TAR ターのレビュー・感想・評価
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すっきりしないが引き込まれる
難しい。まさに難解な作品。
『セッション』の先生側視点で描かれ、生徒が耐え切れずに逃げ出した……みたいな印象。
ターの行いは、およそ過去にあったであろう様々な人々の行ってきたセクハラ、パワハラを体現したもののよう。
噂に聞く、カラヤンのエピソードとかに似たものもあれば、ネットの動画(複数の発言を編集したものが)炎上まであり、古今東西の「成り上がり頂点に立った人間の思い上がった態度」を全て実行。
また、『砂の器』のごとき、クラシック音楽界の権威主義と足の引っ張り合い、罠にかける人間関係なども描かれ。
「これただ不快なだけじゃない?」とか「スリラーホラーの文脈で見ればいいの?」とか「新手の嫌がらせ?」とか思い悩みつつ観ていました。
謎が謎のまま終わった部分も多く。
公園の叫び声はなんだったのか?
結局メトロノームは誰が鳴らしたの?
なくなった楽譜は誰が持って行ったの?
などなどすっきりしないままでした。
その解明・説明は物語上には不要だということなのか?
いろいろ謎解きがしたくて2回目を…と一瞬思うが、それにしちゃ長すぎる158分なんすよね。
ラストはどん底からの再生であり、彼女にとっての救済だと思うのですが……
すっきりしない。
それでいて、画面から目が離せない。
引き込まれた。
面白かった。
十分な睡眠をとったうえでの鑑賞をお勧めします。
ケイトブランシェット主演、しかも彼女の最高傑作というふれこみもあり、気合を入れて朝イチ鑑賞。
予告で、超一流指揮者の転落劇ということは分かってたけど、そこまでの話が私には高尚過ぎて、もともと敷居が高いクラッシック界が余計に縁遠い存在に感じた。
映画が始まってすぐ、民族音楽とともにあれ?これってエンドロール?という画面が続き、その後、ターのインタビュー場面が続くので、睡眠たっぷりとった朝イチ鑑賞で良かった。
もしこれがレイトショーなら完全にここで寝落ちしてた気がする。。。
そこを乗り越えてから転落劇が始まるまで、あまりストーリーの起伏無く淡々と進んでいくので、クラッシック界と縁遠い自分としてはかなり長い時間に感じた。
が、転落劇が始まったら終わりまであっという間で、最後のシーン観てもう終わり?何これ???っていう感じ。私以外の人はこの映画理解できたのか?と周りを見回してしまった。
まぁ、その世界を突き詰めた超一流ゆえの慢心が引き起こした転落劇なんだろうけど、その超一流として生きていたターよりも、転落して最後モンハンのオーケストラの指揮者の時の方が案外幸せでは?と思えたりもした。
クラッシックというだけでも重いのに、そこに同性愛や、立場の特権利用など、現代におけるテーマを盛り込み、ケイトブランシェットという深みのある演技の女優さんを主演に据えたことで本当に重厚な映画になっているとは思うけれど、もう少しストーリーに起伏が欲しかったし、専門用語も多いので、観る人を選ぶ作品かもしれない。
アイロニーとサポート
Tar
冒頭のインタビューでも、ターは熟考し雰囲気に調和する形で答える。一歩自分と線を隔ててはいても、同業者と師匠のことを立てている。音楽に対しては、誠実に向き合い、文化を維持しようとしている
ケイトの演技によって、流れるように見せられる生き方だが、水面下では過去と現在の爆弾が近づいている。
口演の練習のためただ音声を流している、生家に戻った時に行われる会話、生きづらさを垣間見る。関係性も互いに複雑だが、それぞれに愛情を抱いているようにも思える。基本静寂の映画なのに(音楽も含めた)雑音が話題に上ったり、アートも大衆の評価から逃れられなかったり、振り返り思うことは多いが、最後のシーン、演者達を紹介するターの所作が希望を写している。
人間の欲望は尽きない!
この映画は気持ちのいい内容だったとは言えない。ベルリンフィル(実際はドレスデン交響楽団)の常任指揮者までになったターの人を蹴落としていく、おぞましき悪行とその結果であって、最後はフィリピンで娯楽のオーケストラの指揮をして、人生を再発見しようとしている。悪行といってもこうやって出世していって平気な顔をしている人びとは山ほどいると思う。また、フィリピンに行って、ビデオゲーム?モンスター・ハンターの音楽の指揮を
め、出直しているが、やり直していても似たような失敗を繰り返すような気がした。欲というのは永遠に続くと思わせている。
この映画の出だしはテックスト・チャットからで、何か不穏な雰囲気をすでに漂わせていた。読むことができないなと思っているうちに、ニューヨーカー ・フェスティバルでのアダム・ ゴプニック(Adam Gopnik)本人のター(ケイト・ブランシェット)へのインタビューに入る。そこで、ベルリン・フィルと。ええ!ベルリン・フィルに女のコンサートマスターはいるけど、指揮者はいない。おかしいなあと思いウィッキーで調べたら、本当の話じゃないと。(私はこの女優ケイト・ブランシェットを全く知らなかった)ちょっとがっかりしたが、私はクラシックが好きなので観てみた。
そのうち、ドラマだとわかったが、インタビューの前のアダムの略歴紹介で驚いた。東ペルーのウカヤリ川に住んでいるシピボ・コニボ民族(Shipibo-Conibo)の音楽まで研究していて、世界的に経歴のある女性指揮者でなんでもできる人なんだと感心して見ていた。ターはマーラに親和性があって、ベルルンフルで第五だけを残して全て演奏している。これを指揮すれば、マーラが完結するのだ。それに、第五のアダージオ(Mahler: Symphony No. 5 Fourth Movement (Adagietto))はロバートケネディーの葬儀の時、バーンスタインが指揮をしたと。バーンスタインはターの師匠なのであると。この結末はターにとって口惜しいだろうね。
ターはジュリアードでマスタークラスを持っていて教鞭をとっているがこのシーンは結構複雑で理解に苦しむ。彼女は指揮者の青年に音楽に挑戦させている。青年はバッハのような白人の男のクラッシックに拒否反応を示し彼女はその性別のステレオタイプに反論を示しているようだ。
ターは挑戦的な人で、その後ニューヨークで食事をした時、クリスタ・ テーラーの小説の初版本を受け取るが破り捨てる。自分も『ター オン ター 』という本を出版する予定だから。先を越された?というような、競争心のある、攻撃的な態度に出る。
この映画はターの芸術に対する狂気が丸見えで薄気味悪く、好感が持てなかった。ベルリンフィルを指揮をしている時も、完全主義と言おうか自分の思っている音楽を作れないから、時々は冗談も言ってるが、きみ悪く、ターの敬服しているレナードバーンスタインのような雰囲気は全く持ち合わせていなかった。
ターはベルリンに帰ったが、指揮者を解雇され、シャロンも疑惑だらけのターを信じることができなく、娘から離した。
ターはベルリンフィルが新しい指揮者でマーラーの第5番をライブ録音するところに入り込み、後任の指揮者エリオットに殴りかかる。おぞましい狂った姿のター。
最後の方で、一番好きなシーンだが、ターは故郷に戻り、レナード・バーンスタインが音楽の意味について語るコンサートの古いDVDを涙ながらに見ている。初心、忘れるべからずのいいシーンだ。ターはバーンスタインの言葉に共感して、この道に進んだはずだ。
TAR=汚名を着せる
主人公の栄光と転落を描くのだが、ハッキリ言って非常に分かりづらい。
結局どれを誰がどういう意図で行っていて、何が現実で何が幻覚や妄想だったのか。
メトロノームは誰が?フランチェスカがメールを消さなかったのは故意?動画を撮影してアップしたのは?
オルガを追った先も人が住む場所には見えなかったが。。
ドイツ語のところで字幕が出ないことが多いのも不満。
物語として支障はないのかもしれないが、オケに指示を出すところなどは絶対に出すべきだった。
その内容や語調にリディアの人柄も、音楽や人との向き合い方も出てたハズだから。
全編通してだが、終盤は特に断片的なカットが細切れにされて意味不明。
「あれはモンスターハンターが云々」というのも見かけましたが。。
クラシック音楽を題材とした映画に特定のゲームを予備知識として求めるのは不誠実と感じます。
こちらも曖昧に描いているとは思うが、リディアが傲慢だとは自分は思わない。
音楽にも人にも彼女なりに真摯に向き合っていたのに、些細な行き違いと、嫉妬や逆恨みの連鎖があの結果を招いたように思えます。
古いビデオを見るリディアの目に光が消えていないところは救いか。
23-069
ケイトブランシェットの演技に終始圧倒された。冒頭のインタビューから引き込まれる。
男性社会の中で女性が頂点を極めるのは、
並大抵なことではないと思うが、
残念ながら転落の要因には男も女もない。
傲慢、羨望、嫉妬、色恋、浮気
やってる事が男と同じ😭
まぁ娘のパパだから仕方ないか😫
サスペンスでもミステリーでもない
クラシック音楽はあまり得意ではない。好きな曲もあるが、幅の広さと奥深さに尻込みしてしまう。そもそもポップスやロック、ジャズの感覚で考えるとクラシック音楽はすべてカバーなんだよ。指揮者の解釈・演出で曲の聴こえ方も変わってくる(らしい)が、それも細かいディテールの話。素人には誰の指揮したバージョンがこう違う!なんてことはわかりもしない。
本作でもリディアがもっとこう!なんて指導して演奏を変えてもその違いはよくわからない。でも指揮者がオーケストラの中でどれだけ力を持っているのかがわかれば十分。スキャンダル的なものに巻き込まれて、精神が不安定になっていく様は緊迫感があってよかった。
ただ、最終的にモヤモヤが残る。それもかなり。あの人がやってたのか!とか、実はそうだったの?なんてことが明らかになるわけではない。成功者の転落が淡々と描かれるだけだ。え?これで終わりなの?と思ったのは私だけではないはず。映画ってそういうもんだよな。整合性があるものだけが面白いというわけではない。
そして主人公が女性指揮者で、レズビアンで、パワハラセクハラの疑惑があるという設定が現代的だと感じた。今までなら男の指揮者でパワハラセクハラしまくる主人公になっていた気がする。セクハラやパワハラについては真相がはっきりしなかったこともあるが、リディアがそんなに悪いやつだとも思えないでいる。人が落ちていくのはなんと些細な理由なんだろうという気持ちになってしまう。それが監督が伝えたかったことなのか?
難しい話で冒頭が長い。 28点⇒56点
最初が長すぎて寝てしまった。他のお客も寝ていて、いびきかいてました。。
なんだろうね、、、最後の結末とは?
あまり指揮しないし、なんなんだろ?
よく分からないです。難しい映画!
ただただ長い映画拷問。
指揮している主人公は輝いてカッコよかった!
自分みたいな人はアクション映画で頭空っぽで見れる映画が好きかもしれないことに気づかせてくれた映画。
音
終始ケイトブランシェットが男前
男性で、このようなストーリーはありふれている気もする
成功からの転落。
最後ここで終わるのか!
って心の声が出てしまった笑
コスプレおたくの上映会的な感じなのか?
あれは、、、
色んな賞を総なめしたターの転落人生映画🎞️
会話劇の中で人名出てくるんだが関係性とかわかりにくい
誰が誰なんだと思いながら鑑賞
そして顔の傷治るの早いなぁ
ただ、アングルとか見せ方めっちゃ好きです😊
オーケストラの演奏カッコよかったです!
「情熱大陸」×「ブラックスワン」風
ジャンルも分からずに、ケイト・ブランシェットに釣られて観ましたが当たりでした。
頂点に登りつめた者が周囲の嫉妬や偏見や無知、無理解に苦しめられ、加えて自らの対応ミスもあって引きずり降ろされる話です。
引っ掛けがあったりわざとぼかしたりしてて一筋縄ではいかない感じです。
まず主人公が誹謗されている場面で、並外れた自己プロデュース力と上手く立ち回ったことによって実力以上の地位についた人間なのかなと思わせますが、違いました。才能も実力も十分にある人物です。
最初の会話が長くて集中がしにくいですが、生徒の指導や楽団の指揮になると実在の指揮者みたいでリディア・ターに圧倒されて目が離せません。その言葉も、指揮する姿もまさにカリスマです。
プレッシャーで次第に神経が参っていって幻覚に悩まされるあたりはホラーサスペンスのようです。
本作は映像や音が素晴らしいし、脚本が細部まで作り込まれています。再起を図って新たな音楽事務所に入ったら、ベテラン担当者を断られて新人を付けられるとか、会話も面白い。ターを取り巻く様々なタイプの人間描写も見ごたえがありました。聞き逃しや理解できなかったところもありましたが面白かったです。
ラストの感想。
落ちぶれた後のアジアの国での仕事は、外国の富裕層向けとみられる性的サービスの店なんかは現実にはなさそうで好きではないですが、ここでのシーンが長いのは、このままでは終わらないというターのしぶとさを表しているのだと思いました。ゲーム音楽の演奏会でも、手を抜く気は全く無く、気力がみなぎっているようでした。
それにしても、ハリウッドは汚物が好きみたいです。
……5/19追記……
一度しか観ていないのでうろ覚えですが……
上記に対応ミスと書きましたが、ジュリアードの学生への対応は良かったと思っています。彼は自分から音大に入っておいてバッハを全否定しています。私の勝手な想像ではそんな人がいるとは思えませんが、現実に居るとしたらかなりヤバい奴です。そういう偏った思想の学生を、ターは根気よく諭したと思いました。でも、学生の「クソ女め」のセリフは、ターがまるで陰湿ないじめをしたかのように思わせる効果がありました。
そして、誰かが(誰でもいい)それを録画し、悪意のある編集をしました。
また、記者会見で。後ろで聞いていた(というかちゃんと聞いてない)カップル。彼女が彼に「どうだった?」と聞き、彼は「例えがクソだ」と答えます。すると彼女は、自分は理解していないにもかかわらず、ターの事を『つまらない事を得意げに話す女』とインプットするでしょう。
こうして、SNSで特定の人をバッシングする構図が出来るのだなと思いました。
卓越した天才の盛衰
音楽にも詳しくないし158分だし。ちょっと見るのに勇気がいるわぁ、色々と入り込めなかったらどうしよう…と不安半分で挑んだもの。あっという間でした。魅せに魅せられたケイトブランシェットの迫真の演技が強烈すぎました。最高に息苦しくて、どうしようもないくらい追い詰められていく彼女の背中をひたすらに見守り抜いた時間でした。冒頭から音楽の専門性や歴史についてやたらめったら語るシーンが長かったんだけど、それもそれで彼女の超越したエゴイスティックな要素を大風呂敷で描かれるにあたって必要だったわけです。ある音楽家の卓越した才能の頂点と転落。自分自身を尖らせて、戦って、鼓舞しつづけて、才能を煽り続ける人生というのは…辛いだろうなぁ。最終的には「人間性の弱点」を叩かれまくっていく過程を観ながら、それはそれで当然な部分もあるけれど、周りと信頼関係を紡げなかった彼女の孤独性を想像すると悲しかった。どんな状況下においても音楽を続けていく事が彼女にとっては生きること。それだけが救い。
女優さんがどんな女優さんか、僕は知らない。だから、凄い演技なのか僕は分からない。
1.レズビアンの所だろうが、感覚が完全に男の目線に感じる。
2.話があちこち飛んで、起承転結が壊れている。
3.マーラーの5番とか登場するので、一瞬惹かれるが、長く続かない上に、そちらがメインテーマではないと分かる。
4/ジェー○ズ・レヴ○インの事件やカラ○ンの疑惑やフルト○ングラーの反ナチス行為は別物。この偉大な指揮者たちの行為をモデルにしているのは理解できるが、だから、許されたり、過大評価する必要はない。まぁ、そう言った事は音楽に限った事ではなく、例えば三島由紀夫先生の小説や、藤田嗣治画伯の絵画を、彼らの行動で評価する事は出来ない事と同じだと思う。
そもそも、名指揮者とか名演奏家等と評価しているが、例えば、ベルリンと日本国の元国営放送の楽団の差なんて、わかるのだろうか?
この映画でも、ベルリンじゃなくて、ドレスデンな訳でしょう。
カラヤンは偉大な指揮者なのだろうが、デジタル音源で聞くのがやっとの事。フルトベングラーに至っては音源にステレオがない。やはり、どんなに名のない楽団であっても生のオーケストラの音にかなう訳が無い。
さて、
映画の中で『ユダヤ人が黒人のJAZZで食って来た』とか『バッハが女性差別主義者』とか言って『バッハが好きになれない?何故?』と貧乏ゆすりの青年にこの主人公が迫るが、その青年が突然切れる。その理由が分からなかった。そんな人物が、指揮者にはそもそもならないだろうと思う。また、女性主人公の話は、特別な極論ではない。
『バクダットカフェ』にバッハをこよなく愛する黒人青年が登場するが『黒人と見るとJAZZ』と言う『決めつけ』が、この演出家の偏見なような気がする。
オーケストラは指揮者が凄いのではない。作曲家から鑑賞者まで全部を含めた総合芸術だと思っている。そう、建物(音楽を聞く場所)もね。勿論、聞く人間の叡智も含んでいると僕は思っている。
ある意味、映画も同じだ。しかし、
沢山の人達で演奏するから、値段が高いのは分かるが、もう少し安くしてもらいたい。
6月4日にあるところへ、ショスタコーヴィチの革命を聞きに行く。市民楽団の演奏なので、恐縮するくらい安い。しかし、元国営放送の演奏を、テレビで見るよりも凄いはずだ。
もっとも、僕のモニターには元国営放送は映らない。
最後もおちぶれて、タイの楽団かベトナムの楽団ってことなのか?メコン川やメナム川にワニなんかいた?その感覚が、西洋人の黄禍論なのかもしれない。西洋のクラシックをアジア系の人たちが奏でる事が、西洋の人たちからすれば、違和感があるのか?どうやら、インドシナ半島にもワニいない訳では無い様だが、アリゲーターは中南米だし、クロコダイルも別の場所。大人しいクロコダイルの亜種がインドシナ半島にも生息するが。
追記
そのワニたちですが、専門家から聞いた話では、環境破壊が進んで、寧ろ、絶滅危惧種の類のようです。
何を支配するか、時に心身を任せる
TAR
ター
ケイト・ブランシェットでないとターは演じきれない、さすがの存在感。
支配〜パワーゲーム
支配から逃れ執着を手放すことが人生の河(時)に流れていくのに大切なことだと感じた。
もう一度観ないと解らない。
TARは観る人それぞれに意識の変化をもたらす。
本質に近づくために
#TAR
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#ケイトブランシェット
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