ネタバレ! クリックして本文を読む
もうちょっと共感度の高い女同士のロードムービーかと思いきや、主人公バニーのかなりガチめの犯罪常習者仕草に、最初は引いてしまった。背景の説明が後追いなのでなおさらだ。(映画.comの本作の紹介文に「ユーモアたっぷりに描いたロードムービー」とあるが、笑える場面は少ないし、ロードムービー要素もあまりない)
とある事情で里親のもとにいる子供と監視付きの面会しか出来ない状況のバニー。彼女は子供に会いたい一心から、こちらが振り落とされそうな勢いで社会のルールを破っていく。
原題は「The Justice of Bunny King」。狼藉者バニーの正義とは何なのか、序盤では見えづらい。「そんなんだから子供に会えないんだよ……」とつい思ってしまう、側から見れば短絡的な行動の数々。その辺を嫌気がさすほどリアルに見せながらも、最後でしっかりほろりとさせ、バニーの悲しみや愛情深さを魅力的に見せるエシー・デイビスの演技に揺さぶられた。
バニーの行動の是非はひとまず置いて、彼女の心情に寄り添ってみる。夫を殺した理由は、子供に加害した彼から子供を守るためのようだ。夫の死亡と服役したことにより経済的に子供を養う余裕がなくなったこと、またその前歴を理由に子供から引き離されたのだろう。子供を守るために殺人まで犯すほど強い気持ちを持った彼女にとって、その処遇は耐えがたいものだったに違いない。
そして、そんなバニーから見て姪のトーニャに言い寄る義父、トーニャに事実確認をせず夫の所業を見ぬふりで娘を守らない妹は、親としてあり得ない、許せない存在に見えただろう。
場当たり的であるにせよバニーにとっては、母としての子供への誠意や、トーニャの不幸を知った者としての責任を全うする一番の近道がああいった行動だったのかもしれない。
ニュージーランドの住宅事情はかなり厳しい。2020年から2021年にかけて住宅価格が20〜30%上昇しており、住居は賃貸が主流だそうだ。賃貸といっても日本の感覚で考えるような世帯ごとに完全に区分されているものはやはり高額で、シェアハウスが一般的とのこと。
そんな中でバニーのような状況の人間が、子供と住める住居を探すというのは、相当ハードルが高いことなのだろう。バニーにとっては、住居を見つけた上で子供と暮らすという正規の手段は、気が遠くなるほど遠い目標に思えたのではないだろうか。
また、ユニセフの統計でニュージーランドの若者の幸福度は、先進国38か国中最下位。15〜19歳の自殺率は日本の約2倍だという。バニーだけがトーニャの絶望に気付き、また明らかに無軌道なバニーにトーニャが最後までついていくという描写の下敷きには、そういった社会事情がありそうだ。
正直なところ、私自身の物差しで考えるとバニーの行動はどれも、結果的には子供との同居という夢を遠ざける愚かな動きにしか見えなかったのだが、現地の事情を垣間見るとドライに突き放して考えるのも違うような気がしてくる。
タイトルの”バニーの正義”が指すものは、彼女の狼藉ではないのかもしれない。彼女の行動が結果的に、他の身近な大人が見過ごしていたひとりの絶望した若者を救った。そこにバニーの行動の一抹の、しかしかけがえのない正当性があった。原題を私はそう解釈したい。