イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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今までに見たことない復讐エンターテインメント!
東京国際映画祭にて鑑賞。
やられたらやり返すのではなく
やられても、相手にぶつけない
今まで見た復讐エンターテインメントを
大きく外してくる、
報復について深く考えさせられる映画でした。
ウクライナ情勢が叫ばれた2022年の公開に
相応しい時代を象徴する映画だったと思います。
アイルランドのイニシェリン島という
田舎や離島ならではの人間関係の煩わしさ
狭いコミュニティで起こる悪意と連鎖が、
非常によく描かれていました。
この鬱屈とした状況に辟易して島を出る
主人公の妹の気持ちが痛いほどわかります。
日本でも共感する人は多いのではないでしょうか。
日々の鬱憤を他人にぶつけてしまった
自分の中で消化できない
そんな自分と映画の人物を対比させてしまい、
エンドロールのタイミングで、自然と涙が出ました。
アイルランドでは大変評価が高いとのことですが、
派手な演出がなく淡々と展開されるため、
日本では賛否が分かれると思います。
1923年のアイルランド内戦時代を描いたとのことで、
100周年という意味でも今作られるべき映画だと思いました。
アイルランドの美しい風景と現代に通ずる人心の貧しさ
全編を通してアイルランドの美しい風景、歴史ある家屋、文化施設、その一方で描かれる1920年代だが、現代にも通ずる人と人のコミュニケーションの難しさ、そうしたものが描かれてます。背景にはアイルランド独立戦争があり、とても考えさせられました。
自他ともにいい人でいるのは難しい
わかるわー
ワタシなんぞ自分で自分の事を結構いい人だと思っていますが
相当離れていった人が多いもんね。
それにしても島民が自分のことしか考えていない
クズだらけなのは笑いました。
着地点が見えない映画はしんどいけど。
70点
3
MOVIX京都 20230129
凄いものを観てしまった。
向こう岸で起こっている戦争の黒煙と遠い爆発音に悪態をつきながら主人公の廻りで起こる不可解な切れつ、最初は冗談混じりに始まり次第に抜き差しならない状態に、後半大人しい主人公と過激な友人の関係性が逆転していく過程が怖い、色んな比喩が込められた物語に思える主人公と友人のラストでの会話が唯一の救い。
むしろホラー映画
(部分ネタバレ)
民話の宝庫アイルランド。
想像力が豊かなケルト人。
マーティンマクドナー監督の映画を見るとそれが納得できる。
劇作家だったが映画業へ乗り出すと寡作ながら高品質で注目されスリービルボードで時の人になった。
不条理なブラックユーモアと紹介されていて、生ぬるい共鳴をはじき返すようなストーリーをつくりだす。
たとえばスリービルボードで言うと、さいしょ観衆は娘を失ったヘイズ(マクドーマンド)に同情を寄せる。だけど露命のウィロビー署長(ハレルソン)にも同情の余地がある。
生ぬるい共鳴をはじき返す──とは、観衆がシンパシーを寄せる人物が変転したり複合したりするような両義性をもつという意味だ。同様に一元な憎まれ役も存在しない。
そんな善悪の定まらない人物配置を寓話の気配が覆う。
非情であったり残酷であったとしても人の営みを高みから眺めているような滑稽さがある。
イニシェリン島の精霊もそんな話だった。
日本語で精霊というとおとなしい印象だがBansheeは恐ろしい存在らしい。
旧世代で洋楽をかじった人ならSiouxsie And The Bansheesをごぞんじだろう。奇矯な格好で奇声をあげるイメージが残っている。
Bansheeで検索すると、どの画像でも邪教のようなマントを羽織りフードをかぶった女が絶叫している。
『バンシー(英語: banshee、アイルランド語: bean sidhe)は、アイルランドおよびスコットランドに伝わる妖精である。人の死を叫び声で予告するという。』
(ウィキペディア:バンシーより)
映画にもBansheeとおぼしいお婆さんが出てきた。マント姿で水死体を引き寄せる鉤のついた杖を持っている。町民の命運をつかさどる、ありがたくない案内人だった。
イニシェリンには美しい自然が広がっているが、娯楽と言えばパブくらいで、見知った者どうしがぎすぎす生きている。遠くで内戦をやっていて風向きによっては音が聞こえる。島生活は平和だが退屈だ。眺望がよくのんびりムードなので、安楽な気分で見始めると、苛烈な表現に度肝をぬかれる。
パードリック(ファレル)は長年の友人であるはずのコルム(ブレンダングリーソン)から突然絶縁されてしまう。理由も分からず動揺を隠せないパードリックは妹のシボーンや隣人ドミニクの助けも借りて何とかしようとするも、コルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と言い渡される。
コルムは器用で才能がある。パードリックは善人だが退屈だ。
コルムはパードリックと馬鹿話をしながら無為に過ごすことで、後世に名が残らない人生に嫌気がさし、友人関係を絶つことにした──とパードリックに説明する。・・・。
海外評からは悲劇と喜劇/ユーモア/ウィット/哀愁/ほろ苦さなどなどの言葉が多数見られたが、個人的にはアスターのようなホラー映画と言って過言ではなく、たいへんなストレスをおぼえた。
そもそも“指を切り落とす”というのがはったりでも比喩でも言い回しでもない。
むろんそれがはなはだしく誇張されたユーモアだというのはわかる。全体として滑稽な寓話になっているのもわかる。
ただ、わたしは片手全指を切り落とすコルムの極端な思い込みにある程度の現実味を感じた。やるやつはどこまでもやっちまうもんだし、人間関係だって脆いもんだ。良好にみえる人と人どうしが、ふだん互いにどんな気持ちで接しているのかなんて解らないもんだ。
──と同時に、友人から絶縁され妹にも出ていかれ島にとりのこされたパードリックの気分を共有して暗澹たる気分にもなった。
退屈なわたしはパードリックと同様に、唯一の友だったロバにも先立たれ、ひとりぼっちで毎日黒ビールを飲んでくだまいて孤独死する──ようなもんだろう。わかりきった将来とはいえ気持ちが落ち込んだ。転じてたいへん見ごたえがあった。
現実ではグリーソンよりファレルのほうが器用だろう。ファレルはイケメンもマッチョもランティモスもKogonadaも何でもこなせる。本作では、あの太眉が八の字を描き、困り顔が真に迫った。マクドナー作品やロブスターなどでも感じたが華やかなスターが完全に庶民の顔になれるのがコリンファレルのすごさだと思う。
またバリーコーガンがえぐいほど上手だった。ゴールデングローブとアカデミーにノミネートされた他、幾つかは受賞したそうだ。
なおイニシェリン島の精霊は絶賛され、多数の賞をとった。
英語のウィキにはList of accolades received by The Banshees of Inisherinというサイトがあり56のアワードや団体での選出やプライズが列挙されている。
自分の事は見えない~
狭くて、島中の人間がすべて知り合いの様な
閉鎖空間的な島で、友達だと思っていた人から
いきなり絶交を言い渡される主人公の困惑と
自分に残された時間を思って
もっと有意義な過ごし方がしたいと
友人に絶交を言い渡す老齢の男。
個人の話の後ろに、
実はアイルランドの内戦と言う
見ようによっては
近しい関係過ぎて行き違いが起きたときに
逆に許せないというような諍いが
重ね合わせられているように思えます。
最後はとんでもない暴挙に出る主人公。
そこまでしなくとも~~
でも、そこまでしても切れない関係って
やっぱり有難いのかな~~
で、月に8回程映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
私は友達がいません。
だから、この映画を観てて
主人公と絶交しようとするコルムの気持ちと
大事なロバが死んでしまったパードリックの気持ち。
どちらもなんか解る。
私は気が付けば自分の話ばかりしてる。
気が付いて自分の話を控えようと思うと
他に話をすることが無い、相手にあまり興味が無いから。
ロバの話しかしないパードリックに辟易するコルム。
ロバ以外に話のタネが無いパードリック。
パードリックと話していると
狭い島の中で更に狭い世界に
押し込められる様なコルムの焦り。
警官に殴られて意気消沈しているパードリックを
黙って馬車に乗せてやるコルム。
人として付き合いうのは良いのだけど
プライベートでは付き合いたくない。
パードリックは私の様で、
コルムは私の周りの人の様。
個人的に結構キツイ映画でした。
パードリックの妹を演じた
ケリー・コンドンと
ちょっと不憫な役回りのバリー・コーガン
も良かったです。
解説が必要。監督が何を言いたいのか分からんかった。
難しかった。
監督はアイルランド人なので、北アイルランド紛争をモチーフにしてるのかな?
それとも「紛争、戦争全般」を寓話化したのかな?
よく分からんが、些細な問題が回復不能にまでエスカレートしてく様は気味が悪いが、「コメディ」といえるホド滑稽でもなく、とらえどころのない作品だと思う。
なかなか「見るヒトを選ぶ」なあ。
忘れられない心に引っかかるトゲみたいな
そういえば「スリー・ビルボード」もかなりグロテスクだったことを思い出す。人間関係も物理的にも。絶妙な塩梅で後味が悪い。でもおすすめ。
孤島には産業と言えるものはなく、店の女はゴシップに飢えており、ヒロ...
孤島には産業と言えるものはなく、店の女はゴシップに飢えており、ヒロインは読書にしか慰めを見出せず、抱き寄せてくれる男もない身の上を悲しんで、夜、寝床でひっそりと泣く。この先、死ぬまでの長い時間を思って、対岸の死神に引き寄せられる淵まで行く。何もやることがないこと、時間を持て余すということ、これは人間にとって恐るべきことなのだ。
パードリックとコルムもまた、毎日やることがない。ただ、違いは、考える人コルムがこの先をはかなむのに対して、やや頭が弱く、酔うと記憶をなくせる救いがあるパードリックは日々の単調なくり返しに満足できているという点だ。(ただし、コルムの知識人という自負も眉唾物だ。それは、ヒロインからモーツアルトの知識のいい加減さを指摘されたところにも明らかだ)
パードリックの、コルムへの偏愛の深さ、そしてその逆への憎悪の深さは、見ていて異常だ。ふたりは男色の関係にあったのだろうか。そのへんはあいまいだ。が、気になったのは、パードリックのロバへの愛。コルムの犬への愛だ。彼らは動物と、それぞれ肉体関係にあったのではないか。コルムが犬とタンゴを踊るシーンはなまめかしく、それをパードリックに見られた時の慌てぶりがそれを示している。また、ロバが死んだときのパードリックの度を越えた悲しみようも気になる。ロバが死んだのは、コルムの投げた指をのどに詰まらせたからであり、その恨みから彼はコルムを殺そうと決意したともとれる。
ヒロインがロバを毛嫌いする意味もここからわかる。大好きな兄の心を奪うロバに嫉妬してのことだろう。
もちろん、大きなテーマは別にある。こんな狭い孤島で、男同士が反目し対立し、ついには殺し合う。それは1923年のアイルランド本土でも同じであり、その理由はIRAと英国軍の戦争だったのだが、今や島民にもなんだかわからない。戦争をしたいからしているだけのようにも見える。それは、2023年のウクライナ戦争も同じなのだ。
そんな突然。。 そう思ったものの、なくはないよなとも思う。 じわじ...
そんな突然。。
そう思ったものの、なくはないよなとも思う。
じわじわと積み重なった不満や不信や、そういった関係性を続けることを困難にする事柄たちが、積もり積もって、ある日、限界に達してしまう。
都会なら、連絡を絶ち、ひたすら相手を避ければよいだけかもしれない。
でも、島の生活でそれは難しい。
そうして始まる絶縁。
しかし、相手にはそんなこと理解できない。そんな風に思ってたことすら気づいてなかったかもしれない。
どちらが悪いというより、相性の問題というか。
だから、なんとかしようとする。
でも、なんとかさせたくない。
心底嫌っていたら見せない優しさがそこにはあって、絶縁を完成させるには、ある程度の過激さが必要だった。
そのせいで事態は悪化していってしまう。
きっかけは些細な日々の何か、、そこからここまでのことになる。
そういう話なのだろうか、とぼんやり考える。
面白くなくはない。
猛烈に地味だが、面白くなくはない。
先にムクレた男のキャラの理解し難さ、
感情移入し難さが最後までネック。
尤もらしいが。
結果、客を放置して幕。
唯一コリンファの退屈凡庸演は買うが。
非支持。
鈍感さと田舎町がもたらす不幸
仲の良いおじさんに、突然絶縁を言い渡された
おじさんの話。
鈍感さがもたらす不幸と
田舎町独自のコミュニティの生きづらさを
ひしひしと感じた作品でした。
主人公のおじさんは、
つまらないし人の気持ちがわからないという
なかなかの曲者なのですが
それに気づかず自分の主張を続けることで
まわりの人を不幸にしていきます。
仲の良かったおじさんをはじめとして
町の他の人や大事な人までも離れていくという
なんとか悲しい展開でした。
人の忠告にちゃんと耳を傾ける、
人の気持ちを考える、
当たり前のことですがそれを怠ると
人間関係が崩壊することを思い知りました。
主人公以外の町の人たちもなかなか
頑固な人が多かったです。
田舎を悪く言いたいわけじゃないのですが、
小さい田舎町でずっと育っていくと
いろんな角度で物事を見れなくなってしまう。
そして外で活路を見出そうとしなくなるんだなと
感じてしまいました。
全体的に暗い作品でしたが、
綺麗な景色とのギャップのおかげで
見入ってしまいました。
人間観察の凄み
元は、というか何事もなければ出てくる人達はほとんどがいい人だ。
警官を除く。
ただ空気を読めるか否か、想像力があるか否かの違い。
イギリスの田舎のちっさい島でありながら日本の能面飾ってる男の家。
そりゃ山羊や羊の話しかしない男と話が合うわけが無い。
それを映画開始わずか数分で悟らせるのだから、もうこの作品の描き方が空恐ろしい。
例えてみれば上手くいってたと思ってた夫婦関係が、実は妻が我慢してたから成り立ってたもので、定年を迎えたら突然離婚を言い渡された夫、のような図式である。
夫=絶交を言い渡された側は何が悪いのかさっぱり分からない。
これが都会であれば他に目が向いて気が紛れるだろうが、何しろ島だ。逃げようがない。自分が拒絶されたってことを常に突きつけられないといけない。これはしんどい。
絶交する側の気持ちも分かる。SNSでもあれば承認欲求も満たされるものを、そんなもん無い時代だ。島を出るには歳をとりすぎた。
状況も人物造形も見事だ。この監督を追いかけていくしかない…完全敗北を認めた(なぜ勝負してるのか笑)。
美しく雄大な自然とロバと犬
何事も、相手への敬意を忘れてはならない。そして、行き違いが起きたときには、思慮の足りない行動、感情に任せた行動、強情な態度は慎まなければならない。
そんな当たり前のことを、対象的な二人を軸に見事なストーリーと映像美で教えられる。
1920年代の孤島と比べて、社会もとても複雑になった。しかし、雄大な景色と同じで、人は簡単に変わるものではないと突きつけられた気がする。
物語の展開がどうなるのか、すごく引き込まれた作品でした。 映画とい...
物語の展開がどうなるのか、すごく引き込まれた作品でした。
映画という技法を最大限に発揮された素晴らしい作品だなぁと感じました。
この映画を映画館で見れてとてもよかったです。
二人の今後の関係の展開も気になりました。
芸術家のエゴ:コルムが監督の言いたいことを代弁していると思う。
これだけ深くて幅広い見解の映画は久しぶりだ。監督が我々に幾重にも問題意識を与え、監督の見解がコルム(ブレンダン・グリーソン)を通して現れているように思う。なぜこの三人三様の登場人物が必要だったんだろう。この三人がどう監督の主題に結びついていくのだろう。監督の言いたいことはなんなんだろう?と考えてみた。芸術(コルムは音楽、監督は映画)は批判、爆発的なもの、悲劇、不確かなもの、奇妙なこと(ここではバンシー)など
を加えて、一つの作品に仕上げることができ、それがコルムの言葉を借りると、50年よりも先まで賛美されるようなものを作り上げることできるようになるということだ。それは例えば、指を切り、それらをパードリック(コリン・ファレル)の家のドアに叩きつけたり、気の弱そうな無知なパードリックに意味もなく絶交をしたりする。そして、それにパードリックのドンキー、ジェニーがコルムの指を食べて死ぬようなブラック・ジョークも加える。芸術家の仕事の出来具合は、賞を取ったという形だけでなく、人々が作品にどんな形で感動して覚えていてくれるかによると監督もコルムも思っているようだ。それが名作として歴史に残り、名をなす。それに、コルムや監督からしてみると、ここでの主役パードリックの存在は重要で、芸術上『言い訳』のように利用していると思う。パードリックを主役にして同情が集まるようにすることも、登場人物を複雑に噛み合わせる手法ではないか。つまり、芸術に対する創造力を見せるためパードリックをコルムと比較する存在として利用したということだ。確かに、音楽、詩、絵画などの芸術は永遠のものだ。今だって18世紀のモーツアルトを奏でているからね。パードリックの無知や戦争は全ての芸術を破壊する。コルムが「私のことは50年経っても誰も覚えていない。でも、芸術は50年経っても人々に残るもの」と。監督もそういう作品を作りたいのではないか。ここに監督の主題があるのではないか?
主題に付属するように副題として、島国の小心者、パードリックと芸術家で教養のあるコルムとパードリックの妹で、島でのやっかいに見切りをつけるシボーン(ケリー・コンドン)の三人はそれぞれの生き方を選択肢として我々に提示してくれている。それに、コルムとパードリック(敵対する同じ民族を象徴)の二人の状態はあたかもアイルランド内戦を象徴するかのように。タイトルのバンシーは大声を出して死を予告するアラーム(ドミニックの死)だ。二人はこの死(内戦)を避けているように映画でセットされているこれは死(内戦)を免れているが、犠牲になった人はドミニックである。アイルランドの内戦、また戦争における犠牲者は一般市民ドミニックのような人。
テーマの多い作品だね。ーー(レビューのまとめ)
余録
下記は私の心の動きを書いたまでだ。
パードリック(コリン・ファレル)がコルム(ブレンダン・グリーソン)に何かしたならしたって言ってくれ、子供のようだよと問いつめているのを見ながら、なぜコルムが急激に変化して行ったのかが気になった。昨日まで友達だったんじゃないの?パードリックは何もしてなさそうじゃないか?今までのように話せよと思った。真面目そうなパードリックを見ていると友達を失ってしまったことを悩んでいるので気の毒になった。
隣人ドミニク(バリー・コーガン)がパードリックに妹シボーン(ケリー・コンドン)の裸を見たことがあるか聞くシーンがあるが、パードリックはないと言い、妹は本を読んでいると言った。この辺から、ドミニックは読書は別世界と思っていそうだし、パードリックもコルムのこともあるが、妹の趣味にも噛み合わなさをみせる。
1923年、4月....
妹がパードリックに「一人で寂しくなったことがあるか」とか、「今悲しい本を読んでいるんだ」とか言うとパードリックの答えは妹の感性と噛み合わないのがよくわかる。パードリックは妹のレベルで物事を考えられない。でも、優しくて人が良くて誰にでも声をかけるんだよ。
私は何か合点がいかず、変だな変だなと思っているうちに、コルムも妹が感じているフラストレーションを持っているとわかる。妹の場合は無知な兄のことをよく理解しているようだ。しかし、コルムがパードリックのことを『dull』 といって、「わかるだろう?」というがパードリックの妹、は返事をせずバーを飛び出す。賢い妹のシボーンはこれで何が起きたかを理解する。
コルムの部屋はパードリックの部屋の内装とは違って、蓄音機、マスク、能面のようなものが飾ってある。当時としては芸術のセンスがあるようだ。音楽の才能もあるし作曲もする。バーで歌ったり、演奏することにより、村の人々を楽しませることができる。芸術家で、彼は自分の才能を謳歌させたいようだし、内戦状態でいつ自分の住んでいる島にも波及するかもしれないという緊迫感から、老い先短い、今を生きようとしているのかもしれないと思った。
コルムとパードリックの会話は、目的のない会話(aimless chatting)と普通の会話(normal chatting) と説明されてる。これはコルムの言葉だと記憶する。才能がある人は自分の人生で毎日お茶飲み友達がするような『目的のない会話』を楽しむ気持ちがないんだね。二人の価値観は全く違う。二人の人間性をそれぞれに動物を使って例えている。
パードリックはジェニー(ドンキー)とコルムはサミー(いぬ)、この比喩表現で二人の違いを表しているのは明らかだ。
しかし、狭い島国での世界で何を言ってるのと、納得して初めは見ていた。ケン・ローチの「ジミー、野を駆ける伝説(2014)」のようで、島国の人々の人間性を変えるのは難しいなとも思った。それに、徐々にパードリックの執拗さにもうんざりしてきた。あの多弁なコリン・ファレルが太い眉を上げ下げして真剣に悩んでいる演技が本当に上手に見えた。
また、コルムが指を切ってドアに投げつけるなどと衝撃的で、話が異様な展開になっていく。冗談っぽくも聞こえたが、真剣そのもののようにも思えた。また、ジェニーがコルムの指を食べて死ぬなんていう冗談にも疲れてきた。それに,老女、マコーミック(バンシー:シーラ・フリットン)が現れて、人に死を予告するし、薄気味悪くて興醒めした。
自問自答だが、あくまでも私感である。
1)このストーリーが2023年代のアイルランドとどう関わってくるか?
最後、海辺でアイルランド本土を見ながらコルムがパードリックのジェニーに同情する言葉。また友達になろうというような言葉の自己満足さ。これをアイルランドの内戦に例えていると思った。コルム「戦争は終わるだろう」パードリック「また、すぐ始まるよ。でも、何か先に進んでいることがあるよ。それはいいことだね。」二人は停戦のようだが、個人の喧嘩はいつまた起きてもおかしくない、戦争のように。この二人の喧嘩はアイルランド内戦と同じで少しはよくなるが続くだろう(北アイルランド[UK}とアイルランドの問題はずうっと続くわけだから)とパードリックが二人をアイルランドとの関係に例えている。このシーンはパードリック考えているので賢そうに見えた。(You don't thinkじゃない)
2)閉鎖的な島国で生きてきた人間、パードリック、コルム、シボーンという三人を登場させた監督の意図は何?島国で生きていく代表的な人々の縮図かもしれない。
パードリックのように人間、自然、動物との交わりに感謝して生きてきた人間。退屈そうだけど、この島で生きている(しか生きていけない)人。
コルムのように島に生きていても、何かを学び取ることができる人。芸術一般を愛し、作曲、指揮などまでして、自分の教養を高める(高めたい)人間。意固地になり、自分に満足がいくまで突き進む人間。許容はなく、すべての指を切り落とし、満足感に浸るまで、自己を追い詰め表現する。そして、一番最後のシーンでもわかるように、彼にはまだ声が残っているというのを見せるかのようにコルムは歌い出す。これでこの映画の話は終わる。複雑で狂気的な心境はまさに理解できないが、奇行、モーツアルトや聴覚障害者、ベートーベンなどと同じようだ。ベートーベンは耳が聞こえなくても作曲し指揮をした。モーツアルトの人間性も異常なところがあった。またはゴッホが片耳を切り落としたというように究極にむかっていくおそろしさ。それに、コルムの指を切り落とす言動や行為から村人に衝撃や不快感を与えるという、薄気味の悪さ。例えば、モーツァルトの狂気状態をコルムが代弁していると思わせる。これは芸術家の究極的な満足感?指がなくても、指揮ができる。歌える。
シボーンのように問題意識があり、島国での生き方や、関わり方に嫌気がさして新天地に向かう人間。Island Fever (Cabin Fever)のようなもので、閉鎖的な環境では窒息しそうになるから出ていく。
余録:バンシーという悲劇的な伝説との関わり。私の生徒にアイルランド人がいたので、バンシーの昔話を聞いてみた。色いろな説があるらしいが、黒か緑のような服を着て髪を長くした老女。そして、大声で叫び人の死を予告する。
神話では戦争の神でもあるらしい。老女、マコーミック(バンシー:シーラ・フリットン)はここでその役をする。
純真な「愚者」の心に、怒りを呼び覚ました「賢者」の振る舞いもまた愚か
1923年。
アイルランド本島では内戦が。
砲撃の音は島まで届く。
しかしイニシェリン島は差し迫った戦闘はない。
その島の牧畜家の中年男2人。
長年の親友コルムから突然絶縁を言い渡されたバードリック。
あまりのことに戸惑い、その事実を受け入れられない。
第一自分の何がそんなにコルムを怒らせてるのか?
考えても思いつかないのだ。
不条理劇のようでした。
監督はアイルランドが出自の劇作家でもあるマーティン・マクドナー。
2人はなぜ憎み合うようになるのか?
アイルランドの宗教対立が頭を横切ったり、
対話さえの拒絶する頑なさ、
和解を阻むものの正体がつかめない。
ただただ善良で退屈でお喋りな男パードリック(コリン・ファレル)
理由を言わずにただただ拒絶するコルム(ブレンダン・グリーソン)
コレルの拒絶は度を超えている。
バードリックが一回話しかけるごとに、自分の指を切り落とす。
そう宣言すると、コレルは実際に指を切り落とす。
狂っている・・・
そう、決め付けるのは簡単だが、実際にこんな理不尽な報復が
無いわけでは無い。
まぁ殆どは相手の指を斬り落とす。
(自分の指は切り落とさないと思う)
コルムの狂気が、バードリックにも連鎖する。
愛するロバのジェニーがコルムの切り落とした指を食べて、
喉に詰まらせて死ぬ。
もう善良で気の良いバードリックの面影はない。
ジェニーの報復に目を血走らせて向かう先は?
《映画の独創性極まりないストーリーの面白さに身震いした。》
私の中では10本の指に入る名作だ。
中年男の対立。
それだけでこれだけ多くの事が語れる。
謂れの無い拒絶からの諍い。
まるで戦争の要因を見るようでもあり、
宗教的対立からの《報復》
そしてどこまでも遠い《和解》
難しくて理解はできないけれど、対立とか憎しみ、
そしてはじまる戦争。
あるいは母親が子供を殺し、息子が父親を殺すような、
ギリシャ悲劇でも見ているようだった。
イニシェリン島はあまりにも美しい。
モーツアルトを熱愛するコルムの演奏するヴァイオリン曲。
ラストに流れる澄んだ女声のアイルランド古謡、
みんな美しい。
「この島に退屈以外の何を求めるのか?」
バードリックの妹のシボーン(ケリー・コンドン)は言う。
「人生に退屈以外の何を求めるのか?」
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
などの問いかけがなされている。
そしてパードリックとコルムの決着はあまりに苦く、
和解には程遠く、パードリックの傷は簡単には癒えそうにもない。
そしてコルムの怒りの理由が今分かった。
馬糞の話で2時間も浪費するパードリックに、生い先短いと自覚した
コルムは耐えられなくなったのだ。
寛容を失ったコルム。
音楽を愛し仲間を持つコルム。
対するパードリックはコルム以外に親友はいなかった。
悲しさと孤独がパードリックを包む。
コリン・ファレル。
コリンと言えばコリン・ファースと思っていたが、
近年のコリン・ファレルの作品チョイスには驚かされる。
今作の監督・脚本のマーティン・マクドナーと組んだ
「ヒットマンズ・レクイエム」(ブレンダン・フレーザーと共に主演)は、
以前に観ました。
2人の殺し屋が、仕事(殺し)に悩む話し。
ファレルは「ロブスター」のヨルゴス・ランティモス監督作に主演した頃から
作家性の強い作品に出演しはじめる。
同監督の「聖なる鹿殺し」も面白かった。
コゴナダ監督作の「アフターヤン」
メジャー作品にも出演しつつ個性豊かなアート作品に進んで参加。
今後の出演作にもますます注目だ。
アカデミー賞は残念でした
親友同士の断絶、友情の崩壊がもたらすドラマ・・・興味深い題材ですが、ブレンダングリーソンが自分の手の指を○○するのは、ちょっとやり過ぎというかわからない。そこまでする?みたいな。同じ監督作品としては「スリービルボード」の方が好きです
全305件中、21~40件目を表示