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「映画監督です」と自分を紹介するときは、いつもちょっと誇らしげ。だって聞こえはいいもの。クリエイティビティな感じもバンバンするし。
しかし、実際は「こうすれば成功できる」「映画監督でやっていけるようになる」という道筋や雛形やロールモデルが全くない職業なのだ。それは渡辺のようにある程度有名な賞を獲った者でも同じ。「映画を撮ってくれ」という依頼がほうっておいても向こうからやってくる、というようには全然ならない。ようやく「来たっ!」と思ったら、金満社長の勘違い自分礼賛ムービーの制作依頼。。そりゃ脚本も書けんわ。。
途中からは、新しい映画を撮るんじゃなくて、今まで撮った映画を上映してくれる映画館を探す旅に方向性チェンジ。でも、ここでもなかなか上映してくれるところが見つからない。(貸切10万円なら上映させてくれるところはあったけれど。お金払って上映してもらうのね。。) 豊岡でようやくみつかったと思ったら、チラシ2千枚の配布と、500枚の前売り券を自ら捌かないといけないことに。そんな田舎で土地勘のないものが当然捌けるはずもなく、観客は一桁。最終日の監督の舞台挨拶は無人の座席群に向かって挨拶することに。(これほんと見ててツラかった。。。でもこれミニシアターあるあるで、よく監督の舞台挨拶の回と出くわすが観客が5人もいないときは結構ある。そんな時はこちらも少しいたたまれなくなる。。)
所々で差し込まれる砂漠を歩くシーン、最後の雪原を歩くシーンは、道標のない茫漠としたクリエイティブの世界を職業にする者を表しているのか?
女性は何? クリエィティブに携わる者の現実逃避からくる脳内麻薬が見せるもの?
母なるものに救いを求めている? 世の中に認められなくても君さえいれば?
あー、これこそ監督の舞台挨拶のときに質問したい!
北海道の裏河であのようになるのは、どういう意味なんだろう。
そういえばその場所にだけあの女性が出てこなかった。
クリエイティブを捨てたから出てこなくなったのか。
※エンドロールのミニシアターへのインタビュー素晴らしい。(別番組だった。)
・サブスク映画は観るのを簡単にやめたりできるが、映画館は拘束されるので最後まで観る。それで作品の良さに気づくことができる。
・コロナも悪いことばかりではなかった。支えられていることに気づくことができた。
・映画館は知らない人と作品を共有する。それがいい。
・映画館は非日常な空間。
※2人で踊っているシーンはなんだか楽しかった。(渡辺の表情と体型がたまらん)