劇場公開日 2023年5月12日

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「武装音楽祭」TAR ター pipiさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0武装音楽祭

2023年5月14日
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興奮

知的

難しい

この映画はトッドとケイトから世界中の観客に投げかけられたメッセージだ。
人類史の黎明期から人間が直面してきた「権力」というテーマについて今こそ思索し、大いに語り合いましょう!
という投げかけだ。

物語の舞台をクラシックオーケストラ、主役をベルリンフィル主席指揮者としたのは世界を牽引する「最高権威」の象徴であり「権力の行使」などを画面の雰囲気や空気感といった感覚的なものでも伝えやすいからだと思う。

権威ある立場というのは気楽なものではない。バッシング対象になりやすいし、延焼速度は一般人より遥かに速い。
だから権威の座に立つ者は、常に己のパブリックイメージをコントロールする必要がある。
リディア・ターはそのコントロール能力に長けていた。さながら鎧を纏って武装するが如くだ。

しかし、風の噂にリディアが怖いとか職権濫用だとか聞いたのでよほど傲慢で気の強い棘のある人物かと思ったらかなり違うではないか。
悪意の編集でリディアを陥れたジュリアードの授業は客観的に見ると非常に親切な教師だと思う。
曲がりなりにも米国最高峰の音楽大学に指揮を学びにきていて、音楽とまったく関係ない理由から頑なにバッハを学ぼうとしない男子学生だ。嫌な教師ならばこんな不心得者はまともに相手にしない。しかしリディアは「指揮を学ぶならバッハにも向き合う方がよい」と辛抱強く諭す。
男子学生が性癖に対する偏見でバッハを否定するから「あなたが同様の理由であなたの音楽性を公正に評価されなかったらどうか?」と考えさせたのではないか。

子供のイジメの件だってそうだ。
相手の親や教師に言いつけてイジメ相手を追い詰めたりはせず、まずは
「もう二度とやらないように。今度やったら、わかるね?」と釘を刺しただけじゃないか。脅しちゃいるが、関係者を増やすよりは非常に優しい対応だと思うが。イジメっ子も親には知られたくないはずだ。

クリスタの件は「過去の過ち」だとしても「実際にはどこまでの事があったのか、或いはなかったのか」「どこまでがクリスタの勝手な解釈」なのかは不明である。

仕事に私情を挟んでいるのはリディアではなく周囲だと感じる。
副指揮者セバスチャンの更迭は、彼がその任に相応しい能力をすでに失っていたからだ。
市井のアットホームな楽団ならば温情優先だろうけど、世界最高峰のベルリンフィルですよ?
伝える言葉には配慮と労わりがあったしね。

リディアがフランチェスカを副指揮者に選ばなかったのは、彼女とフランチェスカの「仲」を疑う噂が楽団に蔓延していたからであり、リスクを避ける為であった。(実際シャロンの前に「関係」はあったようだし)
その点は可哀想だがフランチェスカだって「副指揮者になれたのはリディアの情婦だからだ」などとスキャンダラスなデマが蔓延ったなら未来は暗かったはずだ。
リディアを信じてもう少し待てばベルリンフィルのトップに立てただろうに、リディアに不利な情報をリークしたのは残念だ。

オルガの抜擢だって筋を通した根回しはしている。演者が誰かわからない公正なブラインドオーディションにて満場一致で彼女の技術が証明されたじゃないか。
トップチェリストの彼女だけがおかしな逆恨みはせずに大人の対応をしてくれて助かった。面子を潰されてショックではあっただろうけど、カラヤンでもバーンスタインでもない新しいベルリン・フィルをクリエイトするのが「仕事」なんだからさぁ。

1番哀しく思ったのはシャロンの言動だ。元々情緒不安定ではあるが、猜疑心から「嫉妬」にかられ、悪意の罠でボロボロのリディアから最後の救い(ペトラ)まで奪りあげて。
リディアが危機を相談しなかったのは心理的負荷が心臓などの変調を招くシャロンへの配慮もあっただろう。

打算が強かったのはリディアよりもシャロンやフランチェスカの方だ。シャロンはコンマス、フランチェスカは副指揮者の座を得る為に「権力者」と特別な関係になる事を受け入れた。
リディアは奔放な恋愛を楽しんだかもしれないが強要ではない。リディアだけが責められるべきではないと思う。
(5番4楽章はオルガをビョルン・アンドレセンになぞらえた隠喩だとは思いたくない。監督は「クラシックの中ではマーラー5番4楽章が1番好き」だそうなので、ヴィスコンティの事は「本当に気にしないで欲しい。本作とは関係ない」というメッセージな気がする)

トップに立つ者は常に孤独である。パートナーや家族、慕ってくれる仲間でさえも、その重責の凄まじさは決して理解出来はしない。
「権威」の椅子がいかに脆弱なものかを、本作は教えてくれる。
「悪意の捏造動画」や流言飛語一つで瞬く間に転落する砂上の楼閣なのだ。
攻撃のツールがSNSなど非常に現代的なのが観客の危機意識を喚起してくれる。

ラストは「落ちぶれた絶望」ではなく「次なる階梯に進んだ希望」だ。
「権力の楔」から解放されたリディアはもう重すぎる鎧をまとう必要はない。
「過去の音楽」ではなく「生の活気に躍動するこれからの時代の音楽」が彼女を迎え入れてくれた。元々、アフリカの音楽にもヨーロッパの古典音楽にも等しく価値を見いだすリディアだ。
登り詰めた者だからこそ見える次の草原が、彼女の前に広がっていることだろう。

監督はアジアやゲーム音楽を「田舎」「格調低いもの」だとは一切捉えていない。むしろクラシックという「権威の象徴たる過去の亡霊」に対し「今を生きる人達が作り上げる情熱的音楽」と見做している。コスプレは「音楽の為にわざわざ着替える(ドレスアップする)ほどの熱量を持って、音楽に向き合っている」という解釈だ。監督自身がそう語っている。
(モンハンが大好きで、その音楽にも高い価値を見出しているらしい。サブカルを蔑視する傾向はむしろ日本人特有の偏見かもしれない)

ここに記した「テーマ」と「ラストシーン」の解釈は監督とケイト・ブランシェッドのインタビューを参考にしているので彼らが表現したかったものと乖離してはいないはずだ。
彼らがターを通して描きたかったのは傲慢な女性の転落劇ではなくて「権力というものの本質」だ。

さて、ここからはトッド&ケイトへの私なりの回答。
彼らと同様に私もここ数年は「権力」について思索してきた。
私は昔から「7つの大罪」や「マズローの欲求階層説」が「人間と動物を分けるもの」を見いだす鍵になっていると思っている。
原罪やマズローだと少なくとも社会的欲求辺りまでは生命の進化の過程において自己の命を守り、種を保存する種を次世代に残す為に必要な能力が本能的欲求という形でDNAに刻み込まれていると思う。
そこでぶつかったのが「権力・支配欲の謎」という壁だったのだ。
人間関係のトラブル原因は大半がこの「支配欲」ではないか?という気がする。大きいところでは戦争だの、組織だの、イジメだの、ボスだの部下だの奴隷だのって話で誰でも納得だと思うが、小さいところでは「他者に対して腹が立つ」「なんかムカつく」というのも実はこれだ。
「相手が、自分が正しいと思っている行動をとらないから腹が立つ」のだ。
親が子供を叱るのもそう。パートナーに不満が溜まるのもそう。大抵は
「どうしてこうしてくれないの!」という感情に起因するのではないだろうか。
「自分の規範に他者を従わせたい気持ち」それはすなわち小さな「支配欲」なのだ。

この「権力欲・支配欲」というものは、一体なぜ私たちのDNAに刻まれているのだろう?進化の過程で命を繋ぐためのどのような役割があったのだろう?必ず何か「必要」があったはずだ。
その謎を解き明かせた時、我々人類は「権力欲」という罪を克服する事が出来るのではないだろうか?
そうすれば戦争も小さな諍いもない、平和な世界を築けるんじゃないだろうか?

この映画が多様な解釈が可能というのは具体的な案件に関してだ。
「権力」というものをウイルスに置き換えるとジェンダーやら差別やらパワハラやらそんなものは「咳」「鼻水」「発疹」などの「症状」なのだ。
症状への療法については千差万別で多様な解釈や議論が可能だが、本当に重要なのはそこじゃないんだ。
大元の「権力・支配欲」そのものの構造について俯瞰し、大局からその真実を解き明かす為の議論を重ねたい。
トッドやケイトと語り明かしてみたいものである。

トッドは64年、ケイトは69年生まれ。円熟した技量と最高の熱量。
今後、知性、心、技術は更に高みに向かうだろうが、創作にここまでの凄まじい熱量を注ぐ事は次第に困難になってくるだろう。
本作は2人それぞれにとって、彼らの人生における最高傑作になる気がする。

【追記】
最高傑作と言えばヒドゥル・グドナドッティルがこんなに凄いとは驚かされた!ウン十年ぶりにサントラ買うことにする。クラシックではマーラーが1番好きだからターの振る5番が収録されているのも嬉しい♪

大テーマ以外の部分では冒頭からラストまで全編通してユーモアも含む知的小ネタが散りばめられており、興味深いトピック満載でとても面白かった!

「過去の相手」から送られてきたサックヴィル・ウェストの「change」。読んでみたいと思ったけど邦訳でてないや。
レズビアン嗜好は理解し難いがサックヴィル・ウェストとヴァージニア・ウルフは読もうと思った。まぁ、愛の前に性別は些細なことなのかもしれんしなぁ、、、。

ケイト・ブランシェッドの【完璧】な仕事ぶりは驚愕した。生半可なプロ意識では出来るもんじゃない。
私もまだまだ頑張らねば、、、と喝を入れてもらった。うん、がんばろーっとw

ちなみに日本のモンハンコンサート「狩猟音楽祭」にてタクトを取るのは第1回シベリウス国際指揮者コンクールの最高位に輝く栗田博文。演奏は東京フィルハーモニー(大阪公演は大阪交響楽団)
(レビュータイトルは、これと個人的に好きな野阿梓の小説を絡めたものですw)

pipi
きりんさんのコメント
2023年12月21日

あ、返信は不要です。
一年間お付き合い下さいましてありがとうございました。良いお年をお迎えくださいね。

きりん

きりん
きりんさんのコメント
2023年12月21日

思えば本作品の取り上げた「指揮」という行為は象徴的でした。
先走って暴走する人間の中の「良いもの」と「悪いもの」をコントロールし、制御をすると同時に、「ヤバい人間の毒の部分」も隠し味として引き出すという、
相反した、一種独特の行為なのかも知れません。
社会の劣化は何とかして止めたいし、人間の中のパンドラの箱の希望は忘れたくないです。

かたや
指揮とか、自制とか、それが出来る人間=万物の霊長への、ポジティブな讃歌も、僕はもちろん有してはいるのですが、善であろうと悪であろうと、すべてひっくるめて、大局的には、数万年かけて、種としては終焉し、壊れていく人間の時代を静かにそのまま受け入れること=止められない事も、DNAの自己破壊プログラミングの前には僕は謙虚に受容したいというスタンスが、僕のこの世にたいする諦めではなく積極的な観察の第④点目の視点なのです。
壊れて終わってゆくことも地球的な時間の尺の中で「生物史」として美しい姿だと思っているので。

花が咲き終わって、冬に枯れてゆくように、ヒトの時代も終わることはとても自然なことだと思っているので。

ヒトの終わりは止めることは出来ないけれど、世の中の劣化に対しては足掻くことは自由です。

とにかく、いろいろ思わされるところ満載の「TAR」は秀作にして問題作でした。

(また長文になってしまってごめんなさい、笑)。
きりん

きりん
きりんさんのコメント
2023年12月21日

ご指摘の「TARがシフトを入れ直して東南アジアへ活動の場を移したあのエンディング」を、"明るい未来への希望的観測”と取るべきかどうか僕も悩んで頭を抱えたのです。

SNSによる彼女への追い詰め行為は終わってはいません。送信者はTARがたとえどこにいようとも彼女を追い詰める。「クリスタを殺したのがTARだ」と思い込んでいる人々がネットという武器を手にしている限りTARは やられるでしょう。
だから
「エンディング」はTARにとっても矢張り凋落であり、また、そのフィリピンの新天地の環境も、メディアに毒されていて破滅的な姿であったと。
即ち「エンディングの客席の人々の仮面」はTARへの"とどめ”であったと僕は感じ、
悪意と悪魔的な力の勝利の様相を突きつけられた気がして、
そちらに振ってレビューしたのです。

きりん
きりんさんのコメント
2023年12月21日

pipiさん

がっつりと、私ごときの偏屈で極端なレビューにお考えをお伝えいただき、本当にありがとうございました!
pipiさんのレビュー欄へ、僕から書き送ったコメントが、文章が冗長で、乱暴で、申し訳なかったと思います。

要点は
①人間社会の否定できない劣化
②とりわけ情報化における社会の劣化
③世界史においては文明が滅びることはまったく珍しいことではない
④生物史的にも自明の事として、種としてのヒトはいつかは滅びる。必ず滅びる。

こういうことです。
僕自身は悲嘆主義者とか世捨て人ということはなく、むしろその逆だと思います。

本能と理性のせめぎ合い、
理性と感性のショートスパーク、
それらから止揚される前向きで建設的な新しい生き方に僕は憧れています。

ついては、自分の中の動物の部分を御する「考える葦」であろうとする私たちのプライド、
⇒本能と理性の、その両方を併せ持つ自分であることの自己認識と、舵取りの妙こそが、我々が他でもないホモ・サピエンスである事の醍醐味かもしれませんね。

・ ・

きりん
グレシャムの法則さんのコメント
2023年12月18日

こんばんは❗️こちらの賑わい、花火大会とかお祭りみたいで、楽しいですね‼️
無愛想な師匠を見つけて自分から勝手に弟子入りしたら、かまってくれなくてもハラスメントではないですよね。
大学教授とゼミ生とかの関係でもそんなのがあってもいいと思うのですが、それじゃ、就活に間に合わない❗️なんてことになってしまい、親から苦情が出る。
漱石の小説に出てくるような書生や京極堂や寅さんのような反スマート人間は、今の時代、存在が許されなくなったのですね。経済的には生産性ゼロですから。

グレシャムの法則
きりんさんのコメント
2023年12月18日

①「支配欲」については、
人間の脳の、旧皮質の奥深い所にある「本能」の部分に関わるのかなぁと思っています。
即ち、肯・否評価される次元とは別の、罪も善もない、哺乳類の一種としてのヒトの、仔に対する危険回避のための躾や制圧という本能。
そしてその発展型としての社会の教育制度。
そこに類人猿・霊長類としての「ボスと、集団でそれに従う群れ」の構造が、これもDNAの要請として発露する。
「支配」はそういうものだと僕は捉えています。
複雑で緻密で、ここまで発展してしまった人間の文明も、そして精神活動も、実は根本の姿は単純なものだと。
「支配」も「支配欲」も、そして「被支配」も「被支配欲」も、動物の行動生態学としては自然なものなのかと。
意味づけをするから人間は苦しむのだし、人間だけがその本能に抗って苦しむのだと思います。

特別養護老人ホームに勤めておりましたもので、ヒトが老化して、生物としての進化の最初の姿に戻っていく様子をずっと観察していました。
(幼児返り〜捕食の本能と呼吸・鼓動の脊髄反応に戻るまで)。
そのような経験からこういうふうにマンウォッチングをしています。

②指揮者の入替えや、楽団員の引退勧告の強権については、これは辛いことではあるけれど仕方ないですね。
「25年目の弦楽四重奏団」が楽団員の本心を描いていて佳作でした。

「TAR」は様々な問いかけを持っていて面白い映画でした。

突然のコメント、長文失礼しました。
きりん

きりん
Mさんのコメント
2023年6月5日

「ター」は私にとっては難しい映画でした。1回目見て、よかったのですが、わからないところが多くあり、もう一度見たら大好きな作品になりそうな気がして、再度見ました。
でも、「大好きな作品!」とまではいきませんでした。
今回、もう一度、このレビューを読み直して、(自宅でよいので)もう一度見てみたいなと思いました。
心に残るレビューでした。

M
じゃいさんのコメント
2023年5月21日

シン仮面ライダーのほうでコメントありがとうございました! お褒めいただくと単純な人間なので一日幸せな気持ちになります(笑)。
ターの感想、拝読して全面的に共感いたしました。
たしかに父権的な言動は多いかもしれないけど、あんなにちゃんとしてるトップはなかなかいないですよ(笑)。ものすごく権力の行使には気を遣っている(しっかり気を遣いさえすれば、権力ってのは権力者が当然恣意的に行使して然るべきもんなので)。むしろ回りがひどい。
それと、たとえターという姿は「虚像」であっても、ターが天下のベルリン・フィルに楽員投票で首席に選ばれた「掛け値なしの才能」であることは、もっと(観客からも)評価されるべきかと。こと音楽の天才であることは作中で担保されているし、彼女が音楽について語ることはすべて傾聴に値するものとわれわれも捉えるべきです。
僕も、昨今の浮気したとかセクハラしたとか、ナントカ砲で放火してはSNSで炎上させて成功者を引きずり下ろす悪意の連鎖につくづくうんざりしているので(正義が介在するので止められない)、ターの有り様をきちんと見定めているpipiさんの評を見るとほっとします。
個人的にはせっかくのクラシックの映画なのにセクシャリティと権力者の追放劇に中身が偏ってるってのが先に立ちましたが、後者を扱うのにいちばんわかりやすいのがクラシックというpipiさんのご指摘になるほど、と。
ただ近年、男だ女だヘテロだゲイだ人種だってのをここまで箱根細工みたいに組み上げないと映画が成立しないってのも、いい加減息が詰まりそうです(笑)。

じゃい
満塁本塁打さんのコメント
2023年5月16日

pipiさんありがとうございました。皆さんの長文コメントには敵いませんので、もしよろしければお暇な時に私のレビュー欄もご覧ください。権力はよくわかりませんが、支配はどこの職場でも悩みどころなのでなんと無くおっしゃることわかります。お褒めのお言葉ありがとうございました。

満塁本塁打
もーさんさんのコメント
2023年5月15日

書き忘れましたが「アセッション」という言葉を教えてもらって有難うございます。
守りの姿勢に入りつつある私ではありますが、勉強は死ぬまで続けるつもりです。
謝謝!(延長雇用ですが、中国語で仕事をしていますので☺️)

もーさん
もーさんさんのコメント
2023年5月15日

pipiさん、御返事有難うございます☺️こういう遣り取りは始めたら延々と続きそうですし『ター』という映画の主旨から外れてしまうし、何よりpipiさんの貴重なお時間を取ってしまうので、この辺りで止めておきます。
ただ、誤解して頂きたくないので少し補足しますと、①私も若い時は世界をより良い場所に変えたいという理想に燃えて一度社会主義・共産主義活動に身を投じましたが、社会をいくら変えても人間自体(人間の業と言うか)を変えないと世の中は良くならない、これはダメだ、と活動から足を洗い、②次は仏教に帰依しました(今は小休止)。大乗仏教の考え方はそれなりに面白く、嫉妬心や妬み、人より良い生活をしたい、人を見下したい、人より偉くなりたい(色んな意味で)というpipiさんの仰る動物的な面も含めたもの)が人間で、その人間の業が無くなるわけでなく、ただ人を救いたい、人も自分も幸せにしたい、世間的な物差しを捨てて人間は皆(仏の前では)平等という人間の捉え方もあり、その面が動物的な面を抑え込めば、人間はもっと良いものとなり世界も平和へな道を歩き始めると(克己に近いですかね)。
ただ、その面を延ばすのは大変難しい。
私自身もそうですが周りを見てもくじけそうになります。現実社会で理想に近付くのは大変困難を伴う道だと(元々シニカルでアナーキーなところのある性な格ですし)。
いっそ、エイリアンが攻めてきて地球人類が私欲を捨てて一致団結するとか、アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』の様に外からの干渉がないと人間は次の段階に進めない、とかそれこそSF的な発想をしてしまいます😅。
だから、そういう(すこしずつ進歩している?)人間社会を描きながら人間の善性や神性(?)が時折顔をみせる映画に感動したり涙を流すのかも知れません。
勿論若い日に燃えた理想を完全に忘れたわけではありませんが、人間の進歩がそれに追い付くのか、それまで人間がこの地球上に存在しているのか、という危惧もあります(やはり悲観的ですね😅)
仕事も現役を終えて既に守りの姿勢に入っているかも知れません。
もう一度若い日の理想を燃え上がらせてくれるようなか映画との邂逅を待っております。
では、またよろしくお願いします(なるべく変な議論を吹っ掛けないようにしますのでご心配なく)。

もーさん
NOBUさんのコメント
2023年5月14日

今晩は。
 レビュー、拝読しました。(あと、私が”是非!”と勝手なお願いをした故に無理をされて、劇場に足を運ばれたとしたら有難さと共に申し訳なかったかな・・とも思いました。)
 私とは可なり真逆の解釈をされたのだな、と思いながら論理破綻なき、且つ説得力抜群のレビューはとても参考になりました。(思わず余りの筋の通ったpipiさんのレビューに自分のレビューに筆を入れようと思いましたが、私のレビューは鑑賞直後の素直に自身の感想を述べたモノなので、そんなツマラナイ事は止めました。)
 ヤッパリ、pipiさんのレビューには刺激を受けますし、これからも宜しくお願いいたします。(私はご存じの通り超負けず嫌いですし、唯我独尊男ですが、認めるべきお方には礼を失してはイケナイという節度は持っている積りです。)
 明日から、又厳しき日々が待っていますが、”頑張ろう!俺!”(月曜の雨の朝には、ニューオーダーの”ブルーマンデー”をフルボリュームで車内で流しながら仕事に精出す男です。)では。
 これからも宜しくお願いいたします。

NOBU
もーさんさんのコメント
2023年5月14日

pipiさん、流石の洞察力・教養の深さ・知識力ですね。私もターがベルフィルを追われてからの描写は落ちぶれた姿ではなく、彼女の“音楽”への愛がどれだけ深いかを描いたのだと思いましたので全く共感です。ただ、彼女を凄い仁徳者みたいに扱う(pipiさんがそう扱っている、という意味ではないので誤解しないで下さいね)のはどうか、という気もしますね。彼女も「権力・権威」の持つ魔力に囚われていた面もあるし、脇が甘かった面もあったと思います。まあ、個人的にその方が人間臭くて好きと言うこともありますが。
私はどちらかというと「権威・権力」を持つ者に対する支配される側・頭の上がらない側のリアクションを描く方に重心があったのかと。
そのためには「権威・権力」の一つの象徴としてターというヒロインが必要であり、彼女を完璧に造形するケイト・ブランシェットの存在が必要だったのだと。
「権威・権力」をテーマとしているということには代わりはないので、pipiさんの慧眼には敵いませんが。
これまた私の浅学で偉そうな事を言って恥ずかしいのですが、進歩というのは前よりも良くなりたい・良くしたという人間のDNAに刷り込まれているもので、その副作用として、人間としても他人よりも優れていたい、他人よりも上に立ちたい、他人と同じではイヤだ、アマウントを取りたい、私の方が優れた人間だから回りは私を特別扱いしないといけない、というある意味原始的な欲求が元にあるのではないかた思います。だから実は平等なんて、人と同じなんて望んでいない生き物であり、だから私は人の世の争いは無くならないだろう、という悲観論者と言えます。
pipi さんの慧眼に比べたら浅い解釈でしょうから一笑にふしてくださいね。
何か自分のレビューよりも永くなってしまいすみません。
pipiさんのレビューを頭に入れてまた観たいと思います(何度でも観たい映画だと思っています)。

もーさん
アサシン5さんのコメント
2023年5月14日

それぞれ人の感情に寄り添うレビューに感動しました🥺🥲映画を二度楽しめました、本当にありがとうございました😊😭よろしくお願いします🤲

アサシン5
グレシャムの法則さんのコメント
2023年5月14日

リディアではなく、その周囲の人間の歪みや屈折などに着眼しての考察、説得力があり、感服しました。
マズローの承認欲求の第4段階にいつまでもとどまってる自分もリディアの理解者にはたぶんなれないんだろうなぁ。
SNSの普及は、多くの人間の承認欲求を増幅させる方向に働くから、結果的にはその次の成熟した〝大人〟の段階になる機会を奪うことになってるような気がしてます。

グレシャムの法則
bionさんのコメント
2023年5月14日

僕もヒドゥル・グドナドッティルが気になって追いかけていたら、なんと『ジョーカー』の劇伴を彼女が手がけていてびっくりしました。

bion
bionさんのコメント
2023年5月14日

男子学生の偏狭さと貧乏ゆすりにはイライラしました😹
彼らが主流派になると文化までもが抹殺されてしまう。そんな未来は来てほしくないですね。

それにしてもpipiさんの熱量はすごいですね。僕もpipiさんほどではないですが、この作品が問いかけたテーマで頭がいっぱいです。頭の整理ができたら2回目を観たいと思ってます。

bion
やまちょうさんのコメント
2023年5月14日

pipiさん、コメントと共感、ありがとうございました!
私もリディアの一連の対応「バッハ嫌いな生徒への丁寧な指導と論説」「いじめっ子への適切な警告」「時期尚早な人事の取りやめ」「無礼な生徒に対しても実力を正当に評価する」・・・これ、らはむしろバランス感覚に優れた素晴らしい指導者しか出来ないことと思います。共感しかありません!

やまちょう
talismanさんのコメント
2023年5月14日

この映画では、アジアもゲーム音楽も差別どころか愛されていると思いました。西洋の権力の権化と比べたら余程自由で平等だと思います。レビューに共感しました

talisman