ファンタスティック4 ファースト・ステップ : 映画評論・批評

2025年7月29日更新

2025年7月25日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー

MCUフェーズ6の始まりは、理想的なF4をまっとうする

ファンタスティック フォー(以下:F4)は1961年を起点に、マーベルコミックの中でも最初期に生まれたヒーローユニットだ。肉体伸縮や透明化を武器とする4人の変異能力者たちで編成され、1967年にはハンナ・バーベラ・プロダクションによってアニメ化されて、我が国では「宇宙忍者ゴームズ」というタイトルで放送実績がある。ちなみにダチョウ倶楽部のフレーズギャグ「ムッシュムラムラ」は、全身岩男のザ・シングが攻撃時に発する、日本オリジナルの決めゼリフ……と、こんな煩わしい詳述(しかもダチョウ倶楽部までがワンセット)から解放されるのが、2度目の再起動にしてMCUフェーズ6の初手となる今回の新生F4だ。

そう、本作「ファンタスティック4 ファースト・ステップ」においてF4は、すでに人類の守護神として周知され、彼らが何者であるかを、我々は劇中内のテレビ特番で復習、併せてビギナーはカジュアルに背景を学習することになる。なんとも効率的な構成に加え、F4のスーパーヴィランであるドクター・ドゥームが翌年12月公開予定「アベンジャーズ ドゥームズデイ」のラスボスに格上げされたことで、彼らはもう一人のF4ゆかりの敵・ギャラクタスと対峙することになる。その先兵としてシルバーサーファーが登場するに至っては、ファンはもはや無条件降伏で本作を称えるだろう。

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だが最もファンたちを鼓舞させるのは、F4が「家族ヒーロー」としてそのアイデンティティを問われ、ファミリーの絆に関わる試練を課せられる点にあるだろう。ギャラクタスの要求にしたがい幼児フランクリンを捧げるか、あるいは拒否して地球を犠牲にするかの選択を迫られる、リード/ミスター・ファンタスティック(ペドロ・パスカル)とスー/インビジブル・ウーマン(ヴァネッサ・カービー)たち。家族編成のスーパーヒーローユニットは、ポピュラーなようでいて希少性が高い。とはいえ細田守の「サマーウォーズ」(2009)が富野喜幸(現:由悠季)のテレビアニメ「無敵超人ザンボット3」(1977~78)の衣鉢を継いだように、またブラッド・バードの「Mr.インクレディブル」(2004)がF4の変奏曲であるように、家族ヒーローはここぞというときに発表され、共感性を喚起させる。我々は超人でなくても、家族がいるからだ。

そんなF4としてのあるべき姿が、陽性的な世界観をダークに再定義して拒否反応を示された、2015年の「ファンタスティック・フォー」をコントラストに、さらに高ポイントを稼いでいく(個人的には悪評まみれなジョシュ・トランク版も嫌いではないが)。なにより主舞台となる別地球・アース828の、想像的な未来図像をそのまま実現させたようなランドスケープも機能的かつ秀逸で、過去のF4映画とは一線を画す個性化に成功している。こうしたマルチバース設定は来期アベンジャーズへの布石を匂わすが、遠大なロードマップに気を配らずとも、本作はF4をまっとうしており、単品として充分に楽しい。

あと自分はIMAXバージョンと通常版を観たが、IMAXバージョンは、2.39 : 1 と1.90 : 1 のフレーム混合ではなく、後者固定(グランドシネマサンシャイン池袋あるいは109シネマズ大阪エキスポシティの専門オーディトリアムで鑑賞した場合、ここから見せ場ごとに1.43:1 にフレーム拡張する)。ただ2.39 : 1 も作品のテイストと時代性に合っているので、優劣はつけがたい。まさしくファンタビジョンだ!!

尾﨑一男

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