イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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芸術家のエゴ:コルムが監督の言いたいことを代弁していると思う。
これだけ深くて幅広い見解の映画は久しぶりだ。監督が我々に幾重にも問題意識を与え、監督の見解がコルム(ブレンダン・グリーソン)を通して現れているように思う。なぜこの三人三様の登場人物が必要だったんだろう。この三人がどう監督の主題に結びついていくのだろう。監督の言いたいことはなんなんだろう?と考えてみた。芸術(コルムは音楽、監督は映画)は批判、爆発的なもの、悲劇、不確かなもの、奇妙なこと(ここではバンシー)など
を加えて、一つの作品に仕上げることができ、それがコルムの言葉を借りると、50年よりも先まで賛美されるようなものを作り上げることできるようになるということだ。それは例えば、指を切り、それらをパードリック(コリン・ファレル)の家のドアに叩きつけたり、気の弱そうな無知なパードリックに意味もなく絶交をしたりする。そして、それにパードリックのドンキー、ジェニーがコルムの指を食べて死ぬようなブラック・ジョークも加える。芸術家の仕事の出来具合は、賞を取ったという形だけでなく、人々が作品にどんな形で感動して覚えていてくれるかによると監督もコルムも思っているようだ。それが名作として歴史に残り、名をなす。それに、コルムや監督からしてみると、ここでの主役パードリックの存在は重要で、芸術上『言い訳』のように利用していると思う。パードリックを主役にして同情が集まるようにすることも、登場人物を複雑に噛み合わせる手法ではないか。つまり、芸術に対する創造力を見せるためパードリックをコルムと比較する存在として利用したということだ。確かに、音楽、詩、絵画などの芸術は永遠のものだ。今だって18世紀のモーツアルトを奏でているからね。パードリックの無知や戦争は全ての芸術を破壊する。コルムが「私のことは50年経っても誰も覚えていない。でも、芸術は50年経っても人々に残るもの」と。監督もそういう作品を作りたいのではないか。ここに監督の主題があるのではないか?
主題に付属するように副題として、島国の小心者、パードリックと芸術家で教養のあるコルムとパードリックの妹で、島でのやっかいに見切りをつけるシボーン(ケリー・コンドン)の三人はそれぞれの生き方を選択肢として我々に提示してくれている。それに、コルムとパードリック(敵対する同じ民族を象徴)の二人の状態はあたかもアイルランド内戦を象徴するかのように。タイトルのバンシーは大声を出して死を予告するアラーム(ドミニックの死)だ。二人はこの死(内戦)を避けているように映画でセットされているこれは死(内戦)を免れているが、犠牲になった人はドミニックである。アイルランドの内戦、また戦争における犠牲者は一般市民ドミニックのような人。
テーマの多い作品だね。ーー(レビューのまとめ)
余録
下記は私の心の動きを書いたまでだ。
パードリック(コリン・ファレル)がコルム(ブレンダン・グリーソン)に何かしたならしたって言ってくれ、子供のようだよと問いつめているのを見ながら、なぜコルムが急激に変化して行ったのかが気になった。昨日まで友達だったんじゃないの?パードリックは何もしてなさそうじゃないか?今までのように話せよと思った。真面目そうなパードリックを見ていると友達を失ってしまったことを悩んでいるので気の毒になった。
隣人ドミニク(バリー・コーガン)がパードリックに妹シボーン(ケリー・コンドン)の裸を見たことがあるか聞くシーンがあるが、パードリックはないと言い、妹は本を読んでいると言った。この辺から、ドミニックは読書は別世界と思っていそうだし、パードリックもコルムのこともあるが、妹の趣味にも噛み合わなさをみせる。
1923年、4月....
妹がパードリックに「一人で寂しくなったことがあるか」とか、「今悲しい本を読んでいるんだ」とか言うとパードリックの答えは妹の感性と噛み合わないのがよくわかる。パードリックは妹のレベルで物事を考えられない。でも、優しくて人が良くて誰にでも声をかけるんだよ。
私は何か合点がいかず、変だな変だなと思っているうちに、コルムも妹が感じているフラストレーションを持っているとわかる。妹の場合は無知な兄のことをよく理解しているようだ。しかし、コルムがパードリックのことを『dull』 といって、「わかるだろう?」というがパードリックの妹、は返事をせずバーを飛び出す。賢い妹のシボーンはこれで何が起きたかを理解する。
コルムの部屋はパードリックの部屋の内装とは違って、蓄音機、マスク、能面のようなものが飾ってある。当時としては芸術のセンスがあるようだ。音楽の才能もあるし作曲もする。バーで歌ったり、演奏することにより、村の人々を楽しませることができる。芸術家で、彼は自分の才能を謳歌させたいようだし、内戦状態でいつ自分の住んでいる島にも波及するかもしれないという緊迫感から、老い先短い、今を生きようとしているのかもしれないと思った。
コルムとパードリックの会話は、目的のない会話(aimless chatting)と普通の会話(normal chatting) と説明されてる。これはコルムの言葉だと記憶する。才能がある人は自分の人生で毎日お茶飲み友達がするような『目的のない会話』を楽しむ気持ちがないんだね。二人の価値観は全く違う。二人の人間性をそれぞれに動物を使って例えている。
パードリックはジェニー(ドンキー)とコルムはサミー(いぬ)、この比喩表現で二人の違いを表しているのは明らかだ。
しかし、狭い島国での世界で何を言ってるのと、納得して初めは見ていた。ケン・ローチの「ジミー、野を駆ける伝説(2014)」のようで、島国の人々の人間性を変えるのは難しいなとも思った。それに、徐々にパードリックの執拗さにもうんざりしてきた。あの多弁なコリン・ファレルが太い眉を上げ下げして真剣に悩んでいる演技が本当に上手に見えた。
また、コルムが指を切ってドアに投げつけるなどと衝撃的で、話が異様な展開になっていく。冗談っぽくも聞こえたが、真剣そのもののようにも思えた。また、ジェニーがコルムの指を食べて死ぬなんていう冗談にも疲れてきた。それに,老女、マコーミック(バンシー:シーラ・フリットン)が現れて、人に死を予告するし、薄気味悪くて興醒めした。
自問自答だが、あくまでも私感である。
1)このストーリーが2023年代のアイルランドとどう関わってくるか?
最後、海辺でアイルランド本土を見ながらコルムがパードリックのジェニーに同情する言葉。また友達になろうというような言葉の自己満足さ。これをアイルランドの内戦に例えていると思った。コルム「戦争は終わるだろう」パードリック「また、すぐ始まるよ。でも、何か先に進んでいることがあるよ。それはいいことだね。」二人は停戦のようだが、個人の喧嘩はいつまた起きてもおかしくない、戦争のように。この二人の喧嘩はアイルランド内戦と同じで少しはよくなるが続くだろう(北アイルランド[UK}とアイルランドの問題はずうっと続くわけだから)とパードリックが二人をアイルランドとの関係に例えている。このシーンはパードリック考えているので賢そうに見えた。(You don't thinkじゃない)
2)閉鎖的な島国で生きてきた人間、パードリック、コルム、シボーンという三人を登場させた監督の意図は何?島国で生きていく代表的な人々の縮図かもしれない。
パードリックのように人間、自然、動物との交わりに感謝して生きてきた人間。退屈そうだけど、この島で生きている(しか生きていけない)人。
コルムのように島に生きていても、何かを学び取ることができる人。芸術一般を愛し、作曲、指揮などまでして、自分の教養を高める(高めたい)人間。意固地になり、自分に満足がいくまで突き進む人間。許容はなく、すべての指を切り落とし、満足感に浸るまで、自己を追い詰め表現する。そして、一番最後のシーンでもわかるように、彼にはまだ声が残っているというのを見せるかのようにコルムは歌い出す。これでこの映画の話は終わる。複雑で狂気的な心境はまさに理解できないが、奇行、モーツアルトや聴覚障害者、ベートーベンなどと同じようだ。ベートーベンは耳が聞こえなくても作曲し指揮をした。モーツアルトの人間性も異常なところがあった。またはゴッホが片耳を切り落としたというように究極にむかっていくおそろしさ。それに、コルムの指を切り落とす言動や行為から村人に衝撃や不快感を与えるという、薄気味の悪さ。例えば、モーツァルトの狂気状態をコルムが代弁していると思わせる。これは芸術家の究極的な満足感?指がなくても、指揮ができる。歌える。
シボーンのように問題意識があり、島国での生き方や、関わり方に嫌気がさして新天地に向かう人間。Island Fever (Cabin Fever)のようなもので、閉鎖的な環境では窒息しそうになるから出ていく。
余録:バンシーという悲劇的な伝説との関わり。私の生徒にアイルランド人がいたので、バンシーの昔話を聞いてみた。色いろな説があるらしいが、黒か緑のような服を着て髪を長くした老女。そして、大声で叫び人の死を予告する。
神話では戦争の神でもあるらしい。老女、マコーミック(バンシー:シーラ・フリットン)はここでその役をする。
純真な「愚者」の心に、怒りを呼び覚ました「賢者」の振る舞いもまた愚か
1923年。 アイルランド本島では内戦が。 砲撃の音は島まで届く。 しかしイニシェリン島は差し迫った戦闘はない。 その島の牧畜家の中年男2人。 長年の親友コルムから突然絶縁を言い渡されたバードリック。 あまりのことに戸惑い、その事実を受け入れられない。 第一自分の何がそんなにコルムを怒らせてるのか? 考えても思いつかないのだ。 不条理劇のようでした。 監督はアイルランドが出自の劇作家でもあるマーティン・マクドナー。 2人はなぜ憎み合うようになるのか? アイルランドの宗教対立が頭を横切ったり、 対話さえの拒絶する頑なさ、 和解を阻むものの正体がつかめない。 ただただ善良で退屈でお喋りな男パードリック(コリン・ファレル) 理由を言わずにただただ拒絶するコルム(ブレンダン・グリーソン) コレルの拒絶は度を超えている。 バードリックが一回話しかけるごとに、自分の指を切り落とす。 そう宣言すると、コレルは実際に指を切り落とす。 狂っている・・・ そう、決め付けるのは簡単だが、実際にこんな理不尽な報復が 無いわけでは無い。 まぁ殆どは相手の指を斬り落とす。 (自分の指は切り落とさないと思う) コルムの狂気が、バードリックにも連鎖する。 愛するロバのジェニーがコルムの切り落とした指を食べて、 喉に詰まらせて死ぬ。 もう善良で気の良いバードリックの面影はない。 ジェニーの報復に目を血走らせて向かう先は? 《映画の独創性極まりないストーリーの面白さに身震いした。》 私の中では10本の指に入る名作だ。 中年男の対立。 それだけでこれだけ多くの事が語れる。 謂れの無い拒絶からの諍い。 まるで戦争の要因を見るようでもあり、 宗教的対立からの《報復》 そしてどこまでも遠い《和解》 難しくて理解はできないけれど、対立とか憎しみ、 そしてはじまる戦争。 あるいは母親が子供を殺し、息子が父親を殺すような、 ギリシャ悲劇でも見ているようだった。 イニシェリン島はあまりにも美しい。 モーツアルトを熱愛するコルムの演奏するヴァイオリン曲。 ラストに流れる澄んだ女声のアイルランド古謡、 みんな美しい。 「この島に退屈以外の何を求めるのか?」 バードリックの妹のシボーン(ケリー・コンドン)は言う。 「人生に退屈以外の何を求めるのか?」 「人生は死ぬまでの暇つぶし」 などの問いかけがなされている。 そしてパードリックとコルムの決着はあまりに苦く、 和解には程遠く、パードリックの傷は簡単には癒えそうにもない。 そしてコルムの怒りの理由が今分かった。 馬糞の話で2時間も浪費するパードリックに、生い先短いと自覚した コルムは耐えられなくなったのだ。 寛容を失ったコルム。 音楽を愛し仲間を持つコルム。 対するパードリックはコルム以外に親友はいなかった。 悲しさと孤独がパードリックを包む。 コリン・ファレル。 コリンと言えばコリン・ファースと思っていたが、 近年のコリン・ファレルの作品チョイスには驚かされる。 今作の監督・脚本のマーティン・マクドナーと組んだ 「ヒットマンズ・レクイエム」(ブレンダン・フレーザーと共に主演)は、 以前に観ました。 2人の殺し屋が、仕事(殺し)に悩む話し。 ファレルは「ロブスター」のヨルゴス・ランティモス監督作に主演した頃から 作家性の強い作品に出演しはじめる。 同監督の「聖なる鹿殺し」も面白かった。 コゴナダ監督作の「アフターヤン」 メジャー作品にも出演しつつ個性豊かなアート作品に進んで参加。 今後の出演作にもますます注目だ。
アカデミー賞は残念でした
親友同士の断絶、友情の崩壊がもたらすドラマ・・・興味深い題材ですが、ブレンダングリーソンが自分の手の指を○○するのは、ちょっとやり過ぎというかわからない。そこまでする?みたいな。同じ監督作品としては「スリービルボード」の方が好きです
不思議な映画でした。
爺さんたちの仲違いを描いた映画で、ボーっと観てたらほんとによく分からない映画だと思います。
説明も少く、特にコルムの行動(指切ったり)などがさっぱり分かりませんでした。
寝る前に観たので、もやっとしながら寝ててら明け方に、おーっと突然気が付きました。パードリックも知的障害者だったんですね。
コルムの行動が全て納得行きました。すごく良い人だったんですね。
こう言うじわっと後からくる作品が賞を取るんでしょうね。
すごい重かったし辛かった
タイトルでちょっとしたファンタジーかと思って鑑賞w
でも、おっさん同士の喧嘩からの仲直り感動映画かな?あー、ヒューマンドラマねー、ってなってからの〜終わってみたらアイルランドの内戦描いた映画やん!
結局のところ自分のことしか考えてない結果が招いた争いなのかなと。
コルムも合わないなと感じても言い方とか距離の取り方を間違えなければ芸術に費やす時間だってとれたし、パードリックも嫌がらせやコルムが指を切ることなんてなかった。それに周りの人達もただ傍観せず仲裁に入ったりしていれば、結果は全然変わっていた。
そしてやられたらやり返す。どちらかが死ぬまで終わらない。
永遠に続く復讐劇。
相手を思いやる気持ちを常に持って行動すれば戦争は起こらないのかな。
とにかく終わってからも、なんかずっとモヤモヤ考えさせられる映画やった。
ってか、ジェニーが可哀想やった😭😭😭
なんで面白いんだろう。
とても面白かった。 冒頭から突然始まる男同士の口喧嘩。 意固地になって、 簡単なはずのケンカはどんどん大事に。 こうやって人間は愚かしい争いをして行くんですよ。 と言う事なのか。 側から見たら馬鹿馬鹿しく、 妹だけが俯瞰で見れてたのだと思う。 兄の事を馬鹿にしてるけど貴方も相当な馬鹿よ、と。 静かな映画なんだけど、 クスッと笑える台詞や、 怪しい雰囲気、 ホラーな描写と飽きさせずに見せてくれる。 ただ、やってる事は中2の男子。 まるで自分のことのようだった。 遠ざけられると近づいて行く、 ほっときゃ良いのに気になって行く。 コリンファレルはまさに僕だった。
おっさん二人の仲違いの話で終わらない。
不思議な映画です。 おっさん二人の仲違いの話です。 でも引き込まれます。 アイルランドの内戦が本土で行われていて イニシェリン島でも同様のことが二人で行われていました。 ストーリーは島の中だけで進んでいき 世間から隔離された場所での出来事だけ。 島から出られない住人ばかりでコミュニティを形成する。 すごく小さい話ですが、住人にとっては大きな話でした。
コメディっぽく進むのかと思ったらほぼホラー
親友に「お前と話すのは退屈だから喋りかけるな」と言われたおじさんの話。 序盤は「俺よりあいつの方が馬鹿だよな」とかコメディっぽかったのに、親友の決意が狂気的で中盤以降はほぼホラー。 コルムが本当に賢いのなら、そもそもそんなこと言ったらどうなるかぐらいわかりそうなものだし、島を出ていかないのも謎。島の住民も途中から二人を放置しているようで、狂気に拍車をかける。 アイルランド本島の内戦と併せて、どこでも諍いは起こるといいたいのかもしれないけど、ちょっとコルムの行動が理解できない。喋りかけるなと言って完全無視するでもなく、手助けするようなところもあったし、最後も主人公を気遣うような部分もあった。 もうちょっと言動が一致したキャラにしてくれればよかったと思う。
コミュニティの中で起こりそうな出来事をラディカルに描いた
ずっと同じコミュニティの中にいると、たまにその関係性に面倒さを覚え距離を起きたくなることはあるだろうし、逆に距離を置かれてしまうことで生じる疎外感も共感できる。一方で、作中でのその距離の置き方や疎外感への対処がラディカルすぎて衝撃的で、共感と衝撃がバランスよく?演出された作品である。
面白かった
後味の悪さをゴールとして作られた作品だが、この内容なら勧善懲悪の方が私はスッキリした。
それはおそらくブレンダングリーソン演じるコルムの役どころが、作中の騒動の大半の原因を占めているところにある。
劇中でもコルムに対して「12歳のガキ」「イカれてる」などと冗談めかして揶揄している場面があったが、残念ながら揶揄でもなんでもなく、その両方とも正しい評価であることがまたなんとも言えない。
正直この映画の好ましくなかった点は、ほとんどコルムというキャラが一人出しゃばってしまっているところにある。
それ以外は全体的に良かった。
以下、好ましかった点と好ましくなかった点。
好ましい点
・ケリーコンドン、コリンファレルの演技
ケリーコンドン演じるシボーンは、小さな島で狭量な兄や島民に囲まれる、孤独感の強い女性である。
ややヒステリックで感情の振れ幅が大きいケリーコンドンの演技は、如何にも「田舎の独り者の女性」といった雰囲気で、シボーンというキャラクター性に非常に説得力と存在感があった。
コリンファレルの演技もまた素晴らしい。
顔立ちがやや精悍過ぎるせいか、あまりアホっぽく見えないのが残念だが、持ち前の演技力で、朴訥で脳みそが足らない中年男性を見事に演じきっている。
中盤で警官から殴られた帰り道、情けなさが急に湧き上がるように涙を流す場面は、あまりにも痛々しくて最高だった。
・舞台背景に沿った脚本
本土で内戦中のアイルランドと、島での小さな諍いという対比が、劇中において皮肉の効いたスパイスとなっている。
内戦が終わると同時に、パードリックとコルムの諍いが殺し合いに発展する事を匂わせるオチも、非常にアイロニーに満ちている。
「俺たちの戦いはこれからだ^^」と、打ち切り少年漫画のテロップを貼っても違和感がないくらいには、後味の悪さを残せたのではないか。
好ましくない点
・バンシーという存在を活かしきれてない
この映画はバンシーという人の死を予告する精霊をモチーフに描いた作品のはずだが、肝心の死の予告という設定がイマイチ弱い気がする。
カルトじみたBBAが、「今夜二人死ぬお^^」と根拠のない妄言を吐くだけで、誰も以後その事について触れない上に、肝心の予告も当然の如くハズレ。
「何故外れたか明日までに考えてきてください^^」と言わんばかりのオチだが、正直考察して作品の見方がガラリと変わるほどの設定でもないと感じる。
劇中で「誰が死ぬんだろう?」の疑問を観客に植え付ける以上の働きをしていないのが、とても残念だった。
・コルムの言動の破綻
この作品における騒動の原因の8割が、ブレンダングリーソン演じるコルムという男にある。
おそらく製作陣は騒動の原因をコルムとパードリックで5:5くらいの割合にして、どっちもどっち論に持ち込むつもりだったのだろうが、あまりにもコルムのキャラがぶっ飛び過ぎていて、どう見てもパードリックに同じだけの責任があるように見えない。
創作の為に人を遠ざける…ここまでは理解できるが、何故か彼は島を出ていくという選択肢を取らない…これが最大の疑問であった。
内戦で本土に行き辛いというのもあるだろうが、シボーンが最終的に島を出ている以上、指を切り落とすほどの覚悟(笑)を見せたコルムが、島を出ていかないというのはおかしい。
本土には島に来ていた音大生のような、芸術的な人間(笑)が大勢いるだろう。
何故本土に出向かないのか。
フィドルの為にフィドル奏者の命である手の指を切り落とすというのも、もはやギャグにしか見えない。
あまりにも気狂いなコルムの言動が、製作陣が意図した物語の方向性を、ブラしているように感じ取れてしまった。
いったい、何がしたかったのか?
結局、どちらもいい人で、それなのに一体何をしたかったのか、さっぱりわからん。 たしかに腹の立つところはあるにしても。 もう、縁を切りたいと思うほど、鼻につくところがあったにしても。 話し合うとか、言葉で伝えるとか、手紙とか、仲裁者入れるとか? 他にやりようがあったでしょ。 イニシェリン島という、特殊な環境が、人々を追い詰めるのか。 人生に絶望したからといって、独りよがりな行動はどうなんだろ? 12歳か! ホントに、それ。
愚かなロバと賢いイヌ
時は1923年、内戦が起こっていたアイルランドの孤島、イニシェリン島。 島に住むパードリックはある日突然、友人のコルムから絶交されてしまう。 思い当たる節がなく納得のいかないパードリックは、コルムに理由を尋ね続けるが、コルムの拒否反応は次第に過激さを増していき… 友情とは何なのか考えさせられた。 婚姻関係や血縁関係と違って、何か明確な繋がりがあるわけではない。 友情ほど強い絆はないが、友情ほど儚いものもない。 強くも弱いその糸は明日には切れているかもしれない。 そんなことを考えてしまった。 コルムがなぜあそこまでパードリックを避け始めたのか。 結局のところはっきりとは分からなかったが、決して分からないこともない。 自分の指を切り落とし相手の家のドアに投げつける。 何故だか他人事として片付けられない。 1人だと寂しいけれどずっといると鬱陶しい。 かまって欲しいような、1人にして欲しいような。 好きだけど嫌い。嫌いだけど好き。 友情とはそういうものなのかもしれない。 舞台となったアイルランドのイニシュモア島とアキル島の自然は本当に美しいし、名優たちの会話劇も素晴らしいが、好きな人は好きだろうなという感じ。 なにしろ難解で静かな映画なので、深めたいけれどまた観たいかと言われたら微妙。 みんな大好きコリン・ファレルのハの字眉毛はまた観たいけど。 バリー・コーガンも加わって、聖なる鹿殺しならぬ聖なる〇〇殺しが行われる。 アカデミーは残念でした……
「意味」と「退屈」の終わりのない内戦
この映画がここまで私の心に触れるとは思っていなかった。最近、人生の意味について考えることが多いからであろう。恐ろしい映画である。
冒頭の見たこともないような美しい景色。「こんなところで住んでみたいな〜」って思うのも束の間、現代人には死ぬほど「退屈」な生活であることが分かる。
自分の「人生の意味」を求めて友人は別の道を歩もうとする。それはかつての友との絶交という過激なものであった。人生についての「意味」「向上」「変化」という新たな思想が、ときに退屈かも知れないが「良き人であれ」という旧い価値観と対立する。
観ていると、我々の住む情報化社会がいかに「退屈」から遠ざかっているか、むしろ「退屈」を悪しき価値としているか、そして人生に「意味」を求めずにはいられないものであるかに気付く。これには「新規さ」「変化」「向上」という変革に付随する価値も含まれている。郵便局を営む中年女性が求めるのはニュース(新しいもの)という刺激である。中身は問わない。むしろ悲惨であるほどいい。姉は「変化」を求め、コルムは「向上」と「意味」の追求に囚われている。
それに対して数少ない村に残っている若者としての主人公パードリックは、愚鈍極まりないキャラクターとして描かれている。彼は砲弾の音を聞いても興味を示さない。ほとんど取り柄のない男に見え、私はコルムの理屈にいつも納得してしまう。しかしパードリックの執拗とも思える執着心を見るにつけ、彼についてもまた考えさせられるのである。「友情」こそが生きる意味である彼は自身の存在をかけてコルムに迫る。もうストーカーであるマジで。
しかし、これらを観ながら何となくどちらにも共感してくるから不思議である。何故なら私もかつては退屈に耐えられない衝動を抑えられずにそのような(と私が認識した)人を軽んじたこともあった。ときにパードリックは「人間に大切なのは人間関係ではないのか?」と訴えているようにも思える。そのせいか私も誰かとの大切な時間を削っている気がするのも確かである。
鑑賞中に様々な思考が駆け巡る。
唯一パードリックに見せ場があるとすればラストしかない。彼がコルムへの復讐を果たそうとしている時の、彼の表情は凛々しく、その姿を頼もしく思ったのは私だけだろうか?
愚者と賢者のすれ違い、その果てにあるものとはといった様な内容の本作...
愚者と賢者のすれ違い、その果てにあるものとはといった様な内容の本作 淡々とした話運びと先が見えない展開で、最後まで楽しませてもらいました また、芸術や本といった形がある物以外にも時代を超えるものは確かにあるなと再確認させられた、なんともいえない余韻が残りとても良かったです
この島には住めないな
2023年3月9日 映画 #イニシェリン島の精霊 (2022年)鑑賞 アイルランドの雄大な自然を舞台にしながらも、その自然の中に取り残され、何も変わらない日々を送る生活は息が詰まる 対岸の内線の方が生を感じられるのも皮肉なもの #コリン・ファレル と #ブレンダン・グリーソン の名演も凄い
3.6) 孤島のマウント合戦
二人の男の些細な喧嘩がやがて大事になっていく。 アイルランド内戦を遠景にした孤島の物語は、戦争が発生する仕組みをミニマイズする。 このプロット表層だけでも、茫洋な孤島の風景と相まって十分見応えがあるのだが、さらに本作が秀逸なのは、この喧嘩の理由が明らかではないこと。それによって、様々な解釈を可能にしているのだ。鑑賞前は「理由がなくても始まってしまう。それが戦争だよ」というニヒルな語り口を想像していたのだが、読後感はその真逆で、複数の(そしてそのどれもが人間臭い)理由が考えられた。観客に(遠い戦争の話ではなく)自分の物語として持ち帰らせる。そんな緻密な脚本に凄み。早くも年間ベストに入る一本だ。 ★★以下ネタバレ★★ 何通りかの解釈の内、私が感じ(自省した)裏テーマは「知性のマウント合戦」とも言うべき、醜いカーストの存在だ。 妹シボーン>コルム>警官ら島民>主人公>ドミニク の順で「知性のカースト」が無意識に生まれ、みなが下の階層を蔑み「自分は上の人間だ」という行動原理で動いていた。警官が暴力を振るう相手は誰か?が一番わかりやすい例。「気のいい奴」設定の主人公すらドミニクへの接し方は微妙。あれほど狭い島でも、みなカースト上位を目指し下位の人間を遠ざける。 あの島で主人公に優しかったのは、おそらくシボーン、コルム、ドミニクだけ。そして友人とはいえ身内ではないコルムが、遂に耐えられなくなるところから本作が始まっているのではないか。そんな島の煉獄を抜け出したのは誰か?”死の精霊”の予言通りになったのは誰か?残念ながらこのカースト順位の通りになっているのが怖い(あのロバは主人公の身代わりだな)。 海と風と動物たちが、そんなマウント合戦を静かに見守る。 余談: 監督の前作『スリービルボード』は、本作と同じ構造を持ちながら好きになれなかった。その理由は主演の大女優様へのアレルギーと確信した。そういえば彼女の主演作どれも好きじゃないし。
いにしえっぽいので一周回って差し支えない島名
島に人々が住んでいる。 主人公の男が突然に友人に絶交されて、そこからギクシャクしていく話。 基本的には主人公に同情できる。 一見すると意味不明な内容であるが、戦争を人間に例えて虚しさを表現した作品だと思えばよい。 ややグロ注意。 良い点 ・演奏 ・アドレナリンで痛みがない(戦争) ・誰が死ぬかは分からないが誰かは死ぬ(戦争) ・犬 ・演奏や犬は中立なるものなのだろう 悪い点 ・死因設定が苦しい。誤解ともとれるが区別しづらい。 その他点 ・強要罪、脅迫罪
僕たちの戦争
「何も言っていない、何もしていない。ただ、お前が嫌いになった」 これは...分からんよ。 多分アイルランド人にしか分からないし、少なくとも日本人の理解の範疇を超えている。 純朴は時に罪であり、そして愚かでもある。 生物というものは論理では理解しきれない。
争いの道理を閉鎖的なコミュニティの中に巧みに描き出した、今語るべき、そして観るべき作品。
広大な大地と裏腹な離島という閉鎖的なコミュニティで、憎悪の境い目が曖昧になって行く様を、映画的な緊張を切らすことなく見せきったマクドナーの脚本の構成と的確な演出の手腕が素晴らしい。なにより、現実に世界が紛争に揺れるただ中でこのテーマを語った事に大きな意義がある。 ある日を境に信じて疑わなかった「日常」が、親友の突然の決別で崩壊していく男をコリン・ファレルが感情豊に演じれば、信念を貫く事に人生の意義を見つけた「親友」の男を、ブレンダン・グリーソンが達観した佇まいで存在感を放つ。この二人の動と静の駆け引きが見事にこの作品のサスペンスとなっていて、見応え十分。アイルランドの離島の広大な、しかしどんよりとした環境が、更にその緊張感を増幅させていている。その緊張感に別儀を持たしたケリー・コンドンとバリーコーガンの的確なキャラクター造形も助演として効果的で、一つ一つのピースが理想的なバランスで存在している。 閉鎖的なコミュニティの中に争いの道理を描き出すマクドナーお得意のテーマで、まさに今語るべき、今見るべきという感じ。
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