこは出来るのだろうか。多かれ少なかれ、自分は寺井の側面を持っているのではないだろうか。
最も自分と照らし合わせて振り返るべき存在は、寺井であるからこそ、最初に書かれていたのではないかと考えた。
考えさせられる映画で、非常に満足できる内容であった。
原作既読
と、言いつつ、ちょっとストーリー、忘れてしまってたのですが、あ、そうだった!思い出した次第。
私は、ゴローちゃん演じる検事にも共感できるし、ガッキーにも、磯村くんにも、共感できました。
フェチとゆうか、性的嗜好に目が向きがちですが、それは飽くまで一つのたとえであって
自分が正しいと思う世界が全てではないよ、というメッセージだと受け取りました。
無意識的にも社会のマジョリティと思ってるのか否か、明日も生きたいと思っているのか否か、によって、感じるものは違うかもなと思いました。
ダイバーシティって、色々矛盾もはらんでるし、難しいと改めて自覚する映画でした。
女子大生役の東野綾香さん良いですね
予告編を3回くらい見ていたから、もっとすごいのを期待してしまっていたかな。予告のガッキーのセリフがほぼラストシーンだったとは。
でもさらに後のセリフが良いですね。稲垣吾郎の奥さんはいなくなったけど彼と分かり合うガッキーはいなくならないね。
その後の捜査でスマホやパソコンの解析して犯罪に絡んでないことが証明されて彼は戻って来れると私は信じます。
この人たちのフェティシズムがただの趣味の範疇ではなくもっと深刻なんですよという事はベッドシーン?のおかげでよく伝わった。冒頭の新聞記事から始まって、なかなか想像がつかない世界をわかりやすく説明してくれてた。
でも人が絡まない性的嗜好だと被害者がいないから、そこまで深刻になるかなあ?と思ってしまった私はまだ理解が足らないのかな。
相当昔の話ですがダウンタウンの出てるテレビ番組で「夫が私の目でしかイカないんです」という視聴者電話相談があって結構衝撃を受けて、あれが私にとって「観る前の自分には戻れない」(予告編のキャッチコピー)だったかもしれない。中ではイケなくて毎回目に押し付けてイク男性。奥さんはまつ毛がこすれてなくなりそう。電話がヤラセじゃなければ、ですけど。
東野綾香さんを初めて見たのですが演技といいヒラメ顔好きということもあり今後が楽しみです。
周りに理解してもらえづらい人たち同士が、 出会って、気持ちが通じ合...
周りに理解してもらえづらい人たち同士が、
出会って、気持ちが通じ合えて、
って、素敵ですね
わかってるつもりがわかってないことを知る
性欲について話すことは暗黙の了解でなんとなくタブーと思っていた
だから特殊な嗜好性があっても他人にバレなければそこまで苦しまなくてもと
思ったのですが
登場人物は人に欲情しない、水に反応する人たちで
それぞれの社会状況で苦しみながら生きている
それが死を考えるほどのことなのだと、そこまでの何が問題なのかわからなかった
人と自分は違うという思いと、一般的な人の体験談に全く共感できないことが
ここまでの孤独感を生むとは思わなかった
私がいかに無意識の連帯感の後ろ盾でいわゆる普通に生きてるのか考えた
性格的な面で言って細かく言えば誰でも他人と自分に違いなんて山ほどあるのだが・・・
映画の中では
性のことは逆に表立って他人に話さないから隠しやすいと思ったりするのと同時に
性は根源的な欲だから、ここが大きくずれて共感できる人がいないからあそこまで追い込まれるのか
変わった嗜好性が強い人には何らかの対処法があったほうが良いだろうし
今はSNSがあるのでそれが救いだなと
ただ心配してた通り、結末は後味悪く、こういう人がいてそうなるよねっていう
最後の子どもの目にカメラが寄っていって、それが怖かった
嗜好性の境目の難しさ
欲の止め方
解消法
結局、人は誰かと寄り添わないと生きてる意味ってないのかもしれない
パートナーという意味でなくても、理解者の気配を感じるだけでも
踏ん張れるのかもしれない
もし理解者が親だったとしても主人公のガッキーはあそこまで孤独だったのでしょうか
誰かがわかってくれたら良いということでないのか
その性的嗜好を他人が理解してくれているということに孤独を消せるのか
理解と想像力
色んな人がいることをわかっているようでわかっていないことを
考えさせられた作品でした
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