TAR ターのレビュー・感想・評価
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理系(オタク)の私としては
1.自殺したのは副指揮者になれなかったあの愛人?
2.指揮者は誰でも同じじゃないのか?好みの問題?
3.基準が曖昧だから、権力が大きくなる
4.そして、そういうの好きなのは非人格者
5.落魄れた先は、アジア
6.大阪の代わり、ゲーム、コスプレ
7.結局、LGBT?扱ってSDG装っているがアジアを馬鹿にしている
8.あの最後の方に出てきたチェリストは何者?
9.スラムでも一生懸命やってる良い人?
10.コスプレ、ゲーム、アジアを馬鹿にし過ぎだ
11、そして、それらを誤魔化す為に難しい話が長い。
答えはないけど
作中に明確な答えが示されていないので、考える余地が残された作品になっています。ただ、プログラムの監督インタビューを読む中で、この作品を作った意図は示されているので、気になる方は購入しても良いかと思います。
ネットでも様々な考察がされていますが、明確な誤りはあれど、どれが正解ということはないと思います。鑑賞終了後に、自分なりの解釈を人に話すところまでが、TARという作品の一部なのかなという気がしました。
観客もマエストロの掌で・・・
成功者、権力者の心の奥に潜む闇、ダークサイド、そして転落していく姿が、周囲の人々の憧れ、妬み、嫉妬などを絡めて描かれています。主人公が抱える罪悪感からくる悪夢の映像をはじめ、主人公が精神に異常をきたすサイコスリラーとしての面白さ、Metoo運動によって女性である主人公が失脚するという時事的な社会性、ケイトブランシェットの素晴らしい演技、クラシックな名曲の数々と、演奏シーンにおけるダイナミズムなど、エンタメとして非常に面白くできていると思います。世間ではケイトブランシェットの演技ばかり注目されているようですが、やはりリディア・ターというキャラクターと、この傑出した物語を創造した監督のトッド・フィールドこそ最高のマエストロです‼️
2時間50分、ひたすらブランシェット。
上り詰めるって我を通してこそ抜き出せる。結局自分が全部正解になってしまうのか。言われてる様にブランシェットの演技に圧巻。もうマエストロにしか見えないし迫力ありすぎ。一見の価値あり。
意思でなく才能が人生を選ぶ場合もあるのでは
ケイト・ブランシェット劇場が満喫できます。
才気に溢れ天下をとれる位置にたった彼女は、増上慢になり、人を傷つけることの諸刃の剣な行為に目を閉じ、アドバイスにも耳を塞ぎ、まわりの大切な人ををも顧みない。
しかし地に堕ちようとも彼女は歩むことをやめない、その生き方をどう思うかによって感じ方は違うと思いますが、傷ついても倒れることを良しとしないケイトに拍手を送ります
◇ストイックという生き様
クラシック音楽の積み重ねられた歴史、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団という最も保守的で権威的な組織世界。実力と権力を手にした女性指揮者の姿を克明に彫刻するように描いた物語です。
音楽とは、微妙な音程、音色、テンポ、多彩な音の集合が配合されて、経過していく時間の芸術です。繰り返されることを大切な要素としている世界でもあります。演奏者は何度も何度も同じフレーズを練習し、聴き手は次に繰り返されるフレーズへの期待感とともに控えています。
そんな音楽、音そのものと人間の存在みたいな高尚なテーマから導かれていきます。主人公の指揮者リディア・ターにとっては、人間関係や世間の評判などは二次的なもので、自ら描く音楽の理想像の追求こそが自分の人生の本質なのです。
伝統を重んじる保守的なオーケストラの世界と対比して描かれる現代のSNS動画拡散と書き込みによるバッシング世界。あまりに、浮薄で移ろいやすい世間の評判が、無責任な匿名性を帯びてネットという仮想空間に不気味に漂います。
世間から見れば、薄情で自己本位とされる生き様かもしれません。一方で、主人公の過剰にストイックな生き様に惹きつけられて、同じ目線で音楽の世界の奥深く没入していく感覚が心地よいのです。その厳格な生き様が、女優ケイト・ブランシェットと重なり合って、ハーモニーを奏でます。
終章、観客席のコスプレイヤーたち。あれは、現代の聴衆たちのモンスター性とか、音楽を消費していく姿勢とかを象徴するものなのでしょうか。鑑賞しながら、自らにも問いかけさせるような仕組みを感じました。
ラストの気味悪さ
ラストの気味悪さが、あとをひく。
それでも指揮者としての立場を愛する世界観が不気味で、哀しく、観客に背を向けている彼女にはスコアと演奏者さえいればいいのだ。
前編のアカデミックな内容が続き、睡魔と闘わなければならないかと思ったが、特に説明のないまま話しは加速する。
ターのパワハラに対しての報復から、立場をおわれていく。
音楽は全編リハ風景のみだが、ダイナミズムを感じる部分を差し込んであって、鳥肌がたった。
私の理解力不足では謎が多く、もう一度観たいと思っている。
『リディア』、もっと音楽に没頭しなさい
『リディア・ター(ケイト・ブランシェット)』は時代が産んだマエストロ。
「ベルリン・フィル」初の女性首席指揮者であり
作曲もこなし、アマゾン原住民の音楽にも造詣が深い。
冒頭、対談形式のセッションでは
彼女の経歴が延々と語られ
『レナード・バーンスタイン』の弟子ともされている。
劇中名前が挙げられる多くの人物は実在。
それを巧く絡めているため、
架空の主人公があたかも現実に存在するように錯覚してしまう脚本の妙。
彼女の楽曲に対する解釈は
同業者が教えを乞うほど独創的。
自己プロデュースも完璧で、
自伝を出し、
出資を募り女性指揮者を育て上げるプロジェクトを立ち上げ、と
次第に自身の権威を高めて行く。
私生活ではレズビアンを公言。
現在のパートナーは楽団のコンサートミストレスであり
また、養女の溺愛ぶりも膏肓に入っている。
その一方で、得た権勢を自身の欲望の為に行使、
意にそぐわぬ時は容赦なく切り捨てる非情さを持つ。
そんな彼女が、
新曲の作曲の行き詰まりと、
〔マーラー 交響曲第5番〕のLIVE録音へのプレッシャーから精神の均衡を崩し、
加えて私生活の、とりわけ性的嗜好の絡むスキャンダルから次第に追い詰められていく。
嘗ての音楽家と「ナチス」との関係性が
『フルトヴェングラー』や『カラヤン』の名を示し語られる。
〔マーラー 交響曲第5番〕は〔ベニスに死す(1971年)〕でも使われ、
そこからは撮影時の『ルキノ・ヴィスコンティ』による男優の扱いを思い出させる。
力は「セクハラ」や「パワハラ」と
どれだけ結びつき易いかの暗喩が次々と提示され、
それは『ター』とて例外ではない。
権力者が次第に腐敗する世の常を非情な眼差しで描く。
『ター』が堕ちて行く過程は、
あくまでもスキャンダルによる部分が大きく、
〔ブラック・スワン(2010年)〕のように芸術に惑わされた末による純粋な悲劇とは異なり
もやもや感は残る。
また『ケイト・ブランシェット』からは
〔ブルージャスミン(2013年)〕での演技に通底するエキセントリックな印象を受け、
新たな境地とは言えぬうらみがあり。
その一方で、同作の監督『ウディ・アレン』による性的虐待を想起させる
副次効果もあるのだが。
男がふつーにやってる事をLGBTに変えただけ
ケイトの演技は素晴らしかった!他の俳優陣もみな素晴らしかった。
演技力のみで観れる映画だと思う。
でもそれ以上はない。
ストーリーに関して、当たり前に男たちが行ってきた事やその結果が招く転落劇が今度は権利主張しているあなた達にも起こりうるんですよ!それが多様性!ですよね?!みたいな感じを受け取った。
うん、そらそーやろ。だって、やったらあかんねんから。で終わる。何を鼻息荒くしとんねん。となってしまった。
よくわからず疲れた
名門オーケストラで、初の女性首席指揮者になったリディア・ターは、天才的な能力とプロデュース力を持ち、マーラーの交響曲第5番の演奏とその録音に向けての準備によるプレッシャーに苦しんでいた。レズを公言してた彼女は、ある時、かつて彼女が指導した若手指揮者が自殺し、その要因がターだと告発され・・・てな話。
ケイト・ブランシェットは長いセリフも流暢に話してて素晴らしかったが、いかんせん、ストーリーがわかりにくい。
どうなるのだろうと観てたら突然別カットになって、モヤモヤが続いた。
最後はどこ?アジアのどこかに招かれたんだろうけど・・・難しかった。
女性でも名門オーケストラの首席指揮者になれる、という事で素晴らしいオーケストラの演奏が聴けるのかと期待して観に行ったら肩透かしだった。
好きな女性をコロコロ変えて嫉妬されたって事?
顔を怪我したのは男に襲われたらしいがそのシーンは無し?
難しくて、ずっと???な作品で疲れた。
分かりずらいオチといくつかの謎について!
カリスマ超有能パワハラ職権乱用レズビアン神経質指揮者の崩壊物語!!!
役が特殊過ぎて庶民的な人では合わないし出来る人ってジェンダーレスでカッコいいケイトブランシェットだからこそ この作品が実現したのだと思います、更に人類で18人しか成し遂げていないEGOT (エミー賞 ゴールデングローブ賞 アカデミー賞はオスカー トニー賞全てをとった人で全部の頭文字を合わせてEGOT)を獲ったという設定で説得力のある人って普通に思いつかないしこの役を出来る俳優は男女含めても地球上ではケイト以外出来る人は存在しないと言っても過言じゃないでしょう。
この役をもし本来の映画会社の要求通りに男が演じていたら恐らくセッション系セクハラパワハラスケベオヤジなだけになりそうですし監督がこの役ケイトにしてって言ったそうで正解でしょうね!
あとベースになる人物が居てそれを映画化した訳じゃ無いっての理解してないと ああいう凄い人が居ると完全に勘違いするくらいターの人物像は作り込まれていました、更に言うと普通なら努力して頑張る感動系か怒鳴ってしばき倒すセッション的な根性モノになると思いきや全く違っていて 完全な善人でも完全な悪人でも無いキャラクターで悪いやつなんだけど有能でカッコ良くて こういうやつのパワハラってしょうがないのかなあとか思わせられるような絶妙な人物にしていて このキャラ好きになって良いの?って困惑させられるような人物でもあるんですよね。
つうかケイトブランシェットじゃなくて完璧にリディアターだったというか実在するリディアターのドキュメントを見る映画って設定で 架空の人物だって言うのを忘れてカリスマターに魅入ってしまいますよこれ。
パワハラに関しては怒鳴ったりしないパターンのパワハラだし子供相手に100%で対峙してるしその時に私は父親よってハッキリ言ってるのも凄かったし実際家庭では子育てや家事は一才やらない父親的存在ではあったけど子供に関していいとこどりし過ぎていてこいつ色々と都合の良いところだけは自分て感じで やってんなお前とは思いました!
あと演技に関しては怪演度マックス濃縮還元400%プラス指の先から瞬きや顔のひきつりとか疲れた表情とかちょっとした仕草にに至るまで完璧に演技をしているのは凄かった、しかもドイツ語と英語を話しながら身振り手振り全開で細かく楽団を調整していく場面と演奏中の指揮してるシーンは素人の自分が見ても凄いのがわかりました。
あと 音がキーワードで音の仕事のプロがどんどん歯車が狂い皮肉な事に音に敏感になって睡眠不足になって徐々に壊れていく描写がホラー要素あってなんだか怖いしランニング中の叫び声はクリスタの声の可能性高いですよね。
最後の風俗の相手を選ぶ場所で5番の子がジーっと見て来て
自分はマーラーの5番をやってて あの5番の子にジーって見られた時に自分のやって来た事に嫌悪感を感じ完全に参ってしまったんでしょうね
それと娘は自殺したクリスタのお化け完全に見えてますよね、あとクライマックスの演奏の場面はターのコンサートじゃ無いしあの場所で直接指揮者を奪い取ろうとするとか完全にタガが外れてましたねー
この映画の1番ビックリするところは映画始まった瞬間にエンドクレジットが流れるところ。
案外アレがエンドクレジットだって分かって無い人も多いみたいですがなんで最初にエンドクレジットやるんすか?って思っていたら最後武装した人が座る客席が写りいきなりスパっと終わって????になるんだけど理由は全てあのラストあの終わり方にする為にわざわざ最初にエンドクレジットをやってたというのが発覚して 相当衝撃を受けました!
何故他国に行って温泉入って元気になって武装してる人が劇場に居て演奏が始まってカッコいい曲流れつついきなり終るので自分は最初元ネタを知らないから???ってなったんだけど そりゃあゲームが好きな人でモンスターハンターやった事ない人は分かる訳無いオチなので劇場に居たおじさんとおばさんと自分は最後唖然として映画おわるんだけど
見に行ったツレがそれ分かっていて映画終わってから元ネタがモンハンだよって説明受けてやっと理解出来た感じでした。
ゲームやり込んでるツレいわく宿行って温泉に浸かりながら敵が来ないように滝が流れている岩場で隠れつつターの居た所と同じ用な場所で休んで回復するらしくそこもまんまなんだそうです。
帰り道に前を歩いている若者もそれに気づいてモンハンだよねアレって会話していて
劇場から出る時のラストの元ネタが分かった人に説明を受けるのを含めてターという映画に含まれているんだなあと思ったら 凄い面白い作品だぞこれってなりました!
たしかにあのラストのあとでダラダラエンドクレジット流したら呆然としたまま劇場を出る事が出来ないですからその為の初めのエンドクレジットって訳なんです。
モンハンはそういう演奏するコンサートやってますよねそういや。
でラストに関しては あれだけの地位にいながらゲーム音楽の指揮者に落ちぶれたと考えるか見事に復活して良かったねと考えるか 更にいうと頭のおかしいターの妄想で有能な指揮者だと思い込んでたって可能性もゼロでは無いし解釈が変わると思いますが監督がモンハン大好きという事なのでアジアを見下してバカにしたオチでは無いと思います!
謎の送り主からターに送られて来た本を破り捨てたりしてましたが
あの本 同性愛カップルが別れてそれを悲観して自殺するって内容らしく そうなると送り主はクリスタだし自殺したクリスタってオーケストラ関係の事での自殺じゃなくてターと別れた事による自殺なんでしょうね!
自分はターがベッドで目覚めた時に自殺したクリスタが一瞬居るシーンや最初に生きてる時のクリスタらしき人が最初に居たとか全くわからなかったし最初の寝てるターを写しながらの携帯でのメールのやりとりの内容(オルガが携帯の人って分かった頃には終盤になってるから内容とかハッキリ覚えてないので2回見ないと理解出来ない構成にわざわざしてるし結局オルガはターを転落させる為の刺客もしくはクリスタ側の協力者がいてオルガを送り込んでるのかもしれない)など確認したい事だらけなので2回目をじっくり画面の隅々まで見て感想を更に書き直ししようと思ってます。
こんなに考察どころ満載の作品も珍しいと思うしこれでもまだ書き足りないくらいですから
それと最初は前半の会話シーンとか長くてなんなのよ?しかも専門用語ばかりで訳分からんとか思ってたけど最後まで見て思ったのが全く無駄が無いし後半を見たら前半部分のやりとりなど全てしっかり回収していて完璧な構成だったんだという結論に至りました!
とはいえ気づいてない部分かなりあると思うし 年に一回しか映画見ないような人向け感0%の超玄人向けでありつつ監督からの俺の意図した事をどれだけ気付くのかな?っていう挑戦状のような作品でもありますねこいつは!!!!!
この作品に関しては簡単に面白く無いって切り捨てて終わりにしないでネタバレを見て貰ってもいいから 色々理解した上で判断して欲しいです、それでも面白く無いならそれでいいんですが これだけ色々と仕掛けがあるってのはわかって欲しいですよ こんな凄い作品は中々ありませんから
自分の中ではスネークプリスケンやマックスやジョーカーやトラヴィスや座頭市と並ぶくらいのカリスマ性を久しぶりに感じるくらいのイカすキャラに出会ったって感覚あります。
最後に ターが気に入り過ぎてサントラ買ったら映画の中で撮影してた そのままの表紙で更にアマゾンだと大きいサイズの限定のジャケットのオマケもついてきて額に入れて飾ってますがなんだかんだ言っても結局はター最高ター最高ター最高。
ケイトブランシェットを浴びました
これは。
コリンファースで言うところの「シングルマン」とでもいいましょうか、とにかく大好きな俳優さんがこういう作品でてくれると本当に感謝しかありません。
ちなみにマーラーちゃんと聴いたことないレベルの者でも楽しめました。
逆にクラシック好きの方は意外と演奏シーンが少なかったのでその点は物足りないかもなとも思ったり。
158分間、リディア・ターに支配される
才能が権威(マエストロ)になり権力を手にしたリディア・ター。自信に満ち溢れた威容は、周りの者を圧倒する。ケイト・ブランシェットが放つオーラはスクリーン越しでも伝わってくる。
リディア・ターと助手や指導した学生との関係は、はっきり描かれない。狭い業界に君臨する圧倒的な権力を前に、思い切って身を委ねるか、生きていくために心を殺す。その二択しかないと思い込んでしまうのは容易に想像できる。
リディア・ターの耳に入ってくるノイズ、幻聴。ターの脳裏に映し出される幻覚。不吉な予兆は、文学的な演出にとどまっているので、ターの内面の不安を示しているのか、未来を暗示しているのかわからないが、見ているこちらの心も掻き乱される。
選ばれし者は、何をしても許される。ケイト・ブランシェットの怪演を見ていると、そういう錯覚に陥る。リディアに畏怖してしまう副指揮者のセバスチャンと助手のフランチェスカ。彼らが見せる愛想笑いが屈服してしまった人間の哀しさを物語っている。
リディアがジュリアード音楽院で指揮者コースの講義を行うシーンがある。生徒の1人が、バッハの人種や人間性を理由にバッハの曲を頑なに拒否する。僕には屁理屈にしか聞こえないが、キャンセル・カルチャーが行き過ぎると、バッハでさえもアウトになってしまう危険性がある。バッハが20人の子供を作ったというだけで。
もっとも、ワーグナーの方が先にキャンセルされる可能性が高いが。
「五感を震わせる圧巻のラスト」という謳い文句は大袈裟だが、虚を突かれた。このラストの受け取り方はどちらかに分かれると思うが、僕は好意的に受け止めた。リディア・ターは必ず復活する。
追記
2度目のTARは、TARの視点で鑑賞。権力が一つ一つ剥がされて行く恐怖は、天上から地上に堕ちていくようで、自殺を選びたくなる。追従を言っていた人間が冷笑を浮かべてTARにトドメを刺す。
TARが、子供の時に何度も見たであろうバーンスタインのビデオ。「音楽は、人々に喜びを与えるために存在する」バーンスタインの言葉は、迷い子になったTARの進むべき道を照らす。
人生の途中
主人公、リディアターの成功者から転落していく人生を描いたもの。
前半にリディアの指揮者に対する心構え、中盤に性事情の話を挟み込みその2つを軸に後半から終わりまで話を進めていくものになる。
リディアの人生の途中から描いているためか、十分には登場人物の説明はなく、話が展開していくごとに該当人物が現れるような構成で、話を結びつけるのが難しいと感じた。
性事情に関しては最初は誠実な人物かと思ったら移り目がひどく、音楽の才能がとびぬけたオルガが登場するとかなり入れ込むようなだらしなさ。最初からレズビアンだと思っていたら、パートナーが連れ込んだとぶっこまれあそこは少し笑った。
指揮者、作曲、家庭、楽団、多くのストレスにより、少しの異音でも目が覚めてしまうほど神経が過敏になり、薬を取らないと生活していけないような始末。話が進み成功者から転落しはじめ、少しずつ解放されていく中で、リディアの家で森の中で眠る演出はあそこが彼女のターニングポイントだったのかもしれない。
転落途中に実家に帰宅し自分の指揮者としての原点を再確認。自分は指揮者が好きなのだと再確認し、自分を採用してくれるような会社を探すために2か国ほど国を渡り、最終的にリディアはアジア圏のコスプレ集団が映像を見る中で生演奏のBGMを流すための指揮者として幕を閉じる。
リディアの指揮者でいることのこだわり、指揮者としてのこだわりを最後まで貫き、どんなところに行っても指揮者であり続けるという姿勢は良かった。また、リディアの人生が転落していく問題になったクリスカは最後までリディアにすがり、自分では行動せず最終的に自殺を選んだ心の弱さ、もしくはリディアの生き方への対比はどちらが正しいとは昨今では言いにくいが、もしかしたらリディアのような力強さも必要だと伝えたかったと思う。
クリスカは最後まで見るとリディアにたぶらかされたのかもしれないがそこについては本編ではわからない。
不満な部分は多く、リディアの人生の出来事を映していたためか、出来事の顛末を映すことなく物語が終わった。フランチェスカが辞めた真意、動画を作成していたのはオルガなのか誰なのか、訴訟の結末、名前だけ出てきた人物など。私がまだまだ未熟で理解していない部分が多いと思うがもう一度見てすべて理解したいと思う作品ではなかった。
実在してそうな人物
ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技!
主人公ターがトップに君臨するためには
犠牲にしなければならないことが多くあります。
人をマネジメントする難しさや
中傷を浴びること、そして私生活も犠牲になります。
まともな神経ではいられなくなるでしょう。
強くあればあるほどそのリバウンドが恐い。
実在の人物ではないけど実在してそうな人物でした。
今度は3大ケイト‼️
先日、我が家の3大クリス(プラット、エバンス、パイン)の話を別のレビューで書きました。
とくれば、今回は3大ケイトに触れないわけにはいきません。
ブランシェット、ウィンスレット、ハドソン‼️
ラン、スー、ミキと比べてもなんら遜色ない。
いやまあ、スケール感というか度量衡が違う、とかはこの際言いっこなし❗️(あくまでも我が家限定の一般教養として、ご容赦ください)
ブランシェットは、我が家では神のような存在です。
親娘揃って『ロード・オブ・ザ・リング』を崇め奉ってますから、誰がなんと言おうとガラドリエル様を未来永劫尊崇し続けることになってます。
映画のジャンルがまったく違っても、まさに、降臨としか表現できない(劇中の言葉で言えば、音符♫でしか表現できない)圧倒的なオーラ‼️
ハーバード白熱教室のサンデル教授のような講義のシーンもついつい字幕を追ってしまい乗り切れず、その後のストーリー展開も少し凝りすぎな感じでややダラけかけたところはありましたが、ジョギングとサンドバッグ打ちで、心身のリズムやテンポを調えるパターンは、個人的にはナイスでした。
知的作業や創作を行うことと運動が脳に与える効果との関係性については、アンデス・ハンシェンの『運動脳』や『スマホ脳』で説得力のある事例が紹介されてます。
テーマ性を読み解こうとすると、ちょっと疲れる映画ですが、ケイト・ブランシェットの〝神〟演技を堪能できるのが嬉しい人と、個人的嗜好が合う人にとっては、とても満足度の高い映画です。
パワハラセクハラ主人公を正面から描いた稀有な名作‼️❓
字幕で観たが、吹き替えを含めて、字幕と吹き替えの表現で内容にフィルターが掛かると思う。
例えば、娘をいじめている子に迫る言葉が、直訳なら、殺す、だが無難にしてる、それだと主人公の造形を歪める。
最初の、自殺者のところから始まるが、主人公が、ただ、個性の塊か、鬼畜なのか、グレーだが、現実にはパワハラもセクハラもグレーなことが多いのだろう。
参考になるのは、主人公が悩み苦しみながらも、とことん太々しいこと、あれだけ有名なら、ベトナムくらいしか活躍の場がないのだろう。
パワハラやセクハラ、いじめに自死するに対比して、なんと前向きなことか、感心した、敵ながらアツパレ、惚れ惚れする、嫌味じゃなく。
予告編にミスリードされて、ホラーかサスペンスと誤解して観てたら、人間ドラマでした。
吹き替えならどんな印象でしょうね、ミュージカルみたいに別物の映画になると思います。
いろいろ見方が変わる映画🎞🎟🎬、みんなのレビューが楽しみな映画🎦是非
クラシック音楽業界に止まらない、21世紀の人間の業が凝縮された感じ
まずはその、ケイト・ブランシェットの役作りに圧倒される。リディアになりきって、吹き替えなしのパフォーマンス。逆に「すごい努力家の俳優さんだな」という邪念まで湧いてきてしまう。
ストーリーを図にするとグライダーみたいだ。実力と向上心で正当に上り詰めた主人公は、いわゆる超人であるがゆえに少しずつ周囲の人たちとの関係性が綻び、内部から崩壊していく。エンパシーの欠落だろうか。彼女のベルリンのアパートメントのクールすぎるインテリアと同じで、隙はないけど温かみもない(個人的には好みだけど)、みたいな、、、。
だからこそ、まさかのラストに救いが! ビジュアル的にもサプラーイズ!
ところで、アジア人もアラブ系かラティーナ系の人も見えたようけど、見当たらなかったようなカテゴリーの人も、、、。BLM(Black Lives Matter)概念とクラシック音楽業界には距離があるのが現実なのだろうか。
プログラムによると、仕掛けも多いみたいだし、できればもう一度見たいと思った。翌日もひきづるタイプの大作だったと思う。
全352件中、281~300件目を表示